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米国:あるユダヤ国家

【 V 】

米国の満ち満ちた復讐心を米国のユダヤ(jewry)のせいにするのは間違っているだろう。米国はそこに住むユダヤ人にとって特別なものであり、キリスト教徒たちは取りとめも無くまとまった「ユダヤ-キリスト教徒(judeo-christians)」、もっと正確に言えば「ユダヤ-アメリカ人(judeo-americans)」なのだ。彼らの大部分がキリストの精神をほとんど全くと言って良いほど持っていないからである。カール・マルクスはこのように言った。《キリスト教世界を覆うユダヤ精神の実質的支配は、北アメリカで二律背反的ではない完全な実現を成し遂げている。》

多くの米国の公的な人士たちは、ユダヤ人も非ユダヤ人も、復讐を叫んでいる。

【訳注:この文章は9・11事変の直後に書かれた。】

《このような連中に対する取り扱いを始めるためのたった一つの方法がある。それは、たとえ直接に即座にはそのことに関わっていないとしても、その中の一部を殺さねばならない、ということなのだ。》[2]

これは元国務長官のローレンス・イーグルバーガー(lawrence eagleburger)の言葉である。彼はドイツに対する要求(毎年30万ドル)のためのユダヤ人組織を率いている。

《この想像を絶する21世紀のパール・ハーバーに対する返答は、それが即断できるほどに単純であるべきだ。クズ野郎どもを殺せ、である。両目の間に銃弾をぶち込み、やつらを木っ端微塵に吹き飛ばし、必要なら毒殺する。これらの虫ケラどもを飼っている都市や国については、それらを爆撃してバスケット・ボール・コートの大きさにバラバラにしてしまうこと。》

こう語ったのはニューヨーク・ポスト紙のスティーヴ・ドンリーヴィー(steve donleavy)である[3]。リッチ・ロウリー(rich lowry)はワシントン・ポスト紙に書いた。

《もし我々がダマスカスやテヘランの一部を平らにしてしまうなら、何かそのようなことなら何でもよいのだが、それは解決の一部分である[4]。》

最も引用のしがいがあるのはアン・コウルター(ann coulter)のものだろう。彼女はワールド・ジューイッシュ・レビューの人気の高い著者であった。

《この特別なテロ攻撃で直接に関与する正確な個々人の居所を完璧に突き止めているようなときではない。・・・。我々は彼らの国に侵攻し、そのリーダーを殺し、そして彼らをキリスト教徒に(!?)改宗させるべきだ。我々はヒトラーやその高官たちでさえ居所を突き止めて罰することに完璧さを求めてはいなかった。我々はドイツの都市を絨毯爆撃した。我々は民間人を殺した。あれは戦争だったのだ。そしてこれも戦争なのだ。》

【訳注:コウルターは、ドレスデンなどのドイツの都市を空爆によって廃墟にしたのが「我々」つまりユダヤ人であったことを、うかつにも認めている。】

この記事を書いたあと、彼女は正しくもその新聞社をクビになり、そしてネオコンのユダヤ雑誌commentaryに席を置いている。

米国の新聞に見えるこの復讐心に満ちた精神は、西側の論説の中では常軌を逸脱している。もしあなたがキリスト教やイスラム教の地にある文学を綿密に調べたなら、あなたは復讐が重要な本の主題としてはまれであることに気付くかもしれない。ニコライ・ゴーゴリ(nikolai gogol)は「恐るべき復讐」と呼ばれる中世風の短編を書き、プロスペル・メリメ(prosper merimee)はコルシカの盗賊に関する「コロンバ」という短編小説を書いた。お好きなように。英国人たちは復讐というものを非常に非英国的な傾向と見なした。確かにそれはクリケットとは違う。「復讐心に満ちた」というのは、あらゆるキリスト教やイスラム教の文化の中では否定的な言葉なのだ。対称的に、ユダヤ教の文化は復讐の観念で充満している。旧約聖書から真っ直ぐつながっているからである。それは新約聖書やコーランによる補正のためのフィルターを通さないのである。

我々ユダヤ人が誰よりもよくそれを知っている。輝かしい米国ユダヤ人のジャーナリストであるジョン・サック(john sack)はその「目には目を」の中でこれを記した。この本は、第2次世界大戦の後でドイツの一般市民に対して行われたユダヤ人の恐ろしい復讐に関する背筋の凍るような本である。この本は、拷問、「法の外での殺人」、集団毒殺、その他のホラーを告げているのだ。あなたはこの本を手にできないかもしれない。ユダヤ人支配者がその出版を抑え本屋から締め出すことに成功したからだ。

