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猶太と世界戰爭
U 猶太と世界戰争

五、日本と猶太

日支事變が單なる日支事變でないことは世人の常識であつて、蒋政權の背後が英米であり、ソ聯であり、佛蘭西であるとする考へ方は、ほぼ世界の常識となつてゐる。そしてこの事は一應は眞實であつて、我々もまた決してそれに反對するものではないが、しかし蒋政權の眞の背景がこれらの諸國そのものではなくて、これらの諸國に支配的勢力を持つてゐる國際的祕密力であることに思ひ及ばない時に、日支事變そのものの眞相が充分に明らかになり得ないことを我々の主張したいのである。蒋政權を援助してゐるのは、表面的には英米であり、ソ聯であり、佛蘭西であるが、事實に於てもそれはこれらの國に國籍を有してゐる猶太民族に外ならないのである。
この猶太は、日支事變に於ては、英・米系財閥として現はれ、ソ聯系共産黨として登場し、佛蘭西フリイ・メイスン祕密結社として姿を見せてゐるのである。そして特に注目すべきことは、これら三種の猶太政策の機關が、日支事變に關する場合にはそれぞれ國別に屬してゐるやうに見えるにも拘らず、何れも國際的性質のものであることであつて、英・米系猶太財閥と言へば既にその中に佛ソ等のそれを含み、佛蘭西系フリイ・メイスンと言へば既にその中に英米ソ等のものを含み、ソ聯系猶太共産主義と言へば既にその中に佛英系のそれを含んでゐるのである。かくて日支事變とは、結局上述の如き内容を有する日猶事變に外ならないのてある。
然し或人は、我々のこの説明に疑問を抱き、地底組織としてのフリイ・メイスン結社のことは問題外とするも、國際財閥と國際共産主義とが同一祕密力の下に統一されてゐるといふことは不可能であらうと主張するかも知れない。勿論、これらの三つの國際力は、必ずしもあらゆる時代に、あらゆる場所に於て、あらゆる問題に關して一致して來たものでないことは言ふ迄もないが、しかし團結心の強い猶太民族は、その世界支配を完成するためには手段の如何を選ばないのが常であつて、共同の外敵のない限り内部に於ても文字通りに血で血を洗ふ鬪爭をも厭はないが、一度外敵が現れる時には、自己の陣營内のあらゆる相違を捨てて一致するのである。そしてこれは猶太の歴史を多少とも知る者には自明の事であるが、なほこの點に關しては節を改めて記述することにして、ここでは猶太的世界政策機關の國際性の謎を解くものとしてこの民族そのものの國際性に關して、その歴史的根據と模範的實例とを擧げることにしたいと思ふ。
さて猶太民族の國際性を知るためには、この民族が文字通りの國際的民族であることを知り、更にその原因と目的が何處にあるかを知らねばならない。そしてこの點の謎を解くものは猶太教聖典としての「トーラ」及び「タルムード」であるが、これに關しては他の場所で論ぜられたことがあるので、ここでは極めて簡單に述べることで滿足したいと思ふ。
「汝寄寓人(やどりびと)として此の地にとどまれ。我汝と共にありて汝を惠まん。我これらの國を盡く汝及び汝の子孫に與ふべし。」
猶太民族の信仰によれは、「寄寓人」として逗留する國はやがてエホバの神の協力によつてみづからの所有となる、といふのである。この信仰は、幾千年かの猶太の歴史が證する通りに十九世紀までは文字通りに「寄寓人」として實現されて來たのであるが、實質上の猶太解放革命であつた佛蘭西革命以來は、表面的には「寄寓人」たることをやめて、寄寓する國の國籍を獲得しその國となりすましつつ、實行されてゐるのである。また彼等は、
「汝は汝の神エホバの汝に付したまはんところの民をことごとく滅し盡すべし。彼等を憫み見るべからず、また彼等の神に事ふるべからず。」
といふエホバの言を信じてゐるので、その國籍を有する國に決して同化することはしないのである。
かくて猶太は、國籍上は英國人であり、ソ聯人である、米國人であり、佛蘭西人であり、支那人であり、日本人であつても、實質的には飽く迄も猶太人としての自覺を有しなから、その世界政策を實行するのである。
以上が猶太民族の國際性の由つて來たる根據であるが、その目的が何であるかといふ點に關しては、改めて「トーラ」又は「タルムード」に典據を求める迄もなく、それが、これらの國を盡く自己の所有となし、その際にその民をことごとく滅し盡すところにあるのである。
然しこの過激な世界征服の手段は、非猶太人の道徳觀によつては到底想像だも能はないとこてあるが、猶太人に取つて手段が問題とならないことは、國際資本主義にせよ、國際共産主義にもせよ、國際フリイ・メイスン結社にせよ、常に陰謀と裏切りとテロとをその實行手段として來たことによつて證明されるであらう。そして猶太人にこれが可能であるのは、特に「タルムード」に明確に表明されてゐるその人間觀のためであつて、「神より生れたのはひとり猶太人のみであつて、他の民族は惡魔の子である」とか、「猶太人のみが人間と呼ばれるのであつて、非猶太人は人間と呼ばれず、動物と呼ばれる」とかいふのがその根本觀念である。從つてこの民族に取つては、非猶太人を殺戮することはエホバに忠實なる事であり、あらゆる非猶太人に對しては、人間としての猶太人に對する場合の如き對人責務は何等存在しないといふのである。勿論、猶太人の非猶太人に對して道徳的であることはあるが、然しそれは、タルムードに依れば、「非猶太人の感情を害したり、その敵意を惹起しないため」であり、また「それによつて損害を蒙らないため」であつて、決して良心からではないのである。
以上によつて猶太民族の國際性とその根據は大體に於て明らかになつたであらう。それ故に我々は猶太人のかかる國際性が如何なる形態をもつてその生活に示現し得るかを、現代の最も著しい例によつて述べて見ることにしよう。 猶太人トレービチュは千八百七十九年にハンガリーの一小邑で信仰の篤い金持の子として生れたが、親讓りで信仰心が厚く、猶太聖典「タルムード」の熱心な研究家であつた。猶太人らしい「頭のよさ」と「俳優性」を持つてゐて、十六歳の時には俳優になることを志望したが、父に許されず、商業上の用件で歐洲各地へ送られた。然しなほその志望を捨てず、遂にブタペストで俳優になつた。そして猶太人らしく、文筆業にも手を出せば、政治にも關心を持つに至つたが、猶太教が基督教徒間に好遇されないのを知つて、獨逸のハムブルクに於て新教に改宗し、やがて新教の牧師として加奈陀へ布教に出かけた。其處ではその「タルムード」によつて練磨された論理によつて牧師として成功したが、月給の問題でその教會を去り、敵方である英國教會へ轉じた。この時彼は年漸く二十三歳であつた。
その後彼は英國へ渡り、親猶反日獨伊のカンタベリー僧正に取入つて牧師生活を續けてゐたが、そのうちに父の遺産を手に入れると、地味な牧師生活を捨て、猶太人得意の改名をしてティモシー・リンカーンと稱し、千九百十年には三十一歳で英國の代議士となりすましたのであつた。しかし彼の猶太的放浪性がこの生活にも滿足を見出さしめなかつたのか、彼は大陸に歸つて、ガリシヤで採油業に手をつけ、百萬長者となつた。
やがて世界大戰が勃發するや、彼は英國紳士の資格で再び英國に渡り、獨逸語又はハンガリヤ語の書簡の檢閲係となつたが、獨逸側の間諜と見做されるに至つたので、米國へ逃走した。米國では英國の請求によつて投獄されたが、在獄中のままで獨逸の暗號電報の解讀を引受け、囚人らしからぬ酒と女との生活をしてゐた。十六年にはいよいよ英國へ引渡されたが、二年の刑の宣告を受けたにも拘らず、病氣といふ理由の下に病院へ移され、刑期を終了すると、直ちに獨逸へ移つた。この國では舊王黨と結び、やがてカップの右翼革命に加はつて成功せず、ミュンヒェンに逃れてソビエット紙幣の大僞造計畫を立てたが失敗したので、佛蘭西の一通信社と關係をつけたり、チェッコに渡つて僞造文書で政府を欺いて一儲けしたりした。
