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猶太と世界戰爭
U 猶太と世界戰争

三、今次世界戰爭の性格

それがこの形に於てこの時期に來ることを阻止せんとして少數の憂國の士が聲を嗄らして叫び續けて來たにも拘らず、遂に來るべきものが來たのである。或る世界的なる祕密力の計畫通りに、それが久しく豫定してゐた年に豫定の世界大戰が豫定の方向に向つて進行しつつある。しかしそれは、恐らくは少なくとも二度は防止し得たと考へられるし、またそれが結局世界史的必然であるとしても、少なくともその時期の點ではかの祕密力の豫定通りに運ぶことを阻止され得たと考へられる。しかし我々は、いまここにそれを詳述してゐる暇はない。また徒らに死屍に鞭つにも忍びないにも拘らず、なほ多少意のある所を述べてみたいと思ふのは、なほ來るべき日にも、現在の状勢の侭にて進むならば、同じ過誤を繰返し、また同じ無意義の戸惑ひを繰返すことを恐れざるを得ないからに外ならない。
既に我々によつて幾度か指摘されたやうに、エホバの數十五を形成する今年千九百四十一年こそは、かの祕密力に取つてはその世界制霸の年である。もしこの年を逸するならば、千九百五十年迄は機會がないのである。勿論千九百四十一年に失敗すれば千九百五十年を待つであらうが、然しこの年を無爲に終ることは、祕密力としては、舊約聖書申命記二十八章にエホバによつて示されて居る通りに、祕密力そのものがエホバによつて亡ぼされる事になるかも知れないのてある。有史以來エホバのこの命に恐れ戰き續けて來たかの祕密力は、最近事毎に自己の計畫の齟齬するのを見て、之はエホバの罰が下りつつあるのではないかとの恐怖に捉はれたるものの如く、今年を期して今や懸命に自己をエホバの罰より救はんとしつつあるのである。
かく言ふとき、かかる迷信深い祕密力かいまだに地上に存在することを恐らく人は疑はざるを得ないであらうが、これは舊約聖書とタルムードを活眼を以て讀む者には一點の疑をさしはさむ餘地のない事實である。
然らば我々はこの祕密力の努力をいま何と命名すべきであらうか。之に對して最も明瞭なる表現を用ひるとすれは、猶太の人類他民族殲減戰といふべきであらう。之を我々は在來猶太の世界制霸運動とか、世界征略戰とか言つて來てゐるのであるが、最近の緊迫した状勢に於ては、今次の猶太の計畫せる世界大戰はその人類殲減戰の名をもつて呼ぶとき最もその正當な稱呼となるのである。
從つて今なほ近視眼者流の言ふ如き歐洲戰爭と獨立した獨ソ戰爭はないし、また歐洲戰爭又は獨ソ戰爭と獨立した日支事變もないのであつて、之等はその勃發の當時より、既に我々の指摘して來た通りに、一個の世界戰爭の部分的事件である、今一度別の表現を用ふるならば、かの千九百四十一年を目指す猶太の世界殲減戰中の一幕又は一場なのである。
かくて現在の世界には、多少とも世界の眞の情勢と世界史の必然的運行とに理解を有する者に取つては、かの「複雜怪奇」などといふ漢語の成句に相應する現象はないのである。また世界史的な事件の起る毎に戸惑ひして、敵も味方も見分け難くなり、世界情勢の變轉極まりなきことのみを強調するのは、誠に無定見、無節操、無道義の井蛙の見の持主であるに過ぎない。田に耕す匹夫と雖も、日本人なる限りは、現在では今少しく世界情勢に通じ、所謂腹も出來てゐるのである。實に現在の世界には、或は複雜さはあつても、「怪奇」なるものはないのである。怪奇ならぬものを怪奇とすることこそ怪奇であつて、ここにこそ現代日本の行詰りの總原因がある。
然しこれらの點に就いては、我々の在來の主張に理解のある讀者にはこれ以上の説明なくして明らかであると考へられるので、ここに本節の冒頭に論及した囘顧に移ろうと思ふ。
かつて我々は日支事件が日猶事件なることを既に事變後一年にして明らかにしたのであるが、その中で既に防共協定が防猶協定であることを自覺しない限り、それか空念佛に終るべきことに論及しておいたのである。次には同じ觀點より既に十三年秋に日獨伊の軍事同盟を要請したのであつたが、近世日本史上の最大〇〇の歴史の一つとしての××××××より約半年先行するのである。
