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<第2章 グローバリゼーションはユートピアを実現するか?>日本人が知らない 恐るべき真実

第2章 グローバリゼーションはユートピアを実現するか?−目次>>世界銀行

世界銀行

<2005.08.29>

世界銀行は、IMFと同じく、やはりブレトン・ウッズ会議で設立が提案された機関です。

ちなみに、ほとんどの人が世界銀行だと思っているのは、実は世界銀行グループの一組織である国際復興開発銀行(IBRD)のことで、世界銀行グループは、この国際復興開発銀行と国際開発協会、それに姉妹機関である 国際金融公社(IFC) 、多数国間投資保証機関(MIGA)、国際投資紛争解決センター(ICSID)の5つを併せて世界銀行グループと呼びます。

IMFの主な業務が短期融資なのに対して、世界銀行は開発に関わる長期的な融資が主な業務となります。ダム建設のような単発プログラムから、インフラ整備の様々な側面にかかわる複合的プロジェクトにいたるまで、政府の各種プロジェクトに対して市場金利よりも低い「特別割引」金利で融資をおこなっています。

これまでIMFの問題を主に取り上げてきましたが、実は、この世界銀行が途上国に借金を背負わせた張本人ともいえます。途上国に「こういう開発をしなさい」「こうすれば発展しますよ」と持ちかけ、投資をなだれ込ませたのが世界銀行なのです。

世界銀行の役割であった戦後の復興が一段落ついた頃、オイルショック【※1】が起こりました。

石油が急激に値上がりしたため、世界中からお金が中東の産油国の王様たちに流れ込んでいったのです。
イスラム教では「人もお金も神が与えたもの」との考えの下で、利子・利息の概念そのものを禁じています。ですから彼らは、表向き、そのお金を運用できませんでした。

そこで、アメリカや日本やヨーロッパの銀行に"オイルマネー"を預けることにしたのです。
ところが、オイルショックの影響で世界的に不況ですから、銀行から巨額のお金を借りようとする人がいません。貸付先に困った銀行は世界銀行に仲介してもらい、途上国にお金を貸し付けさせたのです。しかし、世界銀行のアドバイスで始めた事業は、ことごとく失敗。その結果、途上国の借金は積み重なっていきました。

また、世界銀行の融資に対しては、やはり条件が付きます。途上国が国別支援戦略(CAS)に同意しない限り、融資はおこなわれません。国別支援戦略とは、世界銀行の資金が浪費されないことを保証するため、特定の活動・政策を実施することを政府に確約させるものですが、つまりは、やはり世界銀行が内政に干渉できる権利になります。また、IMFの融資条件を満たしていることも条件の一つとしているので、途上国は構造調整プログラムも同時に受けることになるのです。

このような世界銀行グループの各機関は、世界銀行総裁の指揮・統括のもとで業務を遂行していきます。

○最高意志決定者⇒世界銀行総裁

【※1】オイルショック オイルショックは1970年代に2度ありました。
第一次オイルショックは1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発したのをうけて、同16日に石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国は、原油公示価格の21%引き上げと原油生産の削減、そしてイスラエル支援国への禁油を決定。

さらに翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定しました。 石油価格の上昇は、エネルギーを中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かしました。
日本でも景気を直撃。便乗値上げが相次ぎ、急速にインフレが加速。国内の消費者物価指数で1974年は23%上昇。インフレ抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などが抑制。結果1974年は-1.2%と戦後初めて、マイナス成長を経験し、戦後続いていた高度経済成長が終焉を迎えたのです。

第二次オイルショックはイラン革命によりイランでの石油生産が中断したので、需給が逼迫し起こりました。
1978年末には、OPECが翌年からの原油価格を4段階に分けて14.5%値上げすることを決定。規模としては、第一次オイルショック並の原油価格の高騰でしたが、第一次での学習効果、省エネルギー政策の浸透、企業の合理化効果などにより経済的な影響は比較的軽微で済むことができたとされています。
しかし、このオイルショックにより、先進国の経済が中東の石油に極端に依存していることが明白となりました。中東以外での新しい油田開発、調査が積極的に行われるようになり、原子力や風力、太陽光など非石油エネルギーの活用や省エネルギー技術の研究開発への促進の契機ともなりました。

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