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猶太と世界戰爭
U 猶太と世界戰争

二、大東亞戰爭勃發後の世界情勢

某閣僚は先般の中央協力會議に於て、米英は今年中(昭和十七年)を期して反撃に出でんとする氣配を示してゐると説き、またその後の閣議に於ては、米國最近の中間選舉の結果としてルーズヴェルト政權の地盤に搖ぎを生ずることはないと述べたが、前の發言は今年も十一月に入つた今としては既に多少の見當外れの感を與へぬでもないが、緒戰の勝利の爲めにややもすれば弛緩し勝ちな人心を引緊めるためには、かかる發言も必要であつたと考へられるし、殊にソロモン海戰以後の南方の状況をも考慮する時には、それはあながち見當外れとも言ひ得ない事情もあつたのであらう。之に反してその第二の發言は全く肯綮に中つたものであつて、ユダヤ宣傳機關の一つであるギャラップ輿論研究所の宣傳調査の發表に一喜一憂することの愚を知つてゐる者には、その輿論調査なるものが傳へる所が如何であらうとも、某閣僚の指摘する如き事情の生ずることは前以つて豫想されたのである。それ故に、もしその報告に「豫想通りに」といふ如き言明があつてならば、そのユダヤ祕密力に及ぼす威力は誠に大なるものがあつたと想像せられる。ルーズヴェルト三選の時のギャラップ輿論研究所を先頭とするユダヤ機關の巧妙な掛引に一喜一憂せしめられた愚かな經驗にも懲りずに、今なほこの方向より傳へられる報道をその侭傳へるわが國報道機關の無批判性にも驚かざるを得ないが、しかし思想戰の掛聲の喧しいにも拘らず、責任ある指導的地位の者が今なほ適宜の時に敵の急所を突くことを忘れてゐるかの如くに見えるのは、その理由が那邊にあるかは知る由もないとしても、兔に角、大東亞戰完遂途上のわが國の前途になほ相當大なる難關が世人の想像だにもせざる方面に潛在しをることを感ぜしめないではおかぬのである。吾人の屡々説き來つた如くに、みづから戰線に出る勇氣はなくまた現在では最早その必要をも認めない・・古來もまた然りであつたが・・ユダヤは、世界に張り巡らしたる通信社宣傳機關を用ひて自己の支配下にある聯合國は勿論のこと、中立國のみならず敵性國をも巧みに自己の影響下に置く手段を心得えてゐるからである。
しかし、時代の怪奇性はいよいよ複雜となつて來て、昨今わが國の報道機關さへ外電記事のうちに屡々ユダヤの名を見せることがあるが、それすらも却つてユダヤ方面の策謀の結果であると見做さるべき場合・・多くはこの電報の系統によつて辨別し得るが・・のあることを否定し得ないのである。わが國に於て、日支事變以來、特に大東亞戰以來、赤化主義者が東亞新秩序を論じ、民族問題を論ずるのみか、國體論までに手を出して、時局の先頭に立ちつつある場合が可成り見られるが、それと怪奇性を等しくするかの如くに、今やユダヤは自己の名の覆ひ難いのを知るに至つたものか、その名を隱見せしめつつ適當の方策を講じつつあるかに見えるのである。例へば本年十一月九日の某大新聞の第一頁の記事の如きもその一種と見做され得よう。即ちユダヤとアングロサクソンとの不一致を殊更に強調することは、アングロサクソンのみを敵視するわが國朝野をたぶらかすには最勝の方便なのである。ルーズヴェルトのユダヤ血統が眞實であるとすれは、世人の眼を欺くためには或は機會を見て彼を第一線より退けることが既にユダヤ指導層で決定されてゐるのかも知れない。ルーズヴェルトによつて事態が現在の所まで進められて來たのであるから、一面に於ては彼のユダヤ的使命は達成されたとも見得るからである。利用價値が消失する時に容赦なくその傀儡的人物を捨て去る・・殺害その他の「清算」手段によつて・・ことは、これユダヤの常套手段であることを我々は銘記しなくてはならない。