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通産省・国売り物語

通産省・国売り物語(3)馬借

茶番のスーパー301条

ブッシュ政権は、当初、2月始めに打ち出された方針では、スーパー301条に日本を指定しない予定でした。これが「選挙休戦」のためかどうかは解りませんが、実際、アメリカにとっては88年の対日交渉で牛肉・オレンジや「農産物12品目」などの大きな成果があり、また85年以来の「市場開放アクションプラン」で主な「障壁」はほぼかたがつき、むしろ関税などで日本は世界一障壁の低い国になり、「301条品目」の木材などは逆にアメリカのほうが高関税という有り様でした。その結果、アメリカでどういう事になったか。「今年は攻撃するタマがもうなくなって、何となくフラストレーションがたまっている(日経夕刊89−5/15)」。

つまり、日本が「不公正だから攻撃する」のではなく、日本叩きが楽しいからやる・・・という実態があったのです。だからこそ「とにかく米商品が売れないのは、何か目に見えない障壁があるに違いない」などと言って、「国産愛用癖」などと消費者の選考の権利を否定してみたり、「日本人が日本語で商売をする」という当たり前の事を障壁だと言い張って、「20%が実現しないのは、競争力のせいではなく、日本市場のせいだ」と事実無視の強弁を続け、市場管理強制を正当化し続けました。

既にアメリカは、半導体協定に味をしめた「シェア保証」による押売利益を全ての分野に拡大しようという欲望を鮮明にし初めていました。2月半ばに貿易政策交渉諮問委員会が出した提言に基づいて、USTRでは「スーパー301条の代案」と称して、石油化学・繊維・紙・コンピュータ・通信機器・原子力機器などをリストアップし、個別協定で購買強制を計る方針を打ち出し、この提言の露骨な結果主義交渉スタンスを知る一部の通産官僚が警戒を示したにも関わらず、通産省首脳は「協調的な政策転換」などと持ち上げ、「具体的な輸入拡大策が必要」などとアメリカの結果主義に迎合する姿勢を見せたのです。

結局、この押売貿易提案も、すぐに日本では政府各所からその管理貿易主張の危険性が指摘され、警戒されるようになるのですが、民主党系シンクタンクのEPIも半導体協定での「成功」を理由に、他市場分野での押売拡大を求め、モトローラ等のハイテク企業が組合と組んで作った「国際貿易のための労働・産業連合」も市場分野別押売輸入目標の強制を要求する提言を出しました。

一方で、半導体協定に対してガット問題で違反とされた価格監視に代わる「モニタリング方式」で2月7日頃にほぼ決着がつき、これを理由とした「協定破棄」の可能性が無くなると、猛然と日本叩きが始まります。2月中ばにモスバッカーが「年末までに20%達成しなければ日米関係は損なわれる。どんな貿易問題リストでも日本はトップだ」と、露骨にスーパー301条を匂わせて半導体で揺さぶりをかけ、20日にはSIAを始め、自動車部品工業会などの圧力団体が出した12件のスーパー301条適用要求を公表。

2月末には20%が達成されていないとして、SIAがスーパー301条日本指定と追加制裁要求を決議し、ダンフォース・ベンツェン・ゲッパートなどの摩擦議員が、「スーパー301条は最初から日本が標的だった。外したら意味がない」と出来レースを要求。「議論はいらない、結果を示せ」と、アメリカ企業の努力不足を棚上げした無論理ぶりに、散々購入努力を強いられてきた日本企業は激怒。日本電子工業会はアメリカに反論し、「20%は約束ではない」と主張。アメリカ側は問題の協定附帯文書を公表しますが、ウォールストリートジャーナルがこれを分析し、「約束」と見るのは困難だとアメリカ側の間違いを証明します。