然し彼の猶太的放浪性は、歐米二大陸を股にかけることでは滿足せず、やがて支那へ移つて某將軍の顧問となり、歐洲に於て支那のために借款を成立せしめようと、文那大使の資格で二三の支那人を引具して先づ伊太利へ乘込んだが、ヴィーン市の家具商と稱する男に生涯始めての經驗として一杯喰はされ、また旅券僞造の科で捕縛されるに至つた。然しやがてまた彼は支那へ歸り、三度目又は四度目の改宗をして佛教徒となり、西藏に草庵を設けて照空和尚の名の下に墨染の衣を纏ふに至つたが、なほ政治活動をも忘れることはなく、ガロンの名の下に活動してゐた猶太人と共に支那の赤化工作にも關與したが、最近はまた事變下に種々の策動をしてゐるらしく報ぜられてゐる。
我々は必要以上にトレービチュ・リンカーン・照空の傳記を述べたやうであるが、しかしこれではなほ大網を記しただけであつて、彼の半生はまだまだ波瀾に富んでゐるのである。勿論彼の生涯に見られるやうな無責任な國際性は全猶太人にあてはまるものではないであらうが、しかしなほこれが深い象徴的意義を持つてゐることは疑ひ得ないであらう。變名乃至僞裝轉向は實にあらゆる猶太人に常に認められる特質であつて、例へば前ソ聯外交ソ聯の元締リトヴィノフの如きは、五つも六つもの名前を持つてゐるのである。

前節の記述から考へる時、國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン祕密結社の國際機關が、何故にすべて猶太の支配下に入るかが容易に明らかとなるであらう。即ち、他のあらゆる民族は、「血」の外に「土」に結び附いてゐるので、「土」を離れた國際性を取り入れることは殆ど不可能であるので、國際機關の運用に當つては、到底猶太と競爭する力はないのである。それ故に、國際機關の中には、本來は善良なる意圖の下に非猶太人によつて設立されたものもないではないが、然しそれらは、暫時のうちに猶太の侵入を受けて、殆どあらゆる國際的機關に利用されてしまふのである。否、それ位ではなくて、現在に於ては、殆どあらゆる國際的機關は猶太そのもの發起になつてゐるのであつて、さうでない場合には、たとひ、他民族に屬する者が正しい國際協調の精神から創設することがあつても、到底國際的に普及する見込はないのである。また假にかかる機關で國際的に普及してゐるものがありとすれば、それは猶太によつてその利用價値が認められて、その援助を受けてゐる場合に限るのである。事實如何に現代の國際的機關が、或は猶太そのものの設立になり、或は猶太の世界政策の機關となつてゐるかは、我々の既に論及した重大なる三組織の外に、國際聯盟を始めとして、ロータリークラブ、國際ペンクラブ、エスペラント運動、キリスト教關係の諸國際組織、殆どあらゆる國際平和團體、青年團體、婦人團體等が然りであることから理解出來るであらう。かの著名のドレフュス事件を契機として生れた佛蘭西に本部を持つ人權擁護同盟の如きも、事實は「猶太人權擁護同盟」に過ぎないことは、その内容を多少とも知る者には、佛蘭西に於てさへも常識である。 日支事變以來、「國際平和運動聯盟」なるものが、不公正なる宣傳乃至決議を事としてゐる理由も、その猶太性を知るとき極めて明らかになるのである。我々が他の場所でも説いたやうに、國際聯盟その他の平和主義團體は、眞の平和團體ではないのであつて、平和の名の下に戰爭を誘發し、その責を猶太政策の妨げになる國に負はせようとするものに過ぎない。然るに日本の朝野には、今なほその明治イデオロギー的西歐崇拜のために、かかる國際機關に對する迷信を捨て得ない人々が多數存在してゐる。自由主義者乃至民政主義者の大部分より赤化主義宣傳の殆ど全部に至るまでがさうであつて、所謂、インテリ階級と稱せらるる者の相當數もその中に入るのである。然し今や日支事件を機會として日猶の間の全面的抗爭が展開されつつあるのであるから、眞に祖國を思ふ者は、徒らに猶太の宣傳に躍つて、その世界政策に協力する事をもつて進歩的等と迷信することを止めるべきであらう。殊に當代に流行する僞裝轉向派の跋扈に深憂を抱かざるを得ない者には、第一次世界大戰期の獨逸その他聯合國に於ける内部破壞を目標とする猶太勢力の運動が他所事ならず思はれて來るのである。勿論我々は國内猶太戰線が如何に猖獗を極めようとも、それによつて皇國の運命に狂ひが生ずるとは考へないか、しかしなほ 陛下の赤子をして徒らなる猶太の犧牲たらしむることは、忠良なる一臣民として到底忍び得ないのである。世界大戰に於て結局獨逸が戰敗國となつたのは、内部に巣喰ふた猶太とその手先の策動のためてあり、その結果戰後の獨逸は全くの猶太國と化したのであるが、一方戰勝聯合國側も決して眞の戰勝を得たのではないのであつて、世界大戰の眞の勝利者が猶太であつたことは、多少この方面の事情を事實に即して見る人には自明の事實である。とにかく、今や猶太問題は我々焦眉の問題であつて、決して獨逸や佛蘭西からの輸入品ではないのである。今度の聖戰の意義がこの問題を正當に理解しない限り充分に明らかとなり得ないことは我々の幾度か説いた通りであるし、事變の結果もまたこの問題を正當に處置しない限り充分の成果を收めることは不可能であらう。
以上の如く説く時、それはすべてを猶太問題とすることであるが、世界の現象は猶太問題のみからは説き得ないのである、との説をなす人があるかも知れない。この説の一應正しい事は我々も認めるに吝かではないが、然しこの主張はあらゆる人間の言説が前提を持ち又必ず一面性を持つことを忘れた人によつてなされる事が多いので、多くの場合にそれは故意に猶太問題を否定しようとする意志の僞裝であるに過ぎない。精神史的に言へば、かかる抗議的主張の多くは所謂民政主義的自由主義者又は赤化主義者によつてなされるのである。また或る一種の人は、その日本人的善良さから抗議を提出することもあるが、自己の正しさのために相手もまた正しと見ることは、世界のあらゆる民族に對しては正しいかも知れないが、猶太人の場合のみにはそれは當てはまらないのである。猶太の歴史を説き、猶太の本質を説くことは、正義日本人なればこそそれを行ふべきであつて、日本人以外には正しい猶太問題の解決は不可能であるとさへ考へられるのである。勿論我々は猶太人が非猶太人を動物であると稱するのに倣つて猶太人を動物であると考へる者ではないが、しかし我々は猶太人によつて抹殺されたる全世界の非猶太人の人權を恢復し、猶太人によつて汚されたる人間の實相をその本來の姿に恢復しなくてはならないのである。とにかく、現代世界の萬惡の根源である猶太が、その幾千年の詐欺と裏切りとテロとの歴史を拭ひ得るためには、その「トーラ」と「タルムード」を燒き、その教會堂を破毀しても、なほ數千年の時日を要するであらう。
それ故に我々としては、猶太の手先となつて容共抗日の暴擧を犯した蒋閨閥とその軍隊とを討つ以上は、その正義の劍をもつて同時に猶太を討たねばならないのである。勿論、その劍は日本の劍であつて、單なる殺人劍ではないのであるから、幾千年の間人類が猶太によつて欺かれ、裏切られ、殺戮されたとは言ふものの、必ずしもその復讎として劍を取るのではなくて、我々の活人劍は、むしろ積極的に猶太をして人間の實相を恢復せしめ、然して正しき平和をこの世界に持ち來さしめるものでなくてはならない。
ここに我々は、現代日本の防猶又は反猶の歴史的意義に關して一言しておかう。所謂排猶運動は、それを歴史的に見る時、大體四つの段階を辿つて來たやうである。その第一は歐洲・埃及・波斯等の古代のそれであつて、この時代には猶太人は猶太國民としてその劣惡さのために排撃せられてゐたのであるが、次の基督教時代には、舊教によつても新教によつても、猶太は猶太教として排撃され、特に基督を殺戮せる者として指彈されたのであつた。次に猶太は、近世に於ては別個の思想と道徳の所有者として、その詐欺性と陰謀性のために排斥されたのであつたが、最新の排猶運動は、獨逸に始まり、伊太利に傳はり、今や歐米諸國に次第に傳播しつつある民族としての猶太の排撃である。勿論、この四つの段階ながらに、相互に共通の點を持つてゐるのであるか、その根源的な特質よりして命名すれば、大體上述の通りとなるのである。而して以上は主として歐洲の現象であるが、これは猶太の在來の活動の舞臺が歐洲であつた事からして當然であらう。
