Anti-Rothschild Alliance

HOME

資料室

HOME>>資料室 TOP>>エンデの遺言 〜根源からお金を問う〜

エンデの遺言
〜根源からお金を問う〜

制作:NHK、NHKエンタープライズ21、グループ現代

このページは、1999年にNHKのBS1で放送された『エンデの遺言 〜根源からお金を問う〜』をテキストに起こしたものです。

※映像はこちらからご覧になれます。
【エンデの遺言 (1/6) 〜根源からお金を問う〜 】 http://vision.ameba.jp/watch.do;jsessionid=AE4AE87863F1CD4EFE66D37A4E67D607?movie=566211

【エンデの遺言 (2/6) 〜根源からお金を問う〜 】 http://vision.ameba.jp/watch.do;jsessionid=AE4AE87863F1CD4EFE66D37A4E67D607?movie=566214

1995年8月、世界中で愛されたドイツの作家、ミヒャエル・エンデは、65歳の生涯を終えました。エンデの死を悼んでドイツ大統領ヘルツォークは「現在のドイツ人でエンデの本と共に成長した記憶を持たない人はいません」と心を込めた弔電をおくりました。

現代社会は科学技術が急激に発達し、物が溢れる時代です。
しかしエンデは、その中で人は本当の心の豊かさや生きる喜びを見失っているのではないかと問いかけてきました。ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』は、30以上の言葉に翻訳され日本でも140万部を超えるベストセラーとして愛読されています。
エンデ作品はファンタジーからオペラ、詩やエッセイまで幅広いものでした。

NHKスペシャルの案内役を務めたエンデは、科学だけが唯一絶対の真実ではなく、人間の精神や魂もまた真実だと主張しました。

『ドイツでは古くから「金を出すものが命じる」という諺があります。
現代の技術や科学は、軍事のためには国家から、政財的な利益のためには企業から金を受け取ります。そこで研究は知らず知らずに特定の方向に推し進められてしまうのです。
ここ数十年は特に恐ろしいスピードで科学と技術を変えています。』

死の前年エンデは、NHKに新しい提案をしました。それは、現代の貨幣システムをテーマとするものでした。『環境、貧困、戦争、精神の荒廃など現代の様々な根源にお金の問題が潜んでいる』というものでした。
この打ち合わせで2時間に及ぶテープが残されたのです。



エンデの遺言 〜根源からお金を問う〜 

『私が考えるのは、もう一度貨幣を、『実際になされた仕事や物の実体に対応する価値』として位置付けるべきだということです。そのためには現在の貨幣システムの何が問題で、何を変えなくてはならないかを皆が真剣に考えなければならないでしょう。
人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いだと私は思っています。重要なポイントは、例えばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は2つの異なった種類のお金であるという認識です。』

[語り:小川真司]
エンデはお金にはいくつもの異なった機能が与えられ、それが互いに矛盾して、問題を起こしているのだと言います。
お金は、最初は物や労働をやりとりする交換手段として発達しました。しかしお金は、財産や資産の機能も持っています。このお金は貯めこまれ流通しないお金です。さらにお金には、銀行や株式市場を通じてやりとりされる資本の機能も与えられています。お金そのものが、商品や投機の対象となります。いくらでも印刷できる紙幣、さらにはコンピューター上を駆け巡る数字となったお金は実体のないままに世界を駆け巡っています。現代の通貨は全く違う機能を同時に持たされているのです。それが日々変動しながら世界を駆け巡り、生活や生産の場を混乱させているのです。

ミュンヘン郊外にある国際児童図書館。世界中の児童文学に関する資料が集められています。エンデの多くの資料がここに保管されています。その書庫にはエンデの蔵書が並んでいます。
その一部は、エンデが集めていたお金に関する資料です。その中の一冊スイスの経済学者H.C.Binswangerの著作『お金と成長』です。Binswangerさんは、経済が常に成長し増殖し続ける宿命を持つようになった理由を利子の存在に求めています。エンデと何度か直接会い、お金の問題について意見を交換してきました。

『お金を作り出し増やしていくのは錬金術のやり方に極めて似ています。錬金術は人間の欲望が作り出したものです。錬金術は鉛から金を作り出そうというものですが、ありふれた鉛を金という価値のあるものに変えていくという考えは現在にも通じるものでしょう。通貨を印刷し更に利子がそれを増やしていくわけですから。そのお金が一人歩きして、自然環境やモラルに影響を与えています。お金を考える時モラルの問題を忘れてはいけません。お金には倫理的問題が存在するのです。』
<ハンス クリストフ ビンスヴァンガー(サンクトガレン大学教授)>

