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この間、海部政権では安倍氏を担ごうという海部降ろしが吹き荒れます。2月に決まった日米首脳会談によって、首相の「アメリカとの調整役」の役回りが与えられ、海部降ろしを押さえ込む構図が演出されました。政権内部でそれを演出したのが、小沢一郎氏でした。自民政権の都合によって「日米関係の堅持」が日本政府の最重要課題となり、そのために何を犠牲にしても・・・という「体制内の合意」が、国民の知らない所で形成されていきました。
海部総理のアメリカ訪問の時などは、総理が空港に着くと、待ち構えていたアメリカ政府関係者によって、通訳も含めた随行員から引き離され、拉致同然に連れ去られて謎の会談を強要され、内容不明の密約を結ばされたのだそうです。実際にアメリカが相手にしたのは竹下氏で、海部訪米の後には「竹藪会談」が控えていました。
半導体協定は、スーパー301条の頃から「協定延長」が問題になっていました。それを逃れるため・・・と称して通産省は、誰が見ても不可能だと解る「翌年までの20%達成」を「可能」だと言い張りました。それが出来ないのは日本がまだ閉鎖的だから・・・と、事実を全く無視そうしたアメリカの言い張りをうわべでは否定しながらも、通産省は「要求に答えるために、さらに努力を」と企業に強制し、実質的にアメリカの不当な言い分を肯定したのです。
そうした日本側の軟弱を見込んで、アメリカはさらに高いハードルを課すべく、製品カバー率が低く、「達成率」を4%も引き下げるESTS統計の使用を要求しました。そして通米連合は民間日本に対して、分野ごとの押し売りを行って、通信機器分野を標的に、秋には押し売りシンポジウムを開いています。
その間、構造協議の財政垂れ流し要求は、ズルズルと「上積み」を要求され続けました。GNP比で10%などという途方もない要求を突き付け、「GNP比が嫌ならさらに50兆の増額を」と結局455兆にも肥大化した税金無駄遣いの「公約」が、日本の財政を無残に踏み潰していくのです。
露骨なアメリカの結果主義的黒字減らし要求に対して、ようやく学会の理性が働いたのが「黒字有用論」でした。これに我が儘な結果主義を否定されたアメリカは猛反発し、棚橋氏の盟友である通産省の児玉氏も同調発言を出し、自民党政府によって否定されてしまいますが、この黒字有用論の正しさは、やがて細川・クリントン交渉の際に日米の権威と良心ある経済学者達が連名でクリントンの管理貿易要求を批判した公開書簡で、はっきりと認められています。曰く「日本の黒字は、日本の貯蓄が国内投資を上回っていることを表しており、今日緊急に資本を必要としている多くの国々に対して資金を提供していることに他ならない。米国が自国の資金需要も満たせず、他国の需要はなおさら満たせない状況である時に、日本の黒字が有害であるという印象を米国自身がつくり出すことは、あまりにも近視眼的である」。
また、アメリカのニスカネンCATO所長は88年8/29の日経で、半導体協定に対する日本の妥協が管理貿易論に力を与え、スーパー301条成立をも促し、ウルグアイラウンドの見通しすら弱めたと批判しています。そして半導体協定を91年の期限切れで解消させる事こそ日米の利益であると指摘し、対米屈伏の害毒を警告しています。
しかし、そうした正論は、アメリカへの奉仕を事とした通産・マスコミにとっては結局は「見たくない」代物だったのです。半導体協定によって日本企業は、アメリカ企業に製品開発の手の内を差し出して、一方的に相手のビジネスに奉仕するための「デザイン・イン」を強制されました。そんな不公平な代物をマスコミは、あたかも理想的日米協力であるかのように持ち上げ、関係は良好だなどと糊塗しました。「20%が達成されるかどうかで、協定は廃止か延長か決まる(日刊工業10/17)」などと、露骨にアメリカのペースへと世論の雰囲気の誘導が図られました。