然し今や猶太の國際性が猶太の活動の舞臺を全世界とすると共に、神國日本の活動がまた世界的となつて來て、ここに例へば日支事變の如き日猶の全面的衝突となり、所謂排猶の第五の段階に入つたのである。そしてこの日本の排猶が單なる排猶でなく、防猶であると同時に正しき平和の確立をその使命とすることは前述の通りであるが、この意味に於ては、日本の手に依る猶太問題の解決こそ、内容的には上述の四段階をその中に含有すると共に、在來よりも崇高なる八絋爲宇の世界的原理に立つてゐるので、世界史的に見て最後的なものとならねばならないものなのである。勿論それには前述の如く今後なほ幾百千年の時日を要するかも知れないのであるが、然し神國日本を除いては、眞に猶太を討ち、人類を救ひ得るものはないのである。
それ故に、少數民族の虐待などといふ猶太の得意の宣傳に躍らされることなく、また猶太的また「文化」「科學」「ヒューマニズム」等の宣傳的モットーに眩惑させられることなしに、討つべきものは徹底的に之を討つべきであらう。流行の反英氣分に浮されて、その英國の中樞を支配するものが現在に於ては猶太であることを忘れ、英そのものを憎むために親猶を宣傳するに至つては、支那問題に限り英を裏切つて日本と協力しても可いことを申出てゐる猶太の手先であると疑はれても辯明の餘地はないであらう。殊にこの種の議論が愛國主義の假面の下に於て行はれる時最もその害毒は大きいのであつて、僞裝轉向流行時代の一産物としては珍しからぬ現象であるとは言ふものの、心ある人は充分に今後の成行に注目すべきである。自己の利益のために英國に裏切ることを約束する猶太は、同じく自己の利益のために將來また日本に裏切られるであらうことは自然の理であるからである。我々は眼前の利益に目が眩んで、皇國本來の使命を忘れてはならない。

我々の本來の目標は日本と猶太との關係を見ることであるが、既にこの點に關しては、主として日支事變を媒介とする場合ではあるが、以上に於ても多少は論及して來たのである。
しかしこの關係を眞に理解するためには、今や日本を十重二十重に取卷いて、世界支配の完成のために最後の努力をしてゐる猶太戰線の三つの幹線である國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン祕密結社に關して、それらが同一の根據に立ち、同一戰線に關することに就いて、前の記述を補つておかなくてはならない。前述の通りに、日本知識階級の間には、自覺的又は無自覺的に猶太戰線に躍る者が今なほ相當に見受けられるからである。
第一の國際資本主義に關しては、それが猶太資本閥に外ならないことは、日本でも現在では常識であると見做してよいであらう。世界の金の約八割をその手に收めて、米國の某々所にそれを死藏してをり、そのために金が經濟界を支配する現在の唯物的經濟機構に於ては、猶太資本閥の意志のままに世界の景氣不景氣さへ決定されるのが實状であると稱せられるが、この點に關しても今は語ることを差控へて、國際共産黨とフリイ・メイスン結社との猶太戰線に關してのみ述べて見たいと思ふ。
國際共産主義もまた猶太のものであると言はれるとき、資本主義の本山とも言ふべき猶太が自己の地盤を覆さうとする共産主義を援助しまた信奉することはあり得ない、といふ疑惑乃至反對論が發せられるのが常であるが、之は實にお目出度い議論であつて、猶太の宗教と人間觀とその歴史とを多少とも知る者には、兩者が表面的に對蹠的であるからこそ却つてその猶太戰線性が證明されるのである。とにかく、猶太人をも自己と同一の心理状態の民族であるとする所から來るこの類推作用に基づく反對説乃至疑惑は、猶太がそれを利用して既にその世界支配を將に完成しようとする點まで漕ぎつけて來てゐる所のものであつて、この一點からも猶太の「頭のよさ」と「心の冷たさ」とに對して、非猶太人の「頭の惡さ」と「心の暖かさ」とが對蹠的であることが窺われるのである。猶太としては、共産主義が共産主義であるから協力するのではなくて、その國際性が猶太國際民族の世界支配策に有效であるが故に援助するのであつて、これは手段を選ばぬ猶太としては當然のやり方なのである。從つて共産主義は、單に貧乏猶太人によつて支持される許りでなく、猶太財閥そのものによつても支持されるのである。否、それは猶太資本主義によつて特別に援助し助長されるのであつて、これは猶太の世界支配政策が主として資本主義猶太人の計畫であることから見ても當然であらう。即し、資本主義猶太人は、共産主義によつて非猶太人の資本を潰滅させ、非猶太人の宗教を癈棄し、非猶太人の政治的權力を轉覆させ、非猶太人の國家と家庭とを滅亡されようといふのである。而してこれがかの「トーラ」又は「タルムード」以來の猶太の政策であることは、前述の記述で充分に明らかであらう。それ故に共産主義は、猶太に取つてはエホバの命を果す方法の一つなのであつて、この點に於て國際資本主義と少しも衝突する所はないのである。
然らば猶太資本主義は如何にして實際に共産主義を援助するのかといふのに、それはボルシェヴィズム革命が主として米國財閥クーン・ウント・・レープの援助によつて遂行された例の示す通りに、資金關係に於てである。世界的組織を持つ共産黨が資金なしに國際的活動をなし得るとは何人も考へないであらうが、この一點から考へても、國際資本主義と國際共産主義とが同一猶太戰線であることは理解される筈である。それ故に、たとひ猶太の幾千年の歴史を知らない人も、世界の通信言論機關を支配してゐる猶太のその日その日の宣傳のみに躍らないだけの批判力のある人は、兩者が表面上相矛盾するが故に無關係であるといふ如き疑問を提出することに恥かしさを感ずるであらう。
實に猶太は、經濟學者リカルドー以來、マルクス、ラーテナウ等を經て、現在佛蘭西の赤色社會黨首領のブルムに至るまで、上述の二重政策を意識的に實行して來てゐるのであつて、リカルドーは銀行家であり、マルクスは敬虔なる猶太教徒(表面は改宗してゐたが、これは敬虔な猶太教徒がその世界政策のために意識的にする僞裝の代表的な場合である)であり、ラーテルナウもブルムも、日本の百萬長者とは單位の異つた億萬長者であるのである。
そしてこの事情は、最近佛蘭西で發見されたマルクス宛の手紙によつても判明する。即ち、彼の友人バルフ・レーヴィは彼に次の如く書いてゐる。
「全體として見れば、猶太民族自體が救世主であるかも知れない。世界に對する猶太民族の支配は、爾餘の人種の統合に依り、又小國分立主義の防壁なる國境や專制王國の拂拭に依り、そして到る處に於て猶太人に市民權を許容するであらう所の世界共和國の設立に依つて實現されるでせう。人類のこの新らしい組織の下では、イスラエルの子等は今後世界に擴がるでせう……彼等は到る處で、何等の抵抗も受けることなく、指導的要素となるでせうが、特にこの事は勞働者階級の支配權を自己の手中に確保することによつて安全に成就されるのです。この世界共和國に屬するあらゆる國家の政府は、プロレタリヤの勝利といふ假面を被る猶太人の手に例外なく歸するでせう。あらゆる私有財産が猶太民族の指導者達の所有となるのは勿論のこと、あらゆる公有財産もまた猶太人の管理下に入るでせう。かくてメシアの時代が來るや否や猶太人は世界のあらゆる國民の富を我物とするであらう、といふタルムード中の神の約束は實現されるでせう。」
この言葉によつて、マルクス主義そのものの本質は既に明瞭であらうが、なほ念のために我々はラーテナウにも耳を傾けることにしよう。
「相識の三百人が大陸の經濟的運命を導いて居り、後繼者を自巳の周圍より選ぶ。この不可思議な現象は、將來の社會の發展を暗示するものであるが、ここにはそれを記することは控へたいと思ふ。」
これは彼をして「赤の豫言者」の名を得しめた著明の語であるが、それが既に一九〇九年に書かれたものであることは、驚異に値するであらう。そちてこの三百人が猶太資本家乃至猶太的フリイ・メイスン結社員であり、「將來の社會の發展」とは世界大戰をも含む西歐に於ける猶太支配完成の時期を指示してゐることは、ラーテナウの他の活動及び言説から判明するのである。
