Anti-Rothschild Alliance

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資料室

『Credit as a Public Utility』翻訳

2009-10-16

※『Credit As A Public Utility』の動画は下記でご覧いただけます。
http://video.google.com/videoplay?docid=3468056684550176104
http://video.google.com/videoplay?docid=7247440563842157664
http://video.google.com/videoplay?docid=-2586504549221421168
http://video.google.com/videoplay?docid=-4061589997977265938
http://video.google.com/videoplay?docid=3035089455833762689
http://video.google.com/videoplay?docid=2945437690287937254

我々は真相を掴んでいる
通貨改革という希望
リチャード・C・クック
「公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けて」
リチャード・C・クックの公開ビデオ

全6部構成の第1部

「我々の建国当時の政治指導者達は銀行のことを我々に警告していた」
トマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソン、そしてアンドルー・ジャクソンと言った合衆国の建国当時の政治家達は合衆国の最初とその次の銀行の設立に暗躍した銀行家達の支配から国を解放しようと努めました。
南北戦争中にアブラハム・リンカーン大統領は銀行からの借入れに頼らずにグリーンバックという紙幣で支出し、直接流通させる事によって真に民主的な通貨制度を実行に移したのです。
これらの方策によって我々は19世紀の大部分にわたり銀行の支配を概ね受けずに発展する事が出来たのです。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解消に向けてと題する6部構成のビデオの第1部へようこそ。このビデオの目的は米国のための新たなクレジット制度の概要をあなた方に提示する事にあります。この新たな制度はかくも壊滅的に失敗して我が国の生活と自由を破綻させつつある銀行のクレジット制度に替わるものです。

私の名はリチャード・C・クックと言い、32年間公職に就いた後、2007年に退職した連邦政府の元アナリストで、この32年間の中の21年間は首都ワシントンに在る財務省に勤務しておりました。歴史の教鞭をとった事も農場を経営するビジネスマンであった事もあり、現在は著作家として活動しています。著作の一つである「チャレンジャーについての暴露」は私がNASAに勤務していた当時のスペースシャトルの大事故に関する内部からの報告でありますが、過去20年間で最も重要な宇宙飛行関係の書籍であるとされておりますが、現在の専門は国家財政です。私はトマス・ジェファーソンの母校であるウィリアム・アンド・メアリー大学を卒業しており、ジェファーソンと同様に、全ての人は平等に造られていると言う原則を反映させ、生命、自由および幸福の追求と言う価値を保証すべく努力している政府こそが唯一の合法的な政府であると信じています。この大きな経済危機の最中に余りに多くの人々の希望や熱意が脅かされている今日、我々はこれらの理想から疎遠になりつつあります。6部から成るこのビデオで私は、我が国と世界が直面している巨大な経済的諸問題に対する解決策を提案しますが、皆さんがそのような解決策を耳にした事は未だ嘗てないと思っています。何故なら、エコノミストやメディアのコメンテーター、政府の役人を含む体制的な地位にある殆ど全ての人々は破綻した制度にツギハギしようとしているに過ぎないからです。抜本的な改革を提唱する人々は殆どおりません。しかし、私と世界の多くの改革者達はそれを提唱しているのです。私は国家財政に従事した経歴を有する者で、共和・民主党の殆どの政治家達に働きかけて影響力を行使している大手金融筋に勤務していた者ではありません。私はありのままを話し、従来とは全く異なる観点から物事考えてみるつもりですので、皆さんも御一緒に開かれた心構えで話を聴いてくださるよう願っています。私は自らの著書、「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」に記した概念について言及しますが、皆さんも是非この本をお読みになって私が何を言わんとしているのかお考えになってみて下さい。何故なら、もし私達が私達自身や私達の家族、地域社会、国家、そして世界にこの危機を乗り切って欲しいと願うのであれば、我々は十分な情報を得て行動しなければならならないからです。最早遅すぎると言う事のないよう、明日にではなく今すぐに…

では、ここで米国の経済及び通貨制度について、何が今我々の直面している諸問題の原因を作ったのか、そしてこの制度を変える為に何が出来て何をしなければならないのかについてお話しましょう。何故なら破綻したのはこの制度であって、この制度こそが変えられなければならないものだからです。このビデオを見るに当たっては鍵となる一つ事実を忘れない様にして下さい。それは、現存する通貨の全てが、事実上、銀行による貸し出し、つまり、利子を付けて返済しなければならないローンがその源になっていると言う事です。これには銀行業界と我が国の政府運営を可能にしている外国の銀行からのローンが含まれています。これは要するに、金融制度が実際には借金の巨大なピラミッドであると言う事を意味しているのです。お金は何故この様にして創られるのでしょうか。それはこの制度が建国以来、我々の政府に絶えず影響を与えようとして来た金融界によってその様に創り上げられたものだからです。しかし、経済はその様にして動かされなければならない訳ではないのです。公共の福祉の増進に繋がる通貨創造の方法は銀行が左右している通貨供給以外にもあるのです。実際、米国財務省の前アナリストであった私は、議会の承認さえ得られれば、政府は借入に頼る事なく、しかも遥かに少ない徴税で国家の必要とする全ての通貨を得られると断言する事が出来ます。

銀行が運営している負債を基にした通貨制度こそ今日の危機を招いている根本原因であるが故に、この制度の変更は極めて重要な事柄です。しかし、この危機は政治的、社会的、そして倫理的な危機でもあります。それは我々の国を誰が管理し、管理する事によって誰がその利益を得ているのかと言う問題です。我々の国は少数の金融業界のエリートの為に存在しているのでしょうか? それとも我々人民が困窮せずに生活していける場であるべきなのでしょうか? その何れであるかを知る為の要は我々の有する通貨制度にあります。民主党の大統領と議会の両院で民主党が過半数を占めている今日に於いてさえ、我々は 未だに 金融家を誰よりも利する制度を有しているのです。彼ら金融家達はこの制度を確固たるものにする為に何十億ドルもの金を選挙献金として費やして来ました。この話を始める前に強調しておきたい事がもう一つあります。この負債を基にした通貨制度がもたらす諸問題は我々が貿易赤字と財政赤字のせいで負債を外国に輸出する時、更に増幅されるのです。2009年の2月24日火曜日の夜にオバマ大統領はアメリカを断固として経済的に復興させるとの決意を表明し、示唆的な演説を行いました。政府は買手に元金と利子の返済を約束して財務省証券を売却し、国債を財源に資金調達しようとしたのです。政府に支払う為の十分な金を米国の我々が最早持ち合わせていないが故に大統領の計画の成否が 中国 による米国財務省証券の継続購入に依存すると言うのは全く情けない話です。事実、オバマ大統領のこの演説の1週間前に国務長官であるヒラリー・クリントンは中国政府が米国債を確実に継続購入してくれるようにと訪れた中国から帰国したばかりでした。これは本来あってはならない事なのです。この深く腐敗した制度の下で、一つの借金は更なる借金を招来する事となり、それ故、オバマ大統領の経済回復計画ではこの国で安心できる長期的な繁栄を約束する事が出来ません。つまり、我々と我々の子供達や孫達の生活の質は引き続き落ち込んで行く事になるのです。それだけにこのビデオでお話する内容は格別に大切な事柄なのです。それでは、「建国当初の政治指導者達は銀行業界のことで警鐘を鳴らしていた」と題するこのビデオの第1部に入る事と致しましょう。

