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通産省・国売り物語

通産省・国売り物語(7)馬借

黒字攻撃の犯罪性

市場を閉鎖したいのなら、閉鎖するのはその国の自由でしょう。現にアメリカは繊維以降、相次いで日本に「自主規制」を強要して市場を閉ざしてきた。しかしそれが何故「黒字化」に結びつかなかったか・・・。それは、アメリカの対日輸入=アメリカの赤字=日本の黒字という貿易バランス論の発想が間違っていたのです。

黒字・赤字を作り出すものは、クリントン押し売り外圧の非を諭す経済学権威が主張する如く、貯蓄・消費の「ifバランス」なのです。だからある分野で日本製品を追い出したとしても、安くて良い輸入品を使えない「経済全体」の効率を悪化させ、けっきょく収入の低下を招いて赤字は拡大する。だから世界の赤字国はすべからく障壁が多い。

日本が輸出で大きな成長を遂げたのは、実は60年代からの貿易自由化の結果であると、日本だけでなく、それに続くアジア諸国の輸出産業の成長も、自由化故にこそ可能になったんだと、(野口旭氏「経済対立は誰が起こすのか」)。つまり日本は、市場を閉鎖したから黒字になったのではなく、市場を開放したからこそ黒字大国になったのです。

学会では飯田経夫・小宮隆太郎・下村治氏といった日本経済学会の真っ当な権威は、アメリカのの我が儘で嘘だらけな責任すり替えを厳しく批判していおり、東洋経済93年7月10日の小宮教授の名著は賞賛を呼びました。これが単なる「一方からの見方」でなく、学問レベルでの客観的な現実であった事は、アメリカを擁護して貿易バランス論から黒字減らしを主張する香西泰氏が、学会で孤立感を抱いていたと自白言している事からも明らかです(東洋経済88年1月23日)。

ところが、彼に言わせれば主流である筈の飯田氏もまた、孤立感を表明していた。これを香西氏はいぶかしんでいますが、東洋経済のようなマスコミ雑誌ではまさに、学会でのまともな理論が孤立状態にあった・・・その理由は一般向け香西氏や天谷氏のような一般向けエコノミストの多くが「政治的立場」を持った官僚出身者である事を考えれば、解ります。

アメリカの悪質な政治宣伝と、それを鵜呑みにする隷米・排日派の強弁は裏腹に、小宮氏が断言するように「日本は最も開放的な市場のひとつ」(エコノミスト92年3月31日)であった。これが客観的・学問的事実であり、それがマスコミがリードする社会一般の「常識」では無視されていたのです。「内需拡大をやらない日本にアメリカを批判する資格は無い」と強弁する香西氏。

批判する資格も何も、アメリカの赤字の問題は、アメリカの一方的な都合に基づいてアメリカ自身の問題です。バブル期の香西氏が言う「最近の日本経済の成長ぶりは、こうしたモノ余り説の信頼性を疑わせる」などは、バブルのバブルたる所以を無視し、日本人の気を大きくさせて「大盤振る舞い」を正当化するだけのもので、そんな論こそが現在、日本を破綻の淵に追い込んでいる・・・その責任を彼はどう取るのか・・・。

まともな学者が、例えば小宮・下村氏などは(リチャードヴェルナー氏曰く「アメリカの要求のような」)前川レポートを批判し、貿易黒字悪玉論を完膚なきまでに否定しても、そういう正論はめったにジャーナリズムに登場せず、世論には殆ど影響を与えず、代わりにアメリカの立場に立って黒字減らしを擁護した、天谷・香西・赤羽といった、官僚や日銀のOBのエコノミスト達。彼等はバブルに至るまでの経済予測を間違え、楽観論を垂れ流し続け、日本経済をミスリードして今日を招いたのも彼等です。それは本当に「間違えた」のでしょうか。それとも「間違える振り」をしただけだったのでしょうか?

