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通産省・国売り物語

通産省・国売り物語(6)馬借2002/02/2200:06

通産省分裂

曲がりなりにも通産省が「押し売り拒否」の姿勢を示すようになった「大人の関係」の交渉のあたりからです、その変化が起こる直前、通産省で起こった大事件が「内藤局長罷免事件」でした。そのきっかけは93年の与党分裂・細川政権誕生で、棚橋氏と癒着していた自民党中枢が、彼と密接な梶山勢力と小沢系グループに分かれ、対立を深める中で、小沢グループに属する熊谷通産大臣や「四人組」と呼ばれる一部反棚橋派の官僚による棚橋氏に対する告発攻撃が行われたのです。

批判されたのが、その選挙で政界進出した棚橋氏の長男に対する不透明な箔漬け人事でした。棚橋氏とともに、その後継者として次期次官就任が確実視されていた内藤正久氏が槍玉に上がり、棚橋氏は一時的に埼玉大学に逼塞し、内藤氏は熊谷通産大臣によって辞任を迫られます。省内では官僚の世界を守る「人事の独立性」を侵害されたとして、内藤氏に対する同情論が広がり、この事件を追った高杉良・佐高信氏も、徹底して内藤氏を持ち上げました。高杉氏の小説では棚橋泰文氏の「特進」は実質的昇進にはならないとして、四人組の「言いがかり」を強調していました。しかし実際は「七年飛び」とも言われる大幅な昇進であり、かなり露骨な意図があったことが伺われます。

佐高氏は言います。「内藤氏は百年に1人の得難い人材」「国民にとってあらまほしき政策を行う人」と。実際、官僚の間での人気はかなりのものがあったようです。お歳暮も送り返すという内藤氏の私生活での生真面目さと、棚橋氏の部下として、溢れる利権をもたらした功績、特に巨額の予算をもたらした「新社会資本」の立案は、官僚達にとって絶賛の的だったそうですが、果たしてこの巨額支出が日本にとって本当にプラスの意味を持つかどうかは、現在の巨額累積赤字が雄弁に物語る筈です。

しかし、この事件で棚橋氏の影響力が一時的に逼塞した事で、省内の流れは大きく変わったのです。さらなる延長を要求するアメリカに対して、細川首相の元で断固延長拒否。翌年2月の交渉決裂・・・、所謂「大人の関係」の宣言。

その後、村山内閣登場・自民党の与党への復権とともに内藤氏は名誉回復し、棚橋氏も石油公団総裁へ大型天下りにありつく段取りが出来上がります。しかし、泉井疑惑の浮上とともに、再び泉井被告から長男の選挙資金を受け取ったとして批判され、石油公団総裁の話も流れます。その後も四人組勢力の絡んだ権力抗争の中で、反棚橋派は排除されていきました。そして棚橋氏は、今なお隠然たる権力を握り、最近も某石油会社が彼を重役に迎えたのは、彼の権力を期待しての事というのは常識です。

佐高氏が言うには、通産省には「国内派」と「資源派」が存在し、規制によって国内企業の保護を主張する統制派と、規制緩和を主張する資源派の対立に由来したと主張しています。しかし実際には、四人組の背後にいたとされる児玉幸治氏は元々棚橋氏の盟友であり、四人組の1人である細川恒氏も資源派です。

内藤氏は、70年代に通産を掌握した「資源派」の創始者である両角氏の直系で、エチレン不況の時にカルテル作りを主導した縁で、石油業界に絶大な影響力を持ったといいます。ジェトロのニューヨーク支局にいた時代にアメリカの民主党議員(半導体摩擦の拡大に大きな役割を果たした)との太いパイプを持ち、日米摩擦の舞台裏で暗躍したのは有名だそうです。それがどういう暗躍だったかは解りませんが、彼の通産内部での絶大な支持を考えると、例えば、「外圧受け入れ」に向けての省内説得に当るとしたら、そうした人物こそ最適任と言えるでしょう。

佐高氏が「改革派として経済統制に拘る勢力から排除された」かの如き希望の星として持ち上げましたが、こうした見方がいかに偏ったものであるかは、彼が棚橋氏の元で行った全国・全産業的な輸入品購買促進政策こそ、「経済統制を目的とした圧力迎合」の意図を持った半導体押し売り摩擦の延長に過ぎない事実を見れば明らかではないでしょうか。事実、佐原氏が内藤罷免事件を詳しく取り上げた「新日本官僚白書」には、もう一人の当事者である棚橋氏の存在が全く無視されているのです。