我が国の直面している災難の中心的要因が破綻した金融制度である事は明白です。破綻したのは我が国の金融制度であり、我が国の生産経済が破綻したのではありません。我が国と世界の経済は全ての人々が生活に必要な財貨とサービスを生産する能力を有しているのです。我々の国は大英帝国の銀行家達が動かす通貨制度に対する反抗を通じて創立されました。1750年頃、ベンジャミン・フランクリンはこの地球の表面に我々より「幸福でより繁栄した人々の集団を見出す事は出来ない」と書きました。ペンシルバニアを代表して訪英した際にフランクリンはイギリスにはかくも多くの貧困者が存在しているのに植民地がこれほどまでに繁栄しているのは何故かと訊ねられました。フランクリンは次の様に応えました。即ち「それは簡単な事です。植民地で我々は独自のお金を発行しています。植民地票と呼ばれているものです。我々は製品が生産者から消費者に容易に通過するよう適当な割合でそれを発行しております。この様にして、我々は我々自らの為に紙幣を創り、その購買力を制御し、如何なる者にも利子を払うことはありません。」と言ったのです。その後の1764年、英国の金融家達は英国議会に働きかけて通貨法を可決させました。この法律により植民地は独自のお金を発行する事が禁ぜられて出来なくなり、通貨の供給は半減させられました。フランクリンは次の様に書いています。「僅か1年で状況は全く反転して繁栄の時代が終わり、不況が始まったのであるが、その不況が余りに酷いものであった為に植民地の街路は失業者で満ち溢れる程となった」と。その後十年間の経済的衰退を経て革命戦争が始ったのですが、その契機となったのは歴史の教科書が教えているような印紙税法や茶の課税などではなく過酷な 通貨の 圧制だったのです。フランクリンは次の様に述べています。「英国の金融家達が議会に悪影響を及ぼして貧困の原因となり植民地の英国に対する憎悪を作り出して革命戦争を引き起こす様な事さえしていなかったなら植民地は茶などの物品に課せられた小さな税金の負担を快諾していたであろう。」

ここで、我々の独立宣言を起草し、1801〜1809年にかけて合衆国の大統領を務めたトマス・ジェファーソンの言葉を引用して読み上げたいと思います。

ジェファーソンは彼の財務長官であったアルバート・ガラティンに宛てた手紙の中で次の様に述べています。「私は銀行制度は我々の自由に取って常備軍よりも危険なものであると心底から信じている。もし、アメリカ国民が最初はインフレにより、次いでデフレによって民間の銀行が通貨の発行を操作するのを許すような事があれば、彼らの周りで太り行く銀行や企業は人々の有するあらゆる財産を剥奪し続けるだろう。彼らの子供達が自分達の父が征した大陸の上で遂に家を失った事に目覚めるまで… 通貨の発行権は銀行から取り戻してその正当な保有者である国民に返還しなければならない」。この僅かな言葉の中でジェファーソンは非常に多くの意味を込めていました。彼は発行権について述べていたのです。それは通貨を発行する権限を意味していました。しかし、合衆国憲法第1条が通貨制度に係る権限は議会に 属する 旨を定めているにも拘わらず、ジェファーソンが大統領に選出される頃までにこの権限は議会によって既に民間の銀行組織に与えられてしまっていたのです。そして彼はインフレとデフレが繰り返される事についても触れています。これは私がこのビデオで何度となく言及する事となる概念ですので、是非、憶えておいて下さい。ジェファーソンの後を継いだ米国の大統領にして彼の個人的な友人であるジェームズ・マディソン大統領も同じように述べています。「歴史は両替商どもがあらゆる形の不正利用、陰謀、欺瞞、また、あらゆる可能な暴力的手段の限りを尽し、貨幣とその発行をコントロールする事によって政府を支配し続けて来た事実を記録している」。ジェファーソンもマディソンも我々の通貨制度を統制するのは銀行家達であるべきか或いは国民を代表する選挙された議員であるべきかが問われた米国史の時代の中でこの様な判断を下したのです。実際、それは当時の主要な政治問題となっていました。通貨供給を統制してそれから利益を得る者が誰であるかが国家と経済の安全保障にとって決定的な要因となるものである以上、それは現在も主要な政治問題でもある筈のものです。かつて1791年にワシントン大統領の最初の財務長官であったアレキサンダー・ハミルトンは議会を説得して第一合衆国銀行を設立する為の法律を制定させました。この銀行はイングランド銀行をモデルにしたものです。これら二つの機関の何れもジェファーソンとその支持者達が断固反対していた私的に所有されている中央銀行に通貨発行の権限を与えたのです。第一合衆国銀行に与えられた特許が失効した1811年にはジェファーソンとその党が政府を運営していた為に議会による特許の更新はなく、彼らは民間の所有になる中央銀行が、かつて考案されたものの中でも、最も効果的に自治を破壊する装置である事を理解していたのです。しかし、1817年になると1812年の戦争に因って国の資金が不足し、議会はもう一つの銀行、即ち第二 合衆国銀行を設立したのです。

またしても、民間による通貨供給権が国を統制する力を発揮し始め、それが余りにも大きかった為に1828年に大統領に選出されたアンドルー・ジャクソンはこれを排除する決意を固め、「銀行は私を殺したがっているが、私が銀行を殺す事になろう」、「もしアメリカ国民が我々の通貨と金融制度のこの酷い不正を知りさえしたなら、夜の明ける前に革命が起こされるだろう…」などと述べたのでした。1834年、ジャクソンは第二合衆国銀行に預託されていた連邦政府の金を引き上げ、この銀行も過去のものとなって行ったのです。ジェファーソンとジャクソンが第一合衆国銀行と第二合衆国銀行を問題であるとしていたのは民間が所有する中央銀行のやり方についてでした。政府にお金を貸し付け、それを税金として納めたお金を含む政府収入から利子を付して返済する義務を国民に負わせると言うそのやり方にあったのです。銀行は部分準備制度によって実際に預かっている預金よりもずっと多くの金を貸し出しています。国立銀行は一定額の国債(財務省証券)を購入して「基本準備金」とする事によってこのようなやり方をしているのです。銀行はこの基本準備金を一度確保すると更に多額の現金を何の根拠もなく無から創り上げるのです。では、彼らはその「余剰」の現金をどの様に使うのでしょうか?彼らはそれを一般に貸し出して貨幣の流通量を増やし、しかも、そこから利子を取り立てるのです。巨額の国の借金が中央銀行制度に常に付き纏っていますが、それは銀行が財務省証券を購入することはすなわち政府にお金を貸し付けて利子を徴収する事だからです。国が戦争中であったり巨大で高額な軍用基地を有していたりすると、その国の借金が最も早く膨れ上がるのは言うまでもありません。