從つて我々は、米議會に於ける少數の「孤立派」の勝利などに有頂天になる愚を避けねばならぬ。この場合にも我々は、ユダヤの兩建戰術の巧妙さを忘れてはならない。我々の常に主張し來つた如くに、嘘を吐くにも算盤玉をはじく術を心得てゐるユダヤは、世界の趨勢を打診しまた敵性國の内部情勢を察知するためには、世界及び敵性國の幾割が眞實を認識する能力を有するかを前以つて計算し、その上にて嘘の宣傳をぬるのである。この間の事情に通曉しない限り、ユダヤ的否定原理の支配的地位に就いてゐる現代に於ては、歴史の運行さへも把握は困難であると考へられる。勿論ユダヤのこの動向に徴することによつて世界情勢の全部が把握され得るとは言ひ得ないであらうが、しかしその正常な認識なき施策は、政治・經濟・學身の方面は勿論のこと、軍事の方面に至る迄も迂濶の譏を免れることは出來ないであらう。殊に現代の如き急激なる過渡の時代に於ては、その指導的階級と呼ばれるインテリ層こそナもユダヤ性に富み、その感情・思索・志向に於てユダヤ化されて來てゐるから、この點の考慮は特に重要なのである。

今次世界大戰の性格は、ユダヤ問題を研究する者の立場より見るならば、ユダヤ人の人類殲減戰である。ユダヤ人がその舊約聖書の日以來一日として忘れることのなかつた日が遂に到來したのである。少なくともユダヤ人の主觀から見ればさう感ぜられ考へられてゐるらしく見える。而してその第一の根據は、今次大戰の世界的規模への進展が、エホバの年千九百四十一年(昭和十六年)であつたことである。勿論今次大戰は、なほ第四幕・第五幕を殘してゐると考へられるか、それが既に頂點としての第三幕に到達したことは否定し得ないことであらう。エホバ信仰に厚い狂信家としてのユダヤには、大東亞戰が昨年中に勃發したことはエホバの庇護の印として感激の的となつてゐるであらう。而してその後の戰況の經過は、恐らくユダヤのその信仰を益々強化しつつあるものと考へられる。既にアメリカの有力ユダヤ新聞、アメリカン・ヒブリュー」は、一昨年十二月四日に、「戰爭の意義が現在ほど明瞭であつたことはない。今や全人類は、その戰爭觀念をめぐつて二つの陣營に分けられてゐる。即ちこの戰爭は、ユダヤ人を敵視する者を相手取つたユダヤ人生觀の戰ひである。全世界は今やユダヤ的な生存樣式が勝つか、ユダヤに敵對する者のそれが勝つかの戰に鎬を削ってゐるのである。」
と書いたし、また某英國紙もその頃この戰は「ユダヤの聖戰」であることを主張したが、その聖戰が「エホバの年」に本格的な世界戰へと進展したのであり、しかもその後の情勢がユダヤの希望通りに向ひつつあるのであるから、今やユダヤが如何に滿々たる自信のうちに生きてゐるかは推測に難くないのである。(約百五十字略)【原文のママ】
かく論する時、歐洲戰線及び東亞戰線に於けるユダヤ支配國の敗退はユダヤに一大痛棒を與へてゐるではないかとの疑問が提出されるかも知れないのであるが、これはユダヤ問題の怪奇性に徹せぬ單純な考へに過ぎないのであつて、東西に於ける聯合國の敗退こそはユダヤの喜ぶ所であり、殊に大東亞戰の緒戰に於ける日本の勝利はユダヤに取つては全くのエホバの神助の結果でSあると感じられてゐるのである。我々は既に以前より、大東亞戰に於ける緒戰の日本の勝利を喜ぶ者は日本人とユダヤ人であるといふ逆説めいたことを説いたのであるが、最近に至つていよいよその感の深まるのを覺えるのである。その理由は、日本がそれを喜ぶのは當然の事であるが、ユダヤに取つてもそれば滯留國民(米英等)の臨時體制を強化するに役立ち。ともすれば生起し勝ちであつたユダヤに對する批判と不滿との念を外らせるに役立つからである。戰爭の擴大が經濟的に利益を齎すことは言ふまでもないが、既に世界の富の大部分を所有しまた支配する位置を占めてゐるユダヤとしては、今次大戰に於ては寧ろ自己の政治的地位の強化確立に對する關心が主になつてゐるのであるから、この意味に於て緒戰に於ける聯合國の敗北はユダヤに取つては誠に好都合のこととなるのである。