[語り:小川真司]
エンデの蔵書の中の『金利ともインフレとも無縁な貨幣』。著者のマルグリット・ケネディさんは、建築家です。ケネディさんは環境を損ねない建築がコストの壁にいつもぶつかる経験を重ねてきました。全てがお金に支配されている実感を持ち、お金のシステムの問題を考えるようになりました。

『利子は未来へ問題を先送りしています。このまま利子が膨れ上がっていくとしたら計算上遅かれ早かれ、大体、2世代後に、経済的破滅か地球環境の崩壊かのいずれかへと突き当たります。それが根本問題です。信じる信じないの問題ではなく、誰でもコンピューターがあれば計算できることです。
このシステムから利益を得ているのはほんの一握りです。今のアメリカでは、人口の1%が、その他の99%よりも多くを所有しています。つまり一方でどんどん貧しくなる国があり、自然環境も奪われ続けています。その一方で少数の者達が法外な利益を吸い上げていく、それが今の経済システムです。』
<マルグリット・ケネディ(エコロジー建築家)>

『古い文化が残る世界のどの町でもその中心には、聖堂や神殿があります。そこから秩序の光が発していました。
今日では大都市の中心には銀行ビルがそびえたっています。
私は、ハーメルンの笛吹き男をヒントにした最新のオペラでお金がまるで聖なるもののように崇拝され祈りの対象になっている姿を描きました。
そこではお金は神のようだとまで誰かが言います。なぜなら、お金は奇跡を起こすからです。お金は増え、しかも永遠不滅という性質があります。しかしお金というのは、神とは違って人間が作ったものです。自然界に存在せず、純粋に人間によって作られたものがこの世にあるとすれば、それはお金です。だから、歴史を振り返るということが重要なのです。』
<ミヒャエル・エンデ>

[内橋 克人(経済評論家)]
ファンタジー作家として知られるミヒャエル・エンデさんが、晩年において『お金』そして『経済システム』というものに、深い関心を持たれたということを知りまして、私は大きな感動を覚えました。エンデさんは、お金というものが一体何なのか、お金を通じて経済全体を解き明かそうと、こういう問題提起をしたわけですけれども、これはまさに意表をつく発想であったと思います。エンデさんが亡くなって、このその後世界は、また新しい潮流を迎えました。
ヘッジファンド、その他デリバティブ、正にマネーゲームというものを正当化する様々な経済の理論というものに対して多くの人々が疑問符をつきつける時代を迎えました。
エンデさんは、2時間に及ぶテープの中で、そもそもこの自然界に存在する物質というものは全て有限である。一定の寿命がありそして時間がたてば劣化していく、老化していく・・にも関らず、お金だけは何故無限なのか、不滅なのか、この問題を解き明かすことで経済の様々な矛盾というものを考えていこうと、そういう問題提起をされたわけであります。 これから、私たちの社会は多くの経済的な矛盾の中で苦しむことになると思いますが、エンデさんは、丁度70年ほど前オーストリアで行われた歴史的な実験というものに大いに注目されました。ちょっとテープを聴いていただきましょう。

『私が知る限り、それはシルビオ・ゲゼルから始まりました。
そのことを真剣に考えた最初の一人です。ゲゼルは、『お金は老化しなければならない』というテーゼを立てました。さらに「お金は経済活動の最後のところでは、再び消え去るようにしなければならない」とも言っています。つまり、例えて言うならば、血液は骨髄で作られて循環し役目を終えれば排泄されます。循環することで、肉体は機能し健康は保たれているのです。お金も経済という有機組織を循環する血液のようなものだと主張したのです。』
<ミヒャエル・エンデ>

[語り:小川真司]
常識にとらわれず、お金の本質を考えたシルビオ・ゲゼルとは、どんな人物だったのでしょう。
シルビオ・ゲゼルは、1862年ドイツで生まれました。24歳の時アルゼンチンへ移住し実業家として成功を収めました。当時の南米諸国の経済は混乱を極め、アルゼンチンもインフレとデフレを繰り返し、国民生活は破綻に瀕していました。ゲゼルは、貨幣制度と社会の秩序には、深い相関関係が存在すると考えました。
第一次世界大戦が続く中で、ゲゼルは『自然的経済秩序』を出版します。ここでゲゼルは、当時の既成政党がイデオロギーの主張ばかりで、明確な経済綱領を欠いていることを批判し、自由貨幣と呼ばれる新たなお金の考え方を提案しました。
後に経済学者ケインズは、その著作『雇用、利子、貨幣の一般理論』の中で、「後世の人々はマルクスよりはゲゼルの精神により多くのものを学ぶであろう」と記述しています。

