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通産省・国売り物語

通産省・国売り物語(1)馬借

現在の日本社会を破壊しようとしている財政破綻。これを引き起こした財政出動の垂れ流しは、アメリカによる圧力と、それに便乗した官僚・政治家・財界によって、中曽根行革による財政再建の撤回とともに始まりました。本来なら公共時に減らされて債務を削減すべきものが、外圧要因によって強化されつづけ、バブルを引き起こした挙句に不況に陥ると、さらなる財政支出を要求される。これでは財政破綻は免れませんが、業界にとってはまさに「心強い味方」だったでしょう。もし、こうした悪循環の始まりに、誰かの意図が関与していたのだとしたら、それは許されざる犯罪行為です。

86年に書かれた「新・日本の官僚」(田原総一郎著・文春文庫)という本に、通産官僚へのインタビューで、こんな台詞が出てきます。「中曽根行革は、口では経済摩擦緩和に努力するといいながら、行革で、公共投資をはじめ、内需をムチャクチャに抑えている。これでは輸出が増えるのはあたり前で、中曽根首相はウソつきだ、と。」そういうアメリカの要求に答えて財政を拡大し、自国のことだけを考えない世界国家として「第二の開国」を受け入れよ・・・。で、そのためには「経験のある通産省に任せろ」って本音がある訳ですが・・・

あの当時、長年の開発努力によって力をつけた企業の間で「もう通産省の指導はいらない」との認識が広がり、通産省が存在意義を失いかけていたそうです。それに対して、権力の維持を図る通産官僚の中に、アメリカの圧力を利用して、利権を再構築しようという動きがあったというのが、田原氏の説明です。上の発言は、そうした官僚のものです。そのために彼等は、アメリカの貿易摩擦を煽り、他省分野に対する外圧を利用して、縄張り争いを展開したと・・・。通信摩擦で入れ智恵したり、通商外圧の種本を作って渡したり・・・。

そういう中に、半導体摩擦が出てきます。

85年秋の半導体日米交渉に関する「チップウォー」(フレッド−ウォーシェフスキー著・株式会社経済界刊)での裏話は衝撃的です。商務省のプレストウィッツが交渉のさ中の時期、夜中に相手の通産省幹部に極秘で呼び出されて「通産省なら行政指導によって20%のシェアを保証できる」と持ちかけられたのだそうです。これが悪夢の始まりでした。悪かろうが高かろうがいらない種類だろうが「とにかく2割を買え」という、とんでもない条項を呑まされたのです。

この交渉では、もちろん国内でも、通産省内部でも大きな反対がありました。そうした反対派を騙しつつ、交渉とその運用は進められました。交渉中の反対派は通商政策局、推進派は機械情報局です。そしてその推進派の意図は、通産省の行政指導に従わなくなった「半導体産業という暗黒大陸を征服する絶好の手段」として利用するためだったと、手嶋龍一氏のインタビューに応じた当時の担当者が答えています。(「ニッポンFSXを撃て」新潮社刊)

当然、行政指導による押し売りなど簡単には進まず、87年2月、アメリカによって、見え透いた囮操作による半導体制裁が始まります。その圧力の中で半導体輸出の規制によるシェア低下や日本企業による出血サービスの技術協力・購入努力。メーカーはガチガチの統制経済に絡め取られ、通産省の業界支配は復活。そして延々と制裁は続き、再三の「ガット提訴決定」もポーズだけで実行に至らず。

アメリカ企業での日本側のサービスに対するホクホク状態と日本側に募る不満が続く中で迎えたブッシュ政権の早々に始まったのが、89年のスーパー301条問題でした。最初は「日本をスーパー301条に指定しない」という方針だったのを、覆したのが摩擦議員とSIA(アメリカの半導体業界)でした。このスーパー301条での通産省は、「平成日本の官僚」(田原総一郎著・文芸春秋社刊)によると、実際に特定された三分野が他省の管轄だと、通産省内部では満足状態。しかも実は、「候補」が発表される一週間前に機情局某課長が本指定結果を知っていた(つまりアメリカ側ともツーカーだった?)・・・。

そして「構造協議」が始まり、430兆もの公共事業を約束させられる。ジェトロは外国企業の対日輸出サービス機間として、半導体の「輸入拡大自主努力」は通産省の指導の元で全産業に拡大される。それで得た絶大な支配権と十兆円規模の「新産業資本」予算で、指揮した棚橋祐二氏(91年から事務次官)は「通産省中興の祖」とまで呼ばれているとか・・・。(1244財政垂れ流しを仕組んだ官僚達)

