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HOME>>資料室 TOP>>猶太と世界戰爭 目次>>U 猶太と世界戰争【一、猶太の人間還元・・猶太問題研究根本原則十箇條】

猶太と世界戰爭
U 猶太と世界戰争

本第二部は、猶太の人類殲減戰としての世界戰爭を今次の世界戰爭を中心として檢討したものである。從つてそれはその世界戰爭の一部としての支那事變に關する論稿をも含み、全體としては時日の古いものより後に配列されてゐる。時局の進展にも拘らず、これらの諸篇に一貫するものが現在にもなほ妥當することを筆者は確信してゐる。これらの諸篇によつて總力戰の本家が猶太であり、而してそれがその四千年の歴史の當初から實行されて來てゐることを、我々は自覺し得るであらう。・・最後の小篇も今後の我々に何ものかを示唆すると思はれるので採録した。

一、猶太の人間還元・・猶太問題研究根本原則十箇條

第一條

猶太人は有史以來、少くとも舊約聖書と「タルムード」以來、かの著名な選民思想に生きてゐる。そしてその内容は、エホバの命に依る世界征服の信仰と、同じくエホバの命に依る非猶太人動物視とを根本としてゐる。それ故に猶太人に取つては、その世界支配に役立つ限りに於ては、動物ニしての非猶太人を強壓し、殺戮し、掠奪し、搾取することは神命であり、また嘘言と詐欺と詭辯も神命である。猶太の本質として世界周知の「底知れぬ憎惡」がまた神命に基づくことも自明である。また猶太人が非猶太人に對して何等かの「責任」を持たないのも同じ理由に依るのである。然してこれらの神命に背く時、猶太人自身がエホバのために殺戮され、殲減されることになつてゐる。

第二條

猶太人が拜金主義に於て天下無敵であることは周知であるが、往々、猶太人が「知力」に於ても偉大であるとされることがある。然し猶太人のこれら二方面に於ける偉大さが、所謂マイナスの偉大さであり、破壞に於ける偉大さでiたり、惡魔的な偉大さであることは、第一條を想起する時、直ちに理解される。「金儲けが上手」ではなく、「詐欺が巧み」なのであり、「頭がよい」のではなく、「嘘がうまい」のである。舊約聖書及び「タルムード」以來、同一事を四十幾種かづつに肯定もし否定もすることを訓練されて來てゐるのであり、然もそれをエホバの神命として行つて來てゐるのであるから、以上の偉大さは當然であらう。赤色帝國主義理論、桃色法學乃至社會學理論、黒色哲學理論等のあらゆる國境抹殺主義と、世界の金の七割乃至八割の集積とは、同じ本質の二つの方向への發展にすぎない。

第三條

從つて非猶太人に取つては、反猶主義は單に正當なる自己防衞であるにすぎない。而してもしその反猶主義が、世界十幾億の非猶太人を暴壓と殺戮と掠奪と搾取から救ひ出し、嘘言と詐欺と詭辯とから守る意味を有し得る場合には、それは全く人道的である。世界の言論通信機關を獨占する猶太の宣傳に躍らされて、反猶主義は少數民族の排斥であると鸚鵡返しに言ふ如きは、冷靜なる批判力のある非猶太人のなすべきことではない。古今東西、猶太人の集る所に必ず排猶現象の生起することを正視せよ。あらゆる場合に猶太人のみを正當なりとする立場は、世界支配を目標とする猶太人自身のそれとしては意義あるものであらうが、非猶太人の立場としてはこれ以上に無批判にしてまた屈辱的なものはあり得ないのである。非猶太人みづから自己を獸類なりとし、猶太の世界支配に協力することによつて人間猶太人の仲間となることを光榮と感ずるのでない限り、かかる宣傳に盲目的に躍つて、所謂人爲的猶太人の仲間入りをしてはならぬ。

