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米国は何通りものあり方でユダヤ国家になっている。イスラエルと同じセキュリティー・チェックがあり、同じホロコースト博物館があり、同じように多数の貧困者と少数の金持ちがいる。この相似性は同様にその味方と敵によっても感じられる。デイヴィッド・クイン(david quinn)[14]はサンデー・タイムズに次のように書いた。アイルランド知識人が持つ米国の政策に対する拒絶の感情が「あまりに強く、あまりに明白で、あまりに非理性的(!?)であるために、私はアンチ・セミティズム以外の何物をも思い起こすことができないのだ」と。クインは続けて言う。
《米国人たちは、この世界の半分にとっての生贄の山羊としての選択肢となっている点で、ユダヤ人と同様である。ユダヤ人たちは世界の経済をコントロールしていると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは文化と芸術のコントロールを通して退廃を推し進めると非難された。そして米国もそうである。ユダヤ人たちは自分の権力を極悪な使い道に投入すると非難された。そして米国もそうである。》
《米国の力と富、そしてそのユダヤ・ロビーの強さを前提として見た場合、中東で反米と昔からのアンチ・セミティズムを混ぜ合わせて本当に猛毒のスープを作ることは簡単なことだ。何千万人もの人々がこの調合物を飲んで、そして今、ワイマール共和国の多くのドイツ人たちと同様に米国への憎しみに満たされているのだ。》
《オサマ・ビン・ラディンとその支持者たちはその理論的な帰結としてその嫌悪感に従った。ヒトラーが次のように語ったのと同様である。もし米国が本当に世界の問題に責任があるのなら、米国とその国民は根絶されなければならない、と。》
この記事は重要である。これがユダヤ-アメリカ主義(judeo-americanism)が染み込んだ者の深層意識を表明しているからである。クインはユダヤ人とネオ-ユダヤ人(neo-jews)にアピールしている。米国を支持せよ。米国が、ユダヤの政策を実行して正常な反ユダヤ的(anti- jewish)反応を引き起こす、ユダヤ国家だからである、と。クインはユダヤ人とアメリカが同一のものであることを認めており、そして彼は新ユダヤ人プロパガンダの常套句を数多く使用する。
それらの常套句の一つは、ユダヤ/アメリカの政策に対する拒絶が「非理性的(irrational)」だ、というものである。次のような信仰の教義があるからだ。『汝、何故に己らの政策の拒絶を生ぜしむるか理解せんと努むるなかれ。ホロコースト教(holocaustism)の預言者であるエリー・ウィーゼル(elie wiesel)はあらゆる機会に次のように繰り返す。「全く非理性的だ・・・何の説明もつかない・・・何の理由も無い・・・、ただユダヤ人に対するあらゆる人々の純然たる嫌悪があるのみだ」と。そしてラビ・トニィ・ベイフィールド(tony bayfield)が、変わらぬユダヤの熱心さでその意を繰り返す。[15]
《私は、そのような行為(ペンタゴンに対する攻撃など)がある意味で正当化できることはもとより理解さえできることだ、などと抜かすようなヤツラに対する激怒で、はらわたが煮えくり返っている》と。』
私はラビ・ベイフィールドを個人的には知らないが、敢えて荒っぽい推察をしよう。もしあなたが彼にデイル・ヤシンを説明したならば、あるいはイラクでの大量殺戮でもよいが、彼は次のように激怒ではらわたを煮えくり返らせるだろう。どうしてそれらと比較できるというのか!と。彼は、それらの大量殺人は正当化できはっきり理解できることはもちろんである、と見なすだろう。だがユダヤ人が苦しむときは常に、何かの神話的な手段によって以外には、説明も理解もできないのである。
クインは、あらゆる新ユダヤの弁護人同様、否定不可能なことを否定する。彼にとっては。米国は世界の経済をコントロールしていないのだ。この国がそれで非難されているからである。たぶん、米国は北米大陸の大きな部分を占領していることだけで非難されるのだろう。クインのイメージの中で、それは小さな居留区の貧しい家にでも住んでいるのだろう。私はデイヴィッド・クインの出自を知らないが、しかし彼ほどにユダヤ的な人間は誰もいるはずがない。
クインにとっては、ユダヤの優越性/アメリカの支配に敵対する者は、誰であろうがユダヤ人/アメリカ人を殺そうとする新たなヒトラーなのだ。ナセルはスエズを国有化したときにヒトラーだった。アラファトはヒトラーでありベイルートはその隠れ家だった。ソヴィエト・ロシアは、モスクワがヒトラーを打ち倒す役割を果した瞬間以来、ナチス・ドイツと同様のものだった。オサマ・ビン・ラディン、あるいは「何千万人もの中東の人々」は新しいヒトラーとなった。この比較の背後にある思想は、それらの「何千万人もの」イスラム教徒たちがヒトラーとその「ワイマール共和国の多くのドイツ人」同様に取り扱われるべきである、というものである。
ユダヤ-アメリカの論調はそのユダヤ人の先輩たちからこの悪魔化のアイデアを引き継いだ。敵対者に対する議論の中に激憤と憎しみと満ち満ちた復讐心を導入することは、強力で伝統的なユダヤの思想的武器である。それは共同体の中では決してスイッチを入れられることがなく、その外側に対して使用される。悪魔化と激憤は幅広い不快感と論調の偏向を引き起こし、そして結果として社会を破壊する。オックスフォード大学でチャバッド・ラビを務めたラビ・シュムエル・ボテアック(shmuel boteach)は、このユダヤ人のやり方を、彼の作品中の「嫌悪すべき時(a time to hate)」という項目で次のように紹介した。
《米国に対する恐ろしい攻撃をしでかした卑劣な野蛮人どもに対する適切な返答は、我々の存在のすべてをかけて彼らを憎み、彼らの動機を理解しようとするかもしれないあらゆる同調のカケラからも我々自身を引き離すことである。憎しみこそが価値のある感情である・・・。キリスト教は殴りかかる相手にもう片方の頬を向け憎むべき者を愛せよと勧めるものだが、それとは対称的に、ユダヤ教は我々に全力をあげて憎むべき敵をさげすみ抵抗することを義務付けている。我々にとって、信仰の名の下に〈罪人〉に対して許しと共感を広げることは、危険な罠であるばかりでなくg-dを嘲る行為である。g-dは全員に憐みをかけるのだが、無実の者にとっての正義を要求している。ヒトラーに対する唯一の返答は心底からの軽蔑と激しい嫌悪である。手に負えない邪悪さに対して対応する唯一の方法は、それが地上から完全に根こそぎにされるまで続く絶え間の無い戦いを起こすことである。私は、ヒトラーとその同類を嫌悪しないどのような文化も同情には値しないものであると主張する。実際に、殺人者に対して親切心を示すことは犠牲者に繰り返し暴行を加えることである。したがって正義のためには、邪悪な人間に対する適切な対応とは、その人物を我々の全存在をかけて憎み、この世においても次の世においても彼らが何の安息も得ないことを望む、ということである。》
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[14] blaming america, irish edition, sunday times
[15] guardian, 14 september, 2001