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<第5章 もうひとつの「お金」は可能だ!>日本人が知らない 恐るべき真実

第5章 もうひとつの「お金」は可能だ!−目次>>財担保通貨「コンスタンツ」

財担保通貨「コンスタンツ」

<2005.09.23>

ニクソン・ショック(ドルと金との交換停止)がおこなわれた直後の米国で、非常に興味深い実験がおこなわれました。

1972〜73年年、ニューハンプシャー州エクセターでラルフ・ボーソディによって実験された「コンスタンツ」という地域通貨です。

このコンスタンツは「財担保通貨」と呼ばれるものでした。
実際の商品によって裏打ちされていて、必要であれば、それらの物と引き替えることができる通貨です。誰でもが必要とする生活必需品をいくつか選んでバスケット(籠にまとめて物を入れるように、複数の商品、証券を一つにまとめたもの)にし、それで担保した通貨を発行する方式です。その通貨は交換手段として使われると同時に、担保物(実際には、その証券)と引き替えることもできたのでした。

では実際に、それはどのようにおこなわれたのかをみていきましょう。

最初のコンスタンツは1972年6月21日にボーソディが資金を出していた民間団体School of Livingによっておこなわれた会議で発行されました。ボーソディは、あらかじめ二つの銀行に発行するコンスタンツの分だけ預金をし、コンスタンツ保有者が望めば、銀行に特別なコンスタンツ用の口座を持てるようにしました。

コンスタンツの価値は30種類の基本的な財【※1】からなるバスケットに連動していました。
金の代わりに主要な財の平均値と貨幣の価値を連動させようとしたのです。
コンスタンツの保持者は、その商品バスケットの価値に基づいて、いつでも銀行でドルと交換できます。コンスタンツの価値は毎月School of Livingが計算し、銀行に知らせていました。

コンスタンツの保持者は、ドルの価値が下がっている時には、その影響を間逃れることができますし、逆にドルの価値が上がっている時には、コンスタンツをドルに変えれば良いのです。

人口約9000人の町で、この地域通貨はヴェルグルのように地方政府の後押しを持たないにもかかわらず、急速に普及しました。ボーソディは、コンスタンツが商品価格インフレに対して人々の購買力を守る以上の可能性があることに気づき始めていました。もし、企業がドルよりもコンスタンツで価格をつけ始め、銀行がコンスタンツでローンを導入し始めたら、この物価に連動するユニットは徐々に価値が減っているドルよりも信頼を得たかもしれません。

しかしながら既に86歳と高齢になっていたボーソディは、このアイディアが充分機能することを証明できたと考え、約1年でこの実験を終了させました。

【※1】30種類の財 金、銀、鉄、アルミニウム、鉛、銅、ニッケル、錫、亜鉛、石油、小麦、大麦、米、ライ麦、オート麦、大豆、トウモロコシ、ウール、綿、ココア、コーヒー豆、キュプラ、皮、ジュート、ゴム、セメント、硫黄、ピーナッツ、綿の種子、砂糖です。

★column★
日本の地域通貨は、なぜ流通しない−歴史に学ぶ教訓−

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