三和総研のような金融企業子会社のシンクタンクは、天下り官僚OBの金城蕩池で、そういうのが世論ミスリードの先頭に立ったのです。原田和明氏が小宮理論を攻撃した東洋経済93年8月7日号では「政治的視点を欠いた純理論は国際社会の場で理論は通っていても容易には受け入れられない」と・・・。「政治的視点」とは、要するにアメリカの強欲におもねる談合ではないのか。

客観的に正しいものが政治的なゴネに踏みつけられる事を「不公正」と言います。不公正をまかり通すために公正を引っ込めろ・・・と彼は主張しているのです。そんな理不尽の上に立って彼は客観的に正当な「純理論」を「一方的な黒字正当化」「利己的な主張」などとほざく。三和総研がでっち上げた「輸入障壁度」なるものを振りかざして「現実輸入数値」なるものと「比較優位度」なる正体不明の数値を元に、日本市場に障壁が高いと強弁していますが、その論を見る限り結局それは、輸出側の売込努力や需要方ニーズ対応といった、本来の「輸入が少ない」原因と無関係で、急速な円高による歪みをもろに反映した歪んだ数値であることは間違いないでしょう。

何より、彼が「日本の高障壁度」の見本とした品目ときたら、殆ど輸入に頼っている航空機だの、世界一関税の低い日本においての例外的な「高関税品目」だの・・・、到底日本の貿易実態の見本たりえない代物ばかりなのですから、いかにまやかし臭い数値標識かが解ろうというものです。

同様に、獨協大学の杉岡碩夫氏は、円高を「大東亜戦争と同じだ」などという、とんでもない比喩で押売に対する抵抗を脅しました。「自由貿易の旗をふりかざしてガットの場で改善を求める」ことを「鬼畜米英的発想」だというのです。あからさまな自由貿易破壊論であり、絶対に容認できるものではありません。

安場保吉氏も黒字悪玉論を強弁して赤字財政垂れ流し、「財政危機は起こらない」と大見得を切りました。根拠の無い強気発言でバブルの傷を深くした経済戦犯の金森久雄氏は、「黒字の15兆円を使い切る」などという目的のために公共投資の垂れ流しを主張し、日本の黒字はアメリカの赤字などというお粗末な妄説を垂れ流す人が「反対派はマクロ経済に無知だ」などと宣うに至っては、空いた口がふさがりません。

「日本は黒字が大きいから、何を言われても仕方がない」という論理無視を、葵の御紋のように振りかざすのが、アメリカや、それを擁護する従米派マスコミの十六番で、下手をすると「黒字が大きい」というだけで、外国による不公正行為をガットに訴える事すら「資格が無い」かのように強弁する暴論も多いのです。「黒字」という結果主義によって自由貿易システムの出番を否定するような人は「自由経済の敵」と言われて寸分の反論も出来ないでしょう。

数々の「きちんとした理由」にも関わらず、「額が巨額だから批判はやむを得ない」などと、おかしな市場破壊的輸入政策を受け入れました。マスコミは、日本の産業は消費財から生産財へ、そして「日本でしか作れない部品」に特化するから大丈夫だと・・・。麻薬のような日本不死身説で国民を宥めます。ところがその技術的強みすらも「テクノグローバリズム」の名の元で、大バーゲン的に譲り渡せという外圧に身を任せたのでは、その末路は明らかでしょう。そして今、「産業大国」としての日本は、そうした流れに便乗してのし上がった中国によって、止めを刺されようとしています。

黒字が大きいのは、長い間のアメリカ自身の姿でした。それをアメリカは「黒字国は許されない」との批判を甘受したでしょうか。現実に、60年代に外貨不足に悩んでいた日本がアメリカに「対日輸入増加」を求めた時、アメリカは身の蓋も無く一蹴したのです。(エコノミスト92年3月31日)。貿易不均衡の解消は赤字国の努力に拠るのが「世界の常識」であり、それでも出てくる黒字・赤字を調整するのは、基本的に赤字国に対する投資というのが「国際経済のルール」だと。

そのための対米投資すら、摩擦に煽って妨害し、逆に経常赤字を拡大する対日投資の増大保護を要求したのです。建前上は「アメリカの労働者の利益」と称して、市民運動関係団体を対日攻撃に動員し、実は資本家の利益を追求する。全ては見え透いた真っ赤な嘘。当時から、誰の目にも明らかだった筈です。

こうした資本家の暴利を堂々と追求する「お手盛給与」に、日本市民の憤慨はどれほどのものがあったか。そうした悪行をごまかすための、労働者の不満の矛先を日本に向けた日本叩きを煽り、現実に不足する労働者の職場や輸出生産力を補ったのは、むしろ日本企業の対米進出なのに、それに「ローカルダンピング」等で縛って損失を強制し、多くが損を被って追い出されるに至った事実をどう弁解するのでしょうか。

92年の自動車押売協議の「ボランタリープラン」で進出した日系自動車メーカーは「アメリカ資本から部品を買う」事を政治的に強制され、真面目な供給をしなかったアメリカ部品メーカーに代わる部品を供給すべく、無理なアメリカ進出を行った日系部品メーカーの、切り捨てを強要されました。日本の善意でアメリカのために血を流した「ボランティア」は、アメリカの悪意によって絞め殺されたのです。

従米派作家石川好氏は、こうした悪意によって損失を出す日本企業に「アメリカから引き揚げるな」などと反市場主義的なお説教を垂れました。「儲からなくても歯を食いしばってがんばることによって、アメリカ人との友情はさらに深まる」。あの悪意に満ちたアメリカの、どこを叩けば「友情」なんて言葉が出てくるのでしょうか?儲からないようにしたのは誰か?