そうしたメッキが剥がれ、本格的に協定延長の圧力が始まったのは10月4日頃からです。SIAは日本に対して、表向きの協定の機能だった「価格拘束」の要求を取りやめ、押し売りに専念することで、半導体協定の被害者だったアメリカのコンピュータ業界団体を味方につけました。彼等は協同でブッシュに協定延長を要求する書簡を送り、日本に圧力をかけます。もちろん電子工業会は協定延長に反対を表明しました。通産省も表向きは「シェア論は避けるべき」とは言いましたが、結局は協定廃止は眼中に無く、あたかもこの押し売り数値目標回避にアメリカが同意してくれるかのような、どう考えても非現実的な認識を見せつけたのです。
11月には関連企業が集まって、アメリカ半導体メーカーのために必要情報を検索するデータベース会社設立、日立は必要な半導体を「売ってもらう」ために、極秘機密だった最先端製品の基盤を公開展示します。こうした、アメリカが「市場開放」と強称する「美味しい上げ膳据え膳」があるのは、20%押し売りの協定あってこそ・・・。SIAの11末年次報告の押し売り協定延長要請で「協定が失効すれば日本はそれを止めてしまう」と、まさに「利権のための脅し」である事を公認していました。
翌91年1月25日、日米協議でアメリカが新協定・・・つまり延長を正式に要求しました。通産省は「マーケットアクセスの努力」つまり押し売り受け入れ指導の甘受を表明し、「だから新協定はいらない」と突っ撥ねると思いきや、協定延命について「話し合う用意がある」などと、あっさりと延命協議に応じてしまいます。
2月14日に始まった延長協議で、アメリカは早くも「シェア明示」を要求。一応、拒否のそぶりを示しながら、ずるずる引きずられていく通産省・・・という図式は結局は出来レースの予定の成り行きだったのですが、その、あまりのふがいなさに対する、高まる国民の不満に、さすがにマスコミもアメリカの要求を正当化することは困難になっていきました。これを黙らせるための格好の脅しが「湾岸戦争における対日不信」だったのです。
中・韓の振りかざす歴史カードで自衛隊を派遣できない日本に「血を流さない卑怯者」などと言いがかりをつけ、アメリカ好戦文化の勝手な情緒を振りかざしての無理難題。その一方で、実は「海上保安庁の巡視船なら」という日本政府の検討を嗅ぎつけたアメリカのマスコミが「軍艦を出そうとしている」などと嘘を報じて中・韓を煽り、日本の足を引っ張る有り様でした。
そうした不公正な言動は「日本の行動を危惧した」と称する「アジア諸国」の外交官も同じでした。彼等はカークパトリック氏に「日本は軍事協力を拒否すべきだ」と主張しながら、それを脅しめいた言葉で日本に要求した張本人を目の前に「日本に要求すべきでない」とは言わなかったのです。
平和志向の日本人の心を踏みつけたアメリカに対する、日本人の高まる怒りをマスコミは「アメリカの気持ちも理解しろ」と擁護に務めるのに懸命でした。そして「通商摩擦への波及が心配だ。アメリカを宥めるためには通商協定で譲歩を」と。同時にカークパトリックなどのアメリカ外交当局もまた、湾岸軍事的対日横暴感情に沸き立つ「アメリカ世論」を噛ませ犬に、日本の貿易面での譲歩を要求しました(サンサーラ92年5月)。「アメリカ政府は国民感情をコントロールできない」などと、自分達が煽っておいて、しらじらしいと言うしかありません。
そうした脅しを日本のマスコミで代弁する「対日戦友」の古森義久氏が、92年夏では大統領選挙という「権力者の都合」で対日非難が減ったりしている状況をリポートしているのだから、皮肉と言うべきでしょう。そして議会では「対日課徴金」と称する一律20%の差別的関税、スーパー301条復活案、在日米軍全額負担強要案・・・等々の脅迫的法案の数々。それを根拠に「アメリカは日本に失望した」だのと古森義久氏などの隷米ジャーナリストは、アメリカの感情論を突き付けて日本の理性を侵食していきます。
