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中央銀行は恐慌も飢饉も思いのまま

金融財閥がつくったFRB

金融の歴史をひもとけぱ、中央銀行が必ずしも、国民の利益を目的として活勤していないとわかるだろう。しかし、世界の中央銀行が、何か特別な陰謀を働いているというわけでもない。
銀行家である彼らは、自分たちの利益を考えて、きわめて合理的に立ち回っているにすぎないのだ。
アメリカの連邦準備制度(FRB)は、1907年の金融パ二ックを教訓として誕生した。この制度をつくった関係者のなかには、J・P・モルガン・シニアをはじめとするウォール街の金融財閥が含まれていた。金融業界に関わる制度だから当然ともいえるが、当時は秘密裏に準備が進められていたという。全国12の連邦準備銀行(連銀)は、主にウォール街の大手銀行が株主となって設立されている。
イギリスの中央銀行は、国王への提案によって設立されたが、アメリカでは金融財閥が政府に働きかけて設立したわけだ。
FRBができると、アメリカ政府はほぽ同時に所得税を導入した。FRBが国債を引き受けたから、金利の支払いをまかなうためだ。
アメリカに限らず、中央銀行の設立と国の借金、所得税の導入は強い関連性がある。銀行家が政府に提案する伝統的な資金調達の手段なのだ。

所得税の導入は、中央銀行のせい
世界恐慌の原因は銀行の過剰貸付
恐慌で得をしたのはFRB

世界恐慌が生んだ金融財閥のメリット

FRBは金融パニックのような危機を防ぐために導入されたはずだが、1929年にはウォール街で株価の大暴落が始まり、これが4年間にわたる世界大恐慌(※)に発展した。つまり、FRBの導入目的は果たされなかったわけだ。しかしその一方で、ウォール街の金融財閥には少なからずメリットがあったことはたしかである。
恐慌の原因は、1920年代にFRBの指示で、銀行が貸出収を増やしたことだといっていい。担保は主に株券だった。そのため株価は高騰し、バブルが発生した。
株価がピークを迎えると、FRBは政策を180度転換して、銀行の信用創造を厳しく抑えた。それからあとの展開は、90年代の日本とほぽ同じ。アメリカ各地で銀行倒産が相次いだが、そのほとんどはFRBのシステムに加入していない銀行だった。FRBの金融界に対する影響力は、ますます強固なものとなったのである。
また同じころ、アメリカの銀行は農家に対して、土地を担保に多くの貸し出しを行なっていた。FRBが政策を転換すると、銀行は農家に借金返済を迫った。日本でいう「貸し剥がし」だ。
それまで豊かだった農家は、返済する資金がないために、広大な土地を没収された。これが原因でアメリカは飢饉にまでなったが、その土地は誰が買ったか。―多くはウォール街の金融財閥の関係企業に買い取られたのだ。
※世界大恐慌
ニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけに、世界の資本主義諸国に波及した恐慌。アメリカでは銀行が1万行以上閉鎖され、大量の失業者を生んだ。日本では昭和恐慌と呼ばれ、株価、物価の暴落、生産の低下、失業者の増大などをもたらした。

ケネディの最後の大統領命令

逆にいうと、中央銀行が信用創造のパワーを使えば、恐慌も飢饉もつくり出すことができる。もし政府がそれを防ごうと考えたなら、自分たちで紙幣を発行して信用創造すればいい。
アメリカでは実際に「政府券」(※)を発行したことがある。1963年に発行を命じたのはケネディ大統領だ。ケネディは、景気対策として財政投資を進めようとしたが、FRBに資金提供を断られ、政府による紙幣発行に踏み切った。同年11月に暗殺されたケネディにとって、これが最後の大統領命令となった。その後「政府券」の発行を命じた大統領はいない。
現住の日銀の姿は、そっくりそのままFRBの軌跡をたどっているように見えるだろう。
※政府券
ケネディが発行を命じた紙幣は、FRB発行の銀行券とほぽ同じデザインだった。FRBのマークがない代わりに、「United States Note」(政府券)と印刷してある。
ちなみに、ケネディ最後の大統領命令は、第11110号。

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