効率化という名の「どん底に向けての競争」
<2005.09.13>
さて、利子がもたらすもう一つの大きな問題は、時間的制約との兼ねあいです。
経済は成長させ続けなければいけませんが、それに合わせて価格を引き上げていくわけにはいきません。価格を引き上げれば競争に負ける企業も出てきます。
残る手段は効率化、合理化を計ることです。
しかし、それにも限界があります。
1日は24時間でしかなく、1年は365日でしかないのです。
同じ期間で毎年毎年効率を上げ続けることは非常に困難です。
でも、それをしなければ倒産してしまう。
だから良心が咎めても、非人道的なことをしてでも、環境を破壊してでも効率化・合理化して、売上げを伸ばし続けなければならなくなります。
そうしなければ自分たちが倒産という危機に陥ってしまうのです。
ところが、効率をあげればあげるほど雇用は失われていきます。
もっとも経費を削減できるのは「人を雇わないこと」です。だから、一方では過労死するほど忙しい人がいるのに、他方では仕事のない人がいるというアンバランスな構図ができあがるのです。
この先に待っているのは「Race to the bottom」と呼ばれる「どん底に向けての競争」です。
いかに長時間、安い賃金で、過酷な労働をさせるかを競い合う世界です。
私たちは本当にそんな世界を望んでいるのでしょうか?
この過酷な効率競争は、人間とって大切な時間のゆとり、そして精神的ゆとりを失わせます。
たとえ効率があがっても、それで労働時間が減ることにはつながりません。
なぜなら資本主義社会は投資効率を求め、最大の利潤を生むように人々を駆り立てるので、空いた時間はさらなる経済成長のために組み込まれていくのです。
児童文学者ミヒャエル・エンデは、代表作『モモ』で、この点について問題提起をおこないました。
貧しくとも心豊かに暮らしていた街の人々の前に、ある日突然「灰色の男たち」が現れます。
時間貯蓄銀行から来たと自称するその灰色の男たちは、実は人々から時間を奪おうとする時間泥棒でした。
「時間を節約して時間貯蓄銀行に預ければ、利子が利子を生んで、人生の何十倍もの時間が持てる」
という灰色の男たちの口車に乗せられ、人々はどんどん余裕の無い生活に追い立てられていきます。
そして時間とともに、かけがえのない人生の意味まで見失っていくことになります。
この『モモ』の中に登場する「灰色の男たち」の正体が「利子」であることを後年エンデ自身が語っています。
「利が利を生む、自己増殖する貨幣経済」が果たして人間を幸せにするのか?
私たちは今一度立ち止まって真剣に考える必要があると思います。