日米政府・マスコミの連携による日本人恐喝作戦。実に見事な連携プレーと言う他はありません。この時、アメリカはイラクへの反撃計画の中で、事前の情報で一方的な勝利の確信しながら、それを隠蔽して、いかにも難航しそうな発表で不安を煽りました。それはアメリカ国民への対日横暴感情の高揚のために、そして日本国民に対する心理的締めつけのために、絶大な威力を発揮しました。そうやってせしめた巨額な負担という日本の犠牲を足蹴に、横暴に日本を罵倒し、そのくせ罵った対象である筈の「お金」を取り立てる事にに関しては、意地汚く「遅い・少ない」「確実に納めろ」と・・・。挙げ句が莫大に剰った戦費を懐に入れ、ドル高によって負担金が目減りしたからと、戦費余剰の事実がばれたにも関わらず五億ドルもの追加を要求する。
こうしたアメリカの「戦争主導者」としての立場に胡座をかいた「味方に対する仕打ち」への不満は、日本のマスコミによって巧妙に「反戦感情」へと転嫁され、「血を流すことに対する批判」によって気分を紛らわされてしまいました。アメリカによる武力行使に異議を唱える人はいても、日本に対する「血を流せ」という要求を正面から批判はしませんでした。そうした「反戦意識」に賛成するアメリカ人もまた、自国人の日本に対する横暴をたしなめようとしませんでした。「交戦権を復活させるな」と説教を垂れたダグラススミス氏のように、それを要求するアメリカを批判することも、アメリカ人として反省することもせずに、無茶な圧力を浴びせられた日本に「平和憲法を守れ」とお門違いの要求するばかりな無意味な論説がまかり通り、不公正への怒りは煙に巻かれるばかりでした。不当なアメリカの対日横暴は批判する人なく正当化され、日本人の鬱血する怒りに加えて、経済摩擦での不当な譲歩要求に対する政府のなし崩しの譲歩に、我慢の限界に達した中から彷彿と興ってきたのが、つまりは反米感情だったのです。
そうしたユーザーとしての日本人の要求に対応せざるを得ないのもまた、「権力の道具」としてのマスコミの限界でした。それまで散々危機を煽って「アメリカの反日に対応して要求を呑め」と迫った彼等も、アメリカ批判を求める読者への対応に迫られて、必然的に取り上げざるを得ませんでしたが、それでも「嫌米感情」などという造語で、あたかも「感情的に嫌い」なだけであるかのようにイメージ化し、本質である論理的対日罪悪の存在を糊塗しようという目論見は忘れませんでした。
そして、隷米的な傾向の強いマスコミ人は、その当然の抗米意識を「マスコミがつくりあげた反米感情の蜃気楼」「正体見たり枯れ尾花」などと、必死で粉飾に務めました。「アメリカでは議会以外に反日感情は少ない。それをマスコミが大袈裟に言い立てて、日本人の危機感を煽ったんだ」と。
それはまさに「事実」だったのでしょう。日本叩きを際限なく増幅したマスコミの行動に対して、覆い隠せない疑念の声に対して、彼等はとんでもない詐欺的世論誘導を試みたのです。強引に批判の矛先を「アメリカ利益代弁者」から逸らし、「日本の権力者がその歪んだ見方を国民に押しつけ、ある方向に誘導しようとしているのではないか」「非常に巧妙に仕組まれた罠のような気がする」と、逆にアメリカを擁護する方向へとねじ曲げたのです。
マスコミ報道の世論操作の「アメリカの日本叩きの激しさへの恐怖」を誇張したの作意性の「アメリカの要求を呑ませよう」という意図に眼を瞑れば、それはまさに一片の事実を引用したものと言っていいでしょう。ひたすら「日本叩き」に恐れ譲っていた80年代には黙認され、押さえきれなくなって吹き出した90年代にようやく出てきたその指摘は、それ自体が作為的なベクテルを持たされた論理によって語られる傾向が続きます。その作意性が、まるで反米感情を煽る事を目的としたであったかのような、本末転倒したごまかし。ましてやアメリカでの、手前勝手な論理による激しい反日報道・・・、東芝叩きや半導体押売正当化報道などの数々・・・、ついには「日本を弁護することは学者生命にとってのダメージ」と見なされるに至るまでの世論操作が「抑制の利いたもの」であったかのように強弁し、アメリカを「日本の世論操作による指弾の被害者」のように見せかけようという、東洋経済の鈴木健二氏の詐欺的論説には疑問を抱かざるを得ません。
ビジネスウィークのように日本経済潰しを画策して反日世論を煽る事を目的とした、誘導尋問のような世論調査を指摘しつつ、それを真に受けた日本のマスコミを非難することで「アメリカ無実論」を主張するのであれば、本末転倒と言う他はない。そうした不良アメリカ報道機関の暗躍をこそ非難すべきではないのか。