中曽根行革が覆されたのは、87年4月の「緊急経済対策」で決めた6兆円規模の財政出動で財政再建が棚上げされた時です。これは2月に始まった半導体制裁に対処すべく、G7に合せて訪米した中曽根総理がアメリカを説得するための「手土産」として作られました。まさに半導体摩擦を梃子に、通産省の「念願」が実った訳です。

(1245 Re:財政垂れ流しを仕組んだ官僚達)

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半導体という「産業の米」に関する技術的リーダーシップを日本から奪い取り、味をしめたアメリカをして、強硬な「押し売り貿易」要求に走らしめた半導体協定の20%条項。半導体交渉でプレストウィッツに、秘密裏に20%の押し売り貿易を提案した通産省幹部とは、具体的に誰なのか。

密約の発端

少なくとも、この提案が行われた「85年秋の交渉」は、おおよそ特定出来ます。第1回の専門家会合が10月21日・22日にワシントンで、第2回が11月20日で、この第2回の時にアメリカ側が言い出したそうですので、ほぼ10月の交渉において、という事になります。

その交渉に関しては、14日づけの日刊工業新聞で、棚橋機情局次長が急遽派遣されて話し合いを始める、と報道されています。そしてその後の21日頃に若杉審議官が本交渉に出向いたことになっています。となると、可能性のあるのはこの二人ですが、若杉氏の場合は「深夜に呼び出す」となると、チャンスは初日夜の1晩しかない。となると、14日頃から派遣されていたらしい棚橋氏によるものである可能性が、極めて高いことになります。

実はこの本交渉では、11月3日づけの日経新聞によると、双方が持論を述べ合っただけで具体的な交渉のための話し合いはなされなかったという。つまり「要求する側」のアメリカ側が、まとまった具体的要求を出さなかった訳で、極めて異例な展開です。これが何を意味するのか。つまり、棚橋氏による「提案」をアメリカ側が検討し、対日態度を固める時間が必要だった・・・という解釈が最も妥当という事になります。

実はこの棚橋祐二氏は、日米摩擦に関する様々な局面に登場するキーパーソンです。モトローラのガルビン氏が日米摩擦について書いた「日本人に学び日本に挑む」で、86年5月における20%押し売り受け入れの合意成立に尽力したのが棚橋氏であり、「対米交渉の前線部隊長」として、アメリカ側との交渉を仕切ったことを本人が認めています。つまり、現地での相手方との接触や情報収集を牛耳って、交渉を左右する立場にあった訳です。

さらに彼には、類似する行動の実例があるのです。89年のスーパー301条において、「トロン教育パソコン」がアメリカの圧力によって潰された時、孫正義氏と組んで、裏でトロン潰しに画策したのが、実はこの棚橋氏である事実が「孫正義・起業の若き獅子」という本で明かされています。

この時にもう一人、トロン潰しに加わっていたのがソニーの盛田昭夫氏でした。彼は半導体摩擦でも日本企業側の外圧受け入れの動きに主導的な役割を果たしており、プレストウィッツ氏の「日米逆転」によれば、95年春に盛田氏が、日米摩擦の場で半導体の官僚統制を言い出しています。さらに遡る83年の日米財界人会議で、モトローラのガルビン氏が要求した日米業界間談合に、盛田氏が賛同し、その実現向けて協力したのだそうです。

そして以後、対日摩擦の火付け役として、押売り外圧利益追求者として、またSIAのリーダー格としても有名なガルビン氏と、盛田・棚橋コンビの密接な連絡によって対日が背後に存在していたことが、明らかになっています。通信摩擦で悪名高い「モトローラ方式」を日本で最も熱心に受け入れたDDIの稲森氏を、ガルビン氏と引き合わせたのも、TRON外圧で孫氏と棚橋氏を引き合わせたのも、この盛田氏でした。

彼が何故、このような挙に出たのかは解りませんが、元々、日本の半導体産業を初期に牽引したのは、トランジスタラジオを開発したソニーでした。それが次第に日立やNECなどが大資本にものをいわせて大規模な半導体工場を作って市場を席巻した・・・と、盛田氏の目に映った事は間違いないでしょう。しかし、だからといって、それらの電子メーカーが単に「力業で市場を乗っ取った」と盛田氏が恨んだのだとしたら、それは大きな間違いです。当時の半導体はけしてアメリカなどが被害者意識紛々に言い張るような「習熟効果で金を注ぎ込んでシェアを取れば猿でも歩留まりを上げられる」ような簡単なものではないのです。

