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HOME>>資料室 TOP>>猶太と世界戰爭 目次>>V 猶 太 鏡【一、シュルハン・アルフ「用意の出來た食卓」】

猶太と世界戰爭
V 猶 太 鏡

一、シュルハン・アルフ(Schulchan aruch)
「用意の出來た食卓」

第一卷 生存の途
厠に行かば、祝祷を唱ふべし、坐するまで衣を脱ぐべからず。石片或は木片にて〇〇を探り刺激すべし。但し之は坐する前に行ふべし。然らずば妖術にかかる恐れあるべし。東西の間にて排便をなすべからず。但し排尿は東西の間にてなすも差支へなし。東區の間にて××をなすべからず。野原の垣の蔭にて排尿するはよろし。急きて坐し或はりきむことなかれ。〇〇を右手にて淨め、或は陶器片にて淨むべからず。立ちて放尿すべからず。ォに注ぐことなからんためなり。排尿の際〇〇の下部以外に觸るべからず。〇〇の無益に失はるることなき爲なり。排尿に際し××を以て助くるも差支へなし。厠に行く事を我慢する者は誠を侮れるなり。
次の人々は手を洗ふべきなり。即ち、床より起上りし者、厠或は浴室より出で來りし者、爪を切りし者、髮を刈りし者、靴を履きし者、身體に止れる蟲に觸れ或は衣服の蟲を除ける者、頭髮を櫛けづる者、身體の通常蔽れたる個所に觸れし者、墓所より出で來りし者、死者と同じ屋根の下に在りし者、瀉血療法を受けし者等これなり。かかる事を爲して手を洗はざる者は、彼若し學者ならば學びし事を忘るべし。もし學者ならずば狂氣てなるべし。瀉血法を受けて手を洗はざる者は、七日間絶えず恐怖に襲はるべし。髮を苅りし後は三日間、爪を切りし後は一日間かくなるべし。顏を洗ひてよく乾かさざる者は、顏の皮膚に疥癬を生ずべし。
厠より出で來りし時は次の祝祷を唱ふべし。「人間に知慧を與へまた孔を與へて創造せる神を讚へまつる」と。
朝早く總附祷衣を着たる後は經筒を持つべし。この經筒は「汝聽け」の祈及び朝祷を唱ふる間携ふべし。經筒は羊皮紙の袋に入れ、この袋には次の聖句を記すべし。即ち、出埃及記一三の二と一〇、出埃及記一三の一一と一六、申命記六の四と九、申命記一一の一三と二一。經筒を携ふる事を守らば、その報は大なるべし。之を守らざる者は罪あるイスラエル人なり。經筒は本來終日携ふべきなれど、かくなすには上よりも下よりも風氣の氣味無き淨き身體なるを要す。總(Zizith)なる語はその字母の現はす數に從ひ數ふれば六百となる。之に總の絲の數と結び目の數五を加ふれば六百十三となり、トーラ(舊約聖書の最初の五卷)の誡律禁令の全數に等し。
早朝唱ふべき祝祷は、今日に於ては(猶太)教會堂に於て唱ふ。總べてのイスラエル人は日々少なくとも百六の祝祷を唱へざるべからず。曾てダビデ王の治世に日々百人のイスラエル人死したるも、人その原因を知らざりき。終にダヒデ、聖靈の御告により、總べてのイスラエル人は日々百の讚祷を唱ふべき事を知りたり。また總べてのイスラエル人は日々次の如き祷句を唱ふべし、「永遠者にして吾等の神なる萬物の主よ、汝吾等を非猶太人として創り給はず、奴隸として創り給はず、女とても創り給はざりしにより、吾等汝を讚へ奉る」と。 然れども「汝は吾等を猶太人として創り給ひしにより」と附け加ふべからず。その故は、曾てタルムード學者等或大集會に於て、人間の創造せられしはよき事なりや否やを議し、人間は創られざりし方更によかりしならんと決議したればなり。その理由は、人間には總べての掟を守る事不可能なるのみならず、罰を免るることもまた不可能なればなり。 祈祷する際には人糞より四エレルを隔てざるべからず。祈祷する人惡臭を出だせる時は、臭氣消え去るまで祈祷又は學習を續くべからず。隣人の時も同樣なり。便器は厠の如く見做すべし。女の身體の通常蔽れたる個所にして拳の幅程も露出せる時は、裸體と見做すべし。また女の歌聲も同樣と見做すべし。 カヂス祷。之は猶太人の甚だ尊重するところの祈祷なり。之を唱ふる際には兩足を一つの足の外見を呈する如く揃へざるべからず。「聖にして尊く榮光に滿てる」の句を唱ふる時、身體と踵を高く擧ぐるなり。この祈祷はカルデア語にて唱へらる。その故は、タルムードに教ふる如く、イスラエル人その始唱者の言葉に應じて、「その大なる御名はほむべきかな」と答ふる度毎に、主なる神は頭を動かして言はん、「その父の卓より追はれたる子等は禍なるかな。人々の崇むる父は、その子を卓より追拂ひし者にて、禍なるかな、」と。天使かくの如く神の悲しめるを見る時は、彼等吾等に不利なる事を言ふべし。故にこの祈祷はカルデア語にて唱へざるべからず。天使はカルデア語を解する事能はざればなり。
十人(猶太人)一所に集り、カヂス祷を唱ふる同は、彼等以外の者もアーメンを和唱するを得。但し多くの人々の主録によれば、糞或はアクム(譯註、非猶太人)兩者を隔てざるを要すと言ふ。
高き處に於て、又床の中、或は椅子腰掛の上に立ちて祈るべからず。但し職人等はかくなすもよし。・・祈祷は教會堂に於て會衆と共に行ふべし・・會堂内にて唾を吐くも差支へなし。但し唾は足にて踏み消すべし。・・若し虱に刺されし時は、之を手にて捕ふる事なく、衣にて捕へて棄去るべし。・・君侯と禮儀に適へる應酬を爲し得ざる程の酩酊者は祈祷を爲すべからず。もし爲さば、その祈祷は忌むべき行にして、酒氣の去れる後改めて祈らざるべからず。誰にても強き酒四分一マースを一息に飮める者は、酒氣の去るまで祈るべからず。
或人祈祷中に、十字架或は類似の物を手に抑へたる非猶太人と行會へる時は、祈祷文中の身を屈むべき箇所に至るとも身を屈する勿れ。
總べての祭司は(その資格ある場合には)始唱者がu祭司」なる呼聲にて促せる時は、直ちに民を祝福せざるべからず。之を爲さざるは、掟を守らざるなり。祭司は會衆を祝福するに、靴下を履くとも靴は履くべからず。又あらかじめレビ族の者をして手を洗はしむべし。祭司四分の一マースの酒を一息に飮める時は、會衆を祝福すべからず。 祭司の娘アクム(非猶太人)教に改宗し、或は〇〇を行へる時は、人々此の祭司を敬ふの要なし。娘その父の神聖を汚したればなり。 或人夢を見てその意を知らざる時は、祭司會衆を祝福する時、その前に進み出づるべし。 猶太會堂は町の最も高き場所に建てられ、町内の他の總べての建物より高かるべし。・・會堂に於ける祈祷終らば其處より學舍に行け。學舍に行きし後業務に就くべし。非猶太人と合資仲間となるなかれ。或教法師は之を差支へなしとす。いづれよにせよ、非猶太人の祝祭日以外には彼等と商取引を爲すは差支へなし。
食前に手を洗ふべしとの掟は嚴しく守るべし。之を怠る者は追放刑に處せられ、貧困に陷り、此の世より除かるべし。 食事中に話す事勿れ。(窒息することあればなり。)食事中に怒るべからず。人の盃に殘せしものを飮む勿れ。教養なき世人と食卓を共にするは學者に相應しからぬことなり。アクム(非猶太人)の家を見たる者は、(箴言一五ノ二十五)「主は高ぶれる者の家を倒し給はん」と言ふべし。 此處に〇〇器官に就き教へて曰く、人それを飢ゑしめなば、そは充ち足りてあるべし。人それを充たしむれば、そは飢ゑるなり。即ち滿足せしむれば愈々多く求むるなり。未だ滿一歳に充たざる幼兒の眠れる床にある女と××をなさば、その幼兒痙攣を起すべし。然れども幼兒寢臺の後部に眠れる時、又は人その手を幼兒の上に置かば、幼兒は害を受けざるべし。