殊にみづから戰線へ出ることのないユダヤとしては、自己のために戰場へ出る傭兵を必要とするのであるが、米英人をその役目に就かせるためには、緒戰の敗北こそは天來の好機なのであつて、ともすれば叫ばれた「戰爭目的の不明」の言説は、緒戰の敗北を利用しての宣傳によつて全く封じ去られ得たのである。樞軸軍による本國侵入とか、占領地に於ける樞軸側の殘忍なる行爲とかの宣傳によつて、元來誇張された優越意識の持主である米英人は、この場合にもユダヤの策謀を見る餘裕を失つて、ここに戰場へと盲目的に驅り立てられるに至るのである。現在米國軍六十萬乃至八十萬が海外へ派遣されてゐると稱せられてゐるが、その實數の眞僞は兔に角として、かく大部隊の派兵の可能なるに至つたのは、ユダヤの煽動政策の成功の結果である。眞の愛國者には賣國奴の汚名を被せることにユダヤは成功したのである。ルーズヴェルト及びその一味の言行は、この間の事情を把握しない限り、その全幅的な意味が理解されることはないのである。

以上で現大戰の性格とユダヤの動向の大略は明らかになつたと考へるので、以下に於ては各交戰國の場合につき考察を加へることにしよう。
先づ盟邦獨伊の場合であるが、兩國の情勢は、ユダヤ系の宣傳に敏感な宿命を持つインテリ層の危惧する程に不安のないことは自明であつて、ユダヤ問題を研究する者より見れば、兩國の國内情勢は相當に整備されてゐると考へられる。聯合國側のユダヤ言論通信機關が殊更にファッショ諸國の暴政を説くのは、獨裁と暴虐との點に於てユダヤ的殘忍性を實踐しつつある自己の政策が民衆によつて批判さるる事を防止するために外ならない。この事は米英ソ聯重慶に於ける獨裁支配者の行状の實際を知る者には自明のことである。何れの側にも例外はあり、皇國に於てすらも所謂インテリ層の大部分は依然としてその唯物主義的個體主義的利己主義のためにユダヤ思想戰線の志願兵たるに甘んじてゐるのと軌を等しくして、獨伊に於てもかかる一群の徒・・殊に本國を捨てて亡命中の祕密結社の者・・の存在することは言ふ迄もないが、しかし獨伊に見られる服從と隨順との精神は、米英重慶乃至ソ聯に見られる屈從又は盲從とは對蹠的な存在であると言ひ得るであらう。後者に於ける形式上の服從の如きは、利害に依る結合又は威嚇に依る屈從以外の何ものてもないのである。獨伊に於ける精神主義的全體主義體制と、最近に至つて次第に完成されつつある米英等に於ける金權主義的全體主義形態及びソ聯に於ける酷烈なる唯物主義的全體主義的形態とは、惡意ある短見者流が時としては故意にそれらの同一性を強調することもあるが、根本に於ては大きな差異を有するのであるから、我々としてはその根本的なる本質上の相違を認識して、盟邦の交りを益々堅くして共同の敵に當らねばならないのである。これこそ道義日本の使命でなくてはならない。一時的なる戰線の異状とユダヤ系通信機關の宣傳に躍らされて、直ちに利害の打算を始める如き賎しさに陷つてはならない。無節操なる者に最後の勝利のある筈はないからである。何れにもせよ、この點に聯關して今後とも中立國筋その他の通信宣傳機關を通し、或は外交乃至通商機關を通して種々の策謀が行はれることは火を語るより明らかであるから、最後の勝利の日までは決して油斷をしてはならぬのである。