しかし、ジェファーソンは、中央銀行に協力することを拒否する事にり、8年もの間、連邦政府予算を均衡させる事が出来ました。以降、その様な偉業が果たされた事はかつて一度もありません。そしてアンドルー・ジャクソンは国の借金を完済する事すら出来たのです。銀行に何ら負債がなかったが故に我が国のこれら初期の政治指導者達は銀行の影響を受ける事が殆どありませんでした。ここで、ヨーロッパの有名な金融一族の創立者であるアムシェル・ロスチャイルドの言葉を読み上げてみましょう。1790年にロスチャイルドは次の様に語ったと報告されています。「国の貨幣を私に発行させ、支配させよ、そうすれば誰が法律を作ろうとも構わない」と。19世紀の間にロスチャイルド家とその金融界の仲間達は西ヨーロッパ諸国の君主達を事実上支配していたのです。ジェファーソンとジャクソンが中央銀行制度にあれほど強く反対して我々の共和国の自由を護持したのはロスチャイルドが何を言わんとしているのかを理解していたからに他なりません。英国にくみした保守派と共和制を唱えた者達との違いは主にこの点にあったのです。しかし、銀行家達が共和国をも支配しようと目論み始めたのに及んで、それも変わらざるを得なくなりました。ここでその数十年後の1861年から1865年にかけて起こった南北戦争に時計の針を進めましょう。エイブラハム・リンカーンが大統領に就任した1861年、連邦政府にはこの戦争の戦費を賄う資金が不足していました。

エイブラハム・リンカーン大統領は多額の資金を必要とし、しかも迅速にそれを得る必要がありました。そこで、彼はニューヨークの銀行家達のもとに出向いたのですが、その当時アメリカには四半世紀にわたって中央銀行が存在していなかった事を思い起こして下さい。英国と欧州の同業者と緊密に連携していた銀行家達は政府にお金を貸すのは良いが少なくとも25〜35%の利子 を払えなどと言い放ったのです! 全く言語道断な話です。そこで、議会は急進的ながらも全く道理にかなった一歩を踏み出しました。紙幣を印刷し、リンカーン政権にそれを支出して流通させる権限を与えたのです。その結果、金との直接の兌換性がない4億5千万ドルのグリーンバック紙幣が議会の承認を得て創られました。この実質的な購買力は南北戦争中の経済が生産する財貨やサービスを得る為に使用されました。このグリーンバック紙幣によって支出するお金を得る為に政府は何時も銀行から借り入れる必要など元々ないのだと言う事が証明されたのです。この戦争の間、グリーンバック紙幣に加えて政府は税金を上げ、戦時公債を直接国民に売却しましたが、その何れも銀行による金融制度を全く迂回して行ったのです。リンカーン大統領の通貨政策は1865年の上院文書第23号に次の様に記録されています。即ち「政府の支出力と消費者の購買力を満足させる為に必要な通貨と信用の創出、発行及び流通は政府が行うべき事柄である」と。これはこの半世紀前にジェファーソンが述べたものと全く同じ内容のものです。引用の続き:「通貨の創出と発行に係る特典は政府に属する最高の特権であるのみならず、政府が創造的活動を行う最大の機会でもある。これらの諸原則を採用する事で通貨の統一を求めて来た長年にわたる切実な願いが叶えられる事となろう。納税者達は莫大な金額の利子、割引や交換の費用を支払わずとも済むようになる。全ての公益事業に対する資金調達、安定した政府と秩序ある進歩の維持そして財務省の運営は実践的な政権運営の課題となる。人民は自らの政府のように安心できる通貨を得る事が出来、また、実際に得る事になるだろう。通貨は人類の主人たるを止め、それに仕えるものとなるのだ。民主主義はマネーパワーの上位に置かれ、それを支配する事となる」。リンカーンの政策は代議政府による通貨の発行こそが経済的民主主義の鍵であると言う事を指摘したのです。この言説は嘗て行われた如何なる言説よりも民主的通貨制度の原則を最もよく要約したものとなっており、グリーンバック紙幣制度の原理を完璧に言い表しています。この制度がこの国に於ける国家財政の基盤として十全に実施されていたならアメリカの歴史は遥かに異なる素晴らしいものとなっていた事でしょう。しかし、そうはなりませんでした。このビデオの次の第2部で我々はリンカーン大統領のこれらの善き意図が如何にして挫折させられたかを見ます。合衆国が如何にしてマーティン・バン・ビューレン大統領の所謂「銀行がのさばる社会」、即ち、その歴史の多くの部分を金融界が牛耳るような社会に如何にしてなったのかを見る事となります。もう一度言います。この悪しき制度こそが今日の災難の原因なのです。御視聴ありがとうございました。

全6部構成の第2部

「連邦準備制度:銀行家たちによる乗っ取り」

リンカーン大統領のグリーンバック紙幣制度は正常に機能したのですが、1863年と1864年に国立銀行法、次いで1913年に連邦準備銀行法を議会に成立させた金融業者達によって土台を掘り崩され、遂に別の通貨にとって換わられてしまいました。
今や、合衆国は金融エリート、銀行、そして負債を基にした貨幣制度に支配される国となったのです。その結果、20世紀はインフレとデフレが周期的に何度も繰り返される世紀の一つとなり、今、我々が見ている様なタイプの経済的混乱を引き起こされたのです。

私の名はリチャード・C・クックと言い、この「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」と題する本の著者です。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解消に向けてと題する6部構成のビデオの第2部へようこそ。この第2部の表題は連邦準備制度:銀行家たちによる乗っ取りです。