「我々猶太人がこの世界に生れ出たのは何のためであるかを、君は知つてゐますか。あらゆる人類をシナイ山の前へ呼び寄せるためです。君は行くことを欲しないですか。もし私が呼ぶので駄目なら、マルクスが君を呼ぶでせう。もしマルクスでも駄目なら、スピノザが君を呼ぶでせう。スピノザでも駄目なら、キリストが君を呼ぶでせう……。しかし我々猶太人はまだその使命を滿たしてゐないのですから、この點で君が我々を非難なさるのは尤もなことです。」
ラーテナウに取つては、彼自身もマルクスもスピノザもキリストも、何れも猶太の世界支配の一指導者であるといふのである。資本主義もマルクス主義も「知性」哲學も基督教も、何れも猶太の世界支配の手段であるといふのである。甞て我々によつて紹介された今春(昭和十三年)の加奈陀共産黨の宣傳ビラが、「共産主義の資金網を形成する猶太人の財産を保護せよ」と書いてゐるのも、同じ事情を物語るであらう。
なほ我々は千九百十九年のヴェルサイユ會議の頃に於ける猶太自身の別の言葉を今一つ引用しておかう。それはその年の一月十六日の「猶太世界」誌の文である。
「國際猶太人が今度の戰爭を歐洲に強制したのは、多額の金を入手するため許りではなくて、これによつて猶太のための新らしい世界戰爭を始めんがためである。」
この引用は一言論機關の語に過ぎないのであるから、それに過大の豫言的意義を附することは適切でないかも知れないが、然し猶太がその純粹の猶太機關に於て内輪に發表するプログラム的言説は、極めてしばしば猶太の世界政策を暗示してゐることがあるので、それを全然無視することもまた適切ではないのである。例へばかの「シオンの議定書」の如きも、猶太がその僞作であることをあらゆる虚僞の捏造によつて否定する許りか、例へば近年瑞西ベルン市の法廷を煩わしてまでもその横車を押さうとしたにも拘らず、世界の動きと猶太の向背とがその僞作ではないことを證してゐるのみか、ベルンの法廷に於てさへ、猶太側の裁判官によつて猶太側の證人のみの言を用ひて判決されなかつた第二審に於ては、議定書を猶太政策のプログラムとする非猶太人側の勝利に歸したのである。この意味に於ては、この一猶太雜誌の言も注目に値するのであつて、世界大戰後の世界の動きは、「猶太のための第二の世界戰爭」の準備のために總てが計畫的に進められて來たのであり、今もまたさうである。
そしてその第二次世界戰爭とは、世界革命を目的として、英米佛ソ等の猶太支配諸國の聯合軍をして日獨伊全體主義國家と戰はしめることをその現在のプログラムとしてゐるのである。それ故に彼のスペイン問題に於て伊太利が立ち、チェッコ問題で獨逸が立ち、何れも猶太の計畫とは齟齬して獨伊の勝利に歸したのは、猶太としては取返しのつかない誤算であつたのである。
しかし猶太の誤算は、東の日支事變に於ても見られるのであつて、我々が幾度か説いた來たやうに、國民政府なるものは、その眞の姿に於ては、支那國民そのものとは何等の關係のないものであつて、それは東洋に於ける猶太の世界政策の協力者であり、番犬であるが、この蒋政權の究極の目標は、少なくともかの抗日政策の確立した日以來は、日本をも捲き込んでの第二次世界大戰の誘起にあるのであつて、これは少なくも蒋介石自身の昭和六年の元旦の宣言以來は確立してゐたのである。然し現在の事變の經過が示してゐるやうに、これは全く猶太政權の誤算となりつつあるのである。
かく西に於てはスペインとチェッコに於て失敗したのであるから、東に於てもまた日支事變に失敗するとすれは、將に完成せんとしてゐた猶太の世界支配は根本的に蹉跌することになるので、茲に蒋政權の長期抗戰と焦土戰術が必然的に生れて來るのである。ここに蒋政權が案外強靱な理由もあるのであつて、世界の猶太がその背後にあつて支持してゐるのである。

然し蒋政權のねばり強さの謎は、國際フリイ・メイスン祕密結社と蒋閨閥又は蒋政府との關係を知るに至つて一層よく判明する。この祕密結社に就いては、その起源・成立史・本質等に關して種々の説かあるので、ここではそれ等の點に就いて論及することを差控へたいと思ふが、少なくとも猶太解放革命としての佛蘭西革命以來それが猶太世界政策の一機關と化してゐることは、猶太人自身もしばしば主張してゐる所である。念のためにここにその二三を紹介してあかう。
「フリイ・メイスン結社は猶太の設立物であつて、その歴史・階級・職務・暗號・解釋は徹頭徹尾猶太的である。」
これは千八百六十六年に於ける亞米利加の有力な猶太人アイザーク・エム・ワイズの言であるが、後述する純猶太祕密結社ブナイ・ブリスの會員ゲー・カルペレスは千九百二年に此の結社の記念論文集に次のやうに書いてゐる。
「フリイ・メイスン結社の設立者は、猶太の最盛期を到來せしめたソロモンであると稱せられるが、それに相應はしくも、フリイ・メイスン結社といふイデーは内面的必然性をもつて猶太人の世界から生れたのである。用語や名稱は大部分ヘブライ語である。」
更に新しくは、千九百二十八年の佛蘭西のフリイ・メイスン結社の一機關誌「象徴主義」に次のやうに記されてゐる。
「フリイ・メイスン結社の第一の行爲は、神的な智慧を不變のままに保持して來た猶太民族を讚美することである。。」
次に新らしい例を獨逸に求めるならば、千九百二十五年のフリイ・メイスン結社の一機關「アウフ・デル・ヴァルテ」には、
「フリイ・メイスン結社員となるためには、狹隘なる獨逸的祖國的立場を捨てて、選ばれたる人即ち獨逸猶太人とならねばならない。」
と記されてゐる。
これを換言すれは、ルーデンドルフ將軍以來著名の語となつてゐる「人爲的猶太人」とならねばならない、といふのである。純猶太フリイ・メイスン結社として現在の世界に大きな勢力を持つてゐるブナイ・ブリス結社の會員が猶太人であることは自明であるが、その他フリイ・メイスン結社の會員もまた、上述の諸引用によつて見ても、すべて「人爲的猶太人」と稱せられて差支へないのである。普通フリイ・メイスン結社は三十三階級に分れてゐるが、その幹部級が現在では大部分猶太人であるか、猶太と何等かの點で利害を一にして結合してゐる者であるのが實状なのであつて、ミュンヒェン・アカデミーのエッケルは既に千八百八十四年に、「シュルハン・アルフ」よりの拔粹「猶太鏡」の眞僞が法廷で問題となつて時、その鑑定家としての研究の結果を述べた書物の中で、「猶太當局者に服從することが、フリイ・メイスン結社の責務であり、現實である、」と言つてゐる。
なほフリイ・メイスン祕密結社の眞の目的は、その第三十三階級にまで上つたが遂にこの結果の僞瞞政策に良心の苦痛を感じて脱退した獨逸のレーリヒの手記に依れは、祖國を捨て、傳來の宗教を捨て、國民協同體と民族とを否定して、所謂『自由・平和・博愛』に生きることであるといふのであるが、これが國際民族としての猶太民族に最も好都合であることは、改めて説明する必要はないであらう。從つてこれが、猶太の世界政策としてのマルクス主義及びボルシェヴィズムに連結され、またその温床としての自由主義と相通ずるものであることはレーリヒ自身も明らかに認めてゐる通りである。
さて蒋政權とフリイ・メイスン結社との關係を明らかにするためには、支那革命の祖である三民主義の主唱者孫逸仙その者が既にフリイ・メイスン結社員であつたことから説かねばならない。この點に關しては既に我々によつて論ぜられたことがあるので略述するが、孫の屬したフリイ・メイスン結社は、最も凶惡で最も勢力があるとされてゐる純猶太結社ブナイ・ブリスであつたのである。この點から見る時、孫逸仙は單なる「人爲的猶太人」ではなくて、古き昔の猶太國滅亡の際に支那へ漂泊して來た猶太人の血を享けてゐる所謂「支那猶太人」であるかも知れないのである。また、蒋介石その他國民政府の要人も、殆ど例外なくフリイ・メイスン結社員であることが判明してゐる。從つて彼等の信奉する三民主義なるものも、巧みに僞裝されたフリイ・メイスン主義であり、從つてそれはそれだけで既に猶太共産主義又はボルシェヴィズムと親近性を持ち、從つて、國民政府が直接間接に猶太の支那搾取の代用機關であることが判明するのである。容共抗日策の總ては、殆ど例外なく猶太人顧問の手によつて實行されたものであつて、貨幣改革の如きも猶太資本家サッスーンと英國政府財政顧問といふ肩書を持つ猶太人リースロスとの合作に外ならない。國民政府を援助するために送られてゐる猶太人は、ソ聯より來たガロンその他であらうと、英米佛の大使の肩書で來てゐるジョンソン、ヒューゲッセン、ナジャール等であらうと、また國民政府顧問として西安事件に蒋の救出に活躍して名をあげたドナルドであらうと、何れも猶太人ならぬ者はないのであり、またその多くは同時にまたフリイ・メイスン結社員であるのである。