第四條

猶太の金力と知力とを見て、或者はそれを恐れ、或者はそれを利用せよと主張する。然しこれは二つながらに猶太の本質を認識せざる所より來るのである。恐怖することは、迎合の場合と同じく、猶太を増長せしめる以外に何の效もないことは歴史の證する所であつて、所謂『人情』などといふ如きは、この憎惡の民には藥にしたくもないのである。情をかける事によつて改悛せしめ得るなどといふが如きは甘き感傷に捉はる捉はれてはいけない。況んやそれを利用しようといふに至つては、全く言語同斷である。これは單に猶太人がそれ程に甘からずまた頭もそれ程に惡くはないといふためではなくて、それが實に盜金と贓品との利用又は分配を求むる事に外ならないからである。世界に實例が屡々ある如くに、黄金と鐵と石油とに目が眩んで、斯る恥辱に甘んじ、操を賣つてはならない。殊に迎合し共謀する事によつて自己の利益を圖らうとする如きは、猶太人以下に墮せるものと言はれても、辯明の餘地はないであらう。

第五條

猶太人利用は殺人者乃至盜人との協力であるが、反對に猶太人によつて利用されることもまた身を彼と同列に置くことになるのである。特に注意すべきことは、前條の利用説が多くの場合に、卑賎なる拜金宗乃至唯物論者に見られるのに反して、これは善良なる非猶太人に多く見られる現象であるといふことである。このうち最も恐るべき場合は、猶太の世界攻略の是も巧妙なる手段としての内面的侵寇である。英帝國に於てなしたやうに、征服せんとする國の主權者と猶太とが同祖同種族なりとする遣り方と、アメリカ合衆國の場合に於てなしつつあるやうに、攻略せんとする國を自由と正義との國なりとして賞讚する遣り方とは、この場合の最も代表的なものである。そして前の場合には、多くは愛國主義を裝ふ者又は國粹主義を自負する無批判者流を利用し、それによつて目標國の上層部と愛國陣營とを無意識的なる猶太の援兵となさうとする。次に後の場合は、現代に於ては殆ど世界的に最も時代後れであり、最も無批判的である所の所謂インテリ層に働きかけることによつて、彼等を無批判なる猶太の傭兵としようとするのである。

第六條

戰爭と革命とを欲しないならば、殊に猶太の世界制霸に役立つ以外の意味なきそれらを避けんと欲するならは、萬國の非猶太人よ團結せよ。然して猶太の本質を明らかにし、その策謀を暴露せよ。そして單に黄金帝國主義のみならず、トロツキーの第四インター等に至るまでの總ての國際主義が、意識すると否とに拘らず、直接又は間接に、猶太の世界征服の機關であることを確認せよ。あらゆる平和團體、社交團體にして、奇怪なる國際的傳播力を有するものもまた然ることを確認せよ。フリイ・メイスン祕密結社(主として主權者の側近・外務・政黨・軍部を目標とする)乃至ロータリー・インターナショナル(主として財界・學界・司法部を狙ひ、フリイ・メイスン結社の禁止されてゐる國に於てはその代理を勤める)よりオックスフォード・グループ・ムーヴメント(主として宗教界に食ひ入らうとする)に至るまで、その本質が上述のものなることを知れ。而してそれらの會員は、可成りに上級の者にあつても、特にその會員が國家又は社會に於て上層部に屬する者である場合には、結社の眞の祕密に何等關與させられてゐないことを銘記せよ。この謀略の場合にこそ、猶太人の偉大さを認識すべきである。また、あらゆる流派のキリスト教徒もまた、ルッテルの誤譯を未訂正の侭に盲信してエホバを「神」乃至「宇宙神」なりと信ずる限りに於ては、上記の結社の會員達と同じく、所謂「人爲的猶太人」である。

