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コラム

■ 産業革命 −資本主義の発展への道筋(3)−

 関連page:“無”から創造されるお金

産業革命とは、18世紀から19世紀にかけて主に西ヨーロッパで起こった機械の導入による産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことをいいます。
工業が著しく発達したので、工業革命ともいいますが、軽工業中心の第1次産業革命と重工業中心の第2次産業革命があります。

産業革命が起こった背景としては、18世紀のイギリスにおいて、毛織物工業などの発展や、植民地貿易を通じた資本の蓄積、第2次エンクロージャーにより土地を失った農民という労働力、商品輸出を可能とした広大な海外市場、そして科学技術の進歩が土台としてありました。
そこに東インド会社によって輸入されたインド産綿織物の需要の拡大により、国内での綿織物生産が促され、綿織物の機械が発明されるに至ったのです。

第1次産業革命は、石炭、蒸気機関を動力源とする軽工業中心の発展でした。
イギリスでは、燃料としていた木炭の消費が激しくなったことで森林破壊が進んでいたこともあり、燃料が木炭から石炭へと切り替えられました。そして、石炭を加工してつくられるコークスを用いたコークス製鉄法が開発されたことで、鉄製機械の生産が容易になります。

石炭の採掘が盛んになると、炭坑に溜まる地下水の処理が問題となってきました。
こうした中、1712年にニューコメンによって蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化。
さらに1769年、ワットが蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動へ転換させることに成功。
この蒸気機関の改良によって、様々な機械に蒸気機関が応用されるようになります。蒸気機関を動力として用いたことで、さらに生産速度は上がり、生産力が増していったのです。さらに、1807年のフルトンによる蒸気船の発明、1825年スティーブンソンによる蒸気機関車の発明によって人間や貨物の移動が、より容易になりました。

第2次産業革命は、石油、モーターを動力源とする重工業中心の発展です。
それに伴って、電灯、電車、電話、ラジオ、映画、自動車、飛行機等、現在の私たちの生活に直接関係してくるものが19世紀後半から20世紀の初頭に発明、実用化されていきました。

このような新たな産業の発生は、生産設備に巨額の費用を必要としたので、大企業の出現をもたらすことになります。
また、これらの新製品をつくるためには新たな天然資源が必要となりました。しかし、それはヨーロッパではまったく産出しないか、あるいは産出されてもごくわずかなものにすぎませんでした。

そこで企業家たちは、それらの資源を求めてヨーロッパの外へと出かけていくことになります。
そして、より高い利益を求め、人件費の安いアフリカやアジア等で鉱山や油田を開発したり、ゴム農園を経営したり、鉄道を建設するようになりました。

しかし、いくら現地に新しい企業をつくったとしても、それが安全かつ安定的に経営されなければ、利益がでてきません。
企業家や投資家は、自国の政府に自分たちの「利権」の保障を求めるようになり、政府は軍事力を使って強引に途上国を植民地化していくことになります。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、欧米の先進資本主義国(後に日本も加わる)によって、世界中の途上国が植民地・半植民地化されていきました。
これらの現象を「帝国主義」といいます。
各列強が帝国主義政策を進めたため、19世紀末頃から列強同士の対立が激化。日露戦争や第一次世界大戦、また第二次世界大戦といった「植民地の奪い合い」のための戦争が起こることになります。

【2005.9.6】

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