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ユダヤ人の隆盛を研究する多くの学者たちは困難に突き当たる。彼らのダーウィン主義的な本能が彼らをして、ユダヤ人たちには自らを成功に導く他民族より優れた特質があると推定させたのである。マクドナルドは、ユダヤ人はより高い知性を持っていると結論付けた。それは優生学と注意深い結婚の結果であると。私は、彼の研究を読んだときに自分に誇りを持ってしまったのだが、それも私が隣人たちである実際のユダヤ人を眺め回したときまでだった。彼のコンセプトは現実との付き合わせに耐えるものではなかったのだ。では、より高い知性ではないなら、何だろうか?
ダーウィン主義者の過ちは、成功を一つの社会的な機能として理解することができない点である。伝統的なキリスト教徒の社会では、成功のモデルは、詩人、聖人、芸術家、勇敢な兵士、優秀な労働者や農民、他人のためにより良い生活を送る者、といったものだった。ホーマーの時代のギリシャ人たちにとっては、the feaciansたち【訳注:ホーマーの叙事詩オデュッセイアに登場するパイエケス島の住民】のすばらしいユートピアから学ぶことができるように、優秀なスポーツマン、船乗り、詩人、音楽家とダンサーが成功のモデルであった。この牧歌的な人々は、昔のオックスフォードの陽気な学生のように、貿易商人や資本家を軽蔑し、優秀なヨット乗りを好んだ。
ユダヤ人たちによれば二つの異なった成功の概念がある。一つは、ユダヤ共同体の中での成功なのだが、タルムードの研究によって達成されるものであった。もう一つはユダヤ人とキリスト教徒の大きな世界の中での成功である。この成功は遠慮容赦のないカネと権力の積み上げである。
ユダヤ人の観点から言えば、ユダヤ人たちは常に成功してきたことになる。彼らが二つの種類の成功を持っていたからである。しかし最近まで、ユダヤ人の外的な成功はキリスト教徒たちによっては認められていなかった。常に彼らと同じ観点を分かち合うキリスト教徒たちもいたのだが。しかしそれがリチャード3世(richard iii)とかハルパゴン(harpagon)のレベルにでもなるとそれは成功のモデルというよりは怪物的であると受け取られた。【訳注:リチャード3世は実在の英国国王(在位1483-85)だがシャミールはシェイクスピアの描いた強欲で暴力的な悪党のリチャード3世を言っているようだ。またハルパゴンはモリエールが1668年に書いた戯曲the miser(英語名)に登場する大富豪の高利貸し。】19世紀になって限度を超えた怪物たちの集団が成功を収め、かくして貨幣神信仰の世界が誕生した。議論(メディア+大学)への積極的な参加によって、ユダヤ人の考察者たちと思想家たちは貨幣神信仰的な成功の思想を推進させ、それを西側社会の基準的なものに仕立てた。現代のハルパゴンとリチャードは、アイアコッカ(iacocca)やソロス(soros)かもしれないが、貨幣神信仰の論議取りまとめ役たちによって創られた新しい社会の中で、幅広く成功を収めているのである。マルクスが位置づけたように、西側世界はユダヤ的になり、そしてそれはユダヤ的な成功の考えを採用した。平たい言葉で言うならば、ユダヤ人たちは「成功して」きたのではない。むしろ彼らの通常の行動が成功を表す代名詞となったのである。
もし米国での成功に関する議論がアフロ-アメリカンの手の中に移されるのなら、ひょっとすると、優秀なスポーツマンとミュージシャンが成功した者と見なされるようになるのかもしれない。逆に法律家と銀行から失敗者と見なされるかもしれない。現在の貨幣と権力に対する崇拝に比べると、それは人類の将来にとってより良いことなのだろう。