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<第2章 グローバリゼーションはユートピアを実現するか?>日本人が知らない 恐るべき真実

第2章 グローバリゼーションはユートピアを実現するか?−目次>>植民地支配の歴史

植民地支配の歴史

<2005.08.23>

植民地【※1】は、古くは古代ギリシャや古代ローマなどにも見られますが、ここでは近世以降についてみていきたいと思います。

〔スペインとポルトガル〕
スペインはコロンブスの新大陸発見後、中米のメキシコ、南米のペルーを中心として領土を獲得。続いてフィリピン諸島の領有にも成功。
1494年のトルデシリャス条約によりローマ教皇アレクサンドル6世が、大西洋上に西経46度の子午線を引き、西をスペイン、東をポルトガルの領土とした。このため南米大陸では、ブラジルのみがポルトガル領となった。
1529年のサラゴサ条約では東経134度線を境に、東がスペイン、西がポルトガルの領土とされた。
ポルトガルはアフリカ西海岸で喜望峰を発見すると、東洋における香料貿易の独占をめざしてインド洋に進出。マラッカの領有後はマカオ、長崎にまで貿易圏を広げた。
17世紀に入り、アジアに新しく参入したオランダやイギリスとの競合に破れると、南米ブラジルの植民に注力する。しかし、中南米の植民地はアメリカ合衆国独立の影響を受けて19世紀前半次々に独立した。

〔オランダ〕
17世紀から18世紀にかけて植民地主義大国として活躍、オランダ海上帝国と呼ばれるも度重なる英蘭戦争で北米の植民地を奪われ、更に南アフリカの植民地も奪われる。しかし、20世紀に入ってもインドネシアを保持していた。

〔イギリス〕
イングランドは中世以来アイルランドに入植を繰り返してきた。
16世紀初頭、大航海時代の波に乗って北アメリカ大陸に植民し、ニューイングランド植民地が成立。
当初は交易を目的として東洋に渡った東インド会社が、インドの諸勢力を巧みに操ってインドに植民地を広げる。

七年戦争でフランスと争い、カナダを獲得。また、インドからフランス勢力をほとんど駆逐した。ナポレオン戦争に勝利したイギリスは世界の海の覇権を握り大英帝国を建設。大英帝国は20世紀初めには本土の実に92倍、世界の地上面積の5分の2にあたる3千万平方キロ、人口にして4億人から5億人を支配していたといわれる。その植民地はあまりにも多過ぎてよくわからないが、ビルマとマレーシア、香港、オーストラリア、ニュージーランド、ナイジェリア、南アフリカなどを植民地化。またスペイン・ポルトガルから独立後の南米諸国やオスマン・トルコから独立した中近東諸国にも大きな影響力を持っていた。

〔フランス〕
カナダのケベックとカリブ海のマルティニーク島、グアドループ島に入植。しかし、七年戦争でイギリスに敗れ、カナダを放棄した。
西アフリカのセネガルも植民地化。
19世紀になってアルジェリアとインドシナ(現ベトナム)、南太平洋のポリネシアなどを植民地化。

〔イタリア〕
ソマリア、リビアを植民地化。

〔ベルギー〕
コンゴを植民地化。

〔デンマーク〕
北極周辺に植民地を保有し、現在もグリーンランド、フェロー諸島を植民地化。
アイスランドもかつてはデンマーク領であった。
大航海時代には西インド諸島の一部に植民地を保有していたが、後にアメリカ合衆国に売却。

〔スウェーデン〕
1638年に新大陸のニュースウェーデン(現在のデラウェア州)に入植。のちオランダに奪われる。

〔プロイセン公国(ドイツ帝国の前身)〕
1683年に西アフリカに遠征し、ゴールド・コーストに植民。1720年に放棄。
ギニアにグロース=フリードリヒスベルク市を建設し、奴隷貿易に携わる。

〔ドイツ〕
ドイツ帝国はタンザニアや南洋諸島を植民地化。しかし第一次世界大戦敗北により喪失。

〔アメリカ〕
アメリカはイギリスから植民地13州を割譲して独立したが、その後もイギリス・フランス・スペイン・メキシコから植民地や領土を割譲または買収して、自国の領土を西へと拡大。
拡大する過程で新たに州を新設していったので、植民地と州の境はあいまいだった。

北部のアラスカをロシアから買収、ハワイを併合する。
米西戦争でスペインに勝利すると、キューバやフィリピンを植民地化。

※アメリカは植民地を直接経営するよりも、独立した国家を間接的に支配することを好んだ。
米西戦争の勝利によって、スペインの影響下にあった中南米の国々を独立させ、政治・経済的に影響下に置いた。これは直接には植民地としていないが、「経済植民地」とでもいえる状態に置き、各国に共産主義勢力が台頭すると、たびたび排除するために軍隊を送るなど、主権を無視した内政干渉を繰り返した。この体制は、中米において現在も変わっていない。フィリピンは第二次世界大戦後に独立、戦後に日本から獲得した南洋諸島も北マリアナ諸島を除いて独立した。なお、中米にはプエルトリコを保護領として維持している。

〔ロシア帝国〕
15世紀、モスクワ公国がキプチャク汗国から自立し、周囲のスラブ人の国々を飲み込んでその領土を広げた。
16世紀にロシア平原を統一してロシア帝国を成立。
18世紀頃までにはシベリアをほぼ制圧。
中央アジアの多くの汗国を侵略、植民地化。
19世紀に清が弱体化すると満州のアムール川以北と沿海州を次々に併合、植民地化。
続いて全中央アジアを征服。

※領土拡張主義は第一次世界大戦によってドイツ・日本などとぶつかり合い、その戦費の捻出によって経済は破綻、共産主義者によるロシア革命が起こってロシア帝国は滅んだ。拡大した領土はそのままソビエト社会主義共和国連邦に引き継がれ、中央アジアやスラブ地域は共和国として連邦に取り込まれ、それ以外は内地となった。

〔中国〕
中華人民共和国ではチベットや内モンゴル、ウイグルなどを中華民国から継承したが、清朝以前はこれらも独立した地域であり、特にチベットやウイグルは最近になって入植や開拓を進めているため、植民地といえる。ただ、チベットは近代以降も独立宣言したことがあり、イギリスなどは独立国と認めた時期がある。また中国が武力を持って併合したため、国内では最も植民地色が濃い。

〔イスラエル〕
第一次世界大戦にオスマン・トルコが敗北すると、中東・アラブ地域は新たにイギリス・フランスの植民地となり、ユダヤ人が「約束の地」と崇めるパレスチナはイギリスの植民地にされた。そのパレスチナにヨーロッパやアメリカから大挙してユダヤ人が入植。アメリカのユダヤ人はすでに都市部で富裕層となっており、入植を斡旋したり、入植者に資金面での援助をしたりしてきた。ナチス・ドイツ時代や、第二次世界大戦後にはさらに入植者が増え、イスラエルを建国。これに対し、アラブ側が反発したため、中東戦争が勃発、4度の戦争を経たが、現在もパレスチナ問題は解決していない。


植民地の多くは第二次世界大戦後、民族独立の波に乗って次々に独立していきました。しかし、暴力(軍事力)的な直接支配は終わりましたが、目に見えない政治=経済的な間接支配は続いています。次回は、その構造についてみてみましょう。

【※1】植民地 植民地とは、国外に移住者が移り住み、本国政府の支配下にある領土のこと。土地の権利取得については合法的になされるだけではなかったため、しばしば先住民と衝突を起こした。また先住者の独立運動が抑圧され、政治的な権利も同等ではなかったので、この点で本国と同等な政治権利を享有する「海外領土」と区別される

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