米国の金融史に関する我々の調査に戻りましょう。第1部で我々は南北戦争中に合衆国政府が如何にしてグリーンバック紙幣として知られる紙幣を印刷して支出し、流通させたかについて話しました。これは、ヨーロッパで戦争が常に政府の銀行に対する巨額の借金と言う結果に終わる事から、革命的な事だったのです。通貨制度がそうなる様になっていたのです。南北戦争の際に合衆国でそうならなかったのは、歴史上、画期的な事実でした。1865年にロンドンタイムズ紙は、恰も人民の為の政府に自らの通貨を支配させたいとするリンカーンの願いに対する答えであるかの如く、次の様に書いています。「もし北アメリカを起源とするこの有害な金融政策…が固定化すれば、政府は自らの通貨を何ら費用をかけずに供給することになるだろう。それは借金を完済して最早借金のない国となる。通商交易に必要な通貨を全て自前で持つ事になり、世界の歴史に例を見ない繁栄を遂げる事になる。全ての国々の頭脳と富が北アメリカに流出するだろう。あの国は破壊されなければならず、さもなければあの国が地球上のあらゆる君主制度を破壊するだろう」。何たる驚くべき言説でありましょう! これは合衆国を銀行の力から解き放つ上でグリーンバック紙幣が如何に強力であったかを示唆しています。我々はイングランド銀行の母国である大英帝国が南北戦争の際に南部側に同情的であった事を知っています。リンカーン大統領は1865年の4月14日にジョン・ウィルクス・ブースによって暗殺されましたが、ブースはその僅か前に英国が支配していたモントリオール市を訪ねていました。そこでブースは彼の陰謀に資金を提供した南部連合のエージェントから金を受け取ったのです。偉大なドイツの宰相であったオットー・フォン・ビスマルクはリンカーンが暗殺された12年後の1876年に次の様に語ったと報告されています。「合衆国が同等の力を持つ二つの連邦に分割されたのはヨーロッパの極めて有力な金融関係者達が南北戦争の遥か以前に既に決定していた事である。これらの銀行家達は合衆国が、そのまま単一のブロック、1つの国家として経済的、財政的な独立を果たし、彼らの世界的な金融支配を困惑させる事になるのを恐れていたのだ」。南北戦争で北部が勝利した事で国の統一は維持され、差し当たり、ヨーロッパの金融勢力は頓挫しました。しかし、彼らは復讐を期していたのです。

銀行家達ではなく、人民を代表する政府が通貨の供給をコントロールする権限を持つ事の必要性を理解していた今一人の大統領は1880年に大統領に選出され1881年にまたしても暗殺者の凶弾に倒れたジェームズ・ガーフィールドです。ガーフィールドは共和党のリンカーンとも言うべき人物で暗殺される数週間前に次の様に述べていました。「誰であろうと貨幣の量を制御する者は全ての産業と商業の絶対的な主となる…そして最上部にいる一握りの有力者達がシステム全体を何らかの方法で極めて容易にコントロールしているのを知るや、インフレと不況の時期が何に由来するのか自ずと明白になる」。ガーフィールドは、当時他の人々も気づいていたようにインフレとデフレ、好況と不況の周期が 貨幣の 現象である事を知っていたのです。物価が上がれば銀行の利子収入が膨れ上がり、銀行は利益を受け、また、物価が下がれば人々や企業が破産して銀行や金持達は破産者の資産を二束三文で買い取る事になるのです。しかし、グリーンバック紙幣の様な制度を通じて通貨を制御する事で政府は財政危機を緩和する事が可能となります。それ故、南北戦争後に銀行家達は議会に働きかけてグリーンバック紙幣を回収させようとしたのです。しかし、議会はグリーンバック紙幣が過去に使用されたどの様な通貨と比較しても最善なものである事を知っていました。グリーンバック紙幣はインフレを起こさず、借金する事なく戦費を賄う事を可能にしました。しかもグリーンバック紙幣は北軍を救った紙幣として広く認められていたのです。

かくして、グリーンバック紙幣は最高裁の合憲判決を受けて流通し続ける事となりました。1900年になってもグリーンバック紙幣は国内で流通している通貨のほぼ3分の1を占めていました。19世紀の後半は最も爆発的な勢いで合衆国の経済が成長した期間となっていますが、その時も 中央銀行は存在していなかった のです。しかし、グリーンバック紙幣が流通していたとは言え、銀行は依然として政治的に強力であり、南北戦争中にその足場を固める事が出来ました。1863年と1864年の国立銀行法により、彼らは政府から購入した財務省証券を基に一般への貸付を行うとする新たな国立銀行制度を確立させたのです。未だ単一の中央銀行に組織化されていませんでしたが、正に第一合衆国銀行や第2合衆国銀行と同様な制度でした。これを境に連邦政府は銀行が一般への貸し出しを行い得るよう銀行から借金しなければならなくなったのです。そうなる様に設定されたシステムだったのです。19世紀の残りの期間を通じて銀行の力は伸長して行きました。彼らの銀行券は国債と共に増え続け、法制化によってその量が固定されたグリーンバック紙幣に徐々にとって代わっていったのです。銀行は企業の事業への貸出しを行うだけではなく、不動産の抵当権を得たり、農民の種蒔きや収穫に必要な費用を貸出し、そして鉄道や鉄鋼等の産業を支配できる株式を獲得し始めたのです。銀行家達は政府が購入し得る銀の量を議会に制限させ、より希少な金を通貨の主要な裏付けとする事によって負債に無関係な通貨が流通する割合を削減する事にも成功しています。

ガーフィールドが警鐘を鳴らしていたように銀行家達は時折、信用供与を制限する事により担保資産の差し押さえや破産を通じて何千もの農家や企業を自らの手中に陥らせ、その当時の所謂「恐慌」も作り出していました。中でも最悪なのは1873年と1893年の恐慌です。これらの恐慌を通して銀行は国で最も強力な、間違いなく連邦政府や地方政府よりも強力な制度となりつつあったのです。19世紀後半の期間に通貨制度を巡る闘争が燃え広がりました。グリーンバック紙幣の通貨制度を護り、更なる増発を目指してグリーンバック党が結成されました。通貨の増発はこの期間に結成された今ひとつの政党である人民党の主眼でもありました。1896年の大統領選で人民党が民主党を引き継いで共和党のウィリアム・マッキンリーに対抗してウィリアム・ジェニングス・ブライアン候補を擁立した際に機は熟しました。ブライアンは人類を金の十字架に付けるべきではないと主張した銀本位制支持派の大統領候補でした。ブライアンは政府こそが通貨の供給を制御すべきなのであって銀行であってはならないと言明し、次の様に主張しています。「我々は政治綱領の中で貨幣の鋳造と発行の権限は政府に属すると明言している」。ブライアンは、また、次の様にも述べました。「マネーパワーは平和な時には国家を食い物にし、逆境の時には陰謀を企む。それは君主よりも横暴であり、独裁者よりも傲慢であり、官僚よりも利己的である」。

