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イスラエル・ロビーと米国の外交政策

6.結論

イスラエル系圧力団体の勢力を抑制することはできるのか?イラクでの大失敗、アラブとイスラム世界での米国の印象を改善する必要性の明白さ、アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)の当局者が米国政府の機密をイスラエルに伝えていたことが最近暴露されたことを考えれば、人々はそう考えたくなる。アラファトの死とより穏健なムハマッド=アッバスの選出によって、米国政府は平和条約を結ぶように強力かつ公平に働きかけるようになると考えるものもいるだろう。簡単に言えば、イスラエル系圧力団体から距離を置き、より広汎な米国の国益により合致した中東政策を採用する十分な余地が指導者には存在する。特に、米国の力を用いてイスラエルとパレスチナの間に公平な平和を達成することは、この地域の民主主義の運動を増進させる助けになる。

しかし、その様なことはどうせ近い内には起きないだろう。アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)とその仲間たち(キリスト教徒のシオニストを含む)は圧力団体の世界で重大な敵を持たない。彼らはイスラエルの主張を行うことは今日ではより困難になってきていることを理解しており、職員を受け入れて彼らの活動を拡大する事で対処している。おまけに、米国の政治家は引き続き選挙献金や他の形式の政治的圧力に非常に敏感であり、主要な報道機関は何が起きようとも引き続きイスラエルに同情的な傾向である。

イスラエル系圧力団体の影響力は幾つかの分野で波乱を起こしている。イスラエル系圧力団体は欧州にある米国の同盟国を含む全ての国家が直面するテロリストの危険性を増加させており、また、イスラエルとパレスチナの紛争を終結させることを不可能にしている。その状態は過激派が人を募集する為の強力な手段になっており、テロリスト予備軍とその支持者の数を増加させ、欧州とアジアでの急進的イスラム主義に貢献している。

同様に憂慮されることだが、イスラエル系圧力団体のイランとシリアでの政権転覆を求める運動は米国を両国に対する攻撃に導く可能性があり、それは悲惨な結果になりかねない。我々はもう一つのイラクを望まない。少なくとも、イスラエル系圧力団体のシリアとイランに対する敵意のために、米国はアル・カイーダやイラクの反乱に対する戦いへの両国の協力を大いに必要としているにもかかわらず、それを求める事が殆ど不可能になっている。

ここには倫理的要因も存在する。イスラエル系圧力団体の御陰で、米国はイスラエルの占領地域への拡張政策の事実上の成功要因となっており、パレスチナ人に対して犯される犯罪の共謀者になっている。この状況は米国政府が外国に民主主義を普及させる努力を損ない、外国に対して人権を尊重するように要求するときに米国が偽善者として見られる事になっている。米国が積極的にイスラエルの核武装を承認していることを考えると、米国が核兵器の拡散を制限しようとする努力も同様に偽善的と見られており、それはイランや他の国が同様の能力を追求する事を勇気づけるだけである。

それに加えて、イスラエル系圧力団体がイスラエルに関する論争を抑制しようとする運動は民主主義にとって不健全である。ブラックリストと不買運動で懐疑論者を沈黙させる-又は批判者は反セム主義であると主張すること-は民主主義が頼みとする公開討論の原則を侵害するものだ。米国議会がこれらの重要な問題について誠実な論争を行うことが不可能になっており、全ての民主的討議が麻痺してしまっている。イスラエルの支持者は自由に主張し反対者に異議申し立てを行うべきだが、脅迫によって議論を鎮圧すると言う努力は徹底的に批判されねばならない。

最後に、イスラエル系圧力団体の影響力はイスラエルにとって有害である。イスラエル系圧力団体が米国政府を説得して拡張論者の政策を支持させる能力のために、イスラエルは自国民の生命を救いパレスチナ人過激派の地位を下落させるであろう機会 - シリアとの平和条約や、オスロ合意を即座に完全に履行することを含む-を掴むことを阻止してしまった。パレスチナ人の正当な政治的権利を否定することでイスラエルは確実により安全でなくなった。そして、ある世代のパレスチナ人の指導者達を殺したり政治的に無視したりする長期的な運動はハマスの様な過激派集団に力を与え、公平な和解を受け入れて機能させることのできるパレスチナ人指導者の数を減少させる結果となった。もしイスラエル系圧力団体がより弱体で米国の政策がより公平であったならば、イスラエル自身がもっと良い状態になっていたことだろう。

しかしながら、希望の光は存在する。イスラエル系圧力団体が強力であり続けるにもかかわらず、その影響力の弊害はますます隠せなくなっている。強国は欠陥のある政策を暫くの間は維持することは可能だが、真実を永遠に無視することは出来ない。必要なことは、イスラエル系圧力団体に関する率直な議論と、この重要な地域における米国の国益に関するより開かれた討論である。イスラエルの幸福は米国の利益の一つであるが、イスラエルのヨルダン川西岸地区の継続的な占領やより広汎な地域政策は米国の利益に含まれない。公開討論によって米国の一方的な支持に関する戦略的・倫理的な主張の限界が明らかになるだろう。そして、米国をより自国の国益、この地域の他の国、そしてイスラエルの長期的な国益にも合致した位置に移動させることができるだろう。

<終>

【イスラエルの主要政治家に関する訳者注釈】

デービッド=ベングリオン(1886-1973) 1948-1954と1955-1963に首相。初代首相。Mapai党

ゴルダ=メイア(1898-1978) 1969-1974に首相。第4代首相、労働党。

イツハク=ラビン(1922-1995) 1974-77と1992-1995に首相、労働党。第5代首相。オスロ合意に署名した事に反対する和平反対派のユダヤ人青年に銃撃され死亡。

イツハク=シャミル(1915-)1983-1984,1986-1992に首相。第7代首相。リクード党。1996年に政界引退。

シモン=ペレス(1921-) 1984年-1986年、1995年-1996年に首相。第8代首相。労働党。2001年-2002年には外務大臣。2005年にシャロン首相の元で副首相。そして、11/29に党首であった労働党を脱退し、シャロン首相(当時)の結成したカディマを支援すると表明。

ベンジャミン=ネタニヤフ(愛称ビビ,1949-)1996年4月-1999年5月に首相。第9代首相。リクード党。2005-シャロン離党後のリクード党党首。

エフード=バラク(1942-) 1999-2001に首相、労働党。第10代首相。

アリエル=シャロン(1928-)1972年まで軍人。1973年政界入り、1998年外相、1999-2005リクード党党首、2001-2006年首相。第11代首相。2005年に11月21日にリクード党を脱退して中道政党カディマを結成するが、1/4に脳卒中で職務不能となり、エフード=オルマートが首相代行に就任。

エフード=オルマート 2006年1月4日より首相代行,4月15日より暫定首相に就任。カディマ党首代行。

シャウル=モファズ 2002-2006にシャロン政権で国防大臣。リクード党、

ベンジャミン=ベンーエリゼール 2001-2002年国防大臣。労働党。2001-2002労働党党首

エフライム=ハレヴィ 元国家安全保障会議議長、元モサド長官

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