アルプスを間近に望む、オーストリア・チロル地方、1922年に始まった世界恐慌の影響はここにも及んでいました。ドイツ国境にほど近いヴェルグルは、一人の町長の決断で今からおよそ70年前に、シルビオ・ゲゼルの自由貨幣を実践した町です。
ヴェルグルは、スイス、ウィーン、ドイツを結ぶ鉄道交通の乗り換え駅として発展を遂げていました。しかし、世界恐慌はこのオーストリアの地方都市にも深刻な不況をもたらし、生産は停滞し、失業者は町に溢れました。当時のヴェルグルの人口は5000人足らず、そのうち失業者の数は400人にも上りました。税金の収入は激減し負債は膨れ上がっていました。町は財政破綻の状態だったのです。
当時の町長、ウンターグッゲンベルガーは、貨幣の流通が滞っていることが、経済破綻の原因と考えました。通貨は溜め込まれ、生産活動に使われなくなっていました。お金が循環しなければ失業者は増え、生産は減り、消費は落ち込みます。
1932年4月、町議会に諮ってヴェルグルだけで通用する、地域通貨を発行することを決議しました。町が事業を起こし、失業者に職を与え、それを労働証明書という名目の新たな地域通貨で支払ったのです。この紙幣の裏側には、宣言文が刷り込まれています。
(宣言文・・・諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機に、そして人類を貧困に陥れた。労働すればそれに見合う価値が与えられなければならない。お金を一部の者の独占物にしてはならない。この目的のためにヴェルグルの労働証明書は作られた。貧困を救い、仕事とパンを与えよ。)

町は道路や公共施設を建設し、失業者に地域貨幣を支払いました。
奇跡が起きました。
最初に給料として支払われた地域貨幣は非常な勢いで町を廻り始めました。回転することで、お金は何倍もの経済活動を行えるのです。滞っていた町の税収が確実に増え始めました。すみやかに循環するお金の秘密は、紙幣に貼られたスタンプにありました。このお金は月初めに額面の1%にあたるスタンプを買って貼らなければ使えません。言い換えれば、一ヶ月に1%づつ価値が減っていくのです。ですから、このお金を手にした人は、まずこのお金から使います。こうして一枚の紙幣は次々に循環していきます。経済活動を推進する機能をお金が持ったのです。このゲゼルの老化するお金は貯め込まれることなく、流通し続ける画期的なものでした。
この地域通貨は、公務員の給料の支払いにも使われ、銀行にも受け入れられるようになっていきました。ヴェルグルの成功を見て、周辺の町でもオーストリアシリングと併用できる独自の地域貨幣の採用を検討し始めました。しかし、オーストリア政府は、貨幣発行は国家の独占的権利であるとして、自由貨幣を禁止しました。世界でも例のないお金の実験は1933年9月わずか13ヶ月で幕を閉じたのです。

世界を巻き込んだ大恐慌は、1929年アメリカ・ニューヨークのウォール街で始まった、株の大暴落に端を発したものでした。
アメリカでは、銀行が閉ざされ、失業者が巷に溢れる事態となりました。これは、資本主義が初めて直面した試練として、共産主義や全体主義への転換点となった事件でした。
恐慌後の30年代には、アメリカ全土でも次々とさまざまな地域通貨が発行されました。州や市町村などの地方自治体、会社や労働組合などが限られた範囲でだけ通用する独自の通貨を発行するようになったのです。この時代にアメリカで発行された自主通貨は3000以上にも及びました。これらは恐慌後の経済救済を求めていた多くの地域や企業にゲゼル理論が紹介され急激に広がったものと考えられています。しかし、当時のアメリカの人々は、自分たちで通貨を発行できるという点に関心を寄せました。

アメリカを拠点に30年以上も経済システムのさまざまな可能性を模索している未来学者がいます。ヘイゼル・ヘンダーソンさんは、この30年代に現代の混乱状況を考えるためのヒントがあると考えています。

『何千もの地域通貨があらゆる小さな村や町で発行されました。
企業は、これら緊急通貨と呼ばれた通貨で、社員に給料を支払いました。失業保険組合も独自の通貨を発行していました。当時、このような通貨が地域に出まわっていたのです。これこそが地域の中に、地域が生み出す富や財産を留めておく最高の方法だったのです。
ですから、政府に良い経済政策がなければ、いつでも地域通貨は復活すると思います。
大恐慌で資本主義は転機を迎えました。ドイツはファシズムが台頭し、各地で共産主義が広がり、アメリカでニューディール政策がとられたのです。
ニューディール政策によって、政府が地域にお金を注ぐようになりました。そうすることによって、地域の人々が環境を整備したり、アートプロジェクトを起こしたり、地域の公共施設や博物館を建てたりという、国家事業が全国的に展開しました。
また、ルーズベルトは、地域社会の雇用促進にも予算をあてました。実に素晴らしい博物館や公園が、実はこの30年代に建てられたのです。この政策で、地域通貨は姿を消しました。国家資本の公共投資が地域の経済を活性化したからです。
<ヘイゼル・ヘンダーソン(未来学者)>