NECなどが信頼性のノウハウを蓄積できた大きな切っ掛けは、かつて電電公社が「電話システムの電子化」のために必要としたマイコンの開発にメーカーの参加を募り、目茶苦茶に厳しい信頼性テストを伴う開発プロジェクトをやったのに参加して、血の出るようなハードな開発で経験を積んだお蔭でした。三菱などは、不良品の原因となる「極微細ゴミ」対策のため、女性技術者だけで「キャッツ」というチームを組織し、ある時は彼女たちの家族全員に三日間風呂に入れずに下着から上着まで同じのを着させ、それを洗濯した水を分析して「体から出るゴミ」の量を調べる・・・などという事までやりました。そんな血の滲むような切磋琢磨が、日本企業の世界に冠たる半導体量産技術を築いたのです。

また、棚橋氏は単なる高級官僚ではありません。91年に事務次官に上り詰めた大物で、大臣経験者の娘婿としての閨閥を持ち、福田内閣の秘書官時代に政会に太いパイプを築いて、福田・竹下派・・・、特に梶山氏と強い繋がりがあるとか。75年頃の内閣官房グループが連夜料亭で繰り広げた豪遊を目撃されたことが「夜に蠢く政治家たち」という本に出てくるそうですが、森喜朗・福田康夫氏などを率いた宴会リーダーとして大手を振っていたのが、他ならぬこの棚橋氏でした。高杉良氏の「小説通産省」に、彼をモデルとした「松橋勇治」という人物が登場しますが、自民三役とホットラインを持ち、与野党を問わず電話一本で動かす、多くの経済記者を子分にしているとの話まで出て来ます。

勿論、棚橋氏が通産省の対外迎合を独りで引っ張っていた訳ではないでしょう。プレストウィッツ氏の「日米逆転」には、半導体協定成立に協力的だった通産官僚として、彼が「最も能力のある交渉者」と持ち上げた若杉和夫氏、機情局長としても次官としても棚橋氏の前任だった児玉幸治氏、そして「資源派」の大物で田中角栄が最も信頼したと言われる小長啓次氏の名前を挙げています。特に児玉氏はプレストウィッツ氏とも、そして棚橋氏とも家族ぐるみの付き合いで、棚橋氏と児玉氏の配偶者は一緒に通産高級官僚の配偶者達の親睦会を仕切る仲であったようにすら、高杉氏の小説に出てくるのです。

泥沼の押し売り交渉

さて、10月半ばの極秘裏の提案があった後、プレストウィッツ氏は商務省の上司に伝え、「自由貿易に反する、無理だ」という反対論を説得して、押し売り路線を決めた・・・と本人は言っています。11月14日頃、米政府筋がシェア拡大に繋がる日本の譲歩の見通しを発言します。これが前月の秘密提案によるものである事は言うまでもありません。11月19日からの東京での協議では「輸入拡大」や価格監視面での協力体制で合意します。直ちに日本の半導体メーカーは日米合意に沿った行動計画に着手しました。ところがその直後のワシントンでの協議で、双方の主張は平行線を辿ることになります。これが「20%シェア保証」の要求によるものである事が明らかになるのは、後になってからです。

11月30日にはアメリカが非公式に「輸出拡大ビジョン」を要求し、泥沼化が始まります。実際にはアメリカ国内では最低価格制を求める声多が多く(日刊工業11/16)、妥結は不可能では無かった筈でした。だから12月3日の協議で若杉審議官は半導体価格規制案を提出し、USTRが理解を示すことで、先ず決着したという受け取り方が大勢を占めたのです。

それに対してボトルリッジ商務長官は「日本の価格カルテル提案はわれわれの自由貿易の考えに反する」という、白々しい理屈で反対し、ダンピング調査決定でぶち壊す挙に出ました。日本のマスコミではこの時、商務省とUSTRの対立を伝えていましたが、一方では「日本側の交渉態度がアメリカを怒らせた」と恐怖を煽って(日経12/13)際限の無い譲歩を要求する声が出ます。佐藤隆三氏(日経10/12)のような「損を覚悟で輸入を増やせ」というとんでもない言い分がまかり通るようになり、11月には通産省でも、事実関係を棚上げにして「現実的な解決策」(江波戸哲夫著「ドキュメント日本の官僚」)と称した妥協路線に「転換」したと言います。

この時期には既に、田原総一郎氏の「新・日本の官僚」が指摘した「他官庁の領分の利権の侵略」のために・・・という名目で、アメリカ外圧との極秘協力体制は出来ていたようで、その85年という時期はまさに、レーガン政権が対日押売り外圧の本格化へと政策転換した時期にも当たります。ジェトロ配下の「日米貿易委員会」が出した報告書「プログレスレポート1984」が、85年の押し売り貿易交渉におけるアメリカ側のネタ本として提供したものでした。郵政省のVAN自由化の際、郵政省の決めた届出制を叩かせるために「端末500以上のVANは不許可」という嘘を、とある通産官僚がアメリカ側に吹き込んだとして問題になりました。その本人を田原氏がインタビューした時、逃げた本人の代りにインタビューに応じたのが棚橋氏でした。