驚くようなことではないが、イスラエルは日常の政策の中に復讐を導入している。パレスチナに対するイスラエルの攻撃は peulot tagmulと、つまり復讐の行動と呼ばれた。これらの行動の一つが、(後に首相となる)アリエル・シャロン将軍によって1953年10月14日に遂行された。その時に彼とその兵士たちはおよそ60名の農民、女性、子供をギビヤの村で殺害したのだ。1982年のレバノン侵攻は、そこで2万人ものレバノン人、パレスチナ人、キリスト教徒とイスラム教徒を殺したのだが、それはロンドンのイスラエル大使に対する殺害の試みに対する復讐の行動だったのである。最近のインティファーダの期間に、イスラエル・テロのあらゆる行動は、イスラエルと米国のユダヤ人所有(jewish-owned)のメディアによって、「報復」あるいは「仕返し」と呼ばれた。

【訳注:1953年のギビア村での虐殺に関しては次の文章を参照のこと。

http://nilemedia.com/columnists/ahmed/2001/may/nailing_sharon.html】
※現在リンク先なし

このユダヤ人の復讐熱は厳しい大西洋の渡航にも生き抜いた。米国ユダヤ人はハリウッドを創出した。そしてハリウッドは復讐をそのメイン・テーマにしたのである。最近の「三銃士」のアメリカ再映画化では、ダルタニャンは復讐の精神で動かされている。そんなモチーフが原作やフランス映画ではほとんど表れないにも関わらずである。実際には、レイディー・ウインターの息子であるモードレッドは悪いやつで、彼が復讐の夢をあたためているのである。しかし新しいアメリカ映画にとっては、それはユダヤ系米国人によって作られたものだが、復讐は正当な感覚なのである。ある意味ではアメリカ映画はユダヤ人の集団的深層意識の表現であって、そしてそれがアメリカ的心理の創造における主要なファクターだったのだ。ハリウッドから、復讐に満ちた精神が地球の上にあふれ出た。そして間違いなく我々が今住んでいる世界を作り上げる補助となったのである。

言い換えると、ユダヤの陰謀など何の必要もなかったのである。トライヤー・ラビ(trier rabbi)の孫であり、自身は教会の中で育ったカール・マルクスは、1840年代(!)には、米国が(人種的な意味でユダヤ人が一人でもいたのかどうか)「ユダヤ的」精神を持つ国になっていたことに、そして貪欲と不和の「ユダヤ的(jewish)」イデオロギーを抱いていたことに気付いた。マルクスの弟子であるワーナー・ソンバート(werner sombart)は米国のユダヤ精神に関して類似の結論に達した。彼の意見によると米国はユダヤ人とともに育ちそのごく初期からユダヤ人に作られていたのだが。比較的未熟な米国はユダヤのメンタリティーの衝撃に耐えることができず、そしてユダヤ国家(jewish state)、イスラエルの姉となったのである。

このことは米国ユダヤ人の成功を説明する。「ユダヤ」国家で本物のユダヤ人がより成功しやすいことはまさに当然と言える。その突然の栄光と豊かさへの上昇を、のぼせ上がりと自画自賛の原因とすべきではない。他に求めるべきだ。偉大な米国の哲学者インマニュエル・ウォーラースタイン(immanuel wallerstein)の論理に沿うならば次のように言える。今の時代において物質的な成功は道徳的な欠損の印である。「成功」と富は神の恵みの印ではないのだ。いずれにせよ、貧乏人を祝福する神のものではない。泥棒の集団で成功する人間は神の目にかなうことはない。飢え死にしつつある何百万人もの人々と恵まれすぎる少数者のいる我々の世界は、不道徳的であり反キリスト教的である。ユダヤ-アメリカの「十字軍」と同じくらいに反キリスト教的である。

この説明によって先に我々が掲げた疑問に答えることができる。米国のイスラエル支持は、イスラエル・ロビーのためなのだろうか、あるいは「米国企業の真の利益」のためであろうか? ドンピシャリの答はこうだ。ユダヤ・ロビーはイスラエル右翼の支持基盤が外にあふれ出たものであり、一方で米国は、結局は中東の外にも利害関係を持つより大きな「ユダヤの」国家なのである。

この仮定は多くの疑問を説明し尽くす。それはイスラエル支持が驚くべき99%という投票結果であることを説明する。それはホロコースト博物館、ホロコースト研究、およびホロコースト映画を説明する。それは米国の生活でユダヤ人が中心になっていることを説明する。現在の米国は世界的な出来事を伝統的なユダヤの位置から見ているようにである。「それはユダヤ人にとって良いことなのか?」と。

それはダーバンでの米国の退場を説明する。G.W.ブッシュは欧州や日本との軋轢など気にもかけずに京都条約を無視した。彼はその戦略兵器条約を破棄する一元的な決定でロシアと中国を困らせることに何の遠慮もしなかった。しかしここで彼は彼の主人の声を聞いたのである。アフリカとアジアへの激しい拒否、アフロ・アメリカン社会への侮辱的な拒絶、人種主義に対する偉大な戦いの拒否は、米国がイスラエルの姉妹国家となっているさらなる証拠である。