[内橋 克人(経済評論家)]
私たちが日常、もうこれは当然のごとく何の疑いもなく用いているお金、通貨でありますけれども、実はその通貨というのは決して単一の固定されたものだけではないということが大変に良くわかったと思います。
このヴェルグルの貨幣の裏側に刷り込まれた宣言文、私はこれに大きな関心を持ちました。
まず第一に、この通貨というものが停滞をいたしますと、経済が滞留をしてしまう、停滞をしてしまうわけであります。通貨をこういう方法をとることによって、極めて潤滑油のようにスムーズに、スピーディーに回転をさせるということが可能になりました。そのことによって経済が活性化されたわけであります。同時に労働の対価というものを、100の労働に対して100の対価をきちんと得ることができるという、つまり報酬というものと、そして捧げた労働、費やされた労働、それが等価である。等しい価値をもつと、このいわば貨幣として最も重要な機能というものを、取り戻したと言えるのではないか、そういうふうに思います。

今、時代を越えてさまざまに生み出された解決策としての、例えば旧社会主義体制であるとか、あるいは資本主義社会におけるこの市場競争原理市場社会という、このどちらもがある意味で時代的な行き詰まり、閉塞状況にきておりまして、社会全体が停滞の中に巻き込まれて閉じ込められてしまっているのではないでしょうか。こういう時代から新しい、つまり活路を開く、新しい選択をしていかなければなりませんけども、その場合に、今見てまいりましたような実験というものも視野の中にきちんととらえて、そして見つめなおす、そういう広い私たちの視点、取り組みの姿勢というものが求めらるのではないでしょうか。そういうふうに思います。

[語り:小川真司]
1973年に書かれたエンデの代表作『モモ』

どこからともなく表れた少女モモは、じっと人の話に耳を傾けるだけで、人々に自分自身を取り戻させる不思議な力を持っていました。
貧しくとも心豊かに暮らす人々の前に、ある日灰色の男達が現れます。時間泥棒たちの誘惑にのせられ人々は余裕のない生活に追い立てられ、心のふれあいやゆとりを失くしていきます。

時間を節約して、時間貯蓄銀行に時間を預ければ利子が利子を生んで、人生の何十倍もの時間を持つことができる、灰色の男達は、人々から時間と共にかけがえのない人生の意味までも奪っていきます。

何故、働いても働いても豊かにならないのでしょうか。
現代社会を寓話として描いた『モモ』の裏側には、すでにエンデのお金への問題提起が含まれていました。

従来のお金のシステムの中で失われてしまった、本当の時間を取り戻す取り組みが、アメリカの小さな町で始まっています。

イサカという町で発行されているこの通貨はイサカの時間、イサカアワーと呼ばれています。この紙幣には、『時は金なり』という標語の下に、このような言葉が印刷されています。

「イサカアワーは、私たちの技術や熟練、時間、道具、森、土地、そして川などの本当の資本によって支えられている。」

イサカ市は人口30000人、アイビーリーグで有名なコーネル大学を中心とした学園都市。町ではこの通貨は、実際どのように受け入れられているのでしょうか?
市内の3500人のメンバーによって運営されている共同購入食料品店では、この地域通貨での支払いを受け入れています。イサカは元々豊かな農業地帯。この店では地元で生産された農産物や食料を主に仕入れています。レジでは、人々はアメリカドルと同じように、イサカの地域通貨『イサカアワー』を使っています。

『このお金を使うのはアメリカ政府の政策を支持していないから。特に対外政策。海外でアメリカがしている色んなことに反対だから』

イサカの地域通貨『イサカアワー』は、非営利団体「イサカアワー委員会」が発行しています。この委員会は地域の人々の投票で選ばれボランティアとして、この地域通貨の発行、宣伝、管理に携わっています。イサカアワーが初めて発行されたのは1991年。当時この地域の経済は不況に陥り、失業者は増える一方でした。地域にだけ通用する通貨を発行することで、雇用を促進したり、新たな仕事を創出しようとしたのです。 発行されている紙幣は、すべてオリジナルのデザインです。1アワーが10ドルに相当します。アメリカ連邦銀行も、3年前からこの通貨を、あらためて合法と認めるようになりました。