第七條

猶太問題は結局思想問題である。從つてそれは、自由主義に「自由」ありなどといふ考へ方をする無批判者や、自由主義の發展が赤色帝國主義であることを認識し得ぬ程度の樂天主義者には、その存在さへも理解し得られぬ難問題である。それ故に、彼等がそれを否定し、それに反對することそのことが、既にこの問題の眞實性と重要性とを證明する。あらゆる合理主義者・相對主義者・唯物主義者・利己主義者に取つても、それはその理解を超える。彼等すべてに取つては、この問題を理解することは、否、單にそれの存在を認めることその事だけが、既に彼等の存在を根柢まで搖がせるのである。その理由は、彼等の大部分は、何等かの意味に於て、前條の「人爲的猶太人」であるか、或はそれに近似する思想史上の位置を占めてゐるからである。

第八條

猶太の本質と歴史に通じない人は、以上の諸箇條に於ける猶太批判に對して、猶太人と雖も全部がかかる世界支配慾に生きてゐるのではなく、從つて猶太人全部をかやうに批判するのは不當である、と主張するのが常である。しかしこれは、軍隊に於て全兵員が統帥本部の計畫の詳細に通じてゐないが故にその兵員は戰鬪員ではないとするのと同一の論法であつて、「舊約全書」と「タルムード」が猶太法師に依つて猶太教會に於て猶太民衆に講ぜられてゐる限りは、たとひ指導的地位にある猶太人の場合のやうではないとしても、なほ、各猶太人には「本能的に」以上の諸箇條に記述された傾向が存するのである。これは全日本人(時局便乘の僞裝的轉向者をも含めての赤色人のみは例外とした方が適當であるかも知れない)が、「本能的」に忠君愛國の精神を持つのと正に同樣である。

第九條

然らば猶太人は人間に非ずして、動物であるか。非猶太人としての吾人の立場より言へば、猶太人と雖も動物ではなく、人間であつて、この點に於ては吾人の立場は猶太人のそれと對蹠的である。それ故に吾人は、この人非人種族もまた何時かはその本來の「人間」としての資格を恢復することを信ぜんとする者である。但し此の猶太の「人間」への還元は、次の如き諸條件が完全に實現する迄は絶對に不可能である。

イ、舊約聖書を根本的に改〓サクし、「タルムード」の大部分を燒却し、エホバ信仰を棄て、猶太法師職を廢し、猶太教會堂を破棄し、加へて割禮を癈止すること。

ロ、少なくとも四分の一猶太人に至るまでの全猶太人が同一場所に集つて國家を形成すること。

ハ、而してその世界征服の惡夢に生きた幾千年間と同一の年數が經過すること。

第十條

日本と猶太との間には、その本質に於て、その歴史に於て、その性格に於て、その道義に於て、その人間性と人倫とのあらゆる點に於て、百八十度、否、三百六十度の差がある。即ち存在の次元が全く異なるのである。それ故に、日本的原理が世界的に認識される迄は、猶太人の世界征服の慾望は斷絶されることはなく、從つてまた世界に眞の平和と正義とはないであらう。然もその日の以前に於て、日本と猶太との正面衝突は必然の運命であると考へられる。非猶太人と猶太人との戰ひの序幕戰である今次歐洲大戰に續くものは、如何なる形式となるかは別として、不可避的に日本と猶太との戰ひである。而して眞に猶太問題を解決し、全人類を「惡」の手より解放し得るものは、八絋爲宇の精神を奉ずる日本以外にはないのである。然もその八絋爲宇の精神とは、糞味噌一視的惡平等人道主義ではなく、前世紀的空想たる猶太人東洋人説の如き安價なる感傷ではなく、何等の根據なき猶太教盲信者の日猶同祖説の如きお目出たき神話ではなくて、まつろはざる者は之を討ち平らげる處のものでなくてはならぬ。而してその後に於てのみ猶太其者も「人間」に還元され得る秋が來るであらう。猶太のお先棒として「世界戰爭」を目指す「人爲的猶太人」の群であるフリイ・メイスン結社支配下の重慶政府を討つことが聖戰であるならば、その本據を覆滅することがより大にしてより崇高なる聖戰であることは、論證の要のないことであらう。(一六・五)

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