通産省は、いまだ継続中の半導体制裁を「交渉の中で終わらせる」などと国民を煙に巻いて、交渉を継続させました。協定が消滅すれば、そんなものは継続する根拠を失うという程度の事実は、多くの識者が指摘する常識・・・であったにも関わらず、です。彼等は「外国製半導体商社懇談会」なるものをでっち上げ、「グレーマーケット」問題で散々叩いた半導体商社を味方につけて、民間メーカーの血を吸わせました。いくらでも内製できるものを無理矢理止めさせて、高かろう悪かろうを「アメリカ製だから」で買わせるボロい商売でしたから、その会長の高山成雄氏は「協定存続は自然の流れ」「寛大な気持ちを」などと通産隷米路線を擁護するわけです。未だに日本企業の一方的な犠牲によるアメリカ企業の利益を「共存共栄」「相互依存」などと持ち上げる日本のマスコミの姿勢は相変わらずでした。
その一方でSIA会長のコリガンは「新たな制裁」を主張して、協定延長を嫌がる日本世論を脅します。3月に入るとUSTRのウィリアムズ次長が「協定と制裁は別」と発言し、シェア未達成でも制裁はしないという甘い期待を匂わせます。勿論、そんなものは20%を明記した新協定への抵抗を逸らすための出任せであることは明白で、「達成しなければ、それは日本側の努力が足りない証拠だから、その努力不足に対して制裁するのだ」という強弁で、制裁の論理は頑迷に放さない不誠実な姿勢を維持し続けていたのです。
マスコミは協定が事実上決着して手遅れになるまで、「協定と制裁は別」というまやかしに対する追求をさぼり続けました。ウォールストリートジャーナルが、これを「半導体カルテル」と呼んで「延長すべきでない」と忠告したのは、決着寸前の5月20日でした。それは本当のアメリカの良識がどう見ているかを示すものでしたが、これでは現実には「アリバイ工作」以上の意味を持ちません。
うやむやのうちに協定延長方針が既成事実になり、「とにかく20%の明示を」を要求するアメリカに対して、通産省は4月前半頃まで抵抗の素振りを示しました。そして海部・ブッシュ会談で譲歩を要求された・・・として、政治談合という筋書きで4月23日から半導体協議が始まりました。こうして、後に棚橋氏の系列として知られることになる牧野機情局長が「制裁の根拠にしない」という前提で20%明示の受け入れで基本合意に達しました。
もちろん、協定破棄の望みを絶たれた国民は怒りました。けれども協議は「シェア統計の取り方」という手続き問題に方向を移して、これに「抵抗の素振り」を示すことで、僅かな「相手の譲歩の望み」でせめてもの歓心を繋いで注意を逸らすという、使い古された手で国民は煙に巻かれたのです。
6月4日、ついに決着。ようやくマスコミは20%明示に対する産業界の懸念を伝えます。通産省は「日米協調の証し」などと自画自賛しましたが、その中身は「その達成は保証しない」としつつも20%の目標を明示し、しかもそれに向けた「日本ユーザーの努力」すら明言しており、「来年末には再燃する」「対日制裁の余地を残す」と、誰もが将来の悪夢のような災厄を確信していました。もちろんアメリカ側では、その果実への期待に奮えるSIAが「20%が明記されたことは大きな前進」と、外圧利益に溢れる涎を拭いました。
この6月、棚橋氏は通産次官に登り詰めます。その基で一層の押売指導の強化が図られます。対象企業は5倍に増やされ、アンケートでは1割が「内外問わず購入」から「摩擦を考慮して購入」へと乗り換えました。「摩擦」という市場外要因が経済原則を踏みつけ引きずる惨状を、マスコミは嬉々として報じました。日立などはグループ各社に外国製購入を2年で3倍に拡大したとして、お手本のように持ち上げられたのです。