去る九月三十日の戰時冬季救濟事業報告演説に於てもヒットレル總統は、今次大戰がユダヤの策謀によつて勃發せしめられたことを強調し、十月五日の收穫感謝祭に於てはゲーリング國家元帥もまた今次大戰のユダや性に論及してゐる。然してこれらの言説が將來如何なる結果を示し得るかは、友邦日本の側に於けるこの點に於ける反應如何に依るとも言ひ得るのであるが、この點に於ては久しきに亙るユダヤの巧妙なる宣傳と、時としてはそれに内應する祕密結社の策謀があるかの如き情勢の動きの結果として、いまだ日本の朝野にユダヤ問題の正當なる認識が缺如し、此の最重要最根本の點に於ての協力を示すに至つてゐない。思想戰方面に於ける樞軸側の不如意の日が到來することが萬一あり得るとすれば、その最大の原因は必ずこの點の認識不足に基くであらうことは、容易に豫言し得ることである。ユダヤ問題の認識も教育も徹底してゐる獨伊の場合は、戰略上の必要その他の理由に依つてその國内情勢等に就ても幾多の發表見合せのあることは言ふ迄もないが、しかし大戰によつて聯合國側の希望する如き動搖はあり得ないものと見られるのである。
では何故にスターリンが最近の革命二十五年記念日に於て、獨伊の指導者と國民との間を離間せんとする如き言辭を弄するに至つたかと言ふのに、これは例のユダヤの怪奇性による術策であつて、その演説の目標は、第一には自國内に於ける自己の政權に對する批判を封ずるためであり、第二には中立國及び日本に對する宣傳のためである。如何にソ聯幹部の頭がどうかしてゐるとは言へ、ユダヤの智謀を背後に持つてゐる彼等が、今次歐洲戰當初に英國が用ひて物笑ひの種となつたと同一の筆法で今に至つて演説する以上は、かの場合とは別な意味がその背後に隱されてゐなくてはならない。この場合にはユダヤは算盤を彈きながらスターリンの口を通して嘘の言説をしてゐることを忘れてはならぬ。
同一事情は獨伊の戰線に於ける事情に就いても言はれ得るのであつて、唯物論の影響下にある我が國のインテリ層はユダヤ系の報道には一喜一憂させられてゐるが、これもまたユダヤの日獨伊離間策に躍らされてゐるものに外ならぬのである。わが國にしてもいまだ重慶を全面的に屈せしめ得ないことや、北支那に於ける共産軍の相變わらぬ蠢動等の事象は、ユダヤ系の通信に依つて如何に誇張されて世界に傳播されてゐるかを思はなくてはならない。強大なる陸海軍國を相手に敢鬪する盟邦に對しては、一戰線の消長如何に拘らず、絶對の信頼を維持することこそ武士道國日本の眞面目でなくてはならない。各個撃破を目標とする奸敵が幾千年の訓練を經た惡逆無道の猛者であることを我々は銘記しなくてはならない。
ここに佛蘭西に就いて一言しよう。近來の新聞紙に依れば、ラヴァル首相は巴里に於て「ユダヤ人がその存在するところの何處に於ても、一個の破壞的要素をなしてゐることは事實である」と言ひ、現在も佛蘭西にはユダヤ人が氾濫してゐるが、この厄介者を除くことは困難である、と歎いたそうである。獨逸占領地帶に於ては獨逸に於けると同樣にユダヤ人マークを附けさせられたりしてゐるが、非占領地域に於ては未だにユダヤ人は肩で風を切つて闊歩してゐるのである。少數の佛蘭西識者はユダヤ人とその支配者のフリイ・メイスン祕密結社のために佛蘭西の敗北が惹起されたことを自覺してゐるにも拘らず、現在の佛蘭西には最早この「解體の酵母」に對して眞の對策を施す力が消失してしまつたかに見える。恐らく佛蘭西には、米英に依る植民地の強奪によつて二等國三等國に身をおとす外に可能性はないらしくさへ見える。而してユダヤとしては、もともと佛蘭西及び佛蘭西人が可愛いいのではないから、佛蘭西の利用價値が消失されるに至るならば、佛蘭西の滅亡をも決していとふことはないであらう。ユダヤとしては、自己の獨裁下にない佛蘭西には何等の未練もないことは自明である。從つて現在のフランスには、ユダヤの走狗たるド・ゴール又はそれに類似のものが今後もなほ相應に現はれるかも知れない。このド・ゴールの如きは、英國謀報部のユダヤ人スピアス將軍の仲介によつてその私生活の亂脈さを維持するために英に身賣りをしたのであり、從つて彼はユダヤの奴隸に外ならないのであるが、同じ系統の賣國奴が、祕密結社の勢力の浸潤してゐる佛蘭西に於ては今後も何時如何なるところに現れるかは想像だに困難である。