しかし、銀行家や産業家達はマッキンリーの選挙運動に金を注ぎこみ、マッキンリーはかろうじて大統領選に勝利したのです。我々の歴史のこの時点を境に共和党は大企業と大手金融の党となりました。通貨の収縮に因る恐慌は20世紀に入っても繰り返されましたが、JPモルガンを筆頭とするニューヨークマネートラスト銀行の行動によって引き起こされた1907年の大恐慌もその一つです。モルガンはシステムを救済する為に2億ドルの私的紙幣を印刷して土壇場でそれを救ったように見せかけました。1913年には銀行制度を安定させる為であると主張してモルガン関係者らを含む金融業者達、加えて英国やヨーロッパの銀行カルテル及び銀行と結束していたアメリカの様々な独占的産業の関係者の全てが 一体となって議会に連邦準備銀行法案を通過させたのです。この法律によって制定された連邦準備制度はイングランド銀行や第一及び第二合衆国銀行と同様に私的にコントロールされる中央銀行に他なりません。表面上は、それが連邦準備銀行券の形で通貨を発行して財務省の債券を売買し、米国の財政資金を預かっているが故に、恰も政府機関であるかのように見えます。その様にしてそれは財務省の所謂「財務代理人」として行動しているのです。1935年以来、連邦準備銀行の総裁は合衆国大統領が任命して来ました。しかし、地方銀行12行を含む各地の連邦準備銀行は加盟銀行が所有しており、その加盟銀行たるや私益を事とする 私人 の所有になると言うのが真相なのです。そして、選挙で選ばれた公人ならざる金融エリートのリーダー達が今日に至るまで連邦準備制度の政策を左右しているのです。

将来有名な飛行士となる人物の父であったチャールズ・リンドバーグ二世は1913年に連邦準備銀行法が成立した当時下院議員でした。彼は次の様に述べています。「金融制度は…連邦準備理事会に引き渡された。その理事会は純然たる不当利得行為を行っている特定集団…の権限によって金融システムを運営管理している。そのシステムは私的なもので、他の人々のお金を使って可能な限り最大の利益を得ると言う目的からのみ運営されているのだ」。リンドバーグは連邦準備銀行法を立法府による永年の最悪の犯罪であると断罪しています。また、この1913年には所得税の課税を認めた憲法16条の改正法案も可決されましたが、その主目的は銀行制度が公衆に金を貸し出す際のベースとなっている国債の利子の支払に充てる為だったのです。その法案にウッドロウ・ウィルソン大統領が署名して法律となったのですが、彼は後に次の様に書いています。「偉大な産業国家は今や 銀行の信用制度によって支配されている。我々の信用制度は私人によって集中管理されているのだ。国の成長、ゆえに我々のあらゆる活動は少数の人物の手中にある… 我々は文明世界の中で最悪の形で統治され、最も完全にコントロールされ支配された政府の一つと成り下がった。−自由な言論による政府では最早なく、信念や多数決による政府では最早なく、単に一握りの支配的有力者の意見と圧力によって動かされる政府となったのだ」。それでは、ウィルソンは何故その法案に署名したのでしょうか?先にこの法制化の過程を目撃したハーバート・フーバー大統領は銀行のロビイスト達が連邦準備銀行法案を承認させる為に議会とウィルソンに対して行った約束の内容を記録しています。彼らが議会とウィルソン大統領に伝えた事柄は次の様なものでした。「最早我々に金融恐慌が起こる様な事は決してありません…恐慌の発生は不可能なのです…実業家達は自らの財産を危険に晒さらす必要が最早なく今や安心して事業に邁進する事が出来…実業家はもう恐慌や不況に怯えて暮らす事なく自らの運命を定め得る…将来的に恐慌が起こる事は考えられない…アメリカ国民に再び恐慌が吹き荒れる様な事は決してありません」。1913年以来、富と力の寡頭政治が合衆国とその国民、その経済、そしてその制度を支配して来ましたが、彼らはこの連邦準備理事会を含む民間の銀行組織を通じてその様に支配して来たのです。恐慌は繰り返されました。今日、我々はその一つに直面しているのです。もちろん、全ての人が例外なく常にこの寡頭政治に同調していた訳ではありません。その例外となる最も著名な人物はフランクリン・ルーズベルト大統領で、概ねニューヨークのウォール・ストリートを中心に活動していた寡頭政治の支配者達は彼を自らの階級の裏切者であると呼んでいたのです。

ルーズベルトは大恐慌最中の1932年に大統領に選出されました。連邦準備理事会と協働していたイングランド銀行は狂騒の20年代に投資バブルを創り出した上で、突如、利子率を上げてニューヨーク株式市場に投機されていた貨幣量を縮小させ、恐慌をもたらしたのです。株式市場は1929年に暴落した後、連邦準備理事会が自らの金を大量に大英帝国に渡した1932年に再び暴落しました。金の十分な裏付を得られなくなった合衆国の通貨供給は1929年の恐慌から経済が回復し始めていたにも拘わらず、再び、突如として縮小したのです。これらの出来事は連邦準備制度と銀行組織が貨幣の蛇口を勝手に開け閉めするだけの途方もない力を有している事を示すものです。しかし、ルーズベルト大統領は、ニューディールの際に雇用を創出し、連邦政府の機関を使って企業や農民及び家族用住宅に低コストのクレディットを供与して国を復活させました。ルーズベルト大統領の下で連邦準備理事会は政府と協力して国家経済が再び成長して行くのに必要な十分な量の通貨を供給しましたが、1950年代までにウォール・ストリートは再びその支配を確立しようとしていました。銀行の金利は合衆国財務省が1951年にニューディール政策を転換して連邦準備制度が以前の様に独立して行動する事を認めた後に上昇し始め、世界大恐慌への糸口となったのです。1960年代にジョン・F・ケネディーは合衆国経済に対する増大する一方のウォール・ストリートの力を受け容れがたく思っていましたが、彼は1963年に暗殺されてしまったのです。クレディットを公的に支配して最も偉大な産業民主主義を築き上げたニューディールの政策は1960年代には徐々に色あせて行きました。1970年代になると、金融業者達は再び勢いを増し、一連の方策を使って経済を乗っ取り始めましたが、それらの一連の対策こそ我々が今正に直面している2008〜2009年の恐慌と言う経済的破綻に導いたのです。合衆国は金融制度のみならずアメリカの実業界の全てを統御している金融エリートによって支配されて来た国なのです。これらの金融業者達が今日の我々にもたらした経済破綻は我々が知っていたアメリカそのものを終わらせる糸口ともなりかねません。後に我々はオバマ大統領と彼の政権が提案している内容について吟味します。