『私たちは好きなだけお金を印刷できます。でも、発行に対しては厳しいルールがあるんです。3つの条件以外には発行しません。1つ、誰かが新たにメンバーになる。2つ、誰かがローンを請求する。3つ、非営利団体に寄付する。これ以外にお金は絶対に発行しないんです。』
<モニカ ハーグレイブズ(イサカアワー委員会)>

委員会では2ヶ月に1回、アワータウンという新聞を発行しています。この新聞の裏にある申込用紙に1ドルをつけて委員会に送ります。その時自分に何ができるのか、何を売るのか書いておきます。すると次の新聞にリストアップされ、それはイサカアワーを受け入れる表明となります。これでイサカアワーを使って自分の好きな商売を始めることもできます。8年前ほんの40人で始まったこの地域通貨は、今では個人だけではなく400以上の一般企業や商店が会員となって利用するまでに成長しました。
今までに発行されたイサカアワーは、およそ日本円で800万円ほど。しかし利子がつかないため、たえず循環することによって2億円以上の経済的効果をもたらしたといわれています。
イサカで最大のベーカリーショップ、『イサカベーカリー』は、イサカアワーが始まった当初からこのシステムに賛同し、支払いをイサカアワーで受け入れるようになりました。今では一日に最低でも10人以上の固定客がイサカアワーで支払いをするようになっています。

『俺たちにも、地域全体にも得になると思うね。地域のみんなを支援すれば、俺たちも助けてもらえるし。ドルはすぐ資本家に吸い取られて役に立たないからね。イサカアワーはみんなサッサと使ってしまって、あっという間に俺たちのところに戻ってくるんだ。』
<ラムゼイ ブルース(イサカベーカリー マネージャー)>

今では、銀行もイサカアワーを受け入れるようになりました。この銀行は、4年前から、ローンの支払いやさまざまな支払いに、イサカアワーを積極的に受け入れています。
受け入れたアワーは、銀行の掃除やリサイクルの収集、コンピューターのメンテナンスなど地域の事業所や、個人の支払いに使われています。 この地方の議会代表によれば、行政当局はイサカアワーの価値を認め、積極的に支持しているといいます。

『私たちはお金を発行しません。だから気になりませんが、連邦銀行には脅威だったのでしょうね。イサカアワーが始まったとき、多くの人々は笑ったものでした。地下室でオモチャのお金を刷ろうっていうんですから。しかし人々が、それが地域社会の信頼を背景におく交換手段の一つの方法だと理解すると、とても広く受け入れられました。ですから行政当局は、これが問題だとは思いもしませんでした。地域経済を支えるものだと認識したのです。もしイサカアワーを使う人が増えれば、地域のビジネスはもっともっと良くなるでしょうね。』
<バーバラ・ミンク(トンプキンス郡議会代表)>

イサカの周辺は、アメリカの他の地域に比べ小規模で、しかも有機農法で食物を作る農場が多いことで知られています。この地域では、地域住民が農家に、作物の代金を前払いするサポートシステムがあるからです。

ジョンとタリは、2年前カリフォルニアから農業をするためにイサカに引っ越してきました。今年の作付けは、このサポートシステムで融資してもらったお金で、種や農具を買うことができたといいます。イサカで初めて収穫を得た昨年も、ジョンとタリの農場は、地域の人の多くの出資によって支えられ、地域の一員として受け入れられ、また安全な有機野菜などを提供することができました。二人はドルと同様にイサカアワーでの出資も受け入れています。

イサカ市内から30キロくらい離れたショッピング街。この店でもイサカアワーを受け入れています。イサカアワーを使うことそのものが、イサカの地域共同体の一員であることを実感させてくれます。

『お金をたくさん稼いで、たくさん使う。みんなこぞって、GNPとか経済の話をする。それは、人々がどれだけお金を使ったか?ということでしょう。だからこそ、お金をたくさん稼がなければいけないってね。でも、多くの友達や私たち自身もシンプルな生活で上質な人生を送れると信じています。余計な物なんて買わなくていい。大きな車なんていらないわ。』<タリ アディニ>

イサカアワーの紙幣に刷られているのは、この地域だけに生息する小さな生き物たちや、この地域の風物詩。これらは、このお金が地域全体の生命と共に生きていくという姿勢の表明です。

スミス一家はイサカの郊外で酪農牧場を経営しています。牛乳と手作りヨーグルトーを、イサカの地域だけで販売して生計を立てています。家族経営のこの牧場では、子どもたちにとってもイサカアワーは自然に生活に溶け込んでいます。