つまるところ、「内藤事件」は、通産省を支配した外圧迎合派の内ゲバに過ぎないのです。四人組の背後に存在するもう一人の影として、内田元享氏という人物がいました。通産省内に根強い人脈を張るOBで、「わざ」という企業を経営して省内人脈を利用して地熱開発などで堅固な利権を握り、その資金力で四人組の運動を動かしていたのだそうです。

彼はそのために、建築摩擦で(レーガン政権との癒着で)悪名高いベクテル社の代理人を務め、他にも多様なアメリカ企業の対日進出をコンサルティングしていた・・・と言いますから、まさに「資源派(国際派)」の影の大物として、外圧迎合運動にも大きな役割を果たした事は間違いありません。内田氏は四人組事件の余波の続く96年12月に病死しましたが、そのその影の人脈は、それにまつわるスキャンダルが表に出れば通産省は完全に崩壊すると言われるほど、激しいものでした。そしてその思想的には「産業を盛んにして輸出で稼ぐ時代は終わった」と、住宅産業に手を出したように、佐原氏が絶賛した内藤氏の主張などは、要するに内田氏の受け売りなのです。言わば彼も棚橋氏などの盟友だったのです。

結局、通産省で内藤事件後、目が覚めたように外圧への抵抗を始め、20世紀の残り数年をかけて、押し売り協定を一応終わらせたのは、四人組でも棚橋派でもない人達だったのです。佐原氏によれば、四人組事件後の省内抗争の主役は徹底追放派対融和派でした。そして、後の日米摩擦、たとえば96年の自動車協議などでも省内の主流が外圧拒否を主張する中で、少なからぬ勢力が妥協を主張したとのことで、その妥協派こそ、棚橋氏直系グループ・・・つまり対四人組強硬派である事は間違い無いでしょう。

そして、四人組の勢力が完全に駆逐された現在、折角消滅した「包括経済協議」が、事もあろうに通産省内から言い出して復活したのです。勿論、外圧反対派は「押し売り」の復活を強く警戒していますが、アメリカ側はこれを足掛かりに「夢よもう一度」と、自動車などでの協議の枠組みを強引に割り込ませ、押し売り再発の危険は次第に強まりつつあるのが現状です。

通産省と言えば、プレストウィッツ氏などが「ノートリアスMITI」と称して、通産省はあたかも「対米抵抗勢力拠点」であるかのようにイメージ付けられてきました。そこから「官僚統制VS輸入促進」という公式が誘導され、あたかも輸入=自由化であるかのような論調がまかり通ったのは、全く彼等「リビジョニスト」達の宣伝に乗せられた訳です。何しろ実態は、裏で通産官僚と組んだアメリカ企業利権の利益によって、最悪の市場統制が行われたのですから。

実際、リビジョニスト達の通産省攻撃は、通産省資源派が国内派を押さえるために、絶好の題目だった筈です。資源派は、石油危機を切っ掛けに台頭した集団で、日本を資源危機から守るための戦略が必要だ・・・という題目で、規制の強い石油業界への影響力を武器に、75年に資源エネルギー庁が出来た頃から、通産省の主導権を握っていったのです。

しかし、アメリカのオイルメジャーが圧倒的に強い現実を前に、アメリカ追従をもっぱらとするようになったのは自然の成り行きでした。そして「産業保護のための通産省から、総合的な国家戦略の立案に軸を移すための機構改革」という題目を掲げ、国内産業を重視する人達を排除する権力抗争マシーンとして、日本の産業政策を蝕むようになっていったのです。

元々、官僚の「裏で外圧と手を組む」は、実際には多くの人が指摘する所でした。ところが、その意図について「国内の頑固な保護論者を押さえるためだ」などという、あたかも自由化を促進する正義の味方であるかのような宣伝がなされていたのです。それが実は全く逆であった事実が明らかになった今、外圧を肯定して通産省の利権拡大と産業支配を正当化した論者は、厳に反省すべきでしょう。

外圧の口実

日米摩擦の深刻化、即ち対日外圧の横暴化を正当化する言い訳として、アメリカ側関係者がよく口にする言い分は、こうです。「日本が今までの交渉で、自主的な譲歩をさぼり続けたので、アメリカの我慢が限界に来たのだ」これが実に不思議な論理である事は、一読すればお解りかと思います。