アメリカの労働者を支援する為の対策が幾つかありますが、それ以上の事が行われなければなりません。最も重要なのは貨幣制度を巡る 支配権 を金融寡頭制から永久に奪い返す事です。この支配権は直ちに我らの政府の代表に引き渡され、国民の利益の為に行使されるべきものなのです。しかし、先ずはこの6部構成のビデオの次の部で過去40年の経済史を概観して経済的破綻が如何にして齎されたのかを見る事と致しましょう。御視聴ありがとうございました。

全6部構成の第3部

「金融制度の崩壊」

我々が今目撃している崩壊は金融制度の中で始ったもので、生産経済に於いてではありません。この危機は連邦準備理事会が金利を下げて住宅バブルを作り出し、次いで金利を上げてそれを終わらせたことから始ったのです。2008年の銀行破綻はヨーロッパの銀行が「毒入り」米国債の購入を拒否した事が引き金となって起こりました。現在、株価の落ち込みと共に我国の経済が抱える負債は更に増大しています。それ故、銀行が貸付を再開したからと言って問題が解決される事はないでしょうし、オバマ政権の経済刺激策も同様に健全な経済を取り戻すには不十分なのです。

私の名はリチャード・C・クックと言います。これは私の新しい著作で書名は「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」です。公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けてと題する6部構成のビデオの第3部へようこそ。この第3部の表題は:金融制度の崩壊です。第1部と第2部では合衆国が如何にして金融エリート達と彼らが私的に所有し国民と政府に負債を負わせることによって通貨を流通させている銀行システムに支配される国となったのかについてみてきました。そして、銀行システムが他の国々の銀行システムと連動している為にその影響力が国際的である事も述べました。グローバル化とは、良きにつけ悪しきにつけ、我々が経済的に全て連動している事を意味しているのです。中国がアメリカの債権者になって米国債を買い続ける気になるのもそのためですし、彼らはその投資がなければ我々が彼らの製品を買う事は不可能である事を知っているのです。しかし、益々不安定化する世界にあってこのシステムは全体として国際銀行家を経済的にも政治的にも最も強力な勢力にしているのです。ここで、我々が2009年の現在に直面している危機を手早く見てみましょう。その前に我々は現代の国家が、実際上、二つの経済を有していることを理解しておく必要があります。その一つ は男性も女性も毎日出勤して我々が日常生活で使用する財貨やサービスを創り、我々に仕事を与え、また、我々や家族に必要なものを購入する為の所得を与えてくれる生産経済です。この生産経済は課税を通じて共通の必要に資し、不測の事態に備え、あるいはよりよい働き方に投資する為の余剰所得をも生じるものでなければなりません。生産経済にはわが国に 輸出される財貨やサービスを生産している他の国々の農場や工場も含まれます。もちろん、他の国々の農場や工場で働く人々の賃金は合衆国で同様な物づくりをしている人々よりしばしば少ないものとなっています。この不況に際して生じた如何なる事も我々に必要なものを供給する世界の生産経済の能力を何ら低下させたりしていないと言う事実に着目して下さい。事実、生産経済の効率性や生産性は技術革新やテクノロジーにより常に成長し続けているのです。実のところ、経済危機が始まったのはFIREと呼ばれる第2の経済に於いてなのです。FIREとは金融 (Finance)、保険 (Insurance)、そして不動産 (REal estate)を指し、銀行取引、信用供与、投資、資本形成、貸付など、貸したり借りたりで生産経済をグルグル巻きにしている経済、所謂「流動性」即ち、生産経済を潤滑に機能させる運転資金を与えなければならないとされている経済です。しかし、近年、合衆国に於けるFIRE経済は生産経済よりも遥かに早いスピードで成長しました。これが問題の根本なのです。FIRE経済の不均衡な成長はインフレや過剰な諸経費、暴利や腐敗を意味しているからです。

また、それは通貨制度の基盤を形成している負債のピラミッドが最終的に崩壊する事を意味します。このFIRE経済の立役者は主に金利の操作によってそれを動かしている連邦準備理事会です。生産経済とFIRE経済の両方に流入する貨幣が全て究極的には銀行の利子を付した貸付けによるものである事から利子率はきわめて重要な問題になります。しかし銀行による貸付は容易に悪用されます。そして利子が複利の場合は、負債は飛躍的に膨れ上がり、生活の為に働いている誰にとっても更なる負担となるのです。例えば、商品市場の購入契約で業者達の使っているお金の97%までが彼ら自身のものではなく、銀行から借り入れた資金なのです。株式の信用買いも同じカラクリで行われており、投資家が自ら拠出するのは小額のお金で、残りは全て借入で賄っているのです。株式ファンドが企業を丸ごと買収する際にも銀行のローンが使われています。これらの全てが投資家にとって非常に危険なものであるのは明らかですが、銀行にとっては、彼らの貸し出す金は部分準備制度により預金を何倍にも膨らませる特権によって無から創り出されている為にそれほど危険なものとはなりません。借り手が破産した場合に銀行は彼らの資産を、勿論もし資産があればの話ですが、差し押さえる事が出来るのです。 今日、合衆国内の経済危機は行過ぎたFIRE経済によって始りました。具体的にはあの世界大恐慌以来の最悪な経済危機を誘発した住宅バブルの崩壊がそれです。多くの人達が警鐘を鳴らしていたこの住宅バブルは2000〜2001年のドットコムバブルと呼ばれたあのバブル崩壊の後に連邦準備制度がアラン・グリーンスパンの下で決定した事柄の結果でした。 ジョージ・W・ブッシュがアル・ゴアを押しのけて大統領になったと最高裁が判定した当時の2000年12月、株式市場は大暴落しました。僅か1年の間に8兆ドルもの投資資金が露と消えたのです。2001年の3月ブッシュ大統領は大型減税案の通過を議会に求めましたが、それは主に最も裕福な納税者を対象としたものでした。2001年の終わり頃には合衆国政府はアフガニスタンに侵攻して9.11のテロ攻撃の報復を行っており、イラクへの侵攻も計画していた為に経済が新たに牽引される兆しはなく、連邦準備理事会はそれでも何とか景気を回復する為に金利を今後の2年間に500ベーシスポイント、即ち、5%もの大幅な引き下げを行うとの決定を下したのでした。この連邦準備理事会が金融寡頭制の道具である事を忘れないようにして下さい。それら金利の引き下げは、しかし、工業生産の進展に資するものとはなりませんでした。それどころか、金融業界は住宅担保ローンの申込書を書ける全ての消費者に貸付けを行ったのです。その結果、住宅インフレの暴走により住宅価格が急騰したのですが、連邦政府の規制機関はそれに対して何ら対処する事なく住宅バブルは膨れ上がりました。巨額の住宅担保ローンによる現金が経済につぎ込まれましたが、それらの現金は何も無いところから創り出されたものなのです。そして、今や、銀行は連邦準備理事会のお墨付きを得て前代未聞の挙に出ました。この益々不良化する不安定な抵当権付き住宅ローンを各種不動産担保証券の束に組み入れてパッケージ化したのです。そして次にウォール・ストリートはそれらの新製品を米国と世界の投資家に販売したのです。後にそれらの証券類が有毒なローンであるとして暴露された事は我々の既に何度も聞き及んでいるところです。一方、世界大恐慌の最中に経済的危険負担を緩和する為に制定されたグラス・スティーガル法を廃止するよう銀行家達がビル・クリントン大統領を説得した際にウォール・ストリートと銀行による他の種類の投機的貸し出しの水門が1999年に開かれました。