總べてイスラエル人は、己が生計を立つる爲に他人の扶助を要する者といへども、安息日を尊びてこの日には他の日よりよき飮食をなすべきものにして、一週間の間その爲に節約し貯ふべきなり。安息日及び他の祭日には小麥粉の特別なるパンを燒くを習慣とす。マナは、詰物せるパイの如く、上下より、即ち下は土にて上は露にて蔽はれてありしなり。安息日には非猶太人の燒きたるパンを食すべからず。 非猶太人に公衆浴場を貸すべからず。安息日の前夜に器物又は工具を非猶太人に貸すは差支へなし。然れども牛を貸すべからず。安息日には牛も休むべしと(猶太人に)命じられたる故なり。たとひ非猶太人、安息日には牛を休ましむべしと約束すとも、貸すべからず。非猶太人は信ずべからざる者なればなり。安息日の前夜に船に乘るとも誡律遵奉上差支へなし。但し安息日には航行せずとの表面上の契約を船頭と結ぶべし。安息日の前夜は七パルサ(二千八百歩)以上行くべからず。時刻迄に歸り來るを得んがためなり。金曜日(の晝)には通常以上の食事をなすべからず。婚約の宴もなすべからず。これ安息日に食慾盛ならんがためなり。特に敬虔なる人々は、金曜日に斷食するを習とす。これ安息日に食慾更に盛ならんためなり。安息日には音響を生ずるが如き事を爲すべからず。從つて樂器も奏すべからざるなり。 或人旅路にありて、既に安息日となれるに、金錢を携へ居り。また驢馬と非猶太人を伴へる時は、驢馬に金を積むことなく、安息日の間は之を非猶太人に積み移すべし。安息日に於ける驢馬の休息は命じられたるところなれども、非猶太人の休息に就きては命ぜらるる無き故なり。
猶太會堂より出でて家に歸れる時は、直ちに食事をなすべし。女もまた安息日を守る義務あり。カヂス祷を唱ふる前には飮食すべからず。酒を容れたる盃はよく滿たし置くべし。家人は各々この酒より充分一口宛飮まざるべからず。
××は安息日の快樂に屬す。故に學者は身體健かなる時は、安息日毎にその〇と××すべし。安息日には婚約せる〇〇と××するもよく、その際傷害又は苦痛に關しては之を顧慮するの要無し。
前夜に惡しき夢を見たる時は安息日に斷食するもよし。これ天に記されたる罪罰の書を破り去らんがためなり。
安息日には多くの果物、高價なる食物、珍味、香料を食はん事を努むべし。これ多くの祝祷を唱ふる事を得んためと、また出來得べくんば、その數百に充たんが爲なり。一週の間常に學ぶを事とせる學者は、安息日には一層盛に飮食をなすべし。
安息日にも第三の食事を爲すべく努むべし。腹滿ち居る時と謂へども卵一個位は食すべきなり。然して後は晩祷の時まで何物も食すべからず。たとひ水なりとも攝るべからず。この時刻に背神者の靈は地獄に歸り行き、その安息日に再び出で來るものなるが故なり。
猶太會堂に於ては(酒を祝福する際)豫言者エリヤフを囘想し、彼の來りて救濟を告げ知らせん事を祈るを習慣とす。即ちエリヤフは安息日以外の週日にのみ來るべし。安息日及び祭日には規定の範圍二千エルレより遠くに歩み出づるべからざる故なり。
安息日には走るべからず。大股に歩むべからず。何物も手に持つべからず。女は身に飾を附すべからず。
女は安息日に化粧をなすべからず。又よき顏色を得んがためなりとも、櫛にて顏を擦でるべからず。又髮を櫛けづり、編むことをなすべからず。これ拔毛の恐れあればなり。但し髮を分けることは、手にてなす時は、差支へなし。
安息日にも牛を外出せしむることを得。然れとも積荷無きを要す。牛と謂へども安息日に働くを許されざる故なり。
安息日に齒痛起りたる時は、非猶太人の手に依りてのみ拔齒を許さる。苦痛を感ずる場合には、週日に於ては凡て藥を用ふるを得れど、安息日には指を咽喉に差入れて嘔吐する方法以外の治療を許さるることなし。
生命に危險ある時、安息日を汚すも差支へなし。例へば近隣に火災起りたる時の如きこれなり。生命の危險を見るに、多數を標準とすべからず。例へば一つの屋敷内に九人の非猶太人と一人の猶太人ありとせんに、その中の一人朽ちたる他の家に行き、その家彼の上に崩れ落ちたりとせんに、遭難者が猶太人なるか非猶太人なるか不明なる時は、直ちに碎屑を除き、出來得べくんば彼を救うべし。然れども若し彼等十人共に最初の屋敷より出行き、彼等の中の一人のみ或る屋敷に赴きて倒壞家屋の爲埋められし時は、それが非猶太人のうちの一人なる時は、安息日に此の倒れし家屋を片附ける事勿れ。 猶太人の乘れる船が難船して洋上に漂へるを見る時、洪水にて猶太人の危險に在るを見る時、猶太人の非猶太人に迫害さるるを見る時は、必ず安息日を破り、隣人(猶太人)を救出せざるべからす。
出産に臨める女の爲に(仕事に依つて)安息日を破るを得。非猶太女に對しては安息日に一切の助産をなすべからず。
境界の抹殺・・これに依つて或場所より他所へ物を運ぶことが許容されるのであるが・・の方法は次の如くにして可能なり。即ち、安息日には二千エレルを限り歩むを許されるが故に、もし猶太にして二千エルレ以上を行かんと欲せば、安息日の來らざる金曜日の内に二千エルレの終の地點に一塊のパンと一片の煮たる若くは、燒きたる肉を適宜に置き、祝祷を唱へよ。然る時は翌日その場所より更に二〇〇〇エルレ行くことを許さる。彼處にて彼若くは彼の仲間は備へ置けるパン或は肉を食すべし。然して彼若くは彼の仲間、上述の儀式を更に續くることを得。
安息日に火災起これる時は、三度の食事に充分なる食物を携へ出すことを得れど、そはかの「境界の抹殺」の方法に從つて之を運ぶことを得る場合に限らる。
安息日にも祭日にも寡婦と××すべからず。
天使に就き教へて曰く、安息日には各々猶太會堂より出づるや、二人の天使彼の身近にあり。一人は善き天使にして一人は惡しき天使なり。猶太人大いなる敬虔を以てカヂス祷を唱ふれば、天使達彼と共に家に行き、彼の頭に手をのせ、「汝の惡はのぞかれ、汝の罪は淨められたり」と言はん。或人は此の二人の天使を安息日の夜を司る二つの星座、即ち蠍と火星なりと考ふ。
安息日の終りには香料を嗅ぐべし。安息日には、惡しき魂地獄より連行され、地獄の惡しき臭氣擴ぐる故なり。カバラ派(猶太密教派)の主張に依れは、安息日には總べてのイスラエル人は飮食の欲求の盛なるため、更に他の一の靈魂の賦與さるとのことなり。
月始めの日に平生よりもよき食物を攝る事は神旨に適ふなり。
新月の日には斷食すべからず。
新月の日の爲に特別の祈祷定められあり。新月の日の祈祷文の「新月を再び與へ給ふ主を讚へまつる、汝のつくりし創造主をほめまつる、汝の創造主をほめ奉る」を唱ふる時は、猶太人は兩足を揃へて三度踏び上り、次の如く祈祷を續く、「イスラエルの仇に恐と怖とのあらんことを、汝の強き腕の中にて彼等の石の如く動く能はずなり、また彼等石の如く默せん事を」と。