交渉とは、「奪った領土を返す」ような論理的義務の実現ならいざ知らず、通称交渉のような双方の主権に基づく話では、双方が譲歩を出し合い、その交渉結果が「自国にとってもにとって有益」だという認識でこそ、妥協が成立するものです。19世紀のような脅しがまかり通る時代ならいざ知らず、対等な外交関係の中で、一方的な譲歩を要求されるような交渉に、誰が進んで言いなりになりますか?ましてや相手が「譲歩しない」事をもって被害者意識を募らせ、復讐心を燃やすなど言語道断です。

そして、彼らは露骨な脅しをかけて、日本側の妥協を引き出すと、「摩擦が起こって危機的状態になったから、日本が譲歩したのだ」ということで、その「譲歩」は自分が「勝ち取ったもの」であるから、譲った相手に対しての感謝は無い・さらなる譲歩はさらに自分達の実力で勝ち取るのだ・・・と。まさに幼児的な我が儘の発想というしかありませんでした。

こうした被害者意識と強盗の論理の複合体を形成していったのが、プレストウィッツを初めとする「リビジョニスト」でした。噴飯にも彼は、あたかも日本が「アメリカのお人良しさ」なるものをカモり続けた悪人であるかのように主張するために、何を言ったか。アメリカが「自由貿易」の体裁を繕いつつ貿易障壁を張り巡らすために日本が一方的に犠牲を払う、あの屈辱的な「輸出自主規制」すらも、「狡猾な日本にしてやられた」などと被害者意識の対象に組み込んだのです。輸出規制なら、アメリカに払う関税を節約できるという理由で・・・。まさに、全ての点でアメリカが得をし日本が損をする図式で無い限り「公正」ではない・・・という、救いの無い国家主義的ガリガリ亡者と言う他はありません。

そもそも、彼等はあのような被害者意識を振りかざすほど、自国の市場を開放してきたのでしょうか?

アメリカが自分で主張するほど開放的な市場ではないことは、アメリカの良心的経済学者であるバグワディ氏の「アメリカ貿易は公正か」に、完膚無きまでに暴露されています。連発する根拠のいいかげんな「反ダンピング関税」や日本などに強制した「自主輸出規制」を待つまでもなく、日本では70年代に姿を消した工業製品の輸入規制がいくつも残っている点など・・・。

呆れたことに、この「自主規制」と称するものに関して、アメリカ人は言うのです。「イタリアやフランスと同様、日本に対して輸入の数量規制をしてもおかしくなかったのに、アメリカはそれをせず、日本の自主規制に任せた。すなわち、世界各地との取引において、アメリカはいかに無防備で馬鹿正直か(ボイス90−5)」・・・。この自主規制が、アメリカから強制されたものである事は誰でも知ってる事です。それを「無防備」だの「日本に任せた」だの「度量」だのと被害者意識を垂れ流して、日本に「感謝」を要求する・・・。こんなものを肯定してしまう西尾幹二や松本健一氏とは、いったい・・・

実は、本当に外国製半導体を排除していたのがアメリカ自身である事は、有名な事実なのです。アメリカの半導体商社が外国企業との輸入契約をまとめると、それを破棄させるようアメリカの半導体メーカーが圧力をかけるのだそうです。かつて日本のメーカーがそれで販路開拓に散々苦労したのだそうですが、88年頃ですら韓国メーカーからの輸入に対してやっていると、ニューヨークタイムズで報道されています。こうした有名な事実が、何故日米交渉で問題にされなかったのかと、佐々木隆雄氏の著書「アメリカの通商政策」でいぶかっていますが、通産省とアメリカとの馴れ合いという事実が解ってしまえば、最早それは謎でも何でもなかったという事なのでしょう。

結局、アメリカが「自由貿易のリーダー」などというのは、アメリカ企業の利益を反映した宣伝が生み出した幻想に過ぎなかったのです。アメリカが実際にやっている事は、要するに「自国輸出産業」の利益のために他国に「自由化(と称するもの)」を要求しているだけに過ぎないのです。それで「相互主義」などと言って、相手国からの輸入を締め出すのだから、これでは率先して輸入を閉ざすのが自由貿易のリーダーか・・・と言わざるを得ないでしょう。「アメリカが率先して自国を解放した」と称して「だから日本も率先して市場開放して、自由貿易のリーダーたれ」と言われて、日本は世界一関税の低い国になりました。それで自由貿易のリーダーと呼ばれるようになったか?