殊に彼等の大部分が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の會員であることは注目に値するであらう。かの著名の「シオンの議定書」は、今ではブナイ・ブリス結社の世界政策のプログラムであると信ぜられてゐるか、容共抗日支那に行はれていることは、その地上的事件であらうと、地底的事件であらうと、すべて猶太的フリイ・メイスン的ならぬものはないと言つても過言ではない。
最後にフリイ・メイスン結社に關する認識が日本朝野に缺けてゐる理由に就いても一言しておかう。日本朝野のこの結社に對する態度は、一般猶太人問題に對するのと全く同一であつて、猶太戰線性の多い者ほどにこの結社に就いて知ることを拒否するのである。それが表看板に慈善的相互扶助團體としてゐるのを盲目的に迷信するのはまだよい方であつて、かかる祕密結社の存在を疑ふ者さへあるに至つては正氣の沙汰ではないのである。之は日本人の公明さのためでもあるが、しかし所謂知識階級にこの種の無批判者流の多いことは、日支事變とのその後の世界と日本との情勢に思ひを致す者に取つては、由々しき大事である。勿論、フリイ・メイスン結社そのものは日本にはない。あつてもそれは外國人のみが出入するに過ぎない。日本政府とフリイ・メイスン結社との間の紳士協定によつて、日本人は國内に於ては入會し得ず、またその會合に出席し得ないことになつてゐるからである。しかしフリイ・メイスン結社の祖國である英國は、皇室を始め有力者の殆どすべてが結社員であるので、英國に駐在する帝國使臣は、儀禮的又は便宜的にそれに加入することがあり、日英同盟の立役者であつた林子爵の如きは、相當の高級結社員にまで昇給してゐたことは外國のフリイ・メイスン結社に關する書物にはしばしば記されてゐる。我々は、この外交上の習慣乃至傳統が現在どうなつてゐるかは知らないか、フリイ・メイスン結社に於ては、脱會後さへも結社の祕密を守ることを生命をかけて誓約するのであるから、この點に關しては可成りの注意を要するであらう。
殊にこの紳士條約の裏面を潛るためとも見えるロータリー・クラブ、國際ペンクラブ等が、表面的にはフリイ・メイスン的な美名の下に、次第にわが國の上層有産階級を侵蝕しつつあることは、決して忽諸に附すべき現象ではないであらう。創立者も宣傳者も猶太人であるこれ等の結社は、現在ではなほその害毒を表面に出してはゐないとしても、心ある日本人はその美名に釣られて、猶太の世界政策の手先となり終ることのないやうに反省すべきであらう。
それ故に我々は、以下日本と關係ある猶太人を述べるに際しても、彼等がフリイ・メイスン結社員であるか否かに關しても出來る限り注意して行くことにしよう。

一般論が長くなつたので、ここで筆を轉じて、いよいよ具體的に日本と關係を食つ猶太人に關して記述することにしやう。勿論、日本と關係のある猶太人と言つても、上述のことで明らかなやうに、その限界は決して明瞭ではないので、ここては主として現存の猶太人を見ることにし、時としてさうでない者にも及びたいと思ふ。なほ國際民族としての猶太は、これまた既述の通りに、現在に於ては獨立した猶太國を持つてゐないのであつて、例へばパレスチナ又は滿洲國の北部に隣接するビロン・ピシャン州の如きは大局から見て問題とならないのであり、從つて彼等は、常に表面的には英國・米國・ソ聯人・佛蘭西と稱してゐるのである。日本との關係に於ては、彼等は何れもこれらの國人として登場して來るので、特に我々の關心を要するのである。
現在わが國に渡來してゐる外國人は、猶太的ソ聯を脱出して來た露人又は東洋人を除く時には、約八割は猶太人(或は祕密結社員)であつて、反猶國獨逸の國籍を持つてゐる者の中にも、獨逸現政府成立以前又は以後に渡來した猶太人が相當にあるのである。殊に注目さるべきは、學校關係又は音樂關係の猶太人であつて、彼等の手を通じてなされる組織的文化ボルシェヴィズムは、わが國將來のために、充分に防禦されなくてはならないであらう。防共日獨間に締結された文化協定を生かすためには、先づこの點の處置が大切であらう。とは言へ、事業方面に進出してゐる猶太人や言論機關へと奸策を以て魔手を向けてゐる猶太人もまた決して放置さるべきでないことは言ふ迄もない。しかし我々は、ここでは主として、わが國を圍んでスクラムを組んでゐる猶太支配下の諸國の中樞に地位を占めてゐる強力猶太人のみに就いて語りたいと思ふ。
猶太勢力がその國に於て優勢である順序に論ずる時に、第一に擧ぐべきはボルシェヴィズム國ソ聯である。
最近のスターリンの政策が反猶的であつて、かの所謂肅清工作の如き猶太勢力の削減のためであり、元來トロツキーの追放そのものが然りである、といふ説も行はれてゐるが、これは一部のためにする宣傳であつて、少なくとも最近まではトロツキーとゲー・ペー・ウーとは連絡があつたのであるし、從つてスターリン派もトロツキー派もその中樞を形成するものが猶太人であることを知るとき、兩派の間の鬪爭は暗默の諒解の下に表面的に繰返されてゐたかにさへ見えるのである。或は精々の所、唯物論者にふさはしい私刑の相互賦課であつて、權力猶太人の私鬪が所謂肅清工作となつてゐるのである。スターリンの義父カガノーヴィッチの閨閥が健在であつて、ソ聯の重要地位の幾つかを占め、ロボットとしてのスターリンを躍らせてゐる限り、ソ聯は文字通りに猶太の獨裁國であつて、これは所謂プロレタリヤ獨裁の眞相であり、マルクス自身の趣旨にも叶つている。
然しソ聯の猶太性を解するためには、その思想的元祖であるマルクスを顧みなくてはならない。彼が猶太人であることを知らない者は今では世界中に一人もゐないと言つて差支へないであらうが、モルデカイを本名とする彼は猶太人中でも最も猶太的である猶太法師の子であつて、前にも論及した通りに、便宜上改宗したが、實際には熱心なタルムードの信仰者であつた。そして彼が如何にタルムード精神に富んでゐたかは、千八百七十一年の巴里共産黨騷動に際して、巴里の猶太富豪ロスチャイルド家は掠奪せぬやうにとマルクス自身が指令を出してゐることでも判明するのである。このことは、古くは佛蘭西革命、大戰後の獨逸に於ける諸赤化系騷擾、ハンガリー共産革命、そして最も大規模にはソ聯ボルシェヴィズム革命、最も新らしくはスペイン人民戰線革命などに於て、猶太系富豪が何等の損傷を蒙らず、猶太教會堂が多くは破壞の運命を免れてゐるといふ事實によつても證明されるのである。なほ注目すべきことは、マルクス自身もフリイ・メイスン祕密結社員であつて、千八百四十五年十一月十七日にベルギー國ブリュッセルの「社會主義結社」の會員となつたことである。彼の父猶太法師もまた祕密結社員であつたことは言ふ迄もない。
ソ聯猶太革命の先驅者ケレンスキーが猶太人であり、且つフリイ・メイスン結社員であつたことは割合に知られてゐるが、ボルシェヴィズムの元勳レーニンもまた母系の猶太人でありフリイ・メイスン結社員であることは、なほ充分知られてゐないらしい。然しレーニンの場合に特に注目すべきことは、その細君のクルプスカヤが純猶太女であつた事であつて、我々がしばしば他の場所でも説いて來たやうに、猶太女を妻としてゐる非猶太人の場合は、日本に於てさへもその例があると言はれる通りに、その行動は純猶太人の場合よりは過激にして無良心なることが多いのである。猶太人が非猶太女を妻として迎へることは猶太法によつて嚴重に禁止されてゐるのであるが、猶太女は猶太の世界政策に積極的に有效である場合には非猶太人に嫁ぐことを許されてゐるのであつて、その最も普通の場合は、有力なる非猶太人の細君を毒殺又は三角關係によつて除き、その後釜として据るやり方と、將來有望の非猶太人を捕虜にするやり方とであつて、夫を操縱して猶太のために働かせる許りでなく、子供を猶太的に教育するのである。從つて猶太人の場合よりも、猶太女を妻とする非猶太人の場合の方が惡質であり得る場合の多い事が理解されるであらう。それ故に、假に或論者の説のやうにレーニンが母系の猶太人でなかつたとしても、後のボルシェヴィズムが猶太性のものであることは疑ふ餘地はないのである。後述するスターリンの場合も事情は全く同じであることは、その血にふさはしく或はその「人爲的猶太人」であるにふさはしく、飽迄殘忍性を帶び、また拜金的で、淫亂性であつて、その死は正眞證明の腦梅毒性半狂亂であつたと言はれてゐる。