年内での解決が不可能になったとして、12月13日頃に通産省は棚橋氏をアメリカに派遣。帰国してからどんな「情報」を持ち込んだのか、通産省では「対米通商円滑化の政策転換」と称するものの検討を始め、年末には半導体輸入20%増という結果主義的目標を提案。しかしプレストウィッツは、あくまで日本全体でのシェア増加を要求して、この提案を蹴って決裂させます。

その他の多様な摩擦分野では、86年に入ってすぐ、安部外相が訪米して僅か2日間で米政府高官に個別会談し、MOSS協議は決着したとして、マスコミの賛美を浴びます。実際には単なる一時しのぎに過ぎなかったのですが、その裏側にどんな根回しがあったのか・・・そして、半導体だけは協議継続として取り残されるのです。

しかしその後、プレストウィッツは商務省を解任され、23日に再開された交渉で国内価格を含む半導体の「価格監視」による合意を見たのです。その前日に渡辺蔵相は日本貿易会に「輸入目標は作らない」と約束します。しかし相変わらず数値目標を要求する勢力は議会等に根強く、「アメリカ製輸入拡大」の交渉は続きます。

そうした中、「プレストウィッツが対日和解派になって、強硬派を押さえる球として数値目標を求めている」かのような風評が流れ始め、新聞に載ります。勿論、それが数値目標を受け入れさせようという真っ赤な嘘である事は、今となっては明らかですね。そしてこれに呼応するように、通産省自らが数値目標受け入れに繋がる提案を始める一方、2月15日にアメリカが価格監視を正式要求すると、通産省は独禁法を理由に「日本市場での価格カルテル」を拒否し、代わって最低価格制を提案します。これだと独禁法に触れないのか?さらに「米独禁法の域外適用を受ける恐れがある」という不思議な理由までつけて、無意味な協議で国内の不満を外らしつつ、押売りの理不尽への批判が外らされていくのです。

商務省も22日にはUSTRとの対立を解消。一致してシェア目標の強硬な要求を始め、3月に入ると国内規制要求を撤回。以降はシェア目標へと議論は集束していきました。それに対して通産省はなし崩し的な受け入れ姿勢を見せ始め、購入計画の調査と称して11社に圧力をかけます。

これに呼応して、3/14日、ソニーの盛田会長とSIA・ガルビンが音頭を取って、棚橋氏も出席して日米のメーカーを集めて開いた協議で、取りまとめた「自主的買い入れ計画」を差し出します。その内容は、大手5社の社内米国製シェア約20%の購入。アメリカ側はこれに満足し、「有益だった。大きな進歩があった」と発言。「米国側のいらだちを取り除く目的が達せられた」と宣伝されたのですが、実際はその後の経過で明らかになるように、むしろ押し売り派を大いに元気付けたのです。

27日になるとアメリカ側は態度を一変して「日本全体で確実に20%のシェアが取れなければ不満だ」と、今度はUSTRが先頭に立って激しい圧力をかけ始めます。その背景では、SIAの抱える複数のやり手弁護士の働きかけがあったそうです。商務省も負けずに日本製品に対して、FTCの否定的勧告にも関わらず、不当なダンピング指定を強行しました。

「アメリカを宥めろ」という音頭に乗って、通産省による業種別の輸入拡大指針、四月に入っての日立の140億円の買い付け団・・・。アメリカは「日本に対しては、強気に出るほど美味しい思いが出来る」と、さらに要求をエスカレート。「4年後に30%のシェア保証」などという、途方もない要求まで飛び出します。いったい誰がこんな馬鹿な交渉をしたのか・・・。

マスコミに「国内産業での利権故に外圧に抵抗している」と宣伝されていた通産省が、実は自立した業界への支配の復活のためにアメリカの外圧と組むため、国民を欺いて押売り受け入れへ走っていた。その中で、むしろアメリカの無茶な要求への抵抗を続けていくのは、普通なら「日米関係に利害を持って外圧屈伏に積極的」と言われている外務省でした。交渉の最終段階、通産担当者はアメリカ側に「外務省の条約局の担当者がうるさくて20%の約束を書面にできない」と説明し、USTRのアランホーマー氏は外務担当者に「お前さえ席を立てばいますぐ調印できるんだ!」と発言したそうです。

