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シオン権力と戦争

【序】

米国によるイラクへの攻撃に対する説明は、軍事・政治的な弁明から地政学的・経済的利益に焦点を当てる主張に至るまで、幅広く存在する。

元々の公式な説明は、サダム・フセインが米国やイスラエルと中東地域に脅威を与える化学・生物兵器その他の大量破壊兵器(WMD)を所有していたというものであり、現在では信用を失ったものである。その後に続く米国軍による占領に対して、WMDが全く発見されなかった際に、ワシントンは独裁者の除去とアラブ世界での尊重すべき民主主義の確立を叫んでその侵略と占領を正当化したのである。植民地傀儡政権の設置は20万人の正規軍と非正規の殺し屋部隊という帝国占領軍によって支えられたものだったが、イラク戦争の根拠に関する議論に嘘を付け加えている。その占領軍は100万人に近いイラク国民を殺害しており、400万人が亡命を余儀なくされており、人口の95%を貧困化させているのだ。最近の弁明では米国の占領が「内戦を防止する」ために必要であるとする言いざまが繰り返される。ほとんどのイラク人と軍の専門家は米国の植民地占領軍の存在が激しい紛争の原因であると考えているのだ。特に、米国軍の一般市民に対する破壊的な攻撃、対立部族のリーダーやクルド人商人に対する資金援助、そして一般市民を抑圧する地方の警察軍との契約である。大部分の米国人(世界の他の国民は言うまでもない)がこのような上っ面だけの主張では納得させられないために、ワシントン政権はその戦争の継続と占領を次のように言って理由付ける。世界と地域での超大国としての地位を維持するために、そして、中東地域における親米的な各政権に対してワシントンがその支配者集団を防衛しその主導的な同盟者つまりイスラエルを防衛することを保証するために、植民地での軍事的勝利が必要であると。ブッシュのホワイトハウスおよび親イスラエルの議会指導者達は、イラクでの勝利が世界的な「反テロ」(反抵抗)政権として成功するワシントンのイメージの基盤となるだろうと主張する。こういった後付けの正当化は戦争が長引くにつれて信頼を失い、イラク、アフガニスタン、レバノン、ソマリア、タイ、フィリピン、パキスタンなど各国での国民の抵抗は増大する。戦争が長引けば長引くほど、経済的な負担と軍人たちへの抑圧はますます大きくなり、帝国の防衛にあてがう能力を維持する作業はますます困難となる。

もし、イラクとアフガニスタンでの米国の植民地戦争に対する政治的・軍事的な公式の正当化が空虚なものと響きほとんどの人を納得させないものならば、ブッシュ政権に対する批判にあるこの戦争への経済的な説明の中でいったい何が、主要ではあるが唯一というわけではない形で、前面に押し出されているのだろうか?

この戦争の経済的な決定要因での主な焦点は石油に関する事柄に注がれている。「石油のための戦争(*)」としてである。この説明もまた様々な種類に分かれるのだ。第1の、そして最も人口に膾炙するものは、米国の巨大石油企業(Big Oil:ビッグ・オイル)がこの戦争の背後にいた、というものである。つまり、ブッシュとチェイニーがその巨大石油企業に押されて、米国石油企業が国営であったイラクの油田と石油精製基地を我が物にするためにこの戦争を立ち上げたというものだ。

第2のバージョンはそれをやや修正したものだが、ホワイトハウスが巨大石油企業に押されたのではなく、必然的な行動としてそれらの利益のために行動した、というものである。(これはこの戦争を追求する際になぜ国際的な巨大石油企業のスポークスマンが驚くほどにメディアや議会のホールに顔を出さなかったのかを説明するために持ち上げられた。)

(*最近、9月と10月に連邦準備委員会の元議長アラン・グリーンスパンや米軍のジョン・アブザイド将軍などなどが行った発言を見よ。)

第3のバージョンでは、サダム・フセインによって脅威にさらされていた米国の安全保障上の国益という理由から、石油を確保するために米国が戦争に走ったとされる。この説明では、サダム・フセインがホルムズ海峡を閉ざし湾岸諸国を侵略し、サウジアラビアでの反乱をそそのかし、そして/または、米国とその同盟国への石油輸送を減らすという危険性があったと指摘される。言い換えると、中東の「地政学」によって、親米的ではない政権が米国や欧州や日本への石油輸送に対する脅威であったとされる。これは明らかに、以前はWMDプロパガンダの推進者であったアラン・グリーンスパンによって打ち出された最新の主張なのである。