ラヴァル首相の言を引用した序に、同じ演説中にある次の言説にもここに一言論及しておきたい。
「余が法王廳の使節團又はクェーカー派の派遣乃至は米國の外交團を接見すると、彼等は極つたやうにフランス國内に於ける哀れなユダヤ人の負はされてゐる運命を緩和するやうに余に向つて説くのである。」
とラヴァル首相は言つてゐる。首相に向つてユダヤ擁護を要請するこれらの三つは、第一に加特力教であり、第二は米英系キリスト教徒であり、第三は注目すべきことにも米國の外交官であるが、これらすべてがユダヤ支配下にあることは今更縷説の要もないと思はれる。しかしこの點に於ける正當なる認識に於ても缺如するわが國に於ては、フィリッピン等に於ける施政に思はぬ暗影を生ずることを覺悟すべきであらう。新舊キリスト教のユダヤ支配の現状に就いては今は説明の暇はないが、米國外交官のユダヤ性に就いてはその大使の十人以上、その公使の五人以上がユダヤ人であることによつても明瞭であらう。例へば前駐日大使グルーの如きも恐らく例外ではないらしく、在留中はロータリー倶樂部員達の讚歎の的となり、歸國しては戰爭熱の煽動に狂奔してゐることによつてもそれは證されるのである。

緒戰の敗戰が米英ユダヤを狂奔せしめつつあることには既に論及した通りであるが、この際に我々日本人として特に反省すべき一大屈辱事件のあることに論及しておきたい。それが何處まで政府當路者によつて自覺されてゐるかは筆者に尚不明であるが、日本が道義國であり、武士道國である限りに於ては、次の一屈辱事件は決して闇に葬り去らるべきものではないであらう。皇國の榮譽を傷つけることこれにまさるものは無いと考へられるからである。
その醜惡なる一件とは、大東亞戰勃發の前日に至るまで繼續されたところの對米借款交渉である。彼は平常よりユダヤ問題の否定者にして自稱日本主義者の一人であるが、或系統の親猶主義者を繼承してゐるらしく、殊にその舊式日本主義に共通の自覺せざる唯物主義は常に背後に金權系支持者を有してゐるために、現代に於てはその愛國主義的看板にも拘らず、實際の行動は賣國的政策となり勝ちなのである。(以下約四百字略)【原文のママ】殊に彼が今なほ一部の僞裝唯物論者によつてその權勢欲の強烈さのために支持され、またその無責任なるが故に放膽なる文筆の才のために若き無批判の徒の間に愛國者の名聲を保持してゐるのを見る時、皇國の屈辱も正に極まれりの感なきを得ないのてある。これ米國がわが國を輕視して、かの理不盡の三大條件をわが國に押しつけんとした原因の一つであり、元來無責任なる捏造事件によつてわが國を中傷する米英及びユダヤに最も適切な口實を得せしめたのである。米英が抑留邦人を虐待するのも、はたまた元來個人主義的利己主義者の米國民が相當の頑張りを見せるのも、上述の徒輩の非日本人的行爲がその直接原因となつてゐることを我々は忘れてはならない。ユダヤを識らざる者の行爲が如何にユダヤを益し、ユダヤに利用價値あるかは、この一例をもつてしても判明するであらう。今にしてこの汚點の拭われざるに於ては、將來皇國の榮譽は如何なる曇を生ずるであらうか。怪奇なるはむしろ國内の情勢であると我々をして歎ぜしめた二、三年以前の不快なる經驗が、いま大東亞戰下に於てまたも我々の良心を痛ましめるのである。
かくて米(英)ユダヤは、最近傳へらるる放送局の接收等に見らるる如くに、いよいよその獨裁體制を整頓しつつあり、而して現在にては最早何等の掣肘を受くることはないのである。勿論世人を欺くため、また日獨伊陣營を撹亂するためには、種々の策謀が國の内外の事件に關連して行はれるであらう。例へば今度の選舉に於てニューヨーク州知事ユダヤ人レーマンが退いてデューイが出た如きも然りであつて、この他民族第一線主義への轉換はユダヤ地盤の確立の結果とも見られ得るのである。今や米(英)に於けるユダヤの地盤は、ソ聯のそれの如く全く確固不拔のものとなつたと言つても過言ではないであらう。たとひ今後敗戰が持續しようとも、又いよいよ長期戰とならうとも、この事情は容易には轉換することはないであらう。これを思へば、樞軸側としても徒らなる掛聲に止まる所なく、眞の總力戰體制を確立して、先づユダヤ的謀略の正體を究め、その上にて各般の施策を決定すべきであらう。
