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イスラエル・ロビーと米国の外交政策

3.縮小する倫理的な主張

問題はイスラエルの戦略的価値だけではない。イスラエルの支援者は、イスラエルは弱体で敵に囲まれているために無条件の保護に値すると主張する。これは民主主義だ。ユダヤ人は過去の犯罪行為により苦しんだ、それ故、特別な取り扱いを受けるに値する。そして、イスラエルの振る舞いはその敵対者の振る舞いに比べて倫理的に優位にある。周到に観察すれば、これらの主張はどれ一つとして説得力がない。イスラエルの存在を支持する強い倫理的主張は存在するが、それは危機的状態にあるわけではない。客観的に見て、イスラエルの過去及び現在の行動からはパレスチナ人よりも優遇されるべき道徳的根拠は何ら認められない。

i)負け犬への支援

イスラエルはゴリアテに直面したダビデとして描かれることが多い。しかし、その逆がより真相に近い。一般に信じられているのとは逆に、シオニストは1947 -1949の独立戦争でも規模・装備・指揮の点でより優れた軍隊を保有していた。そして、イスラエル防衛軍が1956年にはエジプトに対し、1967年にはヨルダンとシリアに対し素早く容易に勝利した。これらは全て米国の大規模な援助が始まる前のことだ。現在、イスラエルは中東で最強の軍事力をもつ。その常備軍は近隣国のそれを遙かに上回り、この地域で唯一の核兵器保有国でもある。エジプトとヨルダンはイスラエルとの平和条約に調印し、サウジアラビアも平和条約調印を申し出た。シリアはソ連という後援者を失い、イラクは三回の悲惨な戦争によって荒廃し、イランは数百マイル遠くにある。パレスチナ人はイスラエルに脅威を与える軍事力はおろか、有効な警察力をかろうじて保有するのみである。テルアビブ大学のジャッフェ戦略研究センターの2005年の調査によれば、戦略的な均衡は決定的にイスラエルに有利であり、その軍事能力と抑止力における近隣諸国との量的格差は拡大し続けている。負け犬を支援することが已むを得ない動機であるのなら、米国はイスラエルの敵を支援しているだろう。

ii)民主主義の仲間への支援

イスラエルが民主主義国の仲間であり敵対的な独裁国家に囲まれていることも現在の援助水準を説明できない。世界には多数の民主主義国家があるが、イスラエルと同等の惜しみない援助を受ける国は存在しない。米国は自国の国益を向上させると考えたときは過去にあった民主的政府を転覆させて独裁者を支持してきた。それは現在存在する専制国家の数とよく相関する。

イスラエルの民主主義は幾つかの点で米国の中核的な価値観に対立する。人種・民族・宗教に関わらず人々が平等の権利を教授するとされる米国とは異なり、イスラエルは明らかにユダヤ人の国家として設立され、その市民権は血統的親族関係の原則に基づいている。このことを考えれば、130万人のアラブ人が二流市民と扱われていることや、最近のイスラエルの委員会が「彼らに対しイスラエルが無視と差別をもって取り扱っている」ことを発見したのは驚きではない。イスラエルの民主主義的な地位はパレスチナ人に生存可能な彼ら自身の国家又は完全な政治的権利を与えることを拒否していることによっても弱体化させられている。

iii)過去の犯罪行為への償い

三つ目の正当化は、キリスト教を信仰する西洋におけるユダヤ人の苦難の歴史、特にホロコーストの期間のそれである。ユダヤ人は何世紀にも渡って迫害され、ユダヤ人の祖国でしか安心することができないために、イスラエルは米国から特別な扱いを受けるのが相応しいと多くの人々は今信じている。イスラエルの建国がユダヤ人に対する長期間に渡る犯罪行為に対する妥当な反応であったことは疑いの余地はない。しかし、それはおおむね罪のない第三者であるパレスチナ人に対する生々しい犯罪行為もまたもたらした。

このことはイスラエルの初期の指導者にはよく理解されていた。デービッド=ベングリオンは世界ユダヤ会議の議長であったナハム=ゴールドマンにこう語った。

「もし自分がアラブ人の指導者ならば、自分は決してイスラエルと仲直りしないだろう。それは自然なことだ。我々は彼らの国を奪った・・・我々はイスラエル出身だが、それは2000年前のことだ。そして、それは彼らにとって何か意味があるのだろうか? 反セム主義、ナチス、ヒトラー、アウシュビッツもあった。しかし、それは彼らの誤りなのか? 彼らはただ一つのことだけを見ている。我々がここにやってきて彼らの国を盗んだ。何故彼らがそれを受け入れねばならないのか?」

