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<第4章 お金の秘密>日本人が知らない 恐るべき真実

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お金の歴史

<2005.09.08>

お金には、もともといろいろなお金があり、世界中でさまざまな形で発展してきました。しかし、そのそれぞれの長い歴史をご紹介していると本当に長くなってしまうので、半ば強引に、簡単に省略してご説明していきたいと思います。

お金を、誰が、どういう種類のお金を、何の目的でつくってきたかを簡単にまとめた図が下記のものです。

セクター別お金の分類

発行主体種類目的
市民貨幣商品・貝殻・金属等交換手段を得るため
政府貨幣鋳造貨幣税収を集めるため
商業貨幣紙幣利潤を得るため

この、それぞれについて順にご説明していきますが、その前に、お金のなかった時代からみていきましょう。

〔お金のない時代〕

昔々、人間は生活に必要なものをすべて自分たちの共同体でつくりださなければなりませんでした。それはとても効率が悪く、大変な作業です。それに自分たちだけではつくりだせないものもあります。また、せっかくつくっても必要な時に足りなくなっている場合もあります。そこで、他の共同体がつくったものと自分たちがつくったものとを交換する必要が生まれました。これが物々交換と言われるものです。

しかし、物々交換は交換の手段としてはとても不便でした。たとえば、あなたたちが魚を捕っている漁師さんだとしましょう。そして、魚を焼く時に使う塩がほしいとします。塩をつくっている人が魚をほしがっていれば、交換はスムーズに成立します。しかし、相手が「魚より肉がいい」と言った場合は、さぁ大変です。あなたたちは山に獣を狩りに行くか、他の余分な肉を持っていて尚且つ魚をほしがっている人を探さなければなりません。また、その人を捜している間に魚が腐ってしまう場合もあるでしょう。

このように物々交換はお互いの間で欲求や必要がピッタリ合っていないと交換がスムーズにいかないのです。この不便さを解消するために、何にでも交換できる媒介物が考えだされました。それがお金と呼ばれるものです。

つまり、お金とは、それを持ってくれば「それ相当分の何かと交換しますよ」という"取り決め"であり、言い換えれば"情報"だったのです。

このお金が発明されたことにより、交換がスムーズにおこなわれるようになりました。そして、人類は初めて自分の好きな事を職業して生きていくという自由を手に入れます。たとえば、絵が好きな人がいるとして、それまでは絵を描いているだけでは食べていけないので、日常生活に必要な食糧等をつくりながら絵を描かなければなりませんでした。しかし、絵を売ってお金にし、そのお金によって日常生活に必要なモノを買って手に入れることができるようになったのです。また、お金の発明により分業が可能になったため、専門技術を持つ人が現れ、生産がより高度比・効率化され、文明が発達していくことにもなりました。

〔商品貨幣〕

お金として初めから今のような紙幣や硬貨が使われていたわけではありません。米や小麦、塩、油、布、皮革、牛や羊といった、その土地で多くつくられ、誰もが生活していくにおいて必要としている物を"お金"として使っていました。このような貨幣を"商品貨幣"といいます。誰もが必要とする"必需性"が、その品物を交換の媒介物=お金として成り立たせたのです。

ただ、商品貨幣には不便な点がありました。お米や小麦は古くなれば品質が悪くなりますし、小額の取引を行う度に牛を切り刻むわけにはいきません。塩ばかりたくさんあっても腎臓を悪くするだけです。それに自然物は天候に左右されるので供給にムラがでます。

〔貝殻貨幣〕

最初にお金として世界的に広く使われたものはタカラ貝でした。この貝は珍しく、希少で、美しい色艶をしており、硬く、粒も揃っているので、ネックレスなどのアクセサリーとして大切にされ、皆が欲しがりました。皆が欲しがるからお金として成立したのです。ちなみに、買・資・財・貯などお金に関する漢字に"貝"がついているのは、この頃の名残です。

ここからお金は「必需性に基づいたもの」から「希少性に基づいたもの」へと変わってゆきます。希少性とは、それ自体が少ししか存在しない珍しいもので、皆が欲しがるようなものです。