現実には、相手の言い分をホイホイ真に受けるナイーブさに、図に乗った彼等によって「目に見えない非関税障壁」などという言いがかりをつけられて、「日本人が日本語でビジネスするのが、英語しか使わないアメリカ人には障壁だ」だの「道路が狭いのは大型車しか作らないアメリカ企業には障壁だ」だの、とんでもない言いがかりを宣伝されて、ますます不当な「障壁国」のレッテルを貼られただけなのです。「自由貿易のリーダー」などというのは、宣伝が作り出す幻想の中にしか存在しないのが現状です。

では次に、日本は彼等があのような被害者意識を振りかざすほど、市場閉鎖的だったのでしょうか?

先ず、大前提として、根拠である統計上の数値に大きなごまかしがあります。「比率で見て、アメリカの赤字の大半は対日赤字が占めている」と、彼等は言います。よく引き合いに出されるこの統計には、とんでもないごまかしがあるのです。例えば、日本はサウジに対して巨額の赤字を抱えています。では「日本の赤字に占める対サウジ赤字」を計算したら、どういう事になるか。比率というのは分母と分子で構成されます。

対米貿易だって黒字の国もあれば対米赤字の国もある。それを調整して残ったのが「アメリカの赤字」です。仮に日本以外にも、いくつかの対米黒字国の分を足せば、軽く100%を遙かに超える筈でしょう。中学生でも解る数式です。こんないいかげんな統計を「不均衡の健全さ」の目安に使おうという許し難い詐欺行為に、いい大人が簡単に引っかかって、国際政治に甚大な被害を与えてきたのだから、全くもって情けない限りというべきでしょう。

また、「他の国とは均衡に向かっているのに、日本は違う」という言い分を振りかざすのも、きちんとしたデータに基づかない詐欺行為です。アメリカがしばしば使う対EU貿易でも、92年以前6年間の対米輸入増加ペースで日本が平均10.1%、EU11.6%と、殆ど違わないのです。これは、元々の貿易規模が違うために、EUの輸入増加が目立つからに過ぎない。日本が「貿易規模が大きい」からといって、アメリカの輸出能力がそれに対応する訳ではないのです。

ボイス90年6号に首藤信彦氏が繊細に明かしたデータによれば、当時盛んに言われた「内外価格差」なるもののは現実には存在しない事が明らかになっています。実際、構造協議の時に行った協同調査で、日本からの輸出品には価格的差は無く、アメリカからの輸入品のみが日本で高かった。アメリカにいる輸出業者が法外な利潤を上乗せするからなのです。また、急速な円高で「輸出時のドル建て契約」に縛られて価格に円高分を上乗せできないとか、日本の正規価格とアメリカのディスカウント店での旧型品の値引き価格を比べるとか、いかさまな数字を「アメリカ擁護」のためにでっち上げていたのが、実態なのです。

こういう客観的なデータを上げると、「売れないのは目に見えない障壁のせい」などという根拠の曖昧な言いがかり。プライドばかり高いアメリカ人が、事実に目を背けて「アメリカ製品は世界一」という迷信です。「車が左側通行なのは、アメリカの左ハンドルに対する障壁」などと・・・。ユーザーの欲しいものを売るという、商売の基本を忘れた発想で、そもそも物が売れる訳がない。

こんなのを相手にするから、肝心の日本企業までが、今では商売の基本を忘れかけているのではないでしょうか。継続的取引があるから売り込めないというのも、間違っています。あ茶問屋の跡継ぎは、知知り合いの同業者に修行に出されて、努力して扱いの小売りの数を倍にしました。取引相手に英語での商談を要求するようなアメリカ人ビジネスマンは、そういう努力をしなかっただけです。単なる「甘え」に過ぎません。

「民間経済主体の自由な契約」をアメリカ製品が売れないからといって貿易障壁だ・・・などと主張することに対しては、当時の浜田宏一氏がエコノミスト90年5月1〜8日号で、情報構造形態と契約形態との関連に関する最新の経済学成果を引用して、整然とその間違いを論証しています。そしてきちんと反論しない政府を批判しています。

「アメリカのビジネスマンの努力が足りない」という当然の反論に対して、押し売り正当化論の巨頭にして財政破壊的垂れ流し要求の旗頭たるリチャード・クー氏が、どんな横暴な言葉を嘯いたか。「日本より美味しい市場はたくさんある。アメリカ人に売りに来て欲しければ、もっと儲けさせろ」・・・冗談じゃない!日本の希望として「売りに来て欲しい」なんて、誰が言ったのでしょうか。アメリカが「売らせろ」と言って圧力をかけたのではないですか?