それ以後、イスラエルの指導者達は繰り返し、パレスチナ人の国家という野心を拒否する事を追求してきた。ゴルダ=メイアが、彼女が首相であった時に「パレスチナ人などと言うものは存在しない」と語ったのは有名である。過激派の暴力行為とパレスチナ人の人口増加からの圧力により、その後のイスラエルの指導者達はガザ地区を解放しその他の領土的譲歩を考慮することを強いられた。しかし、イツハク=ラビンですら、パレスチナ人に自立可能な国家を与えることには乗り気ではなかった。エフド=バラクがキャンプ=デービッドで行ったと噂される寛大な申し出は彼らに事実上イスラエルに支配された非武装の「バンツースタン(かつての南アフリカ内の黒人国家)」の集まりを与えただけであった。ユダヤ人の悲劇的な歴史があるからといってイスラエルを無条件に支援することを米国が強制されることはないのだ。

iv)高潔なイスラエルと邪悪なアラブ

イスラエルの支持者はイスラエルをあらゆる機会に平和を追求する、たとえ挑発されても偉大な自制心を示す国としても描く。対照的にアラブ諸国は大いなる悪意を持って行動してきたと言われる。しかし、地上においてイスラエルの足取りは敵対者のそれと区別できない。ベングリオンは、初期のシオニストは彼らの侵略に抵抗したパレスチナのアラブ人に対して慈悲深さからはかけ離れた態度であったことを知っていた-それは、シオニストがアラブの土地に彼ら自身の国を建設しようと試みていた事を考えれば全く驚くべき事ではない。同様にして、1947-48年のイスラエル建国はユダヤ人による死刑執行・虐殺・強姦を含む民族浄化活動を伴っていた。それに引き続くイスラエルの行動は残忍であることが多く、高い道徳性へのあらゆる要求を裏切るものであった。例えば1949年と1956年の間、イスラエル軍は2700人から5000人の間の人数のアラブ人の侵入者を殺した。イスラエルは10万人と26万人の間の数のパレスチナ人を新たに勝ち取ったヨルダン川西岸から追放した。そして、ゴラン高原から8万人のシリア人を追いやった。

初回のインティファーダの間、イスラエル軍部隊に杖を支給し、パレスチナ人の抵抗者の骨を砕くことを奨励した。「セーブ・ザ・チルドレン」の組織のスウェーデン支部の推計によれば、23600人から29900人の子供がインティファーダの最初の2年間に打撲傷に対する医療を必要とした。彼らの三分の一近くは10歳以下であった。二回目のインティファーダへの反応はもっと暴力的であり、主要紙であるハレーツが「イスラエル軍は殺人を行う機械に変身しつつあり、その効率性は畏怖を抱かせ、衝撃的である」と宣言したほどである。イスラエル軍は蜂起の最初の日に百万発の銃弾を発射した。それ以後、一人の殺されたイスラエル人のために、イスラエルは3.4人のパレスチナ人を殺した。死者の多くは罪のない傍観者であった。パレスチナ人の子供の死者のイスラエル人のそれに対する比率は更に高いもの(5.7対1)であった。シオニストが英国人をパレスチナから追い出すためにテロリストの爆弾に頼ったこともまた記憶に留めておく価値がある。そしてかつてはテロリストであり後日首相となったイツハク=シャミルは「ユダヤ人の倫理もユダヤ人の伝統も戦闘の手段としてのテロリズムを不適当と見なすものではない」と宣言した。

パレスチナ人がテロリズムの手段を執ったことは誤りであるが驚くべき事ではない。パレスチナ人は、自分達はイスラエルに譲歩させるテロリズム以外の方法はないと信じているからだ。エフド=バラクが「もし自分がパレスチナ人に生まれていたならば、テロリスト組織に参加していただろう」とかつて認めた様に。

そして、もし戦略論も道徳論も米国のイスラエルに対する支援を説明できないとすれば、我々はどうやってそれを説明するのか?

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