踰越節の前日は午前十時以後酵母を入れたる物を食すべからず。踰越節に骨牌遊びをなすべからず。骨牌は澱粉にて粘着せるものなれば、その幾分にても食物の中に落つる恐れある故なり。總べての猶太人男女が假令少年少女なりとも踰越節に飮むべき四杯の酒は、定まれる方式に從ひ飮むべきなり。然らざる時は義務は果されざるものとす。赤き酒を飮むはよき事なり。然れども非猶太人、猶太人に不利なる種々の惡しき噂を爲す故に近年は赤き酒を飮まざるなり。「汝を拜せざる民と汝の名を呼ばざる國々の上に汝の怒を注ぎ給へ」との詩篇の聖句を唱ふる時は、戸を開きて唱ふべし。・・そは埃及に於ける徹夜の夜を記念せんが爲なり。メシヤ來りてゴイ(非猶太人)の上に怒を注ぐ時まで、恐るることなく戸を開きおくを得べし。終りに「來年はエルサレムに於て」と言ひて互に挨拶をなせ。次に三つの歌を唱し、その第一の中にては神を呼びて、「猶太人の神よ」と言ふべし。・・踰越節の夜徹宵寢ねずしてトーラを學ぶ者は、その後一年間は生を享くるべく、まス不幸にも遇ふことなきを保證さる。
猶太人は、所謂半祭日にも働くべからず。但し非猶太人に利子を取りて金を貸すは差支へなし。必要なき限り手紙を書くべからず。必要ある場合と謂へども第一行を斜に書くべし。非猶太人により包圍されたる町の住民は斷食すべからず。力を失はざらんためなり。惡靈に憑かれたる人間も同樣なり。
十月の第八日には斷食すべきなり。この日には王タルメイ(プトレマイオス)猶太人を強ひて聖書を希臘語に翻譯せしめたればなり。 (Kol Nidreなる祈祷はカルデア語にて書かれ、次の如し) 「この贖罪節より來るべき贖罪節までに吾等が心に誓約し、誓言し、追放し、結合する總べての誓約・結合・誓言・追放・剥脱・處刑・節制に對し、吾等は此處に豫め悔いるものなり。故にそれらは赦され、改められ、止められ、取消され、破毀されて無效となり、存立せざるべし。即ち吾等の誓約は誓約ならず、吾等の約束は約束ならず、吾等の誓は誓ならざれ。」 (ブリムの祭は十二月の第十三日に行はる。エステルにより猶太人の自由を得しを記念する爲にして、此の日猶太會堂にてはエステルの物語、即ちエステル書を讀むなり。この祭に於てはかく言ふべし。)「ハマンは呪はれよ、モルデカイに祝福あれ。ゼレシ(ハマンの妻)は呪はれよ。エステルに祝福あれ。總べての偶像禮拜者は呪はれよ。」エステル書にてハマンの名の讀まるる毎に槌にて卓を叩き、ハマンの像を毀べし。此の祭日に大なる宴を催ほすはよきことなり。此の祭日には「ハマン呪はれよ」と「モルデカイに祝福あれ」との區別を知らざるまでに多くの酒を飮むべし。ブリムの祭に醉ひて隣人に損害を與ふるも、之を賠償する必要なし。假裝して女は男の衣服を、男は女の衣服を着ける慣習、及び盜み合ひの慣習も、此の日には罰を受くることなし。
第二卷 知慧の教
すべてのイスラエル人は一定の法式に依り(動物及び動物視されてゐる非ユダヤ人)を屠ることを許さる。
或人刀を壁に突立てんとして投げしに、途中獸の首に當りてその獸を屠るに至りし時は、この屠殺は正式のものと見做され得るものなり。
非猶太人の刀なりとも、之を研ぎ、或は十度硬き土に突差したる時は、これを用ひて屠るを許さる。
家禽の中、鵝鳥・鴨・鷄・鳩・鶉・雀は食種に供するも可なり。然れども此の他のものは食用に供すべからず。その故は、これらの鳥は、餌を食する時、先づそれを足にて蹂り、後に嘴にて引裂く故なり。・・屠りし後は血を蔽ひ隱さざるべからず。その故はカイン、アベルを殺せし時、彼アベルを幾度か打ちまた刺したるにも拘らず、その魂彼の身體より去ることを欲せざりしかば、カイン遂にアベルの首を切り落したるに、その時鹿來りて血を足にて掻き集めたれはなり。・・屠りし後は、屠殺者は家禽獸を切開き、何より先づ肺を檢すべし。その肺完全ならば、その禽獸は食用に供し得べきなり。肺葉の一が大に過ぎ他が小に過ぎる時、或はそれぞれの位置に異常のある時、この禽獸は食用に供することを許されず。
血を飮むことの禁ぜらるるは、その血が祭壇に注ぎ得べきものたる時のみなり。されは煮られたる血又は凝固せる血は飮むことを許さる。
卵を食するには、汚れなき鳥類のもののみを選ぶべし。その卵の一方の尖りたる鳥、例へば鷄の如きは汚れなきものなり。魚の血も飮むことを許されたれど、器に集めて飮むべからず。人間の血に關しても同樣にして、之を食することは禁ぜらるることなし。
穢れたる畜獸又は野獸若くは法に則りて屠られざる畜獸の脂肪及び尿は用ふべからず。或教法學者は尿は差支へなしとも言へり。
猶太女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼兒に吸はしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし、惡しき性格を形成するが故なり。
淀める水に住む蟲類は、之を食するも差支へなし。利未記に禁じたるは地を匍ふ蟲類のみなればなり。
熱き乳を容れたる鍋に肉片の落ちたる時は、假令橄欖の實程の小なるものといへども、その乳は非猶太人をして試味せしむべし。彼もし肉の味ありと言はば、この乳は用ふべからず。
猶太人も非猶太人の判斷に信を置く事を、非猶太人をして知らしむべからず。
然れど金錢の損害の生ずる恐れある時は、如何がはしき事をも許す教法學者に萬事を委ぬることを得。
教法學者が猶太人にアクム(非猶太人)のパンを食することを禁じたるは、彼等との間に姻戚關係の生ずることを防がんが爲なり。またアクムの酒を飮むとこの禁ぜらるるも、彼等と姻戚となること無からんが爲なり。然れども、アクムをして飮料を持ち來らしめ、自宅にてそれを飮むは差支へなし。
猶太人の居合はせざる場所にて非猶太人の搾れる乳は、之を用ふべからず。
口の開きゐたる飮料は用ふべからず。肉と魚を同時に食すべからず。もししかせば癩病となる故なり。人間の汗は有毒なり。但し顏の汗は然らず。
アクムより借金の代りに穢れたる物品を受取るも差支へなし。これ彼等の手中より何物かを救出すことなればなり。
非猶太人の酒を飮む事、及びその一切の享受使用を禁ず。かかる酒は偶像に供へらるる類のものなれはなり。猶太人の酒と雖も非猶太人がそれに觸れたる時は、この酒は用ふべからざるものなり。非猶太人の酒の容器を持上げ或は運び歩くべからず。但し猶太式に封印されたるものはこの限りに非ず。
十字架の繪は、人々それを拜跪する時には、偶像と見做さるべきものにして、禁制品なり。
或人、偶像禮拜に密着して建てられたる家を持ちたるに、その家倒れたる時は、再び元の如く建つることを禁ぜらる。その時彼のなすべきは、前よりもやや多く間隔を取り、その空地を棘或は人糞にて充たすことなり。
猶太人にして偶像の名に於て誓ひ或は誓約を爲せる者ある時、彼は三十九の毆打刑に處せらるべし。必要の場合と雖も、偶像の名を口にすべからず。非猶太人の祭日の中、人間の名を有するものは、之を呼ぶも差支へなし。但し、非猶太人の爲す如く尊敬の念を以てすべからず。偶像を嘲りながらも、次の如く非猶太人に言ふことは許さる、「汝の神汝を助けよかし」又は「汝の神汝の業に惠を垂れ給はんことを」と。