醜い開き直りと言う他はありません。彼はアメリカの代弁者として、アメリカの経済官僚から野村へと転進し、経済雑誌で盛んに「公共事業の寄生虫」を甘やかす論を説いて、バブル投機の夢を追う無能な金融マンに喜ばれ、「アナリスト人気第一位」にまでもて囃されるという、日本人として実に情けない話です。

アメリカが「日本の閉鎖性を象徴する事件」としてもて囃したものに、91年の展示会でアメリカ米の展示を「不正輸出」として撤去された件があります。アメリカはこれを「僅かなサンプルを、何と狭量な」と大々的に宣伝し、経済反日感情を煽りました。実際には農水省の役人が「法的処置(普通、強制撤去でしょう)」と言ったのを「撤去しなければ逮捕すると言って脅した」などなど嘘の報道で煽り、それに対して日本側からは何の抗議も無し。ひたすら「理解を求めたい」などとヘコヘコする有り様。

「僅かなサンプル」と言いますが、実はこれと全く同じ事をアメリカは日本に対して行ったのです。アモルファス合金の権威である東北大の増岡教授がアメリカ企業からの要請で学術サンプルを送ったところが「アライド社の特許を侵害した不正輸出」として訴えられ、煩雑な訴訟手続きを強要されてボロボロにされた事件は有名です。日本には「何と狭量な」で自分達だと「ルールは厳密に」・・・。これがアメリカのやり方です。

そもそも米の輸入禁止自体、その根拠である「食料安保論」を強力に支援していたのは、他ならぬアメリカ人です。「アメリカを怒らせたら食料を禁輸してやる。飢え死にしたくなければ言う事を聞け」・・・。こういう「輸出国」としての立場を振りかざすような輩に「輸出の自由」を要求する権利が、そもそもあるでしょうか。

アメリカが行った、最も悪質な保護貿易は、為替操作による相手国通貨吊り上げでしょう。「基軸通貨」の地位を悪用し、その地位を任せた「世界」の信頼を裏切っての円高攻撃。クリントン政権は発足当初から「為替を武器にする」と言明していました。そして、押し売り協議で日本が言いなりにならないからと、円高容認の口先介入によって1ドル100円に迫る数値を出したのです。アメリカは頻繁に、通貨を梃子に脅して押売交渉を行い、日本を含めた世界の「ドルユーザー」に破滅的な為替差損を強制しました。投機筋は「基軸通貨管理国」のアメリカ当局の発言に機敏に反応します。そうした地位を利用した、これは最悪の国際経済犯罪です。ガットでも曖昧な表現ながら禁止していた行為です。

熱狂的なアメリカ擁護論者であり管理貿易推進派である杉岡氏すら「円高の起きるメカニズムを欧米の政策当局は仕掛けることができる」と言明し、だからこそ、それを批判すべきなのに「仕掛けを起こさない配慮」・・・つまりこの国際経済犯罪の脅し目的に屈伏せよ・・・などと。日本財政破壊的垂れ流しの宣伝推進者として、寄生的投機屋に人気のあったリチャードクー氏が「結果主義的黒字減らし・押売容認論」を鼓吹するために最大限に吹き散らかしたのも、円高による脅しでした。「貿易黒字だから当然」などという言い訳が通用しない事は明白でしょう。

「経済のファンダメンタルズから見ればむしろ円高の根拠は薄弱」というのが当時からの常識でした。欧州通貨が市場統合にも関わらず、ドイツの東ドイツ吸収効果で弱含みになっている隙をついて、ベンツェン財務長官の円高期待発言が、円の独歩高を演出(エコノミスト93−3/16)したのです。クー氏の身勝手な円吊り上げ正当化論に対しての経済学の世界的意見は「アメリカの近隣窮乏化政策とすら見える円高が、日本人の中で肯定すらされているのは奇妙なことである(ウォールストリートジャーナル93−12/3)」というものです。

