戦後のドイツ経済はプンデスバンクが担う
中央銀行は、一部の金融財閥に利益をもたらすと決まっているわけではない。独立性を重視せずに、政府と協調して金融政策に当たる中央銀行もちゃんと存在した。ドイツの連邦銀行、ブンデスバンクがそうだ。
1957年に設立されたブンデスバンクは、他の中央銀行のように銀行家たちが出資したものではない。資本金は100%、ドイツ連邦政府が出資している国有銀行だ。
ドイツ連邦政府は、ブンデスバンクに金融政策を直接指示できないが、議会のほうは法律を定めて、さまざまな命令を下すことができた。この中央銀行には「物価の安定」だけでなく、「経済の安定」と「完全雇用」という目標が法律によって定められている。
ブンデスバンクが議会の決定どおりに金融政策を実施してきた結果、第2次大戦後の旧西ドイツは、バブル経済が発生することもなく、大きな不況にも見舞われなかった。インフレ率の低い安定した経済が続き、失業率も欧州諸国の中では低かった。
戦後ドイツの飛躍的な経済成長は、ブンデスバンクの政策が生んだとまで高く評価された。
反省から生まれた理想の中央銀行
欧州中央銀行の行く末は?
ブンデスバンクの成功は、ドイツ国民の深い反省と、中央銀行に対する研究のうえに成りたっている。
戦前のドイツには、1875年設立のライヒスバンクという中央銀行があった。銀行家たちによって設立され、帝国政府からの独立性が高く、誤った金融政策をとっても、だれもブレーキをかけることはできなかったのだ。民主主義的なチェックが利かない、中央銀行の典型だったのである。
1918年に第1次世界大戦で敗北したドイツ帝国は、1320億マルクという戦前のGDPの3倍近い戦時賠償金を請求された。支払い先は、アメリカのモルガン商会(※)だ。イギリスが戦争中に、モルガン商会から多額の借金をしていたので、ドイツ帝国からの賠償金をその返済にあてることにしたのである。戦勝国のアメリカとイギリスがつくった賠償委員会(※)は、ほとんどがモルガン商会などの銀行家によって構成されていた。
彼らに巨額の賠償金を支払うため、ライヒスバンクは国債と交換に通貨を乱発した。世界史に残るハイパーインフレの始まりである。1923年には、物価が20億倍に跳ね上がり、人々はお札の山を運んで買い物するようになる。この驚異的なインフレは、ヒトラー政権誕生につながっていく。
※モルガン商会
1861年にJ.P.モルガンと、その息子によって、ニューヨークに設立された投資会社。鉄道投資により、金融財閥としての地位を築く。
圧倒的な財力と、政財界の人脈を活用して、企業投資や企業統合を行ない、世界的な金融帝国をつくりあげた。モルガン・スタンレー投資銀行など、モルガン家が所有する金融機関は世界各地に無数にある。
※賠償委員会
1930年、第1次世界大戦の敗戦国ドイツの賠償金を処理するために設立された委員会。この委員会の母体は、戦勝国の中央銀行が共同出資した国際決済銀行(BIS)だった。本部はスイスのバーゼルにある。BISは、ドイツの賠償金処理が終わったあとも、国際的な金融問題を扱う機関として存続している。
民主的な中央銀行は駆逐される!?
ライヒスバンクの反省から生まれた国有銀行ブンデスバンクは、ドイツ経済の発展を支える一方で、ドイツマルクの地位を高めていった。しかしそのドイツマルクも、2002年の欧州通貨統合により、他国の通貨とともにユーロに取って代わられた。
安定した経済を維持してきたブンデスバンクは、自由市場主義の経済には目障りな存在だったに違いない。それは日本型経済システムと同様、排除すべき対象だった。
安定的に成長する経済は、一部の金融財閥たちにとって魅力はない。バブルや大不況が起こらなければ、儲けのチャンスに恵まれないからだ。国民にとって優れた中央銀行は、彼らにとって合理的な経済システムを阻害する存在なのだ。
99年に欧州中央銀行(※)が誕生したことで、ブンデスバンクはヨーロッパで、最も力のある中央銀行の地位を追われた。法律的にどの国の政府からも独立性のある欧州中央銀行は、戦前のライヒスバンクと同じくらいの強いパワーを持っている。これが、今後の欧州経済にどのような影響を与えるか、非常に興味深い。
※欧州中央銀行(ECB)
1999年に単一金融政策=ユーロ政策を実施するための機関として設立された。出資は、EU加盟15カ国の中央銀行が行なっている。ヨーロッパ各国の中央銀行を指導する役割を担い、その権力は大きい。
2001〜02年、ECBはブンデスバンクに対し、信用縮小を命じた。このため、ドイツは02年頃から不況に。ECBは不況の原因を、金融政策ではなくドイツの経済構造のせいだといっている。