結局、アメリカは毎度の如く感情硬化という脅しに訴えるしかありませんでした。プレストウィッツなどは「日本は守る気の無かった数値目標を約束したふりをして、アメリカを騙した」とか言ってますが、これがいかに恥知らずな言い方であるかは、彼自身が86年2月頃「強硬派を押さえるために、何でもいいから数値目標を呑め」と露骨に要求した事実を見れば明らかです。「怒るアメリカを宥めるために実行可能性を度外視して20%条項を受け入れる」のが騙しだというなら、その騙しを要求したのは他ならぬプレストウィッツを含むアメリカ政府だった。その経緯を承知の上で、こうしたアメリカの言いがかりを放置した通算官僚の言動は、裏の意図が無いとしたら最早白痴的と言うしかありません。その上なおもスーパー301条のヒルズ・三塚会談ではヒルズが「議会を説得する弾をくれ」などと、同じ事を繰り返すのですから、話になりません。しかもそれが、裏で議会と打ち合わせての芝居であることが見え見えなのですから、もう何をか言わんや・・・です

これに対して日本側からは、3月頃から非公式ルートで「望ましい対日適用分野」に関する非公式メッセージを流し(東洋経済89−8/5)ていた・・・と、背後での癒着を裏付けています。4月になると、「高まる対日指定要求への対策」と称して通産省はアメリカに使節を派遣。これがスーパー301条を利用した米・通合同の対日圧力の「打ち合わせ」だった事は間違いないでしょう。

田原氏の「平成・日本の官僚」によると、通産官僚達が、外圧を利用しての他省庁の「縄張り荒らし」を公然と自認し、内輪では何の危機感も持たず、最終的な指定三分野の内容すら知っていた、まるっきりツーカーだったという事実があったのです。そしてこの使節団に棚橋氏も同行し、帰国後には早速、半導体ユーザー会でスピーチ、「アメリカの怒り」をひけらかして「購入拡大」を要求しています。

この使節団がもたらした「対日指定候補リスト」は4月18日に公表され、日本中を激怒の坩堝に叩き込みました。そして4月末に正式発表。三塚通産相は「アメリカを説得する」と称して渡米しますが、和気あいあい、逆に様々な譲歩の大盤振る舞いを差し出して帰国します。郵政省や外務省は激怒しますが、その「調整」は自民党・・・特に棚橋氏の秘書時代に仕えた福田氏の後継者であり、三塚氏のボスでもある阿部氏に持ち込まれます。

そしてこの三塚訪米にも棚橋氏自身が参加し、帰国後にマイコンショーで譲歩をほのめかしたのは、言うまでもありません。半導体では譲歩しようにも日本側から出来ることなど無いのは明らかにのに、「指定は必至だ。何としても回避するため、出来ることはどんな譲歩でもせよ」と煽られ、結局は「購入拡大のためアクションプラン」の合唱で幕が降ります。

平行して郵政省は、盛田・棚橋と組んでいたモトローラ操る通信分野の交渉に渡米しますが、その交渉の後に「夕食会」と称して民間人である筈のガルビンと会談。モトローラは自らの「通信分野」のために通商法1377条に基づくものを別枠で用意され、ガルビン会長はスミス前USTR次席代表をコンサルタントに雇って「強硬姿勢を取り続ければ日本は必ず折れてくる」などとアドバイスを受けていました。そのスミスも同席の上で譲歩を迫る・・・という露骨な政商ぶりを見せつけます。彼はブッシュ大統領の有力支援者として巨額の選挙資金を賄い、その見返りに大きな便宜を得たのです。

日本の常識では明白な贈賄ですが、その被害者が日本人である限り、けしてアメリカの司法もマスコミも批判はしません。それが「アメリカ」という国です。ガルビンは自分の次男をUSTRに送り込み、54品目もの制裁候補をぶち上げて、早々と制裁を決定します。それを決定づけたのは「ガルビンが首を横に振ったから」だと言われており、一企業の利益を擁護する露骨な姿勢は、さらに日本市民の反発を買いました。やがてこの通信摩擦は6月になって、これも棚橋氏と関係の深い竹下派の幹部である小沢一郎氏の仲介により、IDOにモトローラ方式を強引に押しつけることで「合意」します。強引な周波数割り当て変更要求で業界には激しい反発が渦巻き、特にIDOは莫大な二重投資を迫られ、経営危機にすら直面するのです。