電子業界や自動車など様々な業界、17の団体に通産省が強要した「ビジネスグローバルパートナーシップ推進行動計画」では、対日輸出拡大やアメリカ企業対日進出の手伝いのために加盟企業の「行動計画」が謳われ、押売受け入れシステムを定着させていきました。12月には対象企業を増やすとともに輸入拡大目標を上積みし、外資に対する免税や低利融資、事業支援のための会社設立などの手厚い保護をばらまきます。こうした官僚統制こそが、押売要求の大前提であるにも関わらず、統制強化は「押売を拒否できない日本の負い目(英エコノミスト5/18)」と宣伝されます。それはいかに日本に関する「情報」が狂っていたかの証に他なりません。
隷米派マスコミの「アメリカに逆らうな。反米の雰囲気を警戒しているぞ」という世論操作宣伝とは裏腹に、アメリカを甘やかす海部日本に対して、奢り昂ぶるアメリカ中に「たかる対象」として舐め切った態度が広まっていきました。夏の海部訪米に対するアメリカ記者団の第一声は「海部さん、小切手は持ってきたの?」。派閥の支えの無い弱小政権だからアメリカに逆らえないんだ・・・という、虚しい言い訳を背景に、11月に成立した宮沢政権は、しかし国民の期待に全く答えなかったのです。
ジョブ・ジョブ・ジョブ
翌92年はまさに押売で明けました。1月7日にブッシュ大統領が来日。いくつもの分野で露骨な押し売り協定を要求しました。主要分野は自動車・紙・板ガラス。特に執着したのが自動車分野でした。ブッシュは、反日の闘士アイアコッカを初めとした業界人を率いて交渉に臨み、「ジョブ・ジョブ・ジョブ」と叫んで市場原理も何もかなぐり捨てた成果が、自動車4万7千台、自動車部品190億ドルの購入の約束。半導体摩擦で味をしめたアメリカの、広範な分野に渡る本格的な押し売り拡大が始まったのです。
こうした横暴に対して通産省は、僅かの日程の協議で何の抵抗も無く、押し売りを受け入れました。自動車工業会で棚橋氏は「アメリカが本気になって交渉に臨んで」「自動車企業は通産省の圧力に泣きの涙で要求を受け入れた」という、余りに情けない言い訳。この日本企業の犠牲に対して、マスコミは何と言ったか・・・。東洋経済の日暮良一氏曰く「行政指導を巧みに使った官民協力で米国側の圧力を水際でかわした」「売れなければ(日本の)メーカーが損をかぶるまでのこと」・・・。
アイアコッカのクライスラーは前年から経営危機に悩み、三菱自動車による支援が取り沙汰されていましたが、あまりに規模の違う取り合わせに尻込みした三菱に代わって救済役を期待されたトヨタでしたが、この傲慢なクライスラーの企業文化。どう考えても明るい先行きなど描ける筈が無い。消極的なトヨタに対して、東洋経済の91年5月4日の記事に曰く「(アメリカ人を喜ばせるという)国益のために」メリットの無いクライスラー救済を行わないトヨタはエゴイストだ、日本国民として危惧を持つ・・・なんて事が、大真面目に書いてある。とんでもない話だ。
さらに「アメリカメーカーが苦しい時だから、儲けるのを控えろ」なんて言ってるのです。日本企業が苦しい今、派手に稼いでいるアメリカ企業に同じ事を言ったらどうなるか。もし本当にトヨタが救済買収したらどうなったか。「アメリカの魂を買った」と排斥された多くの日本企業の先例が、既に累々だった時期ですよ、これは。
そういう理不尽を「国益のために」そしてアメリカ人の身勝手な感情のために、リスクを冒して経済活動している企業に、犠牲になれとマスコミは言った。そして日本企業は犠牲になった。そしてアメリカは肥え太ったのです。「国のために」と言って企業を縛って損失を強い、日本経済を傷つけたのは、PKOやドル投資強制で金融機関に強いた大蔵官僚だけではない。不合理な対米奉仕をメーカーに要求したマスコミもまた同罪です。
このアイアコッカは、経営危機のクライスラーを立て直した国民的英雄として祭り上げられていました。こんなもの、実際にはアメリカ政府の支援と対日外圧による「自主規制」による価格吊り上げの賜物に過ぎないのに。こんな政治力利用の姑息な手段が「闘魂の経営」ですから、開いた口が塞がりません。表面上犠牲になるのが日本企業であるなら「立派な経営努力」と見なされて賞賛されるのがアメリカ世論というものです。そして本業そっちのけで売名行為に血道を上げ、巨額のお手盛りサラリーで私腹を肥やした挙げ句の危機再来。「夢よもう一度」と再び対日外圧を頼もうという、まったく性根の腐った輩です。