非猶太人の祭日前三日間は、彼等より物を買ひ、或は、保存され得べき物を彼等に賣る事を禁ぜらる。また彼等と貸借する事をも禁ず。但し、口約を以て貸したる負債を彼等に支拂はしむる事は差支へなし。然るに現在に於ては、彼等の數多數なる故に、證文ある負債をも彼等より受取るべし。かく爲すは、彼等の手より物を救出すこととなればなり。非猶太人の間に住み、常に彼等と取引を爲す必要ある時は、敵對關係を生ぜしむるが如き事はすべて避くるを可とす。この故に異邦人の祭日には彼等と共に喜ぶべし。かくすることにより彼等の機嫌を取り得る故なり。
アクムの祭日に彼等に贈物をすべからず。然れども現今に於ては、贈物を爲さんと欲する時は、彼等の降誕節より一週間後の「新年」と呼ばるる日に於て之を爲すべし。彼等それを縁起よきこと見做すべけれはなり。
洗禮に用ふるものなる事判明せる場合には、非猶太人に水を賣るべからず。
知人に非ざる非猶太人に施物を與ふべからず。然れども非猶太人の中に居住する場合には、その貧民を養ひ、病者を訪ひ、死者を葬り、悼み、喪に在る者を慰むるもよし。これ平穩無事のためなれはなり。イスラエル人は、己が食物を食する場合と雖も、非猶太人と同一食卓に坐するべからず。非猶太人の婚禮の宴に招かれたる時は、假令イスラエル人は、己が食物を食じ、己か召使によりて給仕さるる場合と雖も、其處にては食すべからず。
非猶太人の客亭に家畜を入るべからず。その故は、非猶太人は家畜と××をさす疑あればなり。非猶太人と唯二人にて居ること勿れ。その故は彼等は殺人をなす疑あるものなればなり。・・公共の浴場に裸體にて入る習慣ある場合に、既に浴槽内に非猶太人居る時は、イスラエル人は入浴すべからず。若しイスラエル人先にその中に居らば、出づべからず・・イスラエルの女は、假令非猶太人が彼等の妻も共に在る時と雖も、その一人或は多數と共に居るべからず。・・非猶太人に技藝を教ふべからず。
安息日を穢す恐れある如き病或は傷は、一般に有能と認められざるアクムに治療せしむべからず、流血を恐るる故なり。病人の生死疑はしき場合と雖も、アクムに治療せしむべからず。但し死亡の確かなる場合は、アクムに治療をせしむるも可なり。一時間ほどの生命は顧みられざるが故なり。アクムしかじかの藥劑良し或は惡しと云ふ時はそを信ずるもよし。但しその藥劑をアクムより買ふべからず。 あらゆる誡律は、それを遵奉することに依つて生命に危険ある場合には、生命を救ふ爲にそを破るも差支へなし。但し、偶像を拜む事、禁じられたる女と交はること、殺人を犯すことの三つは然らず。若し金錢にて身を救ひ得る時は、全部を引渡すべし。
偶像禮拜に歸依せる非猶太人及び賎しき牧人は之を殺すことを許さず。されど彼等が危險に面しまた死に瀕せりとて彼等を救ふことは許されず。例へば彼等の一人の水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救ひ上ぐるべからず。また彼等を瀕死の病よりも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。然れども吾等と彼等との間に敵意の生ずるを防止する爲ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。然れども偶像を拜む者、罪を犯す者、掟と豫言者を否む者は、之を殺すべし。而して公然と殺すを得ば、その如く爲せ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。例へば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、之を取去り、直ちに再び持來るべしとの遁辭を用ひ、かくすることにより落ちたる者の身を救ひ得べき道を奪ふべし。
トーラによれば、利子を取りてアクム(非猶太人)に金を貸すは差支へなし。但し教法學者は生活に必要なる範圍の額の利子のみを取るを許さるのみ。然れども現在に於ては、如何樣に之を取るも差支へなし。
ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみ之を取るべし。而してかかる取引は使者をして之をなさしむべし。使者ならば、かく爲しても、罪を犯したるには非ずして、誡律もまた遵守されたるなり。・・貸出に際し取極められたる多額の利子は、誡律を以て禁ぜられたるものなる故に、法廷に於て返金請求の訴訟を受くることあるべし。裁判官は斯かる貸主を拘束して、氣を失するまで鞭打たしむるを得れども、貸主の財産は之を沒收するを得ず。
非猶太人の如き衣服を着け、彼等の風習を模することあるべからず。あらゆる點に於て彼等と異なるべし。但し非猶太人の君主の身近に在る時は、是等すべてをなすことも許さる。
掟(申命記、一八、一三)に依れば、占星術者又は卜筮者の言を容るる事は禁ぜられたり。然れとも月曜日或は水曜日に業を始めざるは慣習にして、是等の日には星(月と水星)の位置惡きが故なり。また滿月の頃にのみ婚姻するを習慣とす。また月の第一日目に新しき書を讀み始めざるを習慣とす。自らの幸運に反すると信ぜらるるところの事は、すべて之を爲し續くべからず。 死者に詢ふことをなす筮者とは、空腹の状にて墓場に泊まり惡しき靈の彼の上に止らんことを計るものなり。病者に向ひて、死後に還り來り、彼に發せらるるすべての問に對し答をなせよと懇望するは差支へなし。死者を呼び出す場合にも、身體に非ずして靈のみを呼び出すは差支へなし。カバラ(譯註、ユダヤの神祕哲學の書)の諸書に依つて何事かを爲すはよし。失せ物に關し惡靈に詢ふはよし。但し良き香の草を火に投じたる香氣にて家を燻らすべからず。かく爲すは、惡魔を禮拜するものと解せらるる恐れあればなり。自ら文身すべからず。但し他人の手を借りて文身するはよし。
宣誓を強ひられたる者は、假令(神の)名に依つて誓ふとも、これを心に懸くる事勿れ。斯かるものは宣誓に非ざればなり。王侯或は他の上司がイスラエル人に宣誓の命を與ふる時、彼の同信者に損害を與ふる恐れある時は、眞實を誓ふの義務無し。例へば、一人のイスラエル人或る女を辱めたるや否やに關し誓ふべき場合、證人として宣誓を要求されたる者は躊躇なしに彼の知れるところの反對を宣誓し、後直ちに心中にてこの誓を打消すことを得るなり。かかる誓は強制されたるものと見做され得るが故なり。また或上司がイスラエル人の金或は財産を沒收せんとせし時、そのイスラエル人用心のためにその金或は財産の保管を他の者に託するならば、金錢を保管せるところの者は、宣誓を求めらるるも眞實を自白すべからず。
誓約を爲す者は、その誓を守りまた果す場合にも、惡人又は罪人と稱へらるべし。假令イスラエルの神の名に於て誓へる場合と雖も、三人の人の手によりてその誓を解かるるを得べし。而してこの三人は癡人にても差支へなし。
猶太人にしてアクムより盜みをなしたる時、もし誓ふことを強制さるるならば、彼はその心の中にて、その誓の無效なることを宣言すべし。そは強ひられたる誓なればなり。
婢女或は異邦人の子は兩親に對して恩義を負ふこと無し。婢女或は非猶太女の胎内の子は畜獸に等しければなり。 イスラエル人の間の習慣は、トーラ(律法)と同等の價値あるものなり。
教法師にして公然と侮辱を受けたる者は、恥辱に甘んずることなく、侮辱に對して復讎をなさざるべからず。侮辱したる者が赦しを乞ひまた彼にして赦さんと思ふに至る時までは、蛇の如くに怨恨を心の中に懷き居るべし。 各々の町は猶太人の兒童教師を任用せざるべからず。然らずんばその町は亡ぼさるべし。