以上の記述で、米(及び英)の國内情勢の現在に於ける大勢は察せられるであらう。從つて既に昨年十一月二十六日に汎米ユダヤ會議があり、その席上で「全世界に米國民法の採用を要請す」といふ決議がなされたのも、決して不思議ではなかつたことが判明する。後述する如くに世界の赤化により世界支配を實現せんことを期しながらも、戰略上それを表面の旗印とすることの今では不利なるを自覺したユダヤは、先づ民主主義を以て世界を征服せんとしてゐるのである。否、ユダヤの兩建戰術は、赤化主義と黄金帝國主義との二つを併用しつつ進んで來てゐるのである。
この連絡に於て英國の場合にも論及するならば、ユダヤとしては既に英國そのものには見限りをつけてゐるのではないかと考へられる。勿論利用價値のある間は今後も英國の名を利用しつづけるであらう。然しこの場合にも佛蘭西の場合と同樣であつて、利用價値の消失と共に英國はユダヤによつて捨て去られるであらう。而してその複線は、近來新聞紙上に散見する次の言説である。即ち、米國は英國の遺産の繼承をねらつてゐる、といふのがそれである。ユダヤがかかる言説を直接間接に世界に普及させつつあるのは、之によつて世界をそれに慣らせ、將來それか實現の段階に入つても世人をして異樣の感を抱かしめないためであらう。勿論英の遺産をねらふ者が米のみでないことは、ユダヤ問題に多少の考慮を拂ふ者には自明であつて、ソ聯もまた米と竝んで英の遺産をねらひつつあるのである。しかしこれはユダヤの現在の戰術上隱されてゐると見るべく、印度問題が喧傳さるるにも拘らずソ聯の動向がこれに關して少しも新聞報道に上らないことは、却つてこの事情の伏在することを確證するものと言へるであらう。英の遺産の問題に關しては、新聞紙上に散見する問題をこの見地より見ることによつて充分な解答が得らるることを信ずるので、茲ではわが國とも直接の連關を持つ英の遺産のうち、印度問題のみにつきなほ多少の補説をしておきたい。
わが國に於ては現今の印度の騷擾を餘りにも表面的に解し過ぎ、從つてまた餘りにも重大に見做しすぎてゐるやうである。我々より見れば、ガンヂーは別とするも、その他の指導者の如きは英國及びユダヤの走狗たるに過ぎないのであつて、大言壯語好きの結社系言説に見られる如き「東亞解放者」ではないのである。彼等は必ず英國系フリイ・メイスン結社の高級會員たるべく、この點は蒋介石等國民政府の要人と同一であつて、その故にこそ印度の指導者連は國民會議派と自稱して來たのである。時代を操るためには、時代に通用する名を採るのはユダヤの方策である。從つて彼等の反英運動は、愚昧なる民衆を欺き、また一部の覺醒せる者の殺戮に機會を與えるためになされる英國ユダヤとの八百長であるに過ぎない。從つてこの反英抗爭は、印度民族の殲減を目標とするユダヤの運動であるに過ぎない。なほ此度の反英抗爭の持つ一つの重大なる意義は、この抗爭によつてビルマまで進攻せる日本軍の印度進攻を防止することである。今次反英抗爭のこの性格は、印度指導者達・・例へばアザット・・がルーズヴェルト、蒋介石、スターリン等に仲介を求める態度を取つてゐることによつても裏附けされる。眞の反英抗爭は、現在に於ては樞軸との合作以外に道はないのである。如何に地理的制約があるとは言え、これは歴史の論理なのである。反英抗爭のかくの如き自明の性格に無智なるらしく見える日本朝野の認識不足の必然的結果である。