【訳注:これは当然のことながら、2001年9月、9・11直前に南アフリカのダーバンで開かれた世界人種差別撤廃会議で米国とイスラエルが途中退場したことに関するものである。

参照:http://www.imadr.org/japan/interview/wcar.international-news1.html
ダーバン世界会議をめぐるニュース(日本語)】※現在リンク先なし

最近になって、ウラジミール・プーチン大統領は、ニューズウイークとのインタビューで、チェチェン人に対する攻撃を正当化しようとした[5]。彼は、チェチェンの指導者が「ユダヤ人の絶滅をおおっぴらに呼びかけた」と語って、アンチ・セミット(anti-semite)の隊列に対する彼の戦いへの批判を追い払ったのである。現在、チェチェンにはユダヤ人はいない。そしてもしアンチ・セミティズム(anti-semitism)が本来の意味の「反ユダヤ的(anti-jewish)偏見や人種主義」を保つものであるとしたら、チェチェン人指導者のユダヤ人に対する見解は不適切である。我々が他の所で議論したように[6]、もはやこのような形ではアンチ・セミティズムは存在していない。しかし今やその言葉は新しい意味合いを持っている。それはマッカーシー時代の「反アメリカ主義」に、あるいはブレジネフのソ連での「反ソヴィエト」に相当するものになってきたのだ。

米国人たちはユダヤ人に対する忠誠心を問われていると感じるときにはいつでも緊張し縮こまる。米国であろうがどこであろうが、新しい米国のパラダイムを拒否する者は、誰であろうが定義どおりのアンチ・セミットなのだ。これが、ユダヤ起源の善良な者達――ノーム・チョムスキーでもウッディ・アレンでも、聖パウロでもカール・マルクスでも――「アンチ・セミティズム」と呼ばれる理由なのだ。彼らはいつもユダヤ人社会から拒絶される。しかし彼らの名前は彼らが攻撃した構造を守るために利用されるのだ。

ユダヤ人社会に対する攻撃を人種主義の一形態と見なすことはできない。通常の人種主義は極めて簡単に許されるからだ。もしそれがアラブ人(ユダヤ人の新しい敵)や黒人(ユダヤ人の旧敵)に対して向けられるものならば特にそうである。それは「不敬罪」として取り扱われるのである。ソヴィエト連邦でユダヤ人の権力が上昇した時期(1917〜1937)には、人々は反ユダヤ主義の非難を受けると銃殺された。ストラスブールのマンフレッド・ストリッカー(manfred stricker)はその地の大学をシュヴァイツァー博士にちなんで名前を付けるキャンペーンを行ったが、その一方でユダヤ人社会はその都市とほとんど縁の無いユダヤ人学者の名前を好んだ。結果として、マンフレッド・ストリッカーは6ヶ月の懲役刑に処せられたのだ。アレキサンダー・キャンセラー(alexander chancellor)はガーディアンに(“it is not black and white”という見出しをつける約束で)オランダの右翼主義者の殺人について書いた。そう、彼はイスラム教徒たちの敵だったが、彼はユダヤ人たちとはうまくやっていた。そしてそれゆえに彼は悪いやつではなかったのである。

ハーヴァードやエモリィなどのアイヴィー・リーグの大学で学生に語ったときに、私は、彼らが「アーノルド・トインビー(arnold toynbee)」の名を知らないことに気が付いた。この英国最大の20世紀の歴史哲学者は一つの間違いをしでかしたのだ。彼はパレスチナ人の悲劇について語ったのである。彼はまたアフリカ人の奴隷をユダヤ人のホロコーストに匹敵する悲劇として引用した。結局、彼は米国人の意識から消され姿を消した。G.K.チェスタートン(chesterton)によって書かれたノンフィクションを米国や英国の本屋で探すことは決して不可能というわけでもない。この素晴らしいエッセイストは書店でほとんど存在しない「キリスト教部門」であると見なされ、彼の数少ない再版本が「悪い教皇」と「ラビ・イエス」の間に挟まれている。

この言論界における影響は、米国の(そして欧州の)知識人の従順さを説明している。ユダヤ-アメリカ国家の中で、ユダヤ人たちはその「教会」を、その思想的な支配体制を形作る。一人の知識人にとって、アンチ・セミットと呼ばれるよりは小児性愛者と呼ばれる方がまだましなのだ。

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【脚注:注釈箇所についての著者からの補足】

[2] cnn, 9/11/01

[3] 9/12/01

[4] --rich lowry, national review editor, to howard kurtz (washington post, 9/13/01)
http://nilemedia.com/columnists/ahmed/2001/may/nailing_sharon.html
nailing sharon for qibya will bring peace by ahmed amr 5/31/2001

[5] 2.7.01

[6] the third dove

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