通産省は、反発の大きい国内向けには「制裁を前提にした交渉には応じない」と見得を切りますが、裏では「対日指定はあったほうがいい」などと公言する始末。半導体ではしっかり5月18日から来日したフィリップスUSTR次長などと協議を行い、企業ごとに数十億の購入計画や自動車50%増を初めとする業界ごとの数値目標など、ふんだんな貢ぎ物を報告。随行したモトローラのフィッシャー社長は棚橋氏と会談するなど、露骨な連携プレーぶりを見せつけました。スパコン分野では、USTRに対する「意見書」と称して、8軒もの「購入計画」を差し出しすなど、結局「圧力の果実」を差し出す醜態に終始したのです。

結局、五月末の本指定では、田原氏が明かした「騒ぎの一週間前に通産幹部が知っていた」通り、国民の税金で政府機関に買わせるスパコンなど三分野が指定されました。最初、19日頃に指定確実になったのがスパコンで、その他幾つかの候補が上がり、アメリカ部内での激しいやりとりの末に決まった・・・という経過が、報道では流されます。しかし結局それらは手の込んだ芝居・出来レースだった訳です。この結果を受けて日本では、マスコミが「不公正貿易国の烙印を捺された」と大騒ぎする一方で、肝心の通産省は「三分野は通産マターではない」などと涼しい顔。「これで済んだのはアメリカの良識が蘇ったため」「落ち着いた交渉態度が功を奏した」などと勝利宣言まで出す始末。

この時、同様に候補に挙がった韓国は、国民の反米感情でアメリカを押さえ、ECも「米国貿易障壁42項目」を列挙して毅然とした態度を取ったために、本指定はありませんでした。しかし日本はマスコミの対米恐怖を煽っての「譲歩せよ」宣伝で反発の表面化は軽微なものに留まり、「日本指定」に固執するアメリカを安心させました。マスコミはさすがにアメリカの横暴さは隠せませんでしたが、「反発は感情論だから押さえろ」「アメリカの不満を自覚せよ」「紛争を拡大させないのが経済大国としての責任だ」などと、あらゆる理屈で外圧への恭順を説いたのです。

正当性を無視した「感情論」という一括りの言葉で、アメリカの感情を容認しつつ日本側の感情を否定し、「大国」という言葉でおだてて「叩かれ役」という大国にあるまじき惨めな実態から目を逸らさせる・・・まさに詭弁の塊のような論調が横行しました。また、交渉場面をあげつらって、ヒルズ代表が議会を見え透いた噛ませ犬に仕立てて「自分は制裁はしたくないから譲歩しろ」とゴネれば「大人の態度」とおだて、日本側がアメリカ側の対日差別的態度をたしなめてモスバッカーが鼻を曲げれば「友人を失った」などと、ゴネアメリカ人の感情を優先する・・・。こうした報道で「問題の本質」から目を逸らさせたのです。

もし、日本で国民世論による対米批判が表面化していたら、この圧力を跳ね返す大きな力になった筈なのです。在日米大使館やIBMなどは日本の反米感情を恐れて米政府に指定を避けるべく勧告し、本指定の際には日本からの反発の緩和のために半導体制裁の解除を検討したほどで、アメリカのマスコミでも「半導体などが指定から洩れたのは、日本側の反発を恐れたから」という見方が有力だったのです。5月末に開かれたOECDでは早くもスーパー301条はヨーロッパはおろか、アメリカと不離一体状態のカナダからさえ強い非難を浴び、完全に孤立していました。この状態でまともに争えば、アメリカは不利を免れなかった筈です。

「交渉には応じない」と見得を切った筈の通産省は、騒ぎが静まると途端にその国民に対する約束を反故にしました。「財界人どうしの会合」と称して7月には、政府担当者も同席の上、実質的な政府間交渉が始まり、平行して「構造協議」が始まりました。構造協議では「双方に意見を言う」と言いつつ、その実アメリカが一方的に日本に要求を突きつけ、やがてここから、本来なら過去の不況時の財政出動国債を償還すべきバブル景気時の日本に430兆もの公共事業を義務づけるという、経済原則を無視した無茶な要求を呑まされることになり、まさに今日の財政破綻に至るのです。