限界に来た国民の怒りと、「圧力をかければ屈すると、日本をばかにする」という識者の警告に対して、まだマスコミは「選挙を控えた共和党を守るために」という理屈で「アメリカを助けるために言いなりになれ」と無茶苦茶な説教を垂れ続けました。「アメリカの保護主義を押さえるメリットがある」と。では「助けられたアメリカ」は感謝したのか?保護主義は押さえられたのか?とんでもない。助けられて感謝すれば、「恩を売られた」ことになる。そんな状況をアメリカは絶対に認めない。アメリカのマスコミは「日本から屈辱を受けた」と、逆に反日を煽ったのです。
アメリカとはこんな横暴な国なのかと、多くの識者が知り合いのアメリカ人に言ったそうです。そしたら何と言われたか。「無茶は解ってるけど、日本は受け入れたじゃないか」と。
露骨な日本叩きが横行しながら、「輸出でアメリカの労働者を苦しめるな。アメリカで売るものはアメリカで作れ」と、政治要因でアメリカ進出を余儀なくされた日系企業は「バイアメリカン」の差別を突き付けられました。こうした反日による嫌がらせに、投資も回収出来ないまま次々に撤退し、多くの日本企業が大きな痛手を受けたのです。
この時期、日本では、盛田氏と新日鉄の永野氏との論争がありました。「経済競争で外国に遠慮すべき」と、盛田氏の露骨な外圧擁護は「そのためには時短だ、ゆとりだ」と、まさに「自らの競争力を削げ」という逆立ちした論理で、現在に至る日本産業弱体化の素地を盛り上げたのです。
半導体では、2月にアメリカ側の努力不足が表面化します。SIAがシェアアップの即効薬と称して、日本電子工業会に製品リストを送りつけて「これを優先的に購入しろ」と・・・。顧客のニーズを無視したこのリストの、あまりの粗末さに電子工業会は「こんなのでシェアが上がると思ってるのか」と激怒する始末でした。3月頃になるとSIAは「シェアが伸びない」として大統領に対日圧力を要求する中間報告を出し、対日制裁の脅しを盛り上げます。
通産省は、際限の無い押し売り指導に、いよいよ業界の不満を押さえ切れなくなっていました。それをアメリカに直接押さえてもらおうと、業界ごとの日米対話を打ち出します。実際、深まる不況に対米サービスの余力も乏しくなってきたのです。4月末の輸入拡大要請会議も不調に終わり、4月30日に日経新聞の設定したインタビューで、SIAのプロカッシーニが制裁要請方針を表明し、露骨な脅しをかけました。「20%は約束ではなく、制裁の根拠にならない」という明文化された通産省の逃げ道は、誰もが知っていたアメリカの「言い張り体質」によって完全に吹き飛びました。誰もが予想し、通産省だけが目を背けていた「20%達成困難=制裁」が、いよいよ現実のものになったのです。
そうしたアメリカの態度を批判しつつ、マスコミの態度は相変わらず「摩擦を回避せよ」と言い続けました。こうした日本側「指導層」の降伏姿勢と連携するように、アメリカ政府高官による「シェア拡大が無ければ制裁復活だ」という脅し。これを背景に通産省は25日、電子業界首脳にシェア拡大のための「一層の努力」を要求しましたが、我慢の限界に来ていた企業がいったいどんな反応をしたのか、直後の27日には両国の業界を引き込んだ協議が始まりました。
企業に対して直接アメリカ当局から脅しをかけ、それを通産省が傍観する。USTRは「半導体協定実施状況に対する調査を開始」と称し、「日本側は努力していない。やっぱり制裁だ」という事実無視の結論を出す構えをちらつかせて8月1日を期限に締め上げるのです。「通産省は裏方に回り、業界を矢面に立たす作戦に出た(エコノミスト92−6/23)」。
こうして日本企業は「緊急特別措置」なるものを約束させられます。全ての半導体調達のアメリカ企業への事前通達が義務づけられ、高かろうが悪かろうが、自主的な選択は不可能になります。もちろん、そうした日本企業が血を流す手続きとは無関係に、「20%達成状況の監視を続ける」とSIAは傘下企業ごとの受注実績をモニターして、増えなければ圧力をかける・・・という、露骨極まる押し売りに対して、日本側は「黙認」・・・・。おりから始まったバブル崩壊・・・需要の激減の中で、普通の商売で達成は到底不可能というのが、最初から観測筋の常識でした。しかし無理にでもアメリカ企業からの購入量は増やせ・・・と。