このグラス・スティーガル法は商業銀行と投資銀行の業務の越境を禁止していたのですが、今や、以前は不法行為であったリスクの最も高い貸付業務を最大の商業銀行が行う事が出来る様になったのです。かくして住宅バブルのみならず、商業用不動産、株式ファンドやヘッジファンド、商品及び金融派生商品として知られる金融商品等の金融バブルが追加される様相を呈し始めました。金融派生商品(デリバティブ)と言うのは原資産から価値を得る(価値が派生する)当業者間の取引であり、それらの原資産の例としては株式、社債、商品、通貨等があり、保険証券もその中に含まれます。実際、多くの金融機関が合計数兆億ドルにも及ぶ自らの最大投資資金を基にデリバティブを取り引きしているのです。政府はもう一つ重大な決定をしています。それは証券取引委員会がこれらのデリバティブを規制しないと言うものです。実際、規制が行われた試しは全くありません。どの様なバブルにも共通している事があります。それは巨大な額の金が、究極的には銀行の貸付を源泉とするものですが、財貨やサービスの生産者が実際に行っている仕事とは全く関係なく経済に投入されると言う事です。それ故、当然の事ながら、インフレが結果として引き起こされたのです。住宅価格は先に示唆したように、事実上、一夜にして高騰したのです。連邦準備理事会と政府による家族用住宅に対するこの価値なきインフレはこの国の勤労庶民に対する 犯罪 なのです。人々は頭金なし、金利支払のみ、利率変動型抵当等の非標準型の借入証書を使って住宅を購入しました。ガソリンの値段もこのインフレ環境の中にあって高騰し、株価も企業の負債資本比率が非常に高かったにも拘わらず膨れ上がり、ダウ式平均株価はつい2007年の10月に14,100ポイントを超えました。これもやはりバブルなのです。住宅その他の資産を引き渡す際に売主が手にする資本利得はこの過去20〜30年に労働者の間で起こっていた仕事の海外委託や給与・賃金の伸び悩みに起因するアメリカ人の所得の減少を埋め合わせるものになりました。この仕事の海外委託は1970年代の初めに遡る一連の政策や決定の結果でした。仕事の海外委託と給与・賃金の伸び悩みは金融業者の暗躍による利益がグラフの上を舞い上がるに連れて消費者の購買力と預金額が同時に減退した事実から分かるように給与実所得の急激かつ長期的な減少をもたらすものとなりました。自らの仕事で十分な生活費を稼ぐ事が最早出来なくなった消費者は自分の家を事実上の現金自動預け払い機の様に扱う事で投機的カーニバルに加わろうとしたのです。ローンブローカーが1年おきに住宅ローン契約を書き直すのは珍しい事ではありませんでした。ブローカーは手数料を受け取り、住宅所有者は住宅の前の価格と新しい価格の差額の増分を小切手で受け取っていたのです。住宅価格が急落し始めるや住宅所有者は最大の敗者となり、以前に高成長していたフロリダ、テキサス、ネバダ及びカリフォルニアでは特にそれが顕著となりました。

これらのバブルは連邦準備理事会が2003〜2006年に以前の政策を覆し金利を引き上げた事によってはじまりました。このシナリオから、建国初期の我が国の大統領が銀行組織に貨幣制度をコントロールさせるような事をすればどうなってしまうかについて警告を発していたように、連邦準備理事会が如何に与え、そして奪うようになったのかを見て取る事が出来ます。住宅価格は需要、投機、そして毎月の住宅ローンの返済額を魅力的にさせたであろう金利の突如とした大幅な切り下げ等の要因によって上昇しました。しかし、今や、何百万もの住宅の市場価格が帳簿価格を下回る状況、つまり、住宅を購入した人々の負債額よりも安くなってしまったのです。その間、銀行は人々が借金を返済し得なくなったのを見て信用引き締めを行い、債務不履行の住宅購入者が余りにも多かった為にクレジットカード等の貸付金に係る金利を引き上げて埋め合わせたのです。リーマンブラザーズやメリルリンチ等の巨大な金融機関が破産したり競争相手に買収されたりする羽目となりました。今や何百万もの人々が職や家、そして健康保険を失っています。1ヶ月当たり50万もの職が−2009年の2月には60万でしたが− 無くなっているのです。失業手当を受け取っている人々だけでなく職探しを諦めた人やパートタイムの職しかないいわゆる「失意の人々」も含めると今後の数ヶ月間で実質失業率は20%を超える可能性があります。そして政府の税収入も落ち込み、中央及び地方の政府が公務員の給与や業務を削減するに連れて失業者は更に増えて行きます。失業率は世界大恐慌の際のレベルに接近し始めているのです。

知っての通り、合衆国の財務省と連邦準備理事会は、緊急対策を通じて、FIRE経済を救済しようとしています。ブッシュ政権の不良債権救済プログラムを通じて何千億ドルものお金が銀行に流れ込みましたが、バラク・オバマ大統領の新たな財務長官であるティモシー・ガイトナー財務長官はその額に更に追加しています。これらの緊急援助は外国の投資家、主にヨーロッパの投資家が合衆国の当局者に対し最早我が国のリスクの大きい証券を購入する事はしないと述べた事が発端となって行われたものでした。2008年10月の金融崩壊もその事が引き金となって起こったのです。これまでの所、緊急援助資金は大銀行が破産寸前の弱い銀行を買い上げて自らの支配を固める為に使われて来ましたが、彼らは未だ企業や消費者に対し停止状態の貸付けを再開するに至っておりません。それらの銀行は救済資金をその額も未だに不明な不良資産による彼らの損失を埋め合わせるためにため込んでもいるのです。しかし経済の中での銀行組織による新たな貸付けや借金の流れの再開がこの経済危機に対する答えと言う訳ではありません。国全体が抱えている負債の重荷、即ち我々個人や家計、企業、そして政府等の全ての層が金融機関に対して抱えている借金の額はおよそ53兆ドルにも達しており、しかも毎年3兆ドルが更に追加され続けているのです。その借金の利子は、国内総生産が年間14〜15兆ドルである我々の経済規模に対して、毎年2〜3兆ドルにも及んでいます。住宅価格と株価の低落により非常に膨大な富が消え去ったせいでこの負債の重荷はこの過去2年の間に極めて過酷なものとなりました。オバマ政権がこれらの状況に対処するべく新たに打ち出した7,870億ドルの経済回復プログラムは合衆国の歴史に類を見ない最大の支出法案です。しかし、それは雇用の創出と言う面が不透明であり、インフラの整備に対する資金も貧弱なものとなっています。