今にして思へば、かの時かの××軍事同盟の件が内外の不可思議なる力の活躍によつて流産しなかつたとすれば、換言すれば防共協定が防猶であることを責任ある地位の者が自覺したならば、從つて防共協定が單に對コミンテルン又は對ソのものでないことを自覺するだけの明識を持つてゐたとすれば、所謂歐洲戰爭はかの時期には起ることはなかつたであらうし、また獨ソ不可侵條約も勿論あり得なかつたのである。
しかし一度獨ソ不可侵條約となり、歐洲戰となつた以上は、もし防共協定で防猶協定であることに徹してゐたとすれば、その場合に取るべき策は寸刻も不明となる筈はなかつたのである。不可思議なる力の策謀にひきずられた事こそ「怪奇」なのである。この點を暗示しようとして、我々はかつて「複雜怪奇と不介入」なる短文を草し、その中に於て、當時に於てかの祕密力の正體が認識されたとすれば、そしてまた日獨共同しての眞劍の努力が重ねられたとしたならば、恐らくは戰はずしてソ聯を改造し、ソ聯をしてロシヤ人のロシヤたらしめ、其處に政權を獨占する猶太をして不戰敗に終らし得たかもしれないことに論及したのであった。しかしこの點の日獨了解は成立せず、猶太祕密力の英米を使嗾しての畫策は、遂にソ聯内部に於ても一時搖ぎを示した猶太勢力をして勢力を恢復せしめ、ここに獨ソ戰爭となつたのである。換言すれば獨ソ不可侵條約は全體主義獨逸の共産主義ロシヤに對する思想戰の不戰勝であり、日本の援助によつて確立さるべき運命のものであつたのである。
かく論じて來る時、現在の世界に於てわが國の一擧手一投足が如何に重大な意義を持つかが明瞭であらう。しかしながら、惜しむらくは、その我國に現在の世界を動かしてゐる猶太祕密(その機關としてフリイ・メイスン祕密結社等を含むことは言ふ迄もない)に對する認識が缺けてゐるために、樞軸側に依る世界新秩序の建設は、その途上の大事件毎に最後の瞬間に於て猶太祕密力のために側道へ外れさせられてしまふのである。既に猶太としてはかつて我々が「世界大戰へと驅り立てるもの」に於て觸れた通り、今次世界大戰は幾多の點に於て失敗に歸してゐる。そしてそれが特に獨伊に於ける猶太認識の結果であることは言ふ迄もないことである。この理由によつて、我々は「前世界大戰に於ける敗戰獨逸の場合」なる短文を物して、我々の時代に處する參考としたのである。

前述の通り、今はただ囘顧のみに耽るべき時ではない。今は將來を見るべき時である。然しながら我々は、永遠の平和とか世界最終戰論などといふ如き僞裝唯物論を弄してゐる程に呑氣ではないし、またかかる空言を弄することによつてかの祕密力に意識的にも無意識的にも協力するほどに猶太化してもゐない。我々はいま我々の足下に迫つてゐる世界の現在の情勢に就いて、我々が今まで見續けて來た觀點よりの展望を展開しなくてはならないのである。未來を説くことが總て空想であると稱せらるるならば、我々は空想の名も甘んじて受けるであらう。しかし生ける生は未來を含まぬものはないのである。政治も軍略も、生ける人間の世界のことはすべて然りである。
いま世界の視聽を集めてゐるのは、何と言つても所謂獨ソ戰爭であるが、これはかの猶太祕密力の人類殲減戰に於て如何なる位置を占むるものであらうか。茲に我々は歴史の論理を示すために假に戲曲の構造を借りて説明するならば、獨ソ戰爭は今次世界戰爭の第二幕を占むるものと言はるべきであらう。第一幕は勿論東の日支事變、西の歐洲戰爭であつて、スペイン内亂、チェッコ事變等は勿論第一幕以前の序曲であるに過ぎない。
然らばその第三幕は何であるかと言ふに、これは猶太祕密力の豫定では、日米戰ではないかと考へられる。然してそれに續く第四幕は樞軸國對英米ソ支等の文字通りの世界戰であり、第五幕はその決戰であつて、猶太の人類殲減戰はここにその頂點に到達する。而してこれらの諸幕の何處までがエホバの年千九百四十一年たる今年中に來るべきであるかは、今は正確に豫言することは避けたいと考へるが、猶太の新年に當つて、然も天界に異状のある筈の今秋初めが最も注意すべき時期ではないかと考へられる。