これこそ構造協議の最重要課題であり、それがいかに常軌を逸した害の甚大な要求かは、エコノミスト90−9/11の安倍基雄氏の論説に詳しいですが、構造協議で持ち出された無茶な要求は、それだけじゃない。ヤクザに差し出す「みかじめ料」にも等しい米軍駐留費負担増額すらも、この構造協議の中で持ち出され、そのために地位協定の変更すら迫られるのです。こうした屈辱的な交渉はマスコミで、「大店法」などを盛んにアピールする報道に隠れ、あたかも「アメリカは業者エゴを叩く国民の味方」であるかのような宣伝がなされ、アメリカの外圧そのものを正当化する世論操作が横行したのです。

しかし現実には、公共事業拡大要求はまさにその「業者エゴ」の利益を代弁したものであり、それに対して表向きの抵抗とは裏腹に、実は裏で一貫して財政拡大を計って外圧と組んでいた通産省のやり方は、大店法などでも通産省の実際の行動がいかなるものであったかを如実に物語っています。大店法でアメリカの要求に抵抗したのは通産省・・・という事になっているのですが、実はこの交渉の結果、規制区域線引き等で通産省は大幅に権限を強化されていたのです。

そしてその権限で市町村など関連団体に強い「指導」を初めており、アメリカ製品購入指導にも大きな力を振るった事は間違いないでしょう。とすると、本当に通産省は抵抗したのか・・・、実は「既定の行動」の追認に過ぎなかったのではないか。小規模なコンビニが本当の「脅威」として、単なる「店舗の大きさ」が時代遅れになる中、通産省の内部でも(田原氏の著作では)「アメリカを批判する民族派の代表」ということになっていた村岡茂生氏すら「大店法は悪法で即刻廃止すべき」と言ってる・・・とすれば、一体誰が反対したのか。

あたかも「日本側が強く抵抗した厳しい交渉だった」かのように、日米政府がマスコミ操作による誤った印象を植えつけられた事実は、グレンフクシマ氏の回顧に出てくるそうですが、実は「通産省の抵抗」なるものは、「いつまでまとめるか」のような些末な問題でしかなく、その抵抗の中心にいたのは、棚橋氏と最も近い政治家である梶山通産相である事が、畠山譲氏の自伝「通商交渉、国益を巡るドラマ」に出てきます。あたかも抵抗したような振りをしつつ、結論は既に出ていたのですから、翌6月の妥結は「まとまらないと思われてたのに、何故まとまったのか、ミステリーだ」と疑問を持たれたのも当然で、内実「出来レース」を「自由化のため」と称して外圧と組んで、実際の目的は「省の権限強化」と多くの人員増加と補助金。これは実は半導体協定での20%保証の出来レースと同じ構造であることは、お気付きのことと思います。

この他、建設での談合処罰や内外価格差などが俎上に上りますが、「日本市民の味方」という羊頭看板とは裏腹に、アメリカの要求によって設計や通信設備などの美味しい所しか手を出さないアメリカ建設会社の受注を保証してやる建設摩擦は、これこそまさに談合以外の何物でもありません。内外価格差の原因が実はアメリカ対日輸出業者の不当に高い利幅である事実が協同調査によって判明しかかると、アメリカはさらなる確認の調査に反対するなど、多くの欺瞞を含むものでした。

大店法の廃止は当然でしょうが、それは既に国内世論の支持があって、それに米・通産連合が便乗したに過ぎない・・・ということは、「やる気」さえあれば国内だけで出来た筈です。それをあたかも「外圧でやりました」かのように演出し、外圧全体を正当化して不当な押し売り外圧の非を糊塗する意図は見え見えでした。

これをマスコミは、アメリカの対日調査の成果であると持ち上げますが、この状況は通産省が85年にやった手・・・裏で日本側から情報提供した・・・というのと同じ事をやった可能性が高い事は、言うまでもありません。マスコミはアメリカ側の妙手ぶりを讃えて、こう言います。「竹下派を厚遇して味方につけたのだ」と。元々、棚橋氏と近い勢力であり、実態は「厚遇して味方につける」も何も無かったのではないでしょうか。