「日本人が自らの努力によって儲ける」事自体を否定し、口先では友情だ・・・などと言いつつ、日本人の「アメリカのために」という友情を踏み躙ったのは誰でしょうか?日本企業がアメリカに工場を作ったのは儲かるからじゃない。日本から輸出したほうが儲かるし、東南アジアで作ればもっと儲かる。けど「アメリカ人の雇用を確保してくれ」と言われて、困難を承知で出て行った。今から考えれば馬鹿なことをしたものだが、その友情をアメリカが裏切ったんじゃないか!

「日本企業が進出すると対日輸入が増える」という、どう考えても有り得ない妄説を、いかがわしい数字の操作によって、こうした日系企業排斥を正当化したデニス教授は、「アメリカの赤字の増加は、日系工場が使う部品の輸入が増加するから」と強弁していますが、今までの製品輸入の代替としての製品価格が、それに使用した部品の価格を下回らない限り、有り得ない話ですが、彼の数字トリックは簡単です。

要するに、アメリカ経済全体のパフォーマンスを押し上げた結果としての「製造拡大効果」でしょう。日系工場が従来の輸入以上に製造して第三国に輸出したと考えれば、全て辻褄が合うのです。この論理は、唐津一氏が指摘したような、アメリカが90年代前半に増やした輸出の相当部分を日系工場が稼ぎ出している事実が、それを裏づけています。こんな単純なトリックを批判することも無く「ローカルコンテンツは当然」などと馬鹿をほざく高梨義明氏のような無能な日本のエコノミスト達は、誰かから賄賂でも貰っていたのでしょうか?

逆に、対日進出したアメリカ企業は、強欲な搾取への欲望を隠そうとしませんでした。東燃などは、エクソン・モービルが協調して過大な配当を要求し、92年12月期にはなんと175%という配当性向を要求。利益を遙かに超える配当という、経済の常識を踏み躙る暴挙をやらせて会社の資産を取り崩しを強要したのです。株主権の乱用によって、過大な利益に舌鼓を打つアメリカの資本家達。その強欲な行動を「日本は株主に対する認識が甘い」などと開き直るアメリカと、それを後押しするマスコミ・・・。

彼等をここまで横暴ならしめたのには、もう一つ「日本の産業は全てアメリカから教わった知識で発展した」という、牢固とした恩着せ的な思い込みがあります。かつてケントデリカット氏が、クイズ番組で大恥をかいた事があります。世界に先駆けてテレビ画像電送に成功した高柳健次郎の業績を紹介した際に、彼は「そんな事がある筈がない。テレビ技術は全てアメリカ人が創ったんだ」・・・(絶句)。歴史的事実すら足蹴にするその蒙昧は、日本人を知的創造の出来ない劣等民族として軽蔑し、その業績を全く認めようとしない差別意識の産物です。

そしてその害毒は「アメリカ崇拝」の陋習によって、多くの日本人の精神をも侵しているのです。西澤健一氏は、半導体で多くの発明を取った事でも有名ですが、企業に特許を売り込もうとして門前払いを食ったのだそうです。ところがその後すぐ、その企業に同様の特許をアメリカ人が売り込むと、一も二もなく採用した。曰く「日本人の特許を使ったなんて言っても、売れない。アメリカから買った特許を使ったと言うと売れるんだ」。

日本が産業で成功したのは、必要以上にアメリカに特許料を払ったと同時に、多くの独自技術の開発したためです。それを「アメリカ人の知識を盗んだ」などと言いがかりをつけ、「アメリカがただ同然で使わせてやったお蔭」などと蒙昧な恩着せ論を振りかざすアメリカの姿の、何と醜いことか・・・。

テレビだって、日本が高柳以来の成果を捨ててRCA方式を買った結果、そのRCAが巨額の特許料に胡座をかいて自滅したのは有名です。日本企業がデュポンのナイロン特許に支払った特許料があまりに巨額なため「潰れるのではないか」と言われたのを、その重圧を克服して成功したのです。しかも、実は既に独自技術を持っていたにも関わらず、パテント裁判を警戒して技術導入に踏み切った・・・というのも、有名な話です。