有史以來エホバの命に依つて他民族の殲減を宗教的殲減を宗教的信仰として來た猶太人は、最近事毎に志のたがふのを見て、今度の世界戰爭にては一擧にしてその頽勢を恢復したいと考へてゐるのであるから、その殲減戰の激烈さは恐らく有史以來のものであり、人の想像を超えるものでないかと考へられる。殊に歐洲方面に於ては前に我々が屡々論及した通りに、ニーチェの豫言が實現して、猶太が歐洲を去るべき日が來つつあるのを自覺したかにも見える猶太は、それだけその活路を東洋に求めんとしてゐるかに見える。茲に最近の東洋情勢の眞の原因があるのであつて、猶太に取つては、英國そのものが大切に非ず、ソ聯そのものが可愛いいのではなくて、自己の世界征略の手段になるものは何にても利用するに過ぎないのである。例へば本國を失つた和蘭が蘭印に於て我國に反抗してゐるのは、和蘭本國よりは蘭印の方が猶太に取つて重要であることを證してゐるのである。最近にも獨英の妥協がまことしやかに流布されてゐるが、之は英に於ける猶太陣營の搖いだ場合か或は搖ぐ見込のある場合以外には絶對にあり得ないことである。この點の事情を知らぬならば、或はまたかの獨ソ不可侵條約當時の如き戸惑ひが來るかもしれない。しかし現在のチャーチル、イーデン、ダフ・クーパー等の猶太支配内閣の存續する限り、獨英の妥協はあり得ないのである。また猶太としては、たとひ英本國を失ふとも、その自治領又は植民地が從來の如く猶太支配下にある時は、決して獨英の妥協はあり得ないであらう。そしてもしそれがあり得るとすれは、それは東洋乃至日本政府のための猶太側より命ずる英ソの屈辱的な屈服の場合であるが、これを防止するためには何時までも我々に於て功利主義に立つことなく、眞の道義と武士道との精神によつて「志を同じくするもの」と協力し、裏面に於て常に祕密力と内應した・・たとひ多くの場合に無意識であらうとも・・過去の汚辱を再び犯さざる決心を要するのである。
現在の猶太祕密力に依る日本包圍を指して、祕密力の代辯者であるハル長官は、それは日本のせいである、と言つてゐる。然り、正にその通りであつて、日本の存在は、祕密力に取つては目の上の瘤である。その世界征服の完成の一歩手前に於てそれを妨げるものか東洋に於ては常に日本であるからである。それ故に猶太は、この日本討滅のために米國人をして戰場の露と消ゆる覺悟をなさしめるために、あらゆる宣傳に憂身をやつしてゐるが、現在の太平洋の彼岸に於ける狂躁曲の眞相である。この度の英米二ヶ國の政治責任者の行政をくらましてのランデヴーもまたその曲の一節であるに過ぎない。それ故に。西に於て獨猶の決死の爭鬪が必然である如く、東に於ては日猶のそれが必然である。而してそれは、米國人が猶太のために身を犧牲にする決心をするだけに宣傳に躍り、また軍備が量的に日本の幾倍かになる時を待つてゐるに過ぎない。而してその時が何時であるかは、我々素人には明らかではないか、さう遠いことでないことは我々の在來の記述で明らかであらう。
かくて殘る所は、この不可避の運命に如何に處するかである。或は場合によつては、不戰勝といふことも雙方の側に於てあり得ることであらう。然しながらそれは、より適切なる時の猶太祕密力の日本攻撃を豫想したものであることを忘れてはならない。幾千年間人類全體に對して常時戰爭状態にある猶太は、文字通りの世界制霸の日迄は、戰略的休戰以外には、エホバより他民族との和平を許されてゐないからである。
ここまで論じ來つて、この筆は最早先へ動くことを肯んじないのである。坐視してゐることそのことが大苦痛であり、大罪惡である如き感のすることさへあるが、しかし今は忍ぶ外に道はないのである。ただ我々は祖國日本の悠久の生命を確信しつつ、しかも來るべき幾年間の大苦難に當つて天佑神助のあらんことを祈念して、この短かい展望を終りたいと思ふ。(一六・八・一〇)

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