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<第1章 日本国破産−今そこにある危機−>日本人が知らない 恐るべき真実

第1章 日本国破産−今そこにある危機−目次>>どうしてこんなことに−財政史からみる財政破綻の原因−

どうしてこんなことに−財政史からみる財政破綻の原因−

<2005.08.16>

戦後、日本の財政は忌まわしい戦時経験から、憲法で「財政の国会中心主義」(83条)をうたい、財政法では「国債の日本銀行引き受け禁止」を決めました。
憲法は、税金だけで国家の財政をまかなう「租税国家」をうたっています。

1949年のドッジ・ライン(占領軍総司令部経済顧問 J.ドッジの指導のもとに、1949年初頭から行われた一連の財政経済政策)以来、日本は均衡財政主義を堅持し、財政規律を守ってきました。そして、財政法4条【※1】では「歳入欠陥が生じたときに、国債でまかなってはいけない」つまり赤字国債の発行は禁止とされてきました。

 しかし、転機は1964年に訪れます。東京オリンピックによる好景気の反動で不況に陥り、歳入に欠陥が生じたのです。この欠陥を埋めるため「昭和40年度における財政処理の特別措置に関する法律」が公布施行され、1965年度かぎりの臨時特別措置として、収入の減少見込み額2590億円の範囲内で「赤字国債」を発行することになったのです。
しかし、特措法というのは、記憶に新しいところで「イラク特措法」もそうでしたが、なし崩し的に破られるものです。

10年後の1975年からは国債の大量発行が始まり、10年後の1985年から赤字国債の償還が始まるはずでした。それまで赤字国債は、当該年度中に返すのが大原則でした。しかし、1984年に「昭和59年度の財政運営に必要な財源の確保を図るための特別措置等に関する法律」によって国債の償還は60年まで延長されたのです。

60年償還ルールを採用すると、例えば、償還期限10年の国債の場合ならば、10年たった時に全額の6分の1だけを現金で返済し、残りの6分の5は赤字補填のための借換債を発行してまかなうことができます。
ちなみに借換債は民間では粉飾となるため原則としておこなわれていません。財政特例法にも「借り換え発行はしない」と明記されていました。
しかし、大蔵省は国会や国民に十分な情報開示もしないまま、憲法と財政法を無視して「借換債」という償還の先送りをおこなったのです。
このときから赤字国債増発を抑える歯止めがなくなってしまいました。

 借換債は、既に「死に体」となった日本財政の生命維持装置です。日本は既に借換債を返済するために、また新たな借換債を発行するという借金地獄にはまってしまいました。国債発行額や国債費は予算書に計上されるから国民の目に触れますが、借換債は予算書はもとより、どこにも現れていないので、批判の対象になることがありません。

国債の60年償還と借換債は「ご都合主義」によるルール変更であり、結局は問題を先送りにし、一方的に負担を将来世代に強いらせるものです。因果応報。『理念なき政治』をおこなってきた政治家および官僚、また、それを放置してきた国民にも、その報いを受けるときが必ず訪れるでしょう。

【※1】財政法4条 1.国の歳出は、公債または借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。2.前項但し書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。3.第1項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。

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国家破産の歴史

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