スターリンもまた猶太系であることは、昨年十一月の佛蘭西系雜誌「ル・ジュルナール」の明らかにした所であつて、その母は猶太行商女であつたと言はれてゐる。しかしこれは眞でないとしても、彼の政策が猶太的であることは、その妻がカガノーヴィッチの娘であることで判明する。その後幾度か彼の赤い戀が傳へられたか、何れもこの事情を世界的に誤魔化さうとする作爲にすぎない。何れにもせよスターリン自身が猶太の單なるロボットに過ぎないことは、本年六月三日の猶太雜誌「アメリカン・ヒブリュー」紙が彼を「共産主義の鉛の兵隊」と言つてゐるのでも判明するし、また一亞米利加猶太人が千九百三十四年に既に、スターリン政權の實權はカガノーヴィッチ閨閥にあることを説き、カガノーヴィッチこそツァー(露西亞皇帝)の國の眞の支配者となるであらう、と述べてゐることからも明らかであらう。それ故に我々は、ソ聯の一部にカガノーヴィッチ王朝と言はれてゐるカガノーヴィッチ閨閥に就いて一言しておくことにしよう。
前述の如くに、この閨閥は次第にソ聯の重要なる地位をその手に收めつつあるのであつて、今はそれを一々列擧しないが、恐らく今後は一層さうなつて行くであらう。幾度の肅清工作に際してもいまだ甞て一度も噂にさへ上らなかつた猶太高官はこの一家だけとも言うべきであつて、實權を次第に掌握しつつありながらも、とかく餘り表面に立ち現はれない所は、この一家が猶太的なタルムード論理を充分に會得してゐるためであらう。あらゆる肅清工作は、この閨閥に不都合な者の絶滅がその目的であると言はれてゐるのも決して故なきことではないのである。
ソ聯と關係のある猶太人と言へば、今は追放の身ではあるが、トロツキーを見落してはならないことは言ふ迄もない。猶太資本の援助によつて遂行した革命の土地を追はれたとは言へ、なほ彼がボルシェヴィズムの信奉者であることは、彼が猶太人であることからのみ見ても當然であつて、現在の彼の目標乃至使命は北米の赤化にあるのであるが、その北米とソ聯との關係が最近多少の動搖を見せてゐるとは言ふものの、久しく極めて親密であつたことを知る時には、スターリン及びトロツキー兩者自身が如何に考へてゐるかにも拘らず、兩者共に相携へて猶太戰線に立つてゐることだけは間違ひないのである。なほトロツキーがフリイ・メイスン結社員であつたことは、彼の自傳に、「それは如何にも不思議に響くであらうが、自分をマルクス主義に導いた最後の橋はフリイ・メイスン結社であつた」と書いてゐるのでも判明する。なほこのトロツキーの語は、フリイ・メイスン結社も共産主義も國際資本主義も何れも猶太的陣營の一部であることを證明するに役立つであらう。
ボルシェヴィズムの猶太性は、ソ聯外交部長のリトヴィノフが猶太人であり、最近まで東洋に權勢を振つてゐたブリュッヘル將軍もヒェジーンといふ本名の猶太人であり、最近辣腕を謳はれてゐるメヒリスもまた然りであることや、殺人鬼として世界にその惡名高きゲー・ペー・ウー長官ヤゴーグのみならず、ラデックもまた然りであつた事を知る時に、一層明らかとなるであらう。そして之等の猶太人は殆ど例外なく別の本名を持ち、また通名としても他になほ幾つかの名をさへ有してゐるのである。リトヴィノフの如きは、約三十年前のスターリンとの共同の文字通りのギャング時代から今日に至るまで、數個の改名をして來てゐる。特に著名のものでも、ヴァラッハ又はフィンケルシュタインといふのがある。また前に論及した「アメリカン・ヒブリュー」はソ聯と英米との接近を彼の功績であるとし、「ルーズヴェルトを買收した」のも彼であるとさへ明らかに言つてゐる。なほ彼に關しては、彼が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の會員であることも忘れてはなないであらう。
ボルシェヴィズムとフリイ・メイスン結社との關係に就いて述べておきたいのは、表面死刑に處せられた猶太人ラデックがフリイ・メイスン結社の有力な會員であつたがために事實上助命されたことであり、また一時禁止してゐたフリイ・メイスン結社をスターリン政權が近年に至つて再許可するに至つたといふ事實である。
なほゲー・ペー・ウー長官としてヤゴーグ以上の辣腕と稱せられたエジョフ及び總理大臣格のモロトフの二人が、スターリンと同じく猶太女を細君としてゐることも附記しておく値かあるであらう。それ故に相當に實權ある著名な非猶太人としては唯一人思想的には空虚なヴォロシーロフがあるだけであると稱せられるのも故なきことではない。

ソ聯が共産系猶太の本山であるとすれば、資本主義猶太の本山は現在では米國である。然し共産主義ソ聯が所謂民主政策の採用などといふ名目の下に次第に資本主義化しつつあるのに對して、米國はジュー・ディールと評されるニュー・ディール政策等によつて次第に赤化しつつあることを見る時、兩者が最近迄國交上極めて親密であつたのは自然の理でらう。三人に一人が猶太人である俗稱ジューヨーク本稱ニューヨークを有することによつて象徴的に示されてゐるやうに、現在最も多く猶太人の居住してゐるのは米國であり、また最も富裕且つ有力な猶太人の最も多く集つてゐるのも米國である。最も過激であると稱せられる純猶太フリイ・メイスン結社ブナイ・ブリスの所在地が米國であり、また日本で燈臺社として知られてゐる僞裝猶太的基督教團體の本據が米國であることを考慮する時、如何に米國が猶太の天國であるかは判明するであらう。
さてこの米國とわが國との現在の關係に筆を進めるのに、今後わが國として最も注目すべき國はこの國であらう。先づ十一月三日の帝國政府の聲明に關する米政府の態度を見るのに、それへの暗默の解答とも言ふべきものは、一昨年十一月のブリュッセル會議後のデヴィス代表の報告の發表であつて、それによつて所謂九ヶ國會議の再會を暗示して威嚇的態度を取つてゐるのである、と傳へられてゐる。また別の報道によれば、現實主義の英國は現地の情況に即應した政策に轉じつつあるが、米國は相變らず理想主義を捨てず、九ヶ國條約又はケロッグ不戰條約を正面にふりかざしてゐるとも傳へられてゐる。
ここで想起されるのは、滿洲事變の頃に於けるスティムソン國務長官の理想主義的恫喝外交であり、イーデン前英國外相の反日獨伊理想主義外交であるが、これらの外交が何故に常に反日獨伊であるのかの謎は、國際聯盟始め所謂理想主義外交機關なるものが、猶太人の手により猶太の利益のために現實を無視して頭腦によつて構成された抽象的存在であるからに外ならない。國際聯盟が、その起源から見ても傳統から見ても、その一貫した人的構成から見ても、殆ど全く猶太機關であり、またフリイ・メイスン結社系機關であることは、今更一々實例を列記して説明する必要はないであらう。所謂不戰條約もまた猶太人にしてフリイ・メイスン結社員であるケロッグの策謀であり、九ヶ國條約もまた支那の門戸開放等の着目の下に支那に於ける猶太の獨占的地位を確立しようとする猶太側の策謀に過ぎないことは、ここに特に力説しておく必要があるのであらう。とにかく、國際聯盟及び他の米國主唱の諸國條約は、現在では例外なく猶太の世界政策機關であることが判明するのである。それ故に、米國が表面上國際聯盟に加盟してゐないことは、むしろ却つて猶太政策に取つては有效なのであつて、一方に失敗した時は他を以て當らうとする猶太式の二重政策に過ぎないと考へられる。それ故に帝國政府が最近國際聯盟とのあらゆる協力を斷絶したのは日本外交としては稀に見る英斷であるが、しかしこれによつて猶太的國際聯盟との關係は希薄になつたのではなく、米國經由で猶太聯盟の意志は今後もわが國に傳わつて來るであらう。