5月に入ると、いよいよ渡辺通産大臣のトップ会談で決着・・・というシナリオが始動します。22日頃に合意の目処が立ったとしてトップ会談の日程が決まり、28日のトップ合意のセレモニーとともに、「合意内容」が明かされます。

彼らにとっての唯一の問題は、押し売り被害者である日本国民をどう黙らせるか・・・という事に尽きます。「努力目標」と言ったところで、アメリカがこれを振りかざして「約束した」と言い張って、日本のはどんな犠牲を払ってでも実現せよ・・・と迫る事は明らかであり、そうでなければ「自立した業界を再び支配下に組み込む」という通産官僚の目的は達せられません。翌日の新聞には「国内調整は困難」という解説が乗り、早くも批判の声が上がります。実際、前もって合意内容が出来ていた筈にも関わらず、深夜に及ぶ異例の難協議の演出がなされた事を「難航をPR」することで反対派を宥めようとしたのだ・・・という推測が流れました。但し、表に出た憶測では「完勝」した筈のSIAを宥める・・・という奇妙なものでしたが。

その後六月いっぱいは「細目の詰めで難航している」という宣伝がなされ、業界はなし崩しのうちに事態を「見守る」事を余儀なくされてしまいます。この時期、棚橋氏は大臣官房長に昇格。通産大臣の補佐役として、影から半導体協議に関わり続けます。

7/4に決まったものは、日本企業にとってあまりに過酷でした。「コスト監視」と称して企業秘密をさらけ出し、アメリカ企業に筒抜けになる事は明白。しかも第三国市場も含めた世界規模で規制を受け、アメリカ製品は悪かろう高かろう必要品目と違うだろうの無理矢理購入を余儀なくされることになる。「これではアンチダンピングに甘んじても拒否したほうがましだ」という声が出たのですが、それも当然です。アメリカはダンピング指定を取り下げますが、そんなものはアメリカの一存でいつでも復活できる「空手形」に過ぎない事を、日本企業はやがて思い知らされる事になります。これが「安易な妥協はしない」などと触れ込んだ通産省の、あまりにも惨めな成果でした。通産省の本当の意味が知られない限りは・・・

日本側はなおも「細目詰めで失地回復」などという虚しい慰め交渉を宣伝しますが、そんなものを吹き飛ばしたのが、アメリカ側が仕掛けたとんでもない要求・・「日本テキサスインストルメントを適用除外せよ」!おかげでこの不平等条約に対する反発は、全てこれへの抵抗に向けられ、7月31日についに本調印。

九月に始まったMOSS協議で、この外交押し売りモデルが応用されます。「元々は関税などの制度改善を話す場なのに、今回は違う。コマーシャルベースの話を政府間協議で処理する話になってる」・・・。

ところが、既に行政指導による輸入促進が始まっているにも関わらず、アメリカ企業はまともに売れるものを作ろうとしない。日本ではアメリカ製品購入のため、業界の参加で「外国製半導体販売促進センター」や「半導体国際交流センター」を設立しても、肝心のアメリカ企業は参加すらしない。上げ膳据え膳で黙って安楽椅子に座っていれば「世界一のアメリカ製品だから売れるに決まっている」という態度でぼろ儲けさせろ・・・。アメリカ半導体メーカーのバーブラウン社は「日本市場は開放されている」とSIAを批判します。

また、価格監視に対しては、通産省に「半導体監視室」と「需給見通し検討委員会」を設置。多大な事務需要を産み出すことで通産省組織の肥大化に大いに貢献します。「売り上げ協力のために」との日本企業の配慮によって、インテルは松下と、モトローラは東芝と有利な提携を結んで、まさにホクホクでした。

こんな時に欧州から、本来なら「アメリカの強制に苦しむ日本」にとっての、またとない援軍がやってきたのが、ECによる「半導体協定はガット違反だ」という指摘でした。ECの指摘は正当であり、本来なら、「世界のルール」を理由にこの不平等条約を破棄するための、世界が支持する絶好の機会だった筈です。ところが通産省は「ECに理解を求め、半導体協定を堅持する」として、この国益破壊条約の保持に汲々としたことは、これも通産官僚の真の意図を知らない者には不可解極まる話でした。

ECは11/16日、日本をガットに提訴。間抜け極まることに、日本を叩くものに対する告発で、被害者である日本が被告席に座らされたのです。それでも日本は半導体協定を庇い、EC説得を続けたのです。半導体協定に「環境が変化した場合は一方的に破棄できる」という規定を活用する権利があったにも拘わらず。逆に、そうした「自由」をアメリカが協定で許したのも、その権利を日本側が行使しない・・・という確信があったからに他なりません。

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