印度の將來に取つて殘る問題は、印度の民衆が如何なる程度の抗爭力を持つてゐるかによつて決定するのてあつて、これさへ強力であれば指導者達の對英八百長も或は將來その假面を剥がるるに至るかも知れないが、しかしこれは至難中の至難事であることを我々は忘れてはならない。ここに我々の印度に對する態度も定つて來るのである。この適當なる對策なき時、英の遺産としての印度はスターリンの手に歸するであらう。甞つてのチャーチルのスターリン訪問はこの點に關する談合をその重要なる課題としたのではないかとも考へられる。世界のユダヤ信網がこの點に觸れなかつたことこそそれを證すると言へるであらう。

かくて問題はソ聯であるが、ハルビンのユダヤ雜誌「ユダヤ生活」が誇らかに述べてゐる如くに、「ユダヤ教はソ聯の國教である」のであるから、このソ聯が米國と竝んでユダヤの二大牙城たることは言ふ迄もないことである。否、ソ聯こそは、獨ソ不可侵條約の頃に於て多少の變調はあつたとはいへ、昔も今も全くのユダヤ國であつて、ユダヤの地位の確立せる點では、現在の米と雖もなほソ聯には及ばないと言ひ得るであらう。勿論かく言つても、米の反猶團體が大東亞戰以前に於けるが如くその二百數十のものがそのまま健在であるといふのではなく、またソ聯に於て反猶主義が皆無であるといふのではないが、しかし獨裁者專制者としてのユダヤ人の有する權力の強度に於ては、ソ聯が米にまさることはなほ相當のものがあるのである。それ故に米に於ては汎米ユダヤ會議であつた所のものが、ソ聯に於ては世界ユダヤ人代表會議となり然もそれが昨年八月二十四日と本年五月二十四日との兩囘に公然と行はれてゐるのである。ここに於てか我々は最早この會議の内容の詳細を檢討するの要を認めないものであつて、ただ「赤軍はユダヤの盾である」といふことが明白に主張された一點を指示することで今は充分であると考へる。古い話ではあるが、純ロシヤ人であつたトハチェフスキー將軍等がその功績にも拘らず大根の如くに切り捨てられた謎もこの點より明白になるのである。マルクス主義乃至ボルシェヴィズムは、その實行はユダヤ人にのみ許されるのであつて、その對象は非ユダヤ人であり、ただその實行の段階に至る迄は非ユダヤ人の協力を利用するに過ぎないのである。これは資本主義の場合も同一である。
然し前述した如くに、ソ聯に於ても反猶主義は根絶された譯ではなく、ユダヤ權力の強烈であるに連れて或意味に於てはその反猶主義もまた強烈であるとも言ひ得るであらう。而して之が今次「獨ソ戰」に於ける敗北によつて時としてその發露口を見出さうとするかも知れないのは察知せられる。ここに本年十月初旬世界に宣傳せられた赤軍に於ける政治委員制の癈止の如き件が生ずるのであつて、この再度目と思はれる「癈止」は、對内的にはそれの形式的癈止と實質的強化を意味し、對外的には中立國及び日本等に對する宣傳に外ならない。元來スローモーのスラヴ人は、この宣傳によつても相當に乘ぜられるのである。赤化思想の處置に正當なる見識を示し得なかつた日本がその宣傳の對象となされてゐることは名譽なことではないが、然し事實であることは如何ともし難いのである。少なくとも日本の新聞はそれをその侭掲載し、日本のインテリの一部がそれに感傷の涙を禁じ得ないことは、ユダヤの打算の通りである。
なほ日ソの關係は、現在としては日ソ條約によつて規定されてゐるが、これとてもソ聯及びユダヤにそれが好都合なるために維持されて居ると見るべきであつて、聯合國の軍備擴張が豫定の段階に達する時には、今次大戰の第四幕、第五幕としての××衝突の來るのは必至であると考へられる。それを避け得るのは、日本がユダヤ問題にも早く徹して樞軸國との協調をこの點に於ても實行するに至るか、樞軸國による完勝が早く實現されるかの二つの場合である。しかしなほその時にも世界からユダヤ問題が消滅したと見るのは尚早であることは言ふを俟たないことである。