女も掟を教ふる時は報酬を期待するを得。但し男の如く多くを期待すべからず。女なるものは、神より之をなすべく命ぜられたるには非ざるなり。少女に律法を教ふべからず。女は眞面目なる心なく輕薄なる者なれば、己が考に從ひ律法より愚かしき事を捏造する故なり。この故に賢者は、「その娘にトーラを教ふるは、罪ある事柄を彼女に教ふるが如し」と言へり。 學舍は會堂よりも聖なるものなり。人死する時、先づ第一に神より尋ねらるるは、彼が果して勤勉に學びしや否やにあり。その時に至りて如何なる行爲をなせしやを問はるるなり。最も多くの知識は夜學ぶ時に得らる。學ぶ時大聲に唱する者は學びしところを良く記憶し、小聲に唱する者は速かに忘る。
無事平穩なる爲ならば、非猶太人の貧民を養ふもよし。
捕虜となれる間に非猶太人の宗教に改宗したる猶太人は、之を身請けすべからず。
イスラエルの魂失はるるは、取返しのつかざる大事件なり。されば幼兒にして、割禮前(生後八日以前)に死せる場合には、墓所に於て、祝祷を唱ふることなしに、鋭利なる石を以て割禮を施すべし。彼世に於て、父祖アブラハムは割禮を受けし者を待ち居りて、割禮を受けし者の地獄に落つることを防止しをれり。故に割禮を疎かにすべからず。然らざれば父祖アブラハムを過つべければなり。割禮は次の如く行はる。即ち、包皮を伸ばし、之を櫛状の器具に挾み、その器具に沿ふて切斷して、之を砂中に投棄するなり。次に杯より口一杯に酒を含み、その少量を傷に吹きかけ、殘部を子供の顏に吹きかくべし。之によりて子供をして元氣を囘復せしむるなり。次に割禮施術者は爪を長く生ぜる拇指を以て××下の表皮を引裂き、××を完全に露出せしむべし。之を「露出」と言ひ、之を爲さざる割禮は無效なり。然る後施術者は再び口一杯に酒を含み、傷口より血を吸ひ取るなり。之を「吸ひ出し」と言ふ。次に藥粉を振りかけ、繃帶をなす・・教父敬虔なる者なる時は、豫言者エリヤ割禮の席に連なるなり。故に教會堂の聖檀に向ひて二つの座席を備ふべく、一は教父の爲、他はエリヤの爲なり。儀式終らば、施術者は手を洗ひ、祝祷を唱へ、幼兒に向ひ、「汝生くべし」と言ふなり。然る後、吸い出したる血を吹きかけたる杯に指を浸し、その指を割禮を受けし幼兒の口中に二囘或は三囘押し入れ、次いて教父及び同席の少年等にその杯より飮ましむるなり。
少女は勿論イスラエル人の盟約に加入(割禮を受くること)することを得ず。それ故に、少女生れし時は、生後六週間目の安息日に命名す。
奴隸を買ひたる時は、之に割禮を施し、或は施さしむべし。
非猶太人にして猶太教に改宗せんとする者は、先づ割禮を受けざるべからず。而して彼に、就中次の如く告げよ。「來世はただ敬虔なる者にのみ約し置かれたるが、その敬虔なる者とはイスラエル人に外ならず。非猶太人は今生過ぎれば根絶し去らるへし」と。彼これ等すべてを受入るる時には、直ちに割禮を施すべし。而してその傷癒えなば、直ちに三人の教法學者の前にて入浴せしめ、この學者等に依りて多くの掟を學ばしむるべし。 女にして猶太教に改宗せんとする者ある時は、イスラエル人の女達彼女を水に浸すべし。教法學者等は戸外に立ち、其處より多くの掟を傳ふべし。然る時教法學者の前にて水に入らざるべからず。但し學等は直ちに面を背け、其處より立去るなり。 割禮なかりせば、神は晝と夜を創らず、また天と地をも創造し給はざりしならん。 改宗して猶太人となれる者は、同樣に猶太教に改宗せるその母或は伯母と婚姻するも差支へなし。改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。
三百六十五箇條の誡律の一つなりとも犯したる者は、直ちに除名さるべし。除名の期間は三十日以上とす。當該者懺悔を爲さずば、更に三十日間の除名刑に處すべし。而してなほ從はずば、更に三十日の間待ち、然る後追放の刑に處すべし。除名されたる者はある時は、何人も彼の四エルレ以内に坐すべからず。又彼と共に飮食し、祈るべからず。但し、その妻子はこの限りに非ず。彼もし猶太會堂に入り來らば、之を追出すべし。彼は身體を洗ふを許されず、髮を刈り、髯を剃り、靴を履く事をも禁ぜらる。追放刑に處せられたる人死せる時は、裁判官は、命じてその棺の上に石を載せしむべし。人々彼の爲に衣を裂きて哀しむ事なく、その死を悼むことなし。
教法師より告示されたる者は(例へば不遜なる言行の故を以て)、身を隱して自ら恥じ、人の前にては悲歎して笑ふこと無く、業務をも多くは爲す勿れ。
二十四項の罪あり、之に觸るる者は除名さる。例へば第八項、その地所を非猶太人に賣りたる者、第九項、非猶太人法廷に於てその隣人(即ちイスラエル人)に對し不當なる證言を爲せる者、等。
非猶太人の病人を見舞ふことは許される。・・平穩無事を保つ爲なり。猶太會堂に於て病人を祝福し、彼に新たなる名を與へる慣習あり。名前を改むる事は、神の決定をも取消す力ある故なり。
埋葬の濟みたる時は、死者のありたる家のみならずその近隣即ち兩隣三軒の家に於ても、直ちにすべての水を棄去るを慣習とす。その故は、死の使その血の滴を水中に落し、人それによりて死することあれはなり。
死者の部屋にては食すべからず。但し死者との間に仕切りを置く時は差支へなし。
婚約せる男の父死にたるに、既に婚姻の食事備はり、之を賣る事不可能にして腐敗の虞る場合、或は婚約の女の母死したるに、女の裝身品損ずべしと言ふ場合には、死者を別室に移し、新郎新婦は婚姻の席に行くべし。新郎は最初の××をなさば直ちに新婦より離るべし。而して婚姻の後七日間は宴を以て祝はれ、然の後服喪の日始まるべし。
アクムと奴隸の死は之を悼むこと勿れ。彼等の葬式の列に加はる事勿れ。
盜みの故を以て猶太人の法廷より死刑の宣告を受けたる者の爲には、危險なき限りその死を悼まざるべからず。
追放刑を受けし者の死せる時は、之を悼まず。背教者・裏切者に對しても同樣なり。近親の者非猶太人官憲により絞刑に處せられ、その身體なほ朽果てざる時は、親族の者はその事ありし町に留まるべからず。かく爲すは死者に對する侮辱なる故なり。
街上にて葬式の行列と婚禮の行列行き會はば、前者道を讓らざるべからず。
無事平穩のためならば、非猶太人死者の葬ひ、その遺族を慰問するも差支へなし。非猶太人の墓所は祭司を汚れしむる事なし。然れど彼處に赴かざる方更によし。 喪に服する者は、七日の間働くべからず、取引をなすべからず、浴し又は油を塗るべからず、靴を履くべからず、××すべからず、トーラを讀むべからず、また何人にも挨拶すべからず。頭をば布にて卷き、床を逆にすべし。三十日間は髯に手入をなし、髮を刈り、爪を切るべからず。
第三卷 正義の楯
現在に於ては、聖地に於て任命を受けざる裁判官と雖も、負債問題、相續問題、小なる刑事問題に關しては判決を下すも差支へなし。その隣人を傷つけし者ある時は、聖地にて任命を受けたるに非ざる裁判官それを裁くを得ず。もし人間、畜獸により傷つけられたる時は、聖地にて任命を受けし裁判官のみこの事件の判決を下すことを得。・・間接に加へられたる總べての傷害及び裏切者に對しては、いづれの裁判所も判決を下すことを得。各裁判所は、罰金支拂の義務ある者を、その義務遂行の完了の時まで、追放の刑に處すことを得。・・隣人を誹謗せし者は、各裁判所はこの者を追放の刑に處することを得。