このことは後の社会を形成する際に多大な影響を与えてゆくことになります。なぜなら希少性に基づくということは常に大衆に「足りない」という意識を植え付けるからです。「足りない」という意識は競争を生み出します。誰かが豊かになればなるほど別の誰かはより足りなくなってしまうのです。それを手に入れるためには競争に勝たなければなりません。

〔金属貨幣〕

やがて鉱石から金属を採る技術が発達してくると貴金属がお金として使われるようになりました。貴金属は腐ったり、磨り減ったり、なくなったりすることがあまりありません。また、自由に分割したり足し合わせたりすることもできますし、少量でも交換価値が高いので持ち運びにも便利です。こうして長い年月が経つうちに世界中のほとんどの地域で金・銀・銅などの金属がお金として使われるようになりました。このようなお金を「金属貨幣」といいます。 金属貨幣の最大の特徴は「腐らない」ということです。ですから商品貨幣と違い、保持していても交換価値が落ちません。これによりお金に「価値の貯蔵手段」という機能が加わります。

しかし、金属貨幣も最初の頃は受け取るたびに品質を調べたり、重さを量ったりと、不便な点もありました。そこで大きさと重さ、混合物の量がきちんと決められたお金=鋳造貨幣(コイン)がつくられるようになったのです。

〔鋳造貨幣〕

紀元前6世紀頃には、各国で盛んに鋳造貨幣がつくられました。重量や混合物が一定の鋳造貨幣は、交換価値の尺度となります。たとえばボールペンと箸はまったく別の分野のモノなので、本来は比較できないのですが、価格という価値尺度を間に挟むと、不思議と100円のボールペンと500円の箸ならば500円の箸の方が価値が高く感じられ、逆に500円のボールペンと100円の箸ならば500円のボールペンの方が価値が高く感じられます。このようにあらゆる分野の商品の価値を、価格という一定のモノサシで測ることができるようになりました。

ただ、誰もが勝手にこの鋳造貨幣をつくってしまっては、本当に重さは正しいのか、混合物の量が一定なのか不安になります。信憑性が薄くなると、やはり取引の度に調べなければなりません。そこで次第に国王や貴族など、権威のある人に鋳造貨幣をつくる権利が集中していきます。

これまで、お金の量は「どれだけ金(銀・銅)が発見されるか」にかかっていました。しかし、貨幣発行権の集中は、誰にどれだけお金を分配するかを決める権利を時の権力者に与えることになりました。これにより、お金は「支配の道具」にもなっていきます。

〔兌換紙幣〕

さて、中世の後期、最も価値の高いお金の単位は金のコインでした。その金の純度をチェックするのは金細工師の役割です。金細工師の家には、大きな金庫があり、当時のお金持ちは金貨を強盗や空き巣から守るために、その金庫に預けていました。金細工師は金貨と引き換えに受領書を渡し、保管のための手数料をもらっていました。

お金を預けていたお金持ちのAさんは、何かを購入するときに金細工師に受領書を渡し、引き出した金貨で支払いをします。その代金を受け取ったBさんは、金貨を持っていると強盗や空き巣に入られると困るので、やはり金細工師の家の金庫に預け、受領書を受け取ります。それならば、わざわざAさんは金貨を引き出さなくてもBさんに受領書を渡せば、それで済むことです。次第に人々は金貨を使って取引するより、直接、受領書を使って支払する方が便利で安全であることに気づき、その受領書が紙幣の役割をすることになります。

こうして人々が紙幣で取引をし始めると、金細工師の金庫の中にある金貨は眠ったままになります。「もし預金者全員が一度に金貨を引き出しに来なければ、この金貨を担保に紙幣を発行してもよいのではないか」そう考えた金細工師は、お金に困っている人に紙幣を貸し出し、その貸し出し料として利子を受け取るというビジネスを始めたのです。

こうして13世紀のイタリアで近代式銀行業が始まりました。この時から、お金は銀行から融資を受けた時につくられる(=信用創造)ようになったのです。よく考えてみれば、預かっている金貨は金細工師の金ではありませんし、勝手にそれを貸し出しているのですから、これは横領です。しかし、その方法は秘密裏にされていたために非難されることはありませんでした。