ソ聯と赤軍と言へば直ちに督戰隊が想像せられるが、同一のことは祕密結社藍衣社・・これはかのフリイ・メイスン祕密結社の支那化であらう・・の支配する重慶支那に就いても言はれ得るのである。而してなほ他に共通する重大なる要素に民族主義のあることは見のがし得ないのであるが、然しこれは前述せる如く印度が時代の風潮に即應して國民の名を利用するのと同一の方策に依るものであつて、裏面に於ては祕密結社の力によつて生命を威嚇して指導的地位にある者の自由を奪ひ、他方表面的には民族主義を利用して愚昧なる民衆を欺くのである。これは共に所謂「文明國」に於ては不可能であつて、ソ聯又は支那に於ける如き國に於てのみ實現され得る方策である。
ソ聯重慶に關しては、以上の二點の認識に於て缺ける所がないならば、他の諸點はおのづから明瞭になつて來るであらう。それ故に我々は茲に筆を改めて、現在に於けるユダヤ對策に關して一言して、この小論を終ることにしたいと思ふ。

我々は既に國内の親猶主義者に就いて多少記述して、それが主としてユダヤ問題に對する認識不足に出來することにも論及し、ひいてその唯物論的志向が必要にかくならしめることをも暗示したのであつた。現時局下として最も警戒すべき今一つの傾向は、同じく一面に於ては日本主義を標榜し、國體論を口にしながらも、結局唯物論の魅力圈内に彷徨する狂信日蓮宗の一群である。この外にも財界その他に親猶主義が存在してをり、特に表面的には解消したロータリー・インターナショナルの如き有力なるものもあるが、然し茲では或意味に於て現代の指導層に屬するか、或は責任ある指導者層に直接の影響力を持ち、從つて重大なる根本國策にも關係すべき憂のあ髀鼾のみを擧げるのである。(以下約百字略)【原文のママ】
彼等に依れは、ユダヤ問題はユダヤに國家を形成せしめる事によつて解決するのであり、獨伊のユダヤ排撃は道義に悖るものてあるから、道義國日本は獨伊に忠告して、その排撃を中止せしめ、八絋爲宇の精神によつてユダヤをも救へといふのである。彼等の言説が樞軸離間を目標とするものでなけれは幸であるし、また××事變を誹謗せんとする下心を有するものでないことを我々は道義日本のために祈らざるを得ないのである。而して何故に猶太のみがかく慈愛の對象となるかに就いては或種の妖氣の搖曳を感ずるのであるが、今はそれを語るべき時機ではないであらう。兔に角その代表者の某紙上その他に於けるあくどい論説は、その表現は、彼得意の美文調であるが内容に至つては親猶主義の公式であつて、所謂シオニズムとはかかる短見者流の無批判性を算盤に入れて形成されたユダヤの謀略である。從つて内容的には問題とするには足り「五萬歴、これか責任ある要路者に與へられたる一聯の論説の一つであることを思ふ時、問題は過小視されてはならないのである。この盟邦を侮辱する親猶主義が萬一にも責任ある爲政者によつて考慮さるることがあるならば、その結果は前に論及した某の場合にも比すべき惡影響を持つに至るやも計り難いのであつて、かかる言説の責任の大なることは、かの場合と同一である。この點に於ても道義日本としては事を曖昧に葬ることなきやう明斷を望まざるを得ないのである。而して二つの場合ともに、それらの思想又は行爲の地盤となつた陰の勢力にもまた適當なる處置の要請さるることは自明である。空想的觀念的なる舊式日本主義が如何なる祕密力の策謀下にあるかは不明であるが、それが現下最大の危險なる存在と化してゐることは屡々あるのである。赤色主義に對する批判がなく、ユダヤに對する認識のないために、それは赤に利用され、ユダヤに驅使されるのである。(一七・一一・五)

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