とにかくこのギャングの國は、その對内外の政策に猶太的ギャング性の見られる事が多いので、利益關係の如何によつては、その表面的な中立は何時急變して來るかもはかり知られないのである。この事は、世界大戰時に於ける米國の態度に最もよく表明せられてゐる。殊に近來注目すべきことは、單なる通商協定以上の協定が英米加奈陀間に締結されたことであつて、ミュンヒェン會談に於て一敗を喫した英佛の猶太が、英に於ては猶太派のイーデン、チャーチル又は勞働黨猶太頭首等の口を借りて、佛に於ては植民相マンデル又は猶太黨首ブルムの率ゐる社會黨その他の左翼諸黨の力を借りて主張して來た所のものが實現されたのであるとも言ひ得るであらう。
さてここで直ちに個々の代表的猶太人に移ることにするが、その代表的人物の先頭に立つ者がルーズヴェルト大統領であることは言ふ迄もないことであらう。即ち、彼は、その血統から見て十七世紀頃にスペインから流れ込んで來た猶太人の一家に生を享けたのである。また彼はフリイ・メイスン結社員であつて、オッド・フェロウ結社の第三十二階級に屬すると稱せられてゐる。その息子(何れも祕密結社員である)の一人が昨年頃大武器會生の猶太人社長の娘と結婚し、またその息子がハリウッド入りをしたといふことも、彼の猶太血統を證明するには充分であらう。英米その他の武器會社の大部分、また米國の映畫會社とその俳優の大部分が猶太人であることは、世界の言論通信機關の場合がさうであるのと同じく、今では世界の常識である。
また、ルーズヴェルト大統領のブレン・トラストが殆ど全部猶太人であることも隱れなき事實であり、それ故にそのニュー・ディールは、ジュー・ディールと惡評されることもあるのである。かく猶太人として猶太人の利益を中心として政策を立てることは、彼が常に「ファッショは人類の敵である」と言つてゐることの意味をも證明するであらう。猶太政策の最も有力なる邪魔物であるファッショ及びナチスはそれが猶太人によつて人類の敵と呼ばれるそのことのみによつても、既にその政策が正しい人道政策であることの證明を受けたとさへ言はれるのである。かくてルーズヴェルト大統領個人の場合を見ても、國際資本主義が猶太主義であり、從つて結局共産主義であることも判明するのである。
國務長官ハル自身は猶太人ではないが、しかしソ聯又はデモクラシー諸國の多くの有力者の場合がさうであるやうに、彼の場合もまた細君は猶太女であり、それもかのボルシェヴィズム革命の資金主であるクーン・ウント・レーブ會社長の親類の娘なのである。それ故に彼の政策がルーズヴェルト大統領のそれと根本的には完全に一致することは疑のないことであつて、獨墺合併の際及び最近の獨逸に於ける猶太人排撃に際してハル長官の發した米國式人道主義の衣を着た猶太保護の宣言は多少この方面の事情に通じた者ならば、それが大統領又は國務長官の背後に立つてゐる富裕な有力猶太人の指令であることを直ちに感得するのである。東西兩洋に於て猶太の世界支配がかなりの動搖を來たしてゐるのを考慮すれば、この系統の宣言的言説は今後一層激しくなるであらう。いま猶太に取つては、その存立に拘る危險が迫りつつあるのである。
ここで多少本論を外れるが、盟邦獨逸及び伊太利の最近の對猶太人態度に關して一言しておきたい。伊太利が最近になつて、猶太問題に關して獨逸と殆ど同一の態度を取るに至つたことは、新興精神に生きる全體主義國家としては、欲すると欲せざるとに拘らず、猶太人を自己の體内より排除せざるを得ないことを證するものである。また獨逸の最近の猶太排撃は、猶太系通信機關を通して來る日本の諸新聞の記事のみからは判明しないが、決して獨逸方に非があるのではなくて、デモクラシー諸國に於ける猶太人が組織的に長年月に亙つて獨逸貨ボイコットを繼續して來てゐるのに對する一種の報復が、今度の機會に表沙汰となつたにすぎないのである。獨逸貨は、デモクラシー諸國に於て、日本貨が支那に於て事變前に受けてゐたのと同じボイコットを受けてゐるのであつて、獨逸が自己の生存のためにその組織的ボイコットに對して或種の手段を取ることは當然のことであらう。
米國に關する部分が長くなつたので、以下は極く簡略に述べなくてはならない。外國電報は屡々純猶太フリイ・メイスン有力結社員バルーフが大統領と會見することを報じてゐるが、彼こそは米國の「無冠の帝王」と稱せられる有力な猶太人であつて、彼の動くところ軍擴ありまた戰爭ありと稱せられ、ルーズヴェルト大統領自身彼を「米國中の最も取るべき人間」と呼んだと傳へられてゐる。
次は墺國生れの猶太人フランクフルター教授であつて、「最有力の米國民」と稱せられる彼は、バルーフと同じく時として大統領以上の權力を有すると言はれるが、それは彼がその背後に無數の共産主義系團體及び本質的に赤化してゐると稱せられる米國の大學の勢力を持つてゐるからである。高等法院有力判事ブランダイス及びウィルソン大統領以來の名物男ハウス大佐も猶太人でありフリイ・メイスン結社員であるが、紐育州知事レーマン及び紐育市長ラガルディアもまたさうであることは誠に驚異に値するであらう。特にラガルディア市長のヒットレル總統侮辱は有名であるが、これは彼が猶太人である許りでなく、ゲー・ペー・ウー長官ヤゴタと共に殺人鬼として世界にその名を轟かしたハンガリヤ赤色革命の張本人ベラ・クーンの親戚であることを考へるなならば、それは容易に理解出來るであらう。また日本人としては、物理學者として著名なアインシュタインが猶太人でありブナイ・ブリス結社員であって、獨逸在住時以來隱れもなき共産主義シムバであることをも知つておくへきであるし、近頃日獨いぢめで名を賣つてゐるピットマン外交委員長は勿論のこと、その反對派である如くに見えるボラー議員、その他ブルム議員等がすべて猶太人であることも忘れてはならない。

次は英國が問題となるのであるが、甞ては猶太資本主義の中樞であり、また歴史的にはフリイ・メイスン祕密結社の本地であつたこの國も、世界大戰後前者は米國に、後者は佛蘭西にその地位を奪われた結果、今は老大國として次第にその世界帝國の影は薄くなりつつあるのである。しかし、過去幾世紀の間アングロサクソン民族の帝國主義的世界侵略の背後にあつて常に策動し、その結實を殆ど獨占的に横取りしてゐた猶太勢力の根は、今なほ相當に強靱なものであつて、我々のしばしば説いた通りに、表面的には日英事變とさへ見ゆる日支事變も、更によく見れば日猶事變であることが判明するのてある。その理由は、在支英國財閥は例外なく猶太財閥であるからであり、そして前にも論及した通りに支那の貨幣改革もこの猶太財閥を中心としてなされたのであるし、また最近わが國にも時折半ば祕密裡に來朝して朝野の名士と會談する許りでなく、しばしば待合にさへ出入するといふポール・バッチなる人物が、表面的には駐支英國顧問であるにも拘らず、單なる英國人ばかりではなくて、在支猶太財閥と密接な關係を持つ民族であるに違ひないからである。とにかく英國の對支政策は、本國の意志よりも現地猶太の意志の侭に動くことが多いと稱せられてゐるが、最近の英國の現實外交が現地即應主義であるといふ噂を想起する時、これはなかなか興味のある問題である。然もその現地猶太には、支那問題に限り、英國に裏切つて日本と協力したいとさへ仄かしてゐると言はれてゐるのをも考慮する時、我々はこの場合にも猶太の常套的二重政策を感じないでは居られぬからである。一時的には頭を屈すると見せて、相手の虚をつき、それによつて實質的利益を手に收めようといふのが、自己の方針に誤算を來たした場合に猶太の取る常套手段であることは歴史の證する所である。
かく考へて來る時、ミュンヒェン會談以來の英首相チェンバレンの態度が眞に非猶太人的平和意志から出てゐるものであるか否かが疑はしくなるのである。殊に彼にもまた母親の猶太の血が流れてゐるとか、また彼が有名な武器會社の株主であるとかいふ説のあることを考へる時、その疑惑は一層深まるのである。