『ファーマーズマーケットで両親がヨーグルトを売っているの。マーケットではほとんどの店でイサカアワーが使えるの。夏にパン屋さんでバイトしてイサカアワーでお給料をもらったわ。マーケットではいろんな食べ物を売っているの。だからそこでお昼を食べるの。イサカアワーでね。』<アビー スミス>

スミス一家は子どもが6人、総勢8人家族です。母親のバーバラさんは、イサカアワーが地域の環境保全にも役立っていると考えています。

『だってイサカアワーは、地域の農家をサポートしてくれるでしょう。農家は地域の土地を守っているんです。もし地域の農家が成り立たなくなったら土地は荒れっぱなしか、大規模農場に買い上げられてしまいます。あの人たちは土地を大事にもしなければ、いい使い方もしないわ。だからね、イサカアワーは地域の環境を守るのにも役立っていることになるのよ。』<バーバラ スミス>

『とにかくこの農場を運営して、豊かにより美しい場所にしたいと願っているんです。子どもたちに幸せな子ども時代を与え、彼らが望む夢をかなえる手助けをするんです。お金を貯め込むというか、そういうこととは無縁です。そんなことはできっこありませんしね。昔NASAで働いていたんです。稼ぎはちょっとしたものでした。けれど家庭の外で働き、毎日通勤に時間をとられ、本当の意味で家族の一員ではありませんでした。ですから、高収入のライフスタイルを止めることにしたんです。そして家族と一緒に働いているんです。お金を追い求めるために時間をかけなくなったことを後悔していません。』<スティーヴ スミス>

イサカアワーと同様の試みは、すでにアメリカだけでも70近くの地域に広がっています。

『マルクスは資本主義の問題点を、多くの個人企業家の代わりに、唯一の企業家つまり国家を建てることで解決できると考えました。マルクスの最大の誤りは、資本主義を変えようとしなかったことです。マルクスは国家に資本主義を任せようとしたのです。つまり、私たちは過去50年から70年の間、対立する双子を持っていたのです。つまり、民間資本主義と国家資本主義であり、どちらも資本主義のシステムでそれ以外ではなかったのです。マルクスの大きな功績は、経済批判を可能にする概念自体を作り出したことにあります。』
<ミヒャエル・エンデ>

旧東ドイツの町『ハレ』。ベルリンの壁崩壊、東西ドイツの統合によって、旧東ドイツには、新たな経済システムの波が押し寄せました。体制が変わり多くの市民たちは資本主義の原理の元での生活を始めました。自由と競争の中で既存の多くの企業が倒産し、町には失業者が溢れました。現在のハレのマーケットです。東ドイツ時代に比べ、町には物が溢れています。ハレの人々はこの変化をどう受け止めているのでしょうか。

「統一でどんな変化がありましたか?」

「個人的には何の意味もなかったわ。バナナを街で見かけるようになったのが、大きな変化かしら。
あら 驚いた?お金も増えた。可能性も増えた。でも仕事も増えて、忙しくなったわ。」

「一生懸命働けば何でもできる。ベンチで酒を飲んでちゃ、何にもならない。とにかく働かなきゃ」

「東独時代はお金があまり無かったから使わないことが身についているの。お金はものを買うときの交換手段よ。左右されちゃいけないわ。今ではお金があると幸せになれると言うけれど、それは違うと思うわ。」

ドイツ統一の2年後、このハレの町でコミュニティを作り直そうという試みが始まりました。デーマークという独自の経済単位を作り、現金を使わず通帳上で物や仕事を交換するシステムです。交換リングと呼ばれています。交換リングはどのように機能しているのでしょうか。

交換リングの会員、クリスティーネさんは、愛用のトレイが壊れてしまい、同じ交換リングに属する木工所に修理を頼みにやってきました。
交換リングは、お金を発行していません。お金の代わりに、会員同士が通帳を持ち、物や仕事を交換するたびに、その値段や料金を決めて記入するシステムになっています。
この日は作業代として15デーマークを支払うことで商談が成立しました。クリスティーネさんは、通帳の支払いの欄に15と書き込み、これまでのトータルから差し引きます。木工所の通帳には、+15と書き込みます。最後に互いに確認のサインをします。
デーマークには利子はつきません。
コミュニティの中の労働や物の交換は全体としては常にプラス、マイナス0になる仕組みです。
現在、交換リングの会員は200人。会員の間では、デーマークでさまざまな物や仕事が交換されています。この輪が広がればますます多様なサービスが受けられるようになるはずです。