の不遜にして罪に沈めるを認めし時は、法廷は死刑又は罰金刑を宣告することを得。その裁判官約束の地にて任命を受けざる場合といへどむ、各法廷は死刑その他のあらゆる刑を宣告する權能を有す。當該事件に確證なき場合も同樣なり。法廷は民の放逸を制する爲に、その財産を所有主なき財と宣告し、よしと思ふところに從ひ彼を亡ぼす權能を有す。
法廷は三人以上より成立せざるべからず。而してこの三人は教法師たるの要なし。
何人も非猶太人の仲介により權利を得る事を許されず。
裁判人は總べて十八歳(十三歳と言う人もあり)以上たるべく、×部に少なくとも二本の毛を有せざるべからず。・・酒に醉へる者と雖も金錢問題に關しては判決を下すことを得。・・己より學識劣れる裁判者の許には出頭せざるも差支へなし。
法廷召集以前に告發者裁判人の許に來りて贈與を爲したる時は、被告はその裁判人を忌避することを得ず。裁判人多くの書記及び使丁を雇傭せるは、盜みをなさんとする者と同一なり。該地方民に對し多額の入費を生ぜしむる故なり。
廷は被告に對し三囘の召喚状を出して後、更に一日を待ち、なほ彼來らざる時は、その翌日追放刑を下すべし。
教法師に關する問題は常に優先權を有す。教法學者は出來る限り寛大に取扱はるべきなり。
一人の被告に對し多數の告發者ある時は、被告の友人及び親戚彼の傍に坐するも差支へなし。彼の臆し惑ふ事なからんが爲なり。また告發者は一時に一人を限りて發言すべし。
アクム(非猶太人)の裁判官の手に依り或はその法廷にて訴訟をなすべからず。假令、彼等イスラエル人の法律に依る如くに裁くとも、また當事者雙方間にアクムの許にて訴訟すべしとの了解立ちたる時にも、かかる事をなすべからず。アクムの許にて訴訟をなさんとて行ける者は惡人にして、モーゼのトーラ(律法)を涜し、罵り、これに背ける者に等し。法廷は彼を罪し、彼がアクムの手をその隣人より除き去るまで、彼に除名の刑に附す權利あり。
イスラエル人を呪ひたる者は、三十九の毆打刑に處せらるべし。教法師を罵りたる者は、追放の罰を受くべし。
アクムが猶太人に對して貸金を有する場合に、このアクムに有利にしてイスラエル人に不利なる證言を爲し得るイスラエル人あるも、彼の他には一人の證人も無き時、アクム彼に對し己に有利なる證言を要求したりとせよ。もしその地方のアクムの法律がただ一人の證人の證言により貸金の請求をなし得と定むる場合に於ては、イスラエル人はアクムに有利なる證言をなすべからず。證言をなしたる時は彼を除名すべし。
罪人・盜人・強盜・利子を取りて金を貸す者、收税人・園丁・農夫・鳩を鳩舍より飛ばしむる者・博奕打・競馬をなす者等は證人として拒否さるべし。かかる事は盜みの一部なれはなり。
トーラ及びミシュナ(「タルムード」の一部)に精通せざる者は罪人の中に算へらるべし。自ら品位を汚せるもの、即ち市場に於て公衆の前にて食事を爲すもの、裸にて歩む者、非猶太人より公然と施物を受くる者も證人として拒否さるべし。 非猶太人及び奴隸も證言を爲す資格なし。敵・混血兒・裏切者・自由思想家・變節者(背教者、基督教の洗禮を受けたる者)はゴイ(非猶太人)より更に惡しけれは、同じく證言を爲すを得ず。
證人は一旦述べたる證言を取消すことを得ず。但し故意に嘘を言ひたる時はその損害を金錢にて償はざるべからず。
他の宗教に改宗したる者は、盜賊になりたると等し。
疑はしき借用證書は、豫言者エリア來りて裁決をなすまで、その侭になし置くべし。
七年目毎の釋放の年は、語りたる總べてのこと(約束・誓約・誓言)より人を釋放す。
非猶太人の證人たるところの證書は總べて無效なり。
證人は宣誓の際律法の書かれたる卷物(羊皮紙に書かれたる)を手に持つべし。教法學者は經牌を手に取るのみにてよろし。
妻より金を借りたる後離縁状を與へし時、或は奴隸より金を借りたる後その奴隸を解放せし時は、その妻或は奴隸に何物も支拂ふの要なし。
成人せる非猶太人奴隸は、牧者なく家畜の如し。
イスラエル人は非猶太人たるの權利を有することなし。但し非猶太人の不利となる場合は、この限りに非ず。非猶太人はイスラエル人の財産に對し所有權を有せず。
壁に面して放尿すべからず。手の幅三つ程隔たりてなすべし。
或人ヨーロッパより非猶太人を連れ來れる場合、或若干の都市に於ては之等の非猶太人の取引を爲すを禁ぜらる。隣人(猶太人)に損害を與ふる事無からん爲なり。非猶太人の財産は所有主なき財の如し。最初に來たれる者之を己が所有と爲す。
仲間の中より裏切者を除くべき時、各人その費用の寄附をなすべし。
或人、非猶太人より田地を買ひたる時は、その隣接地の者は何等の特典を有せず。或人、非猶太人に田地を賣り、或は賃貸せる時は、非猶太人のためその隣人の蒙る恐れある一切の危險の責任を負ひ盡くすまでは、追放刑に處せらるべし。
或仕事の協力者の一人が盜みをなし或は掠奪をなしたる時は、その利得を彼の協力者と分たざるべからず。但し損害を生ぜし時は、一人のみにて負擔すべし。金錢の取引を爲す者を雇ひたる時、この雇はれし者の拾得せるものは、總べてこの者の所有に屬すべし。この番頭もし支拂濟の貸金を今一度アクムより徴收せし時は、そは「拾得物」と見做さるるものなり。その理由は、支拂濟の手形は紙の價よりなきものなるが故なり。それ故にかかる金錢をアクムに返却せる番頭も、その主人に辨濟の要なし。但しかかる金錢は本來は貰ひおくべきものなり。・・非猶太人と共同して商社を營むべからず。
何物かを贖ひ出さん爲に勞務者を雇へる時は、贖ひ出されたる物は總べて雇ひ主の所有なり。但しもしこの勞務者、贖ひ出しつつある際に「我は之を己一人の爲に贖ひ出すなり」と言ふならば、この時以後彼は最早雇ひ人に非ずとなりて、贖ひ出されたる物は彼一人の所有となるべし。
或人アクムより金錢を受取らんが爲に使者を遣はしたるに、アクム誤りて過剩の金額を拂ひ渡せる時は、その總べては使者の所有となる。或人アクムと取引をなせるに、他の仲間來りて彼を助け、桝目・重量・數量にてアクムを欺ける時は、利得は二人にて分つべし。謝禮金を取りて助けし時も、無報酬にて助けし時も、いづれの場合にも然かすべし。
非猶太人は所有或は手附金支拂により何物をも己が所有となすことを得ず、賣買證書と全額支拂とによりてのみ己が所有となすべし。
土地・奴隸・動産を賣りたる者は、責任を負ふべきなり。例へば、或人來りて、賣却人の有せし負債の故を以て購買物件を買主より奪ひ行ける時は、買主は行きて支拂金額全部を賣却人より取り戻すべし。購買物件は賣却人の負債の故に持ち去られたればなり。但し購買物件を持去りし者アクムなる時は、王の命令或は法官の判決によりて持去りし時といへども、賣却人は損害賠償の義務なし。
アクムに對しては詐欺は成立せず。利未記十九章の十一節に「己が兄弟(猶太人)を欺くべからず」とあればなり。然れどもアクムにして猶太人を欺ける時は、詐取せる所のものを我等(猶太人)の法律に從つて返さざるべからず。アクムにして猶太人よりまされる扱ひを受くる事なからん爲なり。