この「石油のための戦争(‘war for oil’= WFO)」論の推奨者たちは事実に基づく各種の検証をしていない。まず、石油企業は戦争へ向かうプロパガンダを決して活発に支持してはいなかったのだ。議会へのロビー活動でもあるいはその他のあらゆる政治的な手段を通してでも、である。次に、「石油のための戦争」論推奨者たちは、石油企業があの侵略の前に行っていたイラクとの経済的な結びつきを発展させる努力を説明できない。実際にイラクの石油を取引するためにこっそりと第3者を通して働きかけていたのだ。第3に、中東地域における主要な石油企業の全てが、政治的な安定とこの地域での経済政策の自由化、そして外国人投資家のための石油取引開始に主要な関心を向けていたのである。ビッグ・オイルの戦略は、中東地域で進行中の自由化プロセスとその巨大な市場支配力―投資と技術―によって新たな市場と石油資源を勝ち取ることを通して、世界的な利潤の伸張をはかることだったのだ。米国のイラク侵略開始は非常な心配と懸念をもって見られた。軍事行動がこの地域を不安定化させ、湾岸地域全体を通しての彼らの利権に対する敵対感を高め、自由化プロセスを遅らせるだろうからである。あらゆる石油企業の経営陣の誰一人として、米国の侵略戦争を「国益」追求の手段として肯定的に見なすことはしなかった。なぜなら、彼らはサダム・フセインが湾岸地域の石油企業や国家に対して何らの攻撃的な行動を行うような立場にいないことを理解していたからだ。サダムは10年間に渡る経済的・軍事的制裁を受け続け、クリントン政権の間中、繰り返し軍事施設やインフラに爆撃を受けてきたのである。さらに加えて、石油企業は戦争が近づく際にサダム・フセイン政権と有利な石油の提供と通商の協定を発展させる現実的な見通しを持っていたのだ。巨大石油企業に対してそういったイラクとの経済的な合意成就のための法案成立を(制裁を通して)阻んだのは、シオニスト権力構造(Zionist Power Configuration =ZPC)に後押しされた米国政府だったのである。

巨大石油企業が自らの利益のために戦争を推進したという主張は事実に基づく検証を行われない。逆に、巨大石油企業は米国による占領のために利益を失ってきているのである。紛争が激化し、破壊活動が続き、私営化に対するイラク人石油労働者の抵抗が予想され、全般的に治安が悪化し、不安定化とイラク国民の憎悪がつのるからである。

米国の左翼は、イラク戦争が石油に関係するものだったというアラン・グリーンスパンの表明を飛び越えて、それを何の根拠も無いままである種の確信にまでしてしまった。だがしかし5年前の開戦以来の日々によって明らかにされてきたことは、「ビッグ・オイル」が侵略を推進しなかったばかりか、16万の米軍に加えてペンタゴンと国務省が支払う3万人の傭兵の存在と買収された傀儡政権があるにもかかわらず、油田の保安をただの一つとして確保していないのだ。2007年9月19日付のロンドンのファイナンシャル・タイムズは、イラクにおける「石油メジャー」の顕著な不在に関する記事を大きく取り上げた。「巨大石油企業はイラクの埋蔵石油に対して待機戦を行う “Big Oil Plays a Waiting Game over Iraq’s Reserves’ (September 19, 2007)」という記事である。いくつかの小規模な企業(‘oil minnows’)が北部イラク(クルディスタン)で契約を結んでいるが、それはイラクの石油埋蔵量の3%である。「ビッグ・オイル」はイラク戦争を始めたのでもなく、戦争から利益を得ているのでもない。どうして「ビッグ・オイル」が戦争を支持しなかったのかという理由は、彼らが占領後に投資をしていない理由と同じものである。「暴力のレベルはいまだに受け入れがたいほど高い。・・・。むしろ党派同士の間の緊張が増すために合意が結ばれる見通しは減り続けている。(同誌)」巨大石油企業にとってこのシオニスト主導の戦争に向かう最大の悪夢はすでにことごとく確定的なこととなっている。巨大石油企業の交渉と第3者の取引が戦前のイラクに安定と石油や収入の絶えることの無い流れを造っていたのだが、あの戦争がそれらの収入をゼロにしたばかりか、次の10年に対するどのような新しいオプションをもとことん奪ってしまったのだ。

戦争にも関わらず、この地域ではいたるところで自由化が進んでおり、米国石油企業と財政的な利益は前進してきた。障害や憎悪が増えたにも関わらずであるが、それらは米国がイスラム教徒を殺すことから発するものだ。