シュトローバッハさんは、デーマークでカウンセリングを受けられると聞き、カウンセラーの家を訪ねました。
シュトローバッハさんは東ドイツ時代の仕事を失い、家族との関係もうまくいかなくなってしまいました。心の拠り所を求めて、交換リングに参加して新しい生活を作り上げたいと思っています。
カウンセリング代として10デーマークを支払います。交換リングでマイナスを持つということは、その分を誰かに返さなければなりません。そこで新しい関係が生まれます。
マイナスのデーマークは、共同体の一員である証になるのです。

「私にとって大切なのは、人と一緒に何かをすることです。ただどこかへ行って買い物をするということではなくて、デーマークで何かをしてもらったり、自分から何かを提供したりするときは、必ず人とコンタクトをとる機会があります。それが私にはとても重要なのです。
お金、お金、お金、お金が全てじゃない。それが私には素晴らしいのです。」
<ゲルトラウト シュトローバッハ>

ハレの若者たちに開放されているデーマークの事務所。マルティン・バーチさんは失業中ですが、交換リングに参加することで生計を立てています。3年前からここで部屋を借りて会員から求められる仕事をしてデーマークを稼いでいるのです。

「この部屋代のために月20時間庭師や管理人として働きます。15時間いろいろな仕事をして食事代を稼ぎます。こうして部屋代と食事代が節約できます。残った時間は自由にできるんです。」
<マルティン・バーチ>

今バーチくんの通帳に記されているデーマークはマイナスです。しかしそれは普通のお金の借金とは違います。たとえマイナスでもデーマークには利子がつきません。金利が雪ダルマ式に増えることはありません。「できることは何でもやってみる」とデーマークの交換のために自家製のパスタを作り始めました。
市内にあるカフェで月に1回デーマークの会合が開かれます。会員たちは手作りの品物や不用になった小物を持ち寄ってデーマークで交換します。新しくデーマークに加わりたいという人がやってきました。システムの説明を受け会費と通帳代として10マルク支払い、入会手続き完了です。デーマークはその場からすぐに使えます。

会員達は交換リングの活動をどう感じているのでしょうか。

「いろいろな人と知り合えたし、自分の思いつきを実行に移せました。本当のお金だったらこうはならなかったでしょう。」

「交換リングには本当に助けられました。今までこんなに快適と思えるところは無かった。」

大銀行の拠点として、世界の資本が集中するスイス。

ここに個人間ではなく、零細な商店や中小企業のための60年の歴史を持つ交換リングがあります。
バーゼルに本店を置きスイス国外に6つの視点を持つヴィア銀行。
ヴィアは、我々という意味です。1934年世界恐慌の嵐が吹き荒れる中、スイスの商店や中小企業は新しい経済システムを編み出しました。スイスフランとは別にヴィアという利子のつかない独自の単位を作り取引を行うというものでした。
ゲゼルの理論を母体として誕生したシステムですが、今では実際の紙幣の発行をやめ、ヴィアという単位での取引だけに限定しました。運営はヴィア銀行が行い、会員はスイス全土に及んでいます。現在ではスイス企業の17%にあたる76000社が参加し全体のネットワークとしてスイス経済に根をおろしています。

グランツマンさんは、家電ショップの経営者。ヴィアの交換リングのメンバーです。ヴィアが使えるかどうかは店の入り口に表示されています。ヴィアの取引システムは基本的に個人間の交換リングと同じです。通帳に記帳する代わりにカードでの電子決済が可能になりました。4年前にヴィアとスイスフランの両方が扱えるカードシステムが導入され、ヴィアでの取引額は大きく増加しました。製造業から、ホテル、レストランまで、ヴィアに加盟する事業所はバラエティに富んでいます。カタログには商品やサービスの紹介と共に、その代金の何%をヴィアで受け取るかが示されています。この制度はあくまでも通常の通貨による取引と同時に平行して実施されているシステムです。1ヴィアは1スイスフランに相当します。
グランツマンさんは20年以上、ヴィアで取引をしています。従業員二人と見習いの徒弟3人の小さな店ですが、この店の経営が順調なのはヴィアの交換リングに所属しているからだと話しています。

「ヴィアはいいことばかりですよ。新しい客がつきますし、ヴィアが動けばスイスフランもついて来ますしね。」
<ハンス グランツマン(家電ショップ経営者)>

ヴィア銀行のドゥヴォワさんに、スイス経済にヴィアが果たしている役割を聞きました。

「スイスでは80%が中小企業です。この数字で、私たちの存在意義を理解していただけるでしょう。私たちが中小企業をどのように支えているかですが、一つには、ヴィアのシステムがスイスフランにプラスアルファのビジネスをもたらしているのです。フランとヴィアが並存することで、お互いにプラスになっています。さらに、ヴィアに加入することで連帯が強まり購買力が一つの輪の中で維持されて、外に逃げていかないことが私たちの強みです。」
<エルヴェ ドゥヴォワ(ヴィア銀行)>

