おカネがなくなった国王を助けた銀行家
日銀がこれまで日本経済に与えてきたマイナスの影響について説明してきた。国民生活を犠牲にしてまで、日銀が果たそうとしている目的は大きい。だが、それは日銀が抱く野望というより、中央銀行としてのイデオロギーに根ざしている。
中央銀行としてのイデオロギーとは何か。それは中央銀行の誕生について知れば、明らかになるだろう。
世界最古の中央銀行といわれるのは、1668年に設立されたスウェーデンのリクスバンクだ。しかしリクスバンクが、お札の独占発行権や「最後の貸し手」機能を待ったのは、19世紀末のことで、現在の中央銀行とは若干異なる存在だった。
その次に中央銀行として設立されたのは、1694年に設立されたイングランド銀行だ。
イギリスは当時、フランスとの長い戦争が続き、多額の戦費を必要としていた。そこで、スコットランド人のウィリアム・パターソン(※)は、資金難のイギリス政府に、ある財政計画を提案する。「民間から120万ポンドの資金を集め、8%の利息で国家に貸し付ける」というもの。それと引き換えに、「株式会社イングランド銀行を設立し、資金と同額の120万ポンドまで銀行券(紙幣)を発行してよい」という国王の許可をもらった。同時にイングランド銀行は、政府財政の管理も任され、国債市場を整備する。
イギリスは1815年、長らく続いたフランスとの戦争に勝利を収めた。イングランド銀行は、「発券銀行」と「政府の銀行」というふたつの機能を手に入れ、イギリスの勝利に貢献したとされている。やがてイングランド銀行券は、1844年に法貨として認められ、中央銀行としての地位を固めていくことになる。
※ウィリアム・パターソン
スコットランド人。約1200人から120万ポンドを集めて政府に全額貸し付け、年間10万ポンドの見返りを得た。それまでのイギリスでは、金融業は主に金貸しや質屋によって支えられていた。
イングランド銀行は国王も操れた
銀行家たちは、戦争の行方も左右する
パターソンの巧みさ イギリス国王の無知さ
イングランド銀行設立を推進したパターソンの提案は、実に巧みだ。国王への資金提供によって特別な権力を握り、他の銀行にも強い影響力を持つようになった。
しかしイギリス国王は、本当にイングランド銀行を設立する必要があったのか。絶対的な支配者のはずが、中央銀行から借金したことで、逆にコントロールされる立場になったともいえる。ならばいっそ、国王自ら紙幣を発行すればよかったのだ。たとえば、13世紀にモンゴル帝国を治めた皇帝フビライ・ハンとその後継者は、自分たちで通貨を発行し、通貨供給のコントロールを通じて絶対的な権力を誇った。中央銀行に頼る必要はない。
たいていの中央銀行は、最も影響力のある銀行家が資金を出して所有する。彼らは、通貨のパワーがどれだけ大きいか、熟知していたのだ。
銀行家たちは、戦争の勝敗さえ自由に操れた。それぞれの国王に軍資金を提供していた銀行家たちは、裏で通じ合い、どちらの国に勝たせるかを決めることができた。もちろん、戦争が終わったあとに、より多くの利益を与えてくれる国に加担する。負ける側の国では、銀行家が権力者を金庫に案内して「もう軍資金がありません」と空っぽの内部を見せた。無からカネを生んでいる銀行では、もともと金庫に何も入っていないのにだ。
にわかには信じがたい話だろうが、歴史の一例をあげよう。
第1次世界大戦のとき、ドイツの金融政策を任されていたライヒスバンクと、アメリカで同じ立場にあった連邦準備銀行(FRB)とは仲のよい兄弟のような関係だった。もちろん、ドイツとアメリカは敵どうしである。それが銀行家の現実だ。彼らが最も利益を上げるのは戦争であり、それはいまも変わらない。