にも関わらずアメリカは、恩着せ論の挙げ句が、日本が「強くなる」事自体が不公正だと言い張り、そのためであるからと、日本の技術開発努力すら攻撃の的にしたのが「研究摩擦」です。研究摩擦では、アメリカが日本での研究情報の収集をサボっておいて「日本がアメリカの情報に一方的アクセス」などと言い張るからと、日本側の負担でアメリカから日本の研究情報を検索できるようにすると「何かアメリカから盗もうとしているに違いない」などと、逆に陰謀説を煽る始末。

「アメリカは、日本が教えられたことを単に膨らませただけだと思っている」というのが間違った思い込み(東洋経済88年1月16日)であるという事実を「アメリカでもよく分かっている人たちも多い」が、それが「ひとたび政治の場に持ち込まれる」と簡単に無視され、確信犯的に嘘がまかり通ってしまうのだという。そしてそれが日本のマスコミに流れて「常識」として幅を利かせ、その嘘を振りかざしてアメリカの横暴に対する批判を押し殺そうとする人達が出てくる。

日本側はそうした要求を宥めるため・・・と称して「テクノグローバリズム」を大々的に鼓吹し、国内の研究プロジェクトにアメリカ人を誘致したり、超伝導などの研究成果を差し出した・・・。摩擦最盛期の88年の「国際超伝導産業技術開発センター」などはその典型です。その結果がどうなったか。肝心のアメリカがテクノナショナリズムを掲げて技術囲い込みに狂奔し、湾岸危機の時などは、日本の半導体製造技術の突出に対して、曰く「技術独占は第二のイラク(絶句)」。

TW・カン氏というコンサルティング会社の社長の弁では、日本が努力によって技術的優位を得ることを、公然たる侵略行為と同じになるというのです。こんなとんでもない理屈が、堂々とまかり通ってしまう「グローバルスタンダード」とは何なのでしょうか?それまで一体誰がアメリカによるソフト技術独占を誰か批判したでしょうか?航空・宇宙技術独占は?逆に自助努力でアメリカの独占に対抗しようとした日本を、アメリカは叩きました。

「だからこそ日本が技術を解放し、テクノグローバリズムのリーダーになるのだ」と、自称国際派は言いますが、日本の技術バーゲンで、国際社会における技術的リーダーの地位に少しでも近づいたか?事実は逆で、日本の影響力は今や見る影も無く、ナショナリズムを振りかざして技術支配力を格段に強化したアメリカの、独り舞台に成り果てたではありませんか。日本での共同研究で得た成果を本国に持ち帰って、特許で囲い込む悪徳研究者が多数出現している(「乗っ取られる大国日本」浜田和幸著)という現実すら多いのです。

こうした恥ずべき我が儘が、アメリカでは「国防」というキーワード一つで恥を恥と感じない鉄面皮と成り果てて理性を忘れます。そうしたアメリカ人の軍国体質を利用すべく、彼等はあらゆる技術問題を軍事問題としてハイビジョンも液晶もみんな国防省の元で軍事プロジェクトとして推進しました。そして狂犬のような反日的雰囲気を盛り上げる一方で、「対米武器技術供与」の協定を強要し、安保の名目で一方的に有利な条件で日本人の血と汗の結晶である有用民間技術を囲い込む・・・、そのためのリストとして「クリティカルテクノロジープラン」というのをでっち上げました。

これを大々的に実行すべく91年度から予算化され、遂行されますが、湾岸戦争や東芝ココム事件は、まさにそうした軍事名義の圧力に対する日本側の心理的抵抗力を奪う布石として作用されたのです。最も悪質な技術強奪外圧としては、FSXなどはその典型でしょう。

一体形成炭素繊維技術や高度なレーダーなど、ただ同然で手取り足取り教える事を強要され、生産技術から何から完全に毟られ、日本はソフトやエンジンで実質的に得る所無し。日本が自主開発で進めていたのを強引に割り込んで、使い古しのF16ベースの共同開発を押しつけておいて「技術を持っていかれる」などと被害者意識を喚き立てて、殆ど「やらずぶったくり」の好条件を毟り取った。日本の独自航空技術の芽を摘もうという悪意に満ちた猿芝居のサクラも、多くいた隷米派マスコミと、その背後には通産省の影があったのです。