[内橋 克人(経済評論家)]
東と西の対立、つまり東西冷戦構造崩壊いたしまして1990年代に入ってまいりますと、ますます市場原理というものを至上のものとする、最高のものとする、そういう一辺倒型の市場主義が世界を覆ってきたともいえます。そういう中で世界は今ある意味で同時多発的に共生という、共に生きるという、共生セクター、共に生きる領域を求めてさまざまな運動というものが台頭してきたと思います。その場合に共生セクター、共生の原理というのは、連帯とか、あるいは信頼さらに、共同というところにあると思います。
一方の競争ということで考えますと、競争セクターはやはり人々を分断して対立させて、そして競争を激しくさせて、その間に、対立した人の間にマーケットを置くという、そういう形の競争セクターが、いわば世界を設計したわけであります。共生セクターというものを望む人々のさまざまな試みの中で共生セクターを、真に実のあるものにしていく、効果のあるものにしていく、そのためには、現在流通している貨幣というもの、通貨というものを、そもそもそこから新たな問題提起をしていくと。考えてみれば、経済というものは元々、人々の生きる、働く、暮らす、これを統合した存在として、生業として、或いは営みとしてあったはずであります。
これを原点から、私たちはもう一度考え直すその一つのよすがとして、新しい通貨・貨幣というものを考え直すことは、大きな力というものを共生セクターに与えることになるのではないかと、そういうふうに思われます。

オーストリア、チロル地方、このアルプスの保養地で未来のお金のシステムを考えようという、国際会議が開かれました。
会議には金融関係者や経済学者を中心に、さまざまなジャンルの専門家がヨーロッパやアメリカから参加しました。
かつてのローマ会議のように、世界の経済の専門家や市民が一同に介して金融システムを真剣に話し合いたい。エンデが生前実現を願っていた会議への第一歩です。会議は4日間に及び、テーマの一つは、ゲゼル理論のヴェルグルでの実践でした。

リエターさんは、多国籍企業の顧問を務め、ジョージ・ソロスと並ぶ投機家でした。ベルギー中央銀行に招かれて、新しい通貨ユーロの実現にも参加しました。現代のマネーゲームの最先端にいて、このままの金融システムでは未来はないと考え始めました。このリエターさんが注目したのが、ゲゼルでした。

「私は問題点の中心は、金融システムにあると信じます。
1971年、ニクソン大統領が、ドルを金本位制から切り離したときから、私たちは歴史的に前例のない時代を生きているのです。
現実的な経済に対して安定させる何の保証もない通貨の時代が始まり、その不安定な通貨が世界を混乱させているのです。
今日の不況は1930年よりも酷いかも知れません。当時の不況はアメリカやヨーロッパに限定されていました。
我々が今もっている世界規模の経済システムこそが問題なのです。
異なる通貨システムは異なるタイプの関係性を築くと思います。私たちが常識だと思って使用している通貨は、国や企業に競争を強いる性格を持っています。金融システムが競争を前提として機能しているのです。もし私があなたと協力関係になりたかったら、実際にそれを築くような別の通貨が必要なのです。目的に応じて道具は使い分けるべきです。
ですから、私たちには複数のお金が必要なのです。
経済の未来は私たちがどんな関係を持ちたいかで決まります。世界中で何千も使い始めた地域通貨は、その関係性を回復する一つの新しい道具なのです。」
<ベルナール リエター(カリフォルニア大学バークレー校)>

『今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人々と自然に他なりません。
このシステムが自ら機能するために、今後もそれらの人々と自然は容赦なく搾取され続けるでしょう。
このシステムは消費し、成長し続けないと機能しないのですから。成長は無からくるのではなく、どこかがその犠牲になっているからです。
歴史に学ぶ者なら誰でもわかるように、理性が人を動かさない場合には、実際の出来事がそれを行うのです。
私が作家として、この点でできる事は、子孫達が同じ過ちを犯さないように考えたり、新たな観念を生み出すことなのです。そうすれば、この社会は否応なく変わるでしょう。
世界は必ずしも滅亡するわけではありません。
しかし、人類はこの先何百年も忘れないような後遺症を受けることになるでしょう。
人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。
お金は変えられます。
人間が作ったのですから。』
<ミヒャエル・エンデ>

このページのTOP