これと前後する6月、棚橋氏は産業政策局長、その腹心の内藤正久氏は貿易局長に就任。その体制の元で、半導体で培った押し売り産業規制を全産業に拡大するべく、壮大な行政指導の行使が始まります。6月からは約300に対して「輸入拡大計画のヒアリング」と称して圧力を開始。「パーセンテージが一桁では少ない」と、数値目標をかざしての市場管理に走り、21日には「輸入拡大要請会議」を開催。10月末には主要数十社に「約4年で輸入倍増」を公言するほどでした。

7月27日に産業構造審議会新施策報告を出し、「草の根輸入促進」を提言。地域レベルにまで指導の網を張って「輸入可能品目」を報告させてアメリカを潤さしめる。それと連動すべくジェトロに「対日輸出促進基金」「総合輸入促進センターパイロット事業」が新設され、輸入促進税制や頻繁なアメリカ製品商談会、外国対日輸出企業のための相談窓口、対日売り込みの便宜を図るための情報提供等々。

これが90年8月には、関係省庁や業界人と外国人による「輸入協議会」で、300以上の主要企業に製品輸入計画を提出させ、90年提出分などは8%の伸び率が「前年度の13%に比べて少ない」として通産大臣が怒りつけて圧力をかける強引ぶりでした。

これら全ては、棚橋氏の意を受けた内藤氏の手によるもので、これで得た莫大な権限で潤った通産官僚達は、棚橋氏をして「通産省中興の祖」とまで呼ぶほどだったそうです。

しかし、一歩その省益の外に出れば、民間が発する疑問の声に溢れていました。「通産省は米国の管理貿易の担い手(日経90−1/10)」「通産省は押し売り取り次ぎ業か(同紙89−12/16)」・・・。これに対して開き直る通産幹部は「対外摩擦を配慮しつつ日本経済の活力を維持するためだ」と。しかし現実に日本経済の活力が維持されなかった・・・というより、正確には「意図的に破壊された」という結果をもたらしたのです。輸入優遇税制に対する民間の反応も冷たいものでした。「輸入増加10%」という義務が、その輸入者にとって、いかにも重い犠牲を伴うものだったからです。

この時期、大前研一氏は各種統計を計算し、アメリカ系の在日子会社の販売総額が550億ドルに達し、このアメリカ系企業の本当の実績を加味するならば、対日赤字の相当部分が吹き飛んでしまう事実を立証して、アメリカの押し売り外圧のいかがわしさを実証しました。その功績に対して通産省が何と言ったか・・・。「余計な事をするな」。彼は「日本企業の保護者」という通産省の仮面の裏の、実はアメリカの権威を傘に着た経済統制に血道を上げる正体を完膚なきまでに批判しています。

そしてこの時期、とんでもない特許が成立します。TIの「集積回路の基本特許」と称するものの中身は、電気の通る回路の線と線を離すことで絶縁するという、まるで電気を通す電線を丸ごと自分の発明だと称するようなもので、日本企業に莫大な特許料を請求し、富士通だけは裁判で抵抗しましたが、他の企業からせしめた特許料でTIは一気に黒字転換しました。TIは半導体摩擦の中心役の一つですが、通産省配下の特許庁を使った露骨な利益誘導としか思えない事例と言えるでしょう。

こうした露骨な対アメリカ企業利益供与に関して、もちろん通産省の言い分は「アメリカの理解を得るため」である事は言うまでもありません。そして現実には、アメリカとツーカーだった通産がそんなものを一切期待していなかったことも。そのアメリカでは、半導体摩擦の被害を受けたユーザー企業が半導体協定延長阻止を旗印にCSPPという団体すら組織していました。それと共闘してSIAのごり押しと戦おう・・・という姿勢すら、通産省は見せませんでした。

6月の半導体協議では、日本側大手が差し出した「急ピッチな押売受け入れ拡大」にホクホクのアメリカ側でしたが、もちろんそんなものは「味をしめさせた」事でしかありません。こうした行動がいかに愚かなものであるかは、既に当時、日経11/6日で富田俊基氏が論証しています。制裁を受けた日本から、対象品目を限定した逆制裁によって対抗することこそ、アメリカのような非協調を淘汰し、大きな紛争を回避する有益な行動である事が、ゲーム理論の定理であるとして、政府の行動とその結果を分析し、「米国の報復に対してはっきりと反対の意思表示もせずに、産業界に対して米国製半導体の使用を促した」ことを批判しています。同様の意見は伊藤隆敏氏(東洋経済93−7/3)が「建設的対米報復」として提言し、「対抗措置は経済戦争になって日本の破滅」・・・などという発想は全く世界の常識に反する事実を明らかにしています。