この成り行きの全てをアメリカは、アメリカにとって「今後の通商政策のモデル」であり、数値目標による押し売りの正当性を日本が理解した・・・のだと公言しました。通産省は、そういう相手に迎合したのです。それはまさに日本全体をヤクザに売り渡す行為以外の何物でもありません。
全ては予定のうちでした。僅か一週間後にはUSTRは「シェアが伸びていない」と制裁をちらつかせ初め、マスコミも「期待を抱かせた以上、出来ませんでしたでは通らない」などと、その尻馬に乗って民間企業を責めます。アメリカの「制裁しない」事の約束破りを責めるでもなく、誰も信じないアメリカの誠意という甘い幻想を振り撒いた通産省を責めるでもなく、ひたすらアメリカの要求実現に努力せよと、押し売りへの全面降伏を勧告し続けます。その果てに何があるのかを知りながら・・・
7月のアンケート調査ではアメリカ企業の対応に、相変わらず「納期が遅い」「仕様ニーズへの対応不足」との不満が渦巻きました。アメリカメーカーの努力不足が浮き彫りになりました。日本の景気が悪化する一方で、アメリカの景気の回復。それによって、アメリカ側メーカーが、日本ユーザー後回しで対応していたのです。
シェア達成が絶望的との見方が定着し、民間では通産省に対する「理不尽な要求に立ち向かえ」「アメリカメーカーの要求に屈するな」と、悲痛な叫びがこだまするばかり。ひたすら制裁の脅しで応じるアメリカと、それに応じて「全力で順守する」などと尻尾を振るばかりの通産省。日本のメーカーが、自社製半導体を犠牲にしてのアメリカ製購入で、第二四半期のアメリカ製シェアが向上します。このユーザーの犠牲を「日米の努力の結果」と自画自賛する外国系半導体ユーザー協会。
しかし後半になってから、急速に悪化する日本の景気で、20%未達成は確実になりました。その最後の手段として第四四半期、日本のユーザーによる大量の「前倒し発注(日刊工業93−3/23日)」が行われます。東洋経済の93年4月10日では、前倒し発注の事実とともに「数字はつくるものだ」と言い放った関係者の発言が紹介されました。翌年になって初めてそうした事実が明かされるのですが・・・日本側にとっては、アメリカ企業が「日本企業が使う半導体を作らない」からこその20%達成不可能だった訳ですから、まさに「使いもしないものをドブに捨てるために買わされた」のです。
こうした企業行動が、6月の協定以来、日本企業の半導体取引をモニターしていたSIAを満足させ、「未達成でも制裁はしない」との発言も出ます。勿論、彼等が制裁を放棄するつもりの無いことは、間もなく明らかになるのですが、結局、等が求めていたのはまさにこれだった訳です。こんなものは、最早、市場でも何でもありません。
高まる国内の怒りに、通産省も抵抗のポーズを示さざるを得なくなった結果、この年から出てきたのが「不公正貿易白書」でした。アメリカを始めとする各国の不公正通商政策を、中立的なガットの基準で評価するもので、アメリカこそ最大の不公正国である事実を実証し、学会から大きな評価を得、欧米の開き直りとは裏腹にガットの権威向上にも寄与しました。
しかし、結局は誰もが知っている現実を表にしたものでしかなく、しかも、これを現実の通商交渉で突き付けるような「実利面」での活用は、全くなされなかったのです。従って、国民はこれによって大いに留飲を下げましたが、結局は留飲を下げただけだったのです。
この年の後半、宮沢政権を支える竹下派が分裂します。小沢・金丸氏は元々「アメリカあっての日本」などと放言する、自他共に認める隷米派でした。しかし金丸氏がスキャンダルで議員辞職し、小沢氏の勢力が後退すると、代わる黒幕として出てきたのが、棚橋氏最大の盟友である梶山氏でした。かつての首相官房豪遊グループ以来の子分である森通産大臣とともに、その政治力のバックとして、棚橋次官の権勢は飛ぶ鳥落とす勢いでした。そうした元で行われたのが、この半導体王国に引導を渡した強制購入だった訳です。