我々が以上に多くの疑問符を英首相の行爲に對して附したのは、この首相の率ゐる内閣が、英國内閣たるにふさはしく、多數の猶太人又は人爲的猶太人を含んでゐるからである。十一月五日頃の海外電報は、ホーア・ベリシャ陸相がウッド空相と共に猶太武器會社の利便のためと言はん許りに軍需省の設置を強硬に主張し、「陸相としての任務を滿足に遂行する方法が與へられないならば、辭職する外はない」と威嚇してゐると傳へているか、このホーア・ベリシャ陸相こそは、將來の英國を背負つて立つ猶太の代表者であるとして、猶太側のホープとなつてゐるのである。前にも引用した「アメリカン・ヒブリュー」紙は英のホーア・ベリシャ、米のルーズヴェルト、ソ聯のカガノーヴィッチとリトヴィノフ、佛蘭西のブルムを猶太の將來を保證する立役者であつとしてゐるのである。
理想主義外交家としてその反日獨伊政策で有名であつた國際聯盟主義者イーデンがこの内閣から退き、今はハリファックスが外相となつてゐるとは言へ、なほ外務省そのものは猶太人次官を始めとして、大部分がイーデン派で固められてゐるので、省内の萬事はイーデンに筒拔けであると稱せられてゐるが、彼の祖父が猶太人の多いポーランド人であり、その細君がリトヴィノフの細君と姉妹であるといふのであるから、その政策が猶太的でないとは何人も主張し得ないであらう。この點はとにかくとしても、彼が高級フリイ・メイスン結社員であることは事實であつて、それ故にこそ彼が猶太主義者であり、聯盟主義者であることも理解が出來るのである。英内閣のうち、陸軍省と外務省とが最も援蒋的反日的であると稱せられてゐるが、その謎は我々の記述からして自明の事となつたであらう。
しかし英の反日派は、有力なるものだけを見てもなほ以上では盡きないのであつて、所謂國際聯盟派と稱せられるチャーチル乃至ロイド・ジョージ等のフリイ・メイスン結社派もまた援蒋反日派である。猶太フリイ・メイスン結社員であるチェッコ前大統領が英國へ渡つてのも、猶太フリイ・メイスン戰線の再起を計畫するために英國が好適であるからに外ならない。
なほフリイ・メイスン結社系の反日主義として注目に値するのは、かつて日本の基督教徒からさへも反省を促されたカンタベリー僧正の場合であつて、彼は單に反日である許りでなく、全く猶太的に反獨であり、反伊であり、また從つて親ソ的であり、親赤色スペイン的であり、更に親チェッコ的であるのである。即ち、彼は排日排獨排伊大會等では進んで議長となつてアジるのであるが、一方ではソ聯當局に向つて、英ソの友情の確立のために努力することを約束し、ソ聯の印象は「物質的裕福」であり、其處には「眞の自由の實現に對するあらゆる前提」があるとさへ言つてゐるのである。然も現實のソ聯では、基督教會の多くは、燒却されないとしても、舞踏場又は劇場に變更されて、猶太教會堂のみはなほ可成りに殘されてゐるのであるが、そのソ聯が英國教の高位の僧によつて、かく口を極めて讚歎されてゐるのを見る時、我々はそれを正氣の沙汰とはなし得ないのである。しかしこの事實は、英國に於ける猶太の勢力の絶大であることを證據立てるものであつて、英國教は事實に於て猶太教であると稱せられても、カンタベリー僧正には辯明の餘地はない筈である。なほ僧正がボルシェヴィズムの信奉者であることは、赤色スペイン又は赤色チェッコにも表面的に同情を寄せて、赤色スペインのミアヤ將軍からは謝電をさへ受けたことからも明らかであらう。またチェッコは、その首府プラーハで行はれた一昨年の無宗教者會議にマサリック前々大統領もベネシュ大統領も出席してゐるにも拘らず、カンタベリー僧正に取つては、ソ聯と同じく、最も宗教的な國であると見えたらしいのである。

最近までの佛蘭西は、我々がしばしば指摘して來たやうに、最早眞の獨立國の資格が見られないのであつて、或時はソ聯の屬國であるかの如き觀を呈するかと思へば、或時は英帝國の屬領であるかの如き相を示してゐる。この國は、元來過激な大陸フリイ・メイスン結社の本地であるので、其處に根を下してゐる猶太勢力は、遂には猶太人保護法を成立させることにさへ成功するに至つてゐるのである。
それ故にミュンヒェン會談に於ける佛蘭西側の態度は、非猶太筋獨伊の眞の平和意志への佛蘭西の積極的參加ではなくて、我々が別の場所で説いた如き猶太側の戰備と宣傳との不足から來たものであるに過ぎない。殊にダラジエ首相の細君が、米國務長官等の場合と同じく、猶太女であることを考慮し、また千九百三十四年のスタヴィスキー事件に際して遂に出征佛蘭西在郷軍人をして猶太への最後的屈服をあへなくせしめたのが彼が首相であつた時のことであるのを知るとき、一層その眞實性を増すのである。
佛蘭西がなほフリイ・メイスン結社の支配下にあり、從つて猶太の支配下にあることは、日支事變によつても明らかにされる。即ち、昨年十一月初旬の新聞は、佛領印度支那經由の支那向武器購入に關して、しばしばそれが本國政府の威令の行はれない國境方面の不良官吏の仕業であることを傳へ、また別の報道は、それが植民大臣猶太人マンデルと支那大使顧維鈞との密謀に應ずるマンデル配下の佛領印度支那總督と宋子文一派の仕事であることを報じてゐる。この二つの報道は、結局同一のものであつて、猶太人マンデルもフリイ・メイスン結社員であり、支那大使もさうであるのであるから、其處に武器輸出位の密謀のあるのは當然であらう。然も佛政府がそれに關知せず、又はそれを阻止し得ないといふのは、我々日本人としては理解の出來ないことであるが、猶太が獨裁的勢力を占めてゐるデモクラシー諸國に於てはかかる事件は極めて自然なのであつて、政府としては聞知してもそれを阻止し得ないのが實状なのである。
殊に一度猶太フリイ・メイスン結社の寵を失ふ時には、佛蘭西では決して二度と高位の官職に就き得ない許りか、現に保有してゐるものまでをも奪はれるのが常であるから、猶太勢力の大さは察せられるであらう。實に現内閣には最も凶惡なフリイ・メイスン結社員と稱せられるサローが内相として加はつてゐる許りでなく、その外相ボネもまた同結社員であり、ゼ文相の如きは純粹の猶太人なのである。文相に猶太人を頂いて、佛蘭西人の教育を猶太に指導される佛蘭西人こそは、世界で最も不幸な國の一つと言ひ得ぬであらう。なほ前外相デルボスや、國際平和運動聯盟會議で反日的決議をした時の議長であつた佛蘭西前空相コットも、フリイ・メイスン結社の高級會員である。
然し我々は佛蘭西を論ずる場合には、他の諸國の場合にも増してこの國の猶太億萬長者ロスチャイルドのことを考慮しなくてはならない。現在の佛蘭西はロスチャイルド王朝の支配する國であるとさへ言はれる位であつて、フリイ・メイスン結社員である彼は、その財力によつて佛蘭西を實質的に自己の支配下に置いてゐるのである。それ故に米國の愛國主義者達は、世界の戰爭はこの王朝と米國にあるワールブルク猶太王朝との抗爭によつて生ずるとさへ言つてゐる位である。後者は獨逸系の米國猶太人であつて、その一家の現在の勢力は極めて大きいものであると傳へられる。
然し佛蘭西に於ける金權猶太は、なほ他にも代表者を持つてゐるのであつて、その一人は純猶太祕密結社ブナイ・ブリスの結社員である億萬長者ブルムである。既に彼に就いては幾度か論及したのでここでは之以上述べることはしないか、彼が佛蘭西人民戰線の總帥であることは、赤色帝國主義と金色帝國主義とが同根であることを證佐する最も適切な例となるであらう。彼は元來はブルガリヤに國籍を持つてゐたフンケルシュタインを手本とする猶太人であるが、例の變名變身術によつて、今では佛蘭西の中心的勢力となりすましてゐるのである。
なほ事變下の日本としては、上海の佛蘭西祖界が共産黨の巣窟をなしてゐること、及びその原因が佛蘭西本國の猶太にあることを、英國の場合の反日勢力が主として現地猶太とその指令下にある政府機關の一部であることと對照して、銘記すべきであらう。(一三・一一・二三)

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