10月に入るとSIAは圧力の強化を始めます。理事のプロカシーニ氏が20%達成困難として制裁強化検討を表明。ノイス氏やコリガン氏も相次いで来日し、20%の達成を要求します。日本電子工業会はこれを批判する一方で、10項目の購入拡大策を提案しますが、何の役にも立ちません。11月の四極通商会議ではアメリカのやり方は批判の的でしたが、国内マスコミは「アメリカに逆らう日本は世界の孤児になる」と脅しました。そうした動きを外圧によってバックアップすべく、10月にUSTRのヒルズ代表が来日します。各分野の担当大臣と会談して圧力をかけるとともに、前月の貿易委員会の「フォローアップ会合」と称して、スーパー301条指定品目の協議を要求。それに呼応して、自民党の小沢氏が「産業界全体の自主管理貿易」を提唱。政府部内で真っ向からの自由経済否定がまかり通っていきます。

スーパー301条指定品目品目では、89年11月、さらに翌2月と行われるフォローアップ会合で、の「制裁を前提とした」協議が始まります。当然、強い抵抗が出ます。通産省では予定の事で、「翌年のスーパー301条の行方を探る」と称して、その実、抵抗省庁を屈伏させるべく、12月には通産幹部が相次いで訪米。3月末のスーパー301条候補指定前にほぼ日本譲歩の見通しが立ちます。にもかかわらず、アメリカは前年をしのぐ数の候補を列挙。曰く「スーパー301条は予想以上に有効だった」と、ぬけぬけと語る国務省筋。

日本が拒否して制裁となれば、アメリカは孤立して窮地に陥る筈なのを、日本の「協力」が救ったのだと・・・。だから「御馳走をもう1杯」・・・と(日経90年4/1日)。そして新たにアライド社の利益を代弁してアモルファス合金を指定し、多額の購買約束などの不透明極まる要求を突きつけます。もちろん半導体なども重要な圧力分野として、既に2月半ばに「民間半導体会議」で、それまでの圧力の成果を「指針」として確立したことになりますので、さらなる「前進」を心置きなく要求する訳です。

指定に先立っての3月16日、モスバッカー商務長官が来日して直接に日本の電子企業と会談して圧力をかけ、4/11日には武藤通産相が電子工業会などと懇談、アメリカ製の調達増加を「要請」します。そして20日には「外国製半導体マーケットアクセス拡大会議」にユーザー企業を集めて購入拡大を指導。25日に全産業で300社を集めた「輸入拡大会議」押売受け入れ指導。国内外からの圧力に、メーカーは殆ど抵抗力を失っていました。「理屈を言っても始まらない。制裁されれば世界の孤児になる」などという諦めムードを強要され、通産省にわざわざ「本指定回避」を要請するまでに、米・通産のペースに嵌まっていました。

そして「新たな購入拡大」へと駆り立てられ、るのですが、何しろ不良率の高いアメリカ製品ですから、家電業界は「これだけ努力しても8%がやっと」と、悲愴感を漂わせながら(日刊工業4/18日)アメリカ製購入のために犠牲を払い続けました。

この間、ECは米国の貿易障壁に関する報告書を提出して対抗し、脅される一方の日本との落差を見せつけました。アメリカは日本から毟り取った譲歩に溢れる成果を勝ち取ります。これによってアメリカ政府部内で、ルール違反の制裁でアメリカ自身が「世界の孤児になる」危険を回避するための「本指定回避」が4月末に決まると、お人好しにも日本のマスコミはその「回避」だけを取り上げて「良かった、良かった」の合唱。アメリカに管理され絞られる厳しい未来の事なんか、これっぽっちも気にしない能天気ぶりを示すのはまだマシなほうで、「アメリカは日本に貸しを作ったのだ」などと、あまりに図々しい恩着せ論理の片棒を担いで、日本を精神的に蝕んでいったのです。

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