ビッグ・オイル、つまりテキサスの億万長者達はブッシュ家の政治キャンペーンの貢献者なのだが、ことが中東政策に及ぶとシオニスト権力構造には太刀打ちできなかった。彼らは内的・外的な権力に欠けていた。議会に対してシオニスト戦争推進者の力を振るわせるためのユダヤ共同体組織のような鍛えられた草の根組織に欠けていた。戦略決定を行う上級部局での地位にも、米国メディアで軍国主義的なプロパガンダを流すハーバードやイェールやホプキンス出身のアカデミックな著述家の軍勢にも欠けていた。再版されたデイリー・アラート紙での声明と論評について衝撃的なことは、それが公式なイスラエルの好戦的な姿勢と全く何の違いも存在しないという点である。イスラエルがジェニンで子供達を殺していようが、レバノンで人口密集地を爆撃していようが、ガザの海岸でくつろぐアラブ人の家族に砲弾を浴びせていようが、デイリー・アラート紙は、イスラエルの公式発表と、人間の楯や事故や学校の児童に混じる狙撃主や自己誘発的な凶暴性に関する見え透いた嘘を、単純にこだまさせるばかりである。全期間を通して調べてみるとイスラエルによる何十万人ものパレスチナ人集団追放を問う批評記事がただのひとつとして存在しない。これほどに巨大な人類に対する犯罪は無いために米国主要ユダヤ組織の総裁たちが防御することはできないのだ。これこそまさにイスラエルの公式な政策に対する奴隷的な従順さである。それは、シオニスト権力構造が、「左」の弁護者たちやウォルトとミアシャイマーですら主張するような、単なるもう一つのロビーなどといったものをはるかに超える何ものかであることを、明確にさせるものだ。シオニスト権力構造は、中東地域での支配をがむしゃらに得ようとする植民権力の政策と利権に向かう伝導ベルトとして、そして、我々の民主主義的な自由に対する最も深刻な独裁主義的な脅威として、圧倒的に邪悪なものである。あえて批判する者は誰一人として親イスラエル独裁主義者どもの長い手を逃れることができない。出版社はピケで封鎖され、編集者は恐ろしい目に遭い、大学新聞とその配布者は恐喝され、大学の学長は脅迫状を送りつけられ、地方や国の議員候補は打ち破られて中傷され、会議はキャンセルさせられその会場は圧力をかけられ、教授連は首にされあるいは昇進を拒否され、企業はブラックリストに上げられ、団体の年金基金は危機に陥れられ、劇場での公演やコンサートは中止させられる。そうして、国家と地方のレベルでこれらの独裁主義的シオニスト諸組織による弾圧的な一連の行動がとられるのだ。一部の者の間に恐怖を、ずっと多くの者の間に怒りを持ち上げ、じわじわと敵意を燃え立たせ、そして沈黙する多数派の間に自覚を植えつけながらである。

「石油のための戦争」説の第2である地政学バージョンは国家の安全保障に焦点を当てる。1991年の湾岸戦争の後、11年にわたる経済制裁と武装解除の間にイラクは、米国を後ろ盾にした北部のクルド人地区と恒常的な米国による爆撃や監視飛行によって、部分的に解体した貧しい弱小国となった。クリントン政権の間にイラクは何度も激しく爆撃され、50万人と推測される子供を含む100万人を超える国民が、米国が科した食料と基本的な医薬品と上水道施設の剥奪に関連する状況によって、早すぎる死を迎えたのだ。

2003年の侵略の以前に、イラクはその海岸線も領空も、国土の3分の1をさえも、コントロールすらしていなかったのである。米国の侵略が明らかにしたように、サダムの軍隊は通常の戦闘でいかなる防衛線を張るだけの基本的な能力をも持っていなかったのである。外国の親米勢力に対してあるいはホルムズ海峡に対して脅威を感じさせるような戦闘機は1機すらも無かったのだ。米国に対する頑強な抵抗は後にゲリラ戦の中で非正規軍が携わる形で行われるようになったのであり、バース党政権によって作られた正規軍によってではないのである。言い換えると、「国家の安全保障」の概念を、米軍基地や石油施設や親米的支配者たちや中東の輸送と搬出航路に向かってどれほど拡張しようとも、サダム・フセインは明らかに脅威ではなかったのである。それでも、もし「国家の安全保障」の概念を再定義しこの地域における米国とイスラエルの支配に敵対する可能性を持つ者を物理的に消し去るという意味にしたとしたら、サダム・フセインは国家の安全に対する脅威であったとレッテルを貼ることが可能かもしれない。しかしそれは、米国の対イラク戦争への説明に関する議論を新たな領域に持ち込むことになり、中東での米国とイスラエルのヘゲモニーを求める戦争を正当化する偽のWMDと「石油のための戦争」プロパガンダをでっち上げた政治勢力についての議論へと変わるだろう。誰が米国によるイラクへの侵略と占領に責任があるのかに関する、はるかに重要な隠ぺいのキャンペーンが、我々をイランとの戦争に引きずっていく現在のプロパガンダ攻勢と極めて緊密に関係しているのである。

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