クムより家を借りるに際して掟に違ふべからず。背く者は追放の刑に處せらるべし。
其の地の居住者に非ざる非猶太人に何物も贈るべからず。贈物をなすは、特に良く知れる者に對してか、或は彼と平穩無事に暮す爲必要なる場合に於てなり。
非猶太人の法廷にて作成されたる讓渡證は無效なり。
アクムに贈物を爲せよと命ずる病人の言に從ふべからず。これあたかも己が金にて罪を爲せよと命ずるが如くなればなり。
非猶太人が平常居住徘徊する場所に於て遺失物を發見せし時は、之を返却するに及ばず。
葡萄園にて草食ふ牛を發見せし人は、それを所有主に牽き行くべし。但しその葡萄園が非猶太人がの所有なる時は、かく爲すに及ばず。
拾得物が誰の遺失物なるや不明の時は、豫言者エリヤ來りて決裁をなす時まで己が許に止め置くべし。
非猶太人の失ひたる物は、拾得者之を己が許に留め置くべきのみならず、返却することを禁ぜらる。その理由は、申命記の二十二章一節には「汝の兄弟の失ひし物は返却すべし」とあればなり。但し屡々非猶太人の物を返却し、或は盜難より免れしむるを要する場合あるも、そは無事平穩を期する時のみなり。
他人より盜みたる者は、所有主を探して盜取品を辨償する義務なし。所有主來りて彼の所有物を持去るまでは、それを手許に取り置きて差支へなし。
獸は非猶太人の所有にして、積荷はイスラエルの所有なる時は、手を貸すべからず。然れども、若し牛がイスラエル人の所有にして、積荷が非猶太人の物なる時は、之を助くべきなり。
非猶太人、イスラエルに田地を賣り、その代金は受取りたるも、賣買證書をイスラエル人に渡さざりし時は、その田地は、所有主無き財産と見做さるべきものなり。何人もこれを己が所有となして差支へなし。但し代金は之を先のイスラエル人に辨償すべし。
長子は他の年少の兄弟の二倍の金錢を受く。 多くの子を有する非猶太人にしてイスラエルの教に改宗せる時は、最初に生れし者を以て長子と見做すべからず。眼病の時その唾にて癒ゆるや否やにより、長子を判別すべし。
非猶太人は猶太教に改宗せし彼の父の相續人たるを得ず。また猶太教に改宗せし者も然らざる者の相續人たるを得ず。・・アクムに負債あるイスラエル人は、そのアクム死し、その事に就きて知れるアクム無き時は、その嗣子に支拂をなす義務なし。イスラエル人が非猶太人に改宗せる時も、彼はその親戚の相續者たり得べし。イスラエル人はまた背教者なる親戚の相續をもなし得。また夫は背教者なるその妻に代りて相續をなし得べし。
或人盜みをなせるに、他の人來りて盜品を運び去るを手傳ひし場合、この人には後者には罰金支拂ひの義務なし。或人彼の隣人に盜めと言ひて何物かを示し、或は彼を盜みの爲に遣はすとも、遣はしし者には罪なし。その理由は禁ぜられたる事を爲せとの命令は、無效なればなり。遣はしし者は、使者が斯かる事の使を爲すべしとは思はざりき、と言遁るを得べし。
既婚の女盜みをなししが、盜品は既に女の手許になく、また彼女に支拂ひの能力も無き時は、被害者は彼女が寡婦となり、或は離別さるるまで待つの他なし。・・盜品が盜人の許にて形を變へらるる時、例へば仔牛が牡牛となりたる如き時は、この變形の理由を以て該物件は盜人の所有となり、盜人は盜取當時の該物件の價格を支拂ふのみにてよろし。
イスラエル人、盜人より物を買ひて、他のイスラエル人に之を賣渡したるに、アクム來りて、己が許より盜まれたるなりと言ひ、アクムの法律に依り第二の買主よりその品物を奪ひ去れる時は、かの盜人の確かに判明し居る時は、第一のイスラエル人は第二のイスラエル人に金を返却すべし。然れども盜人の確かに判明し居らざる時は、第一のイスラエル人は第二の人にその金を返却するには及ばず。「恐らくアクム僞を言ひしならん」と言ひ得べければなり。
イスラエル人賃金を拂ひて王侯より集税權を得たる場合は、密賣を爲す者はこの集税權を有するイスラエル人より盜むなり。但し集税權を獲得せしものがアクムなる時は、密賣するも差支へなし。こはアクムに負債を支拂はざることに等しく、許されたる處なれはなり。金を支拂ひて集税權を得たるに非ざるイスラエル人は、脱税せんとするイスラエル人を強ひて税を支拂はしむるべからず。王侯、その人民中の一階級に對して法律を發布せる時(例へば利子を取り抵當を入れしめて金を貸すものに對し)、かかる王の法律はイスラエルに對しても效力を有すと認むべからず。勿論、非猶太人王侯の法律がイスラエル人に對して拘束力を有することはあれど、そは王侯がそれに依つて快樂又は利益を得る時のみなり。但しこれは、總べての場合に非猶太人の法律に從ふことを意味するには非ず。もし然する時は、猶太の法律は凡べて覆さるべし。
猶太人アクムに物を賣りしに、他の猶太人來りて、そは支拂ひし値に價せずとアクムに言ひたる時は、前者は後者に對し賠償の義務あり。
王侯ありてイスラエル人に酒、藁その他のものを差出せよと命ぜし時、密告者ありて王侯の許に行き、「見よ、然々の人、然々の場所に酒、藁を貯へたり」と告げたるために、人行きて之を奪ひ去るならば、密告者は辨償の義務あり。裏切者は、イスラエル人法廷より警告ありし時は、非猶太人の裁判所に訴ふべからず。イスラエル人又はその財産を非猶太人の手に渡し又は彼を裏切る事は、禁ぜられたるところなればなり。然れども密告者にして非猶太人により裏切られし時は、その非猶太人を裏切るも差支へなく、他に逃るる道なき場合は、その非猶太人を殺すとも差支へなし。裏切者は來世の生命に與る事なし。今日にても、密告者(裏切者)は何處にて殺すも差支へなし。彼が密告を爲す前に殺すも差支へなし。先づ彼に警告し、彼之を聽入れざる時は、何人も彼を殺すべし。かく爲す者はよき業をなしたるなり。彼の喉より舌を切り、或は彼の目を潰すもよし。警告の時間なき時は、警告をなさざるも差支へなし。團體を裏切りたる者は非猶太人に渡すべし。彼等この者を毆ち、獄に入れ、罰金を徴せん。或人逃げ隱れて、汝猶太人に對し負債を支拂ふを肯んぜざる時、猶太人この事を密告するならば、彼は甚だ惡しき行爲を爲せるものにして、密告せる者こそかの負債を非猶太人に拂はざるべからず。もしイスラエル人にして他のイスラエル人を明かに三度密告し、或はイスラエル人の金をアクムに裏切り渡せる時は、彼を此の世より除くべき手段方策を購ずるべし。
自由思想家及びトーラと豫言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀劍を以て爲し得る時は然なすべし。もし然か爲し得ずば、策計をめぐらして死に至らしむべし。例へば彼等の一人井戸に落ちしに、その井戸の中に梯子あらば、まづ梯子を引上げ「我は我が息子が降ろさんとす。梯子はその後に直ちに汝が許に持來るべし」と言へ。吾等と敵對關係に非ざるアクムは之を殺す要なし。然れども彼等を救ふ事は禁ぜらる。・・如何なる者をトーラを否む者と見做すべきかに就ては、有名なる教法師モシュー・バル・マエモン明らかに、「基督教徒トルコ人等これなり」と言へり。
第四卷 救ひの岩