航空機市場を独占するアメリカならでこそ、ボーイングのように「手抜き整備」で膨大な犠牲者を出しておいて、本来なら過失致死に問われるべきを、「司法取引」と称してアメリカから誰も責任を問われない日航ジャンボ機墜落などは、まさに「昭和モルマントン号」事件と呼ぶべき変事でしたが、にも拘わらず日本は、引き続き航空機をアメリカから輸入せざるを得ない。

そうした悪しき独占を継続させるべく、日本国内では「軍事技術だから」と反発は押さえられ、逆に「経験のあるアメリカなら、純国産と違って安くできる」などとお気楽な意見がまかり通りました。その背後に実は通産省の、アメリカの戦略に協力しようという「国益度外視で従米」という85年頃からの方針転換が、FSX事件の背後に隠されていた事実が、当時、航空機担当だった伊佐山氏(四人組の1人)の証言で明らかになっています。

ところが現実には「安くなる」どころか、FSXでは、六割を担当する日本企業より、四割を担当するアメリカ企業の方が多くの支払いを要求(エコノミスト92年1月21日)し、その「アメリカが外圧で啜った甘い密」は全額、日本国民の税金から支払われたのを、告発する人は殆どいませんでした

最近になってようやく認知されるようになったエシュロンも、90年代前半から公知の事実です。当時から企業情報は盗まれ放題で、93年頃には、ある通産官僚が大手メーカー社員に「電話もファックスもアメリカに盗聴されている」と漏らしたそうですが、そうした実態がかなり知られていたにも関わらず、全く対策は取られなかったのです。

特に冷戦集結後は、余ったパワーを産業スパイに振り向けて、アメリカ企業に膨大な不当な利益を与えていました。「CIAは産業スパイをやらない」というコルビー元長官の、今から見れば「真っ赤な嘘」は、それをヨイショする新藤栄一氏との対談を「エコノミスト」誌に載せるなどして、日本人の警戒心解除に狂奔したのもマスコミです。

それどころか彼等は、逆に「スパイをやってるのは日本人だ」と言い張って、あろうことか「通信システムで他国を盗聴してるのは日本だ(絶句)」。まさに嘘を嘘で塗り固めるの体を地で行く破廉恥行為です。アメリカ政府肝いりの「クリーンカー技術研究計画」「フラットパネルディスプレー構想」のようなコンソーシアムの加盟企業には、CIAなどが日本企業から盗んだ技術を大っぴらに提供しているという事で、まさに「汚い手段」による技術盗品で潤っているのはアメリカ自身なのです。

摩擦最盛期の92年5月、カナダ商銀が報告書で「日本の貿易は公正」と報告しています。事実に対して冷静な「世界の知性」にとっては、アメリカ等の言いがかりの不当さはまさに常識だったのです。ところが、口先で「現時点で日本の市場が閉鎖的だから改善しろ」という論が破綻すると、「昔は閉鎖的だったじゃないか」と、外貨不足に呻吟していた50年代の昔を持ち出して「引けめを感じろ。だったら要求に逆らうな」などと、感情論で正当な論理の押さえ込みを図る・・・。

結局、彼等の反日感情の唯一の根拠は「感情」です。こういうものは反論可能であり、反論しなければならない。実際、表の交渉において、日本側は一応の反論はやっているのです。ところがその反論に対するアメリカの言い分は、ひたすら「アメリカが本気になれば日本なんか潰せるんだ」という脅しと「自分達がそう思っている」と言い張り。不満を振り回すだけの感情論なのです。これがアメリカ側の正当性の無さを如実に物語っています。これでは到底「協議」とは言えません。結局、裏でアメリカの言いなりとなり、「政治判断」で譲歩・・・と、表の交渉での反論など全く無意味であるという・・・これが「従うべき国際社会」と称されているものの実態です。

リビジョニスト達は口先だけで官僚統制を批判していますが、実際にはアメリカの日本叩きは官僚統制による日本企業抑圧を求めるもの以外の何物でもありません。ニューヨークタイムズ92年3月2日の記事では、日本企業を「関東軍」と称し、経済的に活動して消費者に安い品物を届ける行動を「軍事的膨張主義」と同一視する暴論を曝しました。

その暴論の元で日本政府にあからさまな規制を要求し、それをせずに「企業に自由にやらせる」からと日本政府を批判したのが「市場の論理を信奉するグローバルスタンダードの国」とやらの実態です。アメリカ企業の強欲に奉仕する醜い利権圧力を「健全野党」などと称し、「自国企業の行動を十分規制できない日本政府を補強しているのは実は米国だ」と、はしなくもこの「日米政府協同市場規制」の談合を暴露しているではありませんか。

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