お金が、銀行が発券する紙幣に変わっていくと、これまでのように国家がお金をコントロールすることができなくなりました。近代になると、政府と銀行の間で一つの取引がなされます。それは政府が必要とする資金を常に供給する代わりに「銀行がお金を発行し管理する権利を得る」というものです。このような取引は、1668年にスウェーデンの不動産銀行(現在のスウェーデン中央銀行)と初めておこなわれ、これをモデルにイギリスでも1688年にイングランド銀行が誕生。その後、そのような役割と特権を持った中央銀行が各地で誕生しました。

〔金本位制の崩壊〕

1929年、ニューヨークのウォール街で株式が大暴落したのをきっかけに、世界大恐慌が起こりました。経営がおかしくなった企業は、銀行に駆けつけて預金を引き出します。はじめのうちは要求に従っておとなしく銀行券を渡していた銀行も、苦しくなった企業が増えるにつれ、預金引出しを渋るようになりました。そうなると預金を引き出すのに銀行券をもらうのが不安になり「金で返せ」というようになります。しかし、それだけの金貨が銀行にはありませんでした。既にみてきたように、銀行は手持ち以上の銀行券を発行していたのです。ますます銀行券は信用されなくなり、兌換要求に応じられない銀行は倒産に追い込まれました。そうなると倒産した銀行に預金していた企業や融資を頼っていた企業も巻き添えになり、倒産してしまいます。このように倒産の嵐が吹き荒れ、失業者が街にあふれてしまったのです。こうして大恐慌が原因となり、主要各国の金本位制は崩壊しました。

〔金為替本位制〕

第二次世界大戦は膨大な物資の消耗戦となり、広大な国土に豊富な資源を持つ米国は、その資源の供給国となりました。戦後、全世界の70%、約22000t(全盛期の英国でさえ1000tといわれる)もの金が米国に集まっていたことが決め手となり、ブレトン・ウッズ会議で「米ドルのみが金と交換可能で、他国のお金は米ドルと交換できる」という金為替本位制がとられることになります。

〔変動相場制〕

しかし、米国は1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、大幅な財政赤字を抱えることになり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。米国は、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなったのです。

1971年、当時の米国大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました。これをニクソン・ショックといいます。金為替本位制は崩壊。通貨制度は変動相場制へと移行しました。

これにより、お金はこれまでの兌換券から不換券へと転換しました。
お金の裏付けとなるものが何もなくなったのです。

この頃からお金は糸の切れた凧のように不安定なものとなっていきます。
その中でも最も重要な変化が、それまでは銀行へ預けた金貨をいつか返還してもらうための「預金者の債権証書」であった銀行券が、立場を逆転し、銀行へいつか返済しますという「銀行の債権証書」となってしまったことでしょう。

すべてのお金は銀行への負債(=借金)からつくられ、銀行券は銀行へ返済する証文となったのです。

〔投機マネー〕

価値の裏付けを失ったお金の価値は、為替市場で決められるようになりました。

需要と供給のバランスによって決まる「お金の価値」は、投機的利益の道具となっていきます。
そして、金という「実質的な財」の制約から解放され、単なる数字となったマネーは、コンピューターの発達に乗って、利益を求め世界中を駆けめぐるようになります。
投機とは、将来の価格変動を予想して、現在の価格との差額を利得する目的で行われる商品や有価証券などの売買のことです。その基本は、安い時に買って高い時に売る。価格変動がなければ利益がでませんし、変動幅が大きければ大きいほど巨額の利益を獲得するチャンスとなります。
一般の生活者からみれば、お金の価値は変わらず安定していた方が良いのですが、投機家にとっては変動しないと困るわけです。
そして、巨額な資金を持つ機関投機家は、為替市場を操作することができます。

実体経済からかけ離れ巨大に膨れ上がった投機マネー【※1】は、1990年代後半に世界各国で金融危機を引き起こし、世界を新たな混乱に陥れていきました。

【※1】投機マネー 全世界の国が一日に産出する商品・サービスの総額が約836億ドル。それに対して外国為替取引額は一日で1兆8800億ドル、デリバティブ取引をあわせると3兆1000億ドル。実体経済はマネー経済のわずか2.7%しかないことになります。

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