各人(猶太人)は結婚し、子孫を生み、人間の數を増加する義務あり。この義務を怠りたる者は血を流せるに等しき者にて、神の似姿の數を減じ、神がイスラエルより顏をそ向け給ふ原因を作る者なり。この義務は十八歳を以て始まる。十三歳を以て始むるは更によし。但し之より早く爲すべからず。そは姦淫となるべければなり。然れども二十歳まで待つことあるべからず。然せば法律により強制さるることあるべし。一男一女を儲けたる時は、種族繁殖の義務を果たしたるものとす。但し男子は×××に缺陷なく、女子は不妊の徴なきを要す。イスラエル人は同時に幾人にても、養ひ得る限り多くの女を畜ふる事を得。但し賢者は、唯四人の女を持つことを勸めたり。一人の女子に少くも一度の〇〇の機會を得しめんがためなり。女子に對しては種族繁殖の掟は拘束力を有せず。
人間に對し或は獸畜に對し避妊の藥を與ふべからず。但し與へたる時も、笞刑を受けることなし。但し女はかかる飮物を攝るもよし
祭司は離縁されたる者、娼婦、汚されたる女を娶る事を得ず。娼婦とは何人の事なるか。總べての非猶太人の娘、及び猶太人の娘にて婚姻すべからざる者と交りたる者は、裸となりたるのみにても、即ち最初に〇〇をなさんとせし時以後、娼婦たるなり。
女、動物と交るとも、娼婦に非ず。それ故に教法師も彼女と結婚し得べし。その故は、禁ぜられたる交りをなしたるに非ざればなり。
奴隸或は非猶太女より生れたる者の場合以外は、姉妹又は異腹の姉妹と交ることは誡律により禁ぜらる。
アクム女と肉體の交りにより婚姻せるイスラエル人、又はアクムと結婚せるイスラエル女は、誡律により三十九の笞刑を受く。女を買ひて偶々非猶太女と××せるものも、笞刑に處せらるべし。非猶太女即ち娼婦と××したればなり。その女彼の雇人(婢或は妾)なりといへども、笞刑を受くべきなり。
宵にも、曉にも××すべからず。眞夜中に之を爲すべし。公衆の居る所、燈ある所、及び晝間、また旅路にある時も、之を爲すべからず。好まざる時、彼またはその妻の酒に醉ひたる時、飽食せる時、空腹なる時も、妻と××すべからず。この誡律を守るものは、病となる事なく、絶えて醫者を要せざるべし。
女の住める己が家に番人を置く勿れ。かかる事に關しては、監視後見は役立たぬものなればなり。また家令をも置くべからず、彼により己が妻の誘惑さるる事なからんが爲なり。
アクムがアクム女を娶りたる後猶太教に改宗し、或はアクムとなりしイスラエル人が改宗後の宗教によりて婚姻したる時再びイスラエル人となりたる場合は、その結婚に關し顧慮するの要なし。故に女は離縁状なしに男の許より去るも差支へなし、假令永年の間同棲せりといへども差支へなし。かかる結婚は姦淫にすぎざるなり。
非猶太人より盜みたる物を用ひて女と婚約するは差支へなし。金錢或は婚約の書状は女の手に渡すを要せず、彼女の膝の中に、或は屋敷の庭、田畠の中に投入るるもよし。結婚をなすには紙若しくは陶器片に、「汝は我と結婚せり」と書き之を、二人の證人の前にて女に與ふればよし。離縁状も同樣にして與ふべし。××によりて女と結婚せんとする時は、二人の證人の前にて彼女に、汝はこの××によりわが妻となる、と言ひて、證人の目前にて彼女とともに赴くべし。然して自然的に或は然らざる樣にて××するを得べし。女子齡三年と一日に及びたる時は、父は之を××により婚約せしむる事を得。・・一時に多くの妻を持つ事を得るなり。
イスラエル人にしてアクム女若しくは奴隸を娶りし時は、この結婚は無效なり。彼女等は結婚の權なき者なればなり。アクム或は奴隸にしてイスラエル女を娶りし時も、同樣にその結婚は無效なり。花嫁の姉妹、他の宗教に改宗せし時は、婚約を破談となすことを得。
日曜日に結婚すべからず。
女その父の支配より離れし後は、未だ正式の結婚をなさざる時にも、その夫はこの女の第一の相續人たるなり。
同一日に如何程多數の女と〇〇するもよろし。然して之等の女總べてに對し通常の七つの祝福祈祷を唯一度唱へ與ふれば足れり。然れとも各々の女とそれぞれ相應に樂しまざるべからず。即ち處女とは七日間、既に××せし事ある者とは三日間を樂しむべし。
花婿、婚宴の費用を支拂はざる時は、花嫁の親戚、彼を強ひて支拂はしむるを得。
花嫁は婚禮贈物の證書を受取るまでは、花婿と唯二人となる事勿れ。證書に記せる贈物餘りに少き人の××は姦淫と見做さるべし。女は、死亡若しくは離婚以前に、女の持參金を讓渡するを得ず。女の持參金を受くる者は之に對しその女の扶養の保證を引受くる者なり。
もし土地の慣習ならば、最初の××に證人を立つべし。
仕事無き者は毎夜××すべし。町の勞働者は一週に二度、町以外に働く者は一度、駱駝を追ふ者は一月に一度、驢馬を追ふ者は一週一度、船乘りは六月に一度、教法師は安息日にのみなすべし。弱き者は何程爲し得るか試さるるなり。××は女の入浴したる日に爲さざるべからず。多くの女を持てる時は、之らを同一の家に住はしむるべからず。
夫、××を拒める時は、女に一週三十六銀の罰金を拂ふべし。之を支拂はざる時は、女は即時離婚を要求し、持參金の返還を受くべし。女、××を拒み、また彼と××するを厭ふ故に離婚されん事を願ふ時にも、女は持參金の返還を受くべし。然れども女唯惡意よりして××を拒みし時は、法廷は彼女に使を遣し、彼女に持參金を失ふべしと警告せしむべし。なほ聞かずば、猶太會堂又は學園に於て四月の間、某女はその夫に××を拒めりと告示せよ。然して後彼女は法廷により離婚さるべし。
の妻初めて捕はれし時は、夫は彼女を贖ひ出すの義務あり。然れどその爲に彼女の價値以上、即ちかかる女に對し普通拂はるる程度以上を支拂ふの義務なし。
女、永く病を患ふ時は、夫は持參金を返し、彼女を去らしむを得。
總べての女はその兒に授乳すべき義務あり。然れど離婚されたる時はその義務なし。もし自ら授乳せんと欲する時も、給金を受くるを得ず。
既婚の女を傷つけし時は慰藉料及び治療代をその夫に支拂はざるべからず。然れど苦痛・恥辱・美容毀損に對する罰金は、女の所有に歸す。
女の見付けし物は、夫の所有となる。
女は、その夫は之を自由になし得ずとの條件附にて贈物を受くるを得ず。但し、當該物件が彼女がそれにより身を裝ひ、飮み、又は好むままに振舞ふ爲に與へられたる場合を除く。 女、その夫に金錢を貸したる後、離婚されし時は、彼よりその貸金の返濟を受くる權利無し。
持參金は、その夫の死去の日若しくは離婚の日を支拂期日とせる手形の如きものなり。
法廷外に於ける誓言は、さまで嚴しからず。これ神により誓ふに非ず、又聖き物を手に取らざる故なり。よつて唯自己が身に呪禍を招くのみ。
月の穢れのめぐり正しからざる女その夫の許に留り得るや否やは、他の女達これを決すべし。
離縁を期しつつ女を娶るべからず。然れとも豫め女に向ひて、「吾汝と暫しの間婚姻すべし」と言ふ時は之を許さる。第一の女は、彼女に咎めありし時にのみ、離婚し得るも、第二の女は、好ましからざる時にも離婚し得。惡しき女又は品行よからざる女を去らしむるは、神の旨に適ふ故なり。
女、卵を燒きて之を食する程の間、他の男と唯二人にて居りし時は、姦淫の疑ひ充分なり。 賢者は命じて、イスラエル人はその女に對し嫉妬深くあれと言へり。その妻に對し嫉妬深き人は、清き靈のやどれる者なり。

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