こう言うは従米派は「そうは言っても、貿易の不均衡は問題だ」と言うでしょう。しかし、必要なのは投資による還流を含めた、経常収支の全体的な均衡です。ところが、黒字国からのスムーズな資金還流は「円高差損」によって妨害され、あまつさえBIS規制によって大幅な資金回収を迫られた結果が、90年代初頭の経常黒字激増でした。それに加えてドル表示による「見かけ」の巨額化・・・所謂Jカーブ効果が大きかったのです。吉川元忠氏の「マネー敗戦」では、資本輸出国としての地位が金融センターとしての機能を育て、自国通貨に決済機能を付与する・・・というのが、世界経済史の鉄則だと指摘されています。

日銀・大蔵省はそうした変化を怠り、ドル支配下の元に隷属する地位に据え置かれ続ける資本輸出国というグロテスクな状況を生き延びさせたと・・・、そうした官僚の罪を厳しく糾弾していますが、何故そのような事になったのか。アメリカの「日本の金融パワーを押さえる」ための様々な政治工作、その背後の「支配国としての地位の延命」という確固としたアメリカの国家目標を考えれば、「日本の脅威・ドル支配の危機」を排除するために「円の決済機能」を実現させまい・・・というアメリカの圧力があった事は言うまでもない。

そのために、「宮澤構想」など、目障りにものは片っ端から潰したのもアメリカなのですから。この結果として膨大な為替差損が発生しました。87年頃の「日本資産凍結」の噂も、実は、損失を出したアメリカ国債を売却しようという動きを脅すものだったのですが、こうして大蔵省は民間金融機関にドル投資継続を強要するとともに、バブルの発生と破綻を促し、結果として日本経済をズタズタにしたのです。

実は、アメリカが赤字を重ねる本当の原因は「ドル=基軸通貨」というアメリカの特権にこそあるのです。それは、ノーベル経済学になった「流動性のジレンマ」理論が立証しています。

そもそも基軸通貨というのは、世界中が準備通貨として必要とするものです。それを裏付けとして自国通貨を発行する事になります。そして、市場が必要とする通貨量は国内経済規模に見合う量であり、その分だけの通貨を発行できる訳です。つまり、各国が自国経済発展に見合う量の自国通貨を出すために、それだけの外貨準備としてのドルを必要とする・・・という事は、アメリカだけは世界中の経済成長に見合うドルを発行できる。つまりアメリカは、世界経済全体の成長を担保に、膨大な通貨を印刷・垂れ流しする事が可能になる。

日本など、かつて外貨が足りなかった頃は、ちょっと景気が良くなると外貨が不足し、それに対応するために政策で景気を引き締め、企業はバタバタと倒産しました。そういう限界からずっと、アメリカだけは自由だったのです。それによる恩恵がいかに大きかった事か。「米国は国内市場が良すぎて輸出意欲がわかない(住友商事伊藤正氏)」。まさにこの基軸通貨国の特権こそ、アメリカの赤字の源泉であり、それがもたらす「旨み」反作用に過ぎないのです。その責任を日本になすりつける事が、いかに破廉恥な行為であることか・・・・・

だから、貿易赤字が嫌ならドルが基軸通貨を降りるか、せめて他の通貨と、基軸たる役割をシェアリングする事が不可欠なのに、それを提案した行天財務感官に対してリーガン財務長官が色をなして怒り、単独基軸通貨の地位に固執した事実を、アメリカはどう弁解するのでしょうか。問題解決とは、そうした不合理を是正する事ではないのか!

内外価格差だってその多くはドル安の結果であり、そのドル表示での輸出入契約に縛られ、日本の輸出業者に契約後の円高による差損を彼等に強要したのはアメリカ人輸出業者なのです。その被害に遭った日本人業者を「ダンピング」呼ばわり・・・。

それどころか、果ては最近のアメリカの手当たり次第の鉄鋼に対する明らかな言い掛かりダンピング提訴を、隷米論者は何と言ったか・・・「ダンピング規制で対米輸出が減って生産が減れば採算分岐点を割って結果的に採算割れになる。だから結果的に日本はダンピングをした事になる」・・・と。ダンピングとは、価格競争のために、意図して採算割れ輸出することであって、こんなアメリカによる意図的操作で採算割れすることをダンピングなどと言う筈がない。こんな詐欺的論理を平然とまかり通す・・・、何と狂った世界なのでしょうか。

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