陣頭指揮で実現しようとしているのは10〜20万ほどの連邦政府の仕事で、全体的な目標としては2010年までに350万の雇用を創出するとの事です。しかし、それで十分なのでしょうか? 現行法が許している範囲では政府が経済の抱えている負債を除去する事は殆ど出来ず、再び経済成長を促す事によって借金の清算が可能となるであろうと希望する以外にないのです。しかし、その様な望みが実現する見通しはありません。借金の額は余りにも大き過ぎ、例え消費者が極めて僅かなものしか購入せず、以前よりも遥かに多くの割合所得を貯蓄に回したとしても、到底、逃れ得るものではありません。それに、消費者がその様に行動すれば、消費が落ち込んで雇用が更に失われ、外国からの輸入も少なくなります。この様に、それは米国と米国の輸入で生産経済を支えている他の国々の経済が急速に悪化して行く事を意味するのです。この景気の下降は何時まで続くのでしょう? それは誰にも分かりません。オバマ政権が望んでいるのは議会を通過したこの法案に含まれている経済回復対策によって我々が破滅的状況に陥る事なく2009年を無事に切り抜けるであろうと言う事なのです。もし政府がこの国の通貨制度をコントロールする方向で動けばどんな形の深い構造的な変革が起きるかという問題に関しては未だ着手されておらず、議論すらも行われていません。それを起こす為の方法は人々、即ち、我々がそれを声高に、明確に、かつ一体となって要求すること以外にないでしょう。真の通貨改革は政府が銀行を抱えている不良債権から救ってやるために単に銀行組織の株式を買い取るなどと言う事に留まるものなどではありません。真の通貨改革を行えば銀行が主導する負債に基づく通貨制度を完全に排除する事になり、金融業者達と彼らを政治的に支える者達の激しい抵抗を受ける事になるでしょう。しかし、この改革はいずれにせよ行われなければならず、今直ぐに為されるべきものなのです。後ほど私は如何にしてこのような通貨改革を行うのかについて説明します。さもないと、例え政府が経済で遥かに大きな役割を演じ始めたとしても、銀行が貨幣を創出する通貨制度は以前のままです。金融エリート達は依然として支配し続けるでしょう。しかし我々はこれまで概観してきたところから、民間の金融業者達が通過の供給を担当しているかぎり、全てのアメリカ人の経済生活が圧迫され、遂にはこの国の生活水準が急激に下落するに違いないことが分かるのです。それはこの国の津々浦々で既に起こっている事です。そしてそれは米国の消費者が他の国の製品を買う能力も崩壊しつつあるが故に、世界中で起こっている事でもあるのです。危機を感じている人々の間に広がっている絶望感は日増しに高まっており、極めて深刻なものとなるでしょう。残念な事に、オバマ政権は経済難に遭遇したアメリカ国民の痛手を和らげようとしていながら、権力の座にあって未だ金融寡頭制に挑もうとはしておりません。金融寡頭制のエリートは経済回復を欲していると言ってはいるが、それは勤労者を利するような経済回復ではありません。彼らが欲しているのは銀行と企業の利益を蘇らせる事なのです。しかし、我々は、経済の下降と共に起こったどの様な事も世界の潜在生産力を減少させてはいないと言う事を忘れてはなりません。生産経済は、それが負債を背負わされ、我が国の最善の職業と産業が次々に海外に出て行くせいで弱体化されていなければ、以前と同様に力があるのです。

我々の人民は同じように知性があり、同じように働き創造する事が出来るのであって、アメリカを裏切ったのはこの金融制度なのです。

トマス・ジェファーソン等、過去のリーダー達が我々に警告していたインフレとデフレが周期的に繰り返される事で機能する銀行中心の金融システムが崩壊したのはもともとそういう仕組みになっていたからです。なぜなら、今起こっている事の全てはジェファーソンや他の人々が「我らの父が獲得した大陸でホームレスになって目覚める」と述べた事からも分かるように、予見されていたことだからです。金融制度故にそれは起こっているのです。そうでないと言う人達と話す際には次の三つの単純な質問をすれば、彼らの知識と誠実さの欠如が直ちに明らかとなるでしょう。1.地球上で最も生産的な経済が何故にかくも深刻な不況に陥り、かくも多くの仕事が失われているのでしょうか? 2.何故に、その様な経済が530兆ドルもの負債を抱えているのでしょうか? 3.何故我々は自国の政府に仕事をさせるために中国からお金を借りなければならないのでしょうか?… しかし、どうしたら今の混沌状態を潜り抜けることができるのかを理解するためには、クレジット(信用)というものの本質を見極める必要があります。それについてはこのビデオの次の部でお話したいと思います。

御視聴ありがとうございました。

全6部構成の第4部

「クレジットとは何か、誰がそれをコントロールすべきか?」

部分準備制度とは銀行が何もない所からクレジットを創りだすプロセスの事です。この制度は悪用されるのですが、クレジットは依然として近代経済学の決定的に重要な部分を構成しています。統治についての開明的な考え方からすればクレジットは一つの公益事業とみなされることでしょう。これは政府が民間の金融業者からクレジットをコントロールする権限を取り戻すべきだということを意味します。

私の名はリチャード・C・クックと言います。これは私の新しい著作で書名は「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」です。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けてと題する6部構成のビデオへ再びようこそ。この第4部の表題は:クレジットと何か、誰がそれをコントロールすべきか?です。

クレジットは経済の中心的な概念の一つです。我々が問おうとしている問いはそれをコントロールする主体は誰であるべきかと言う事です。それは民間の銀行組織でしょうか、国民を代表する政府であるべきでしょうか、はたまた、それらを何らかの形で組み合わせたものなのでしょうか? これらの問いは国際的なレベルで発せられる問いでもあり、我々はそれについても検討することにしましょう。

しかし、先ずは部分準備制度(fractional reserve banking)について詳細に見てみる事と致しましょう。部分準備制度とは銀行が採用している方式で、ジョン・メイナード・ケインズの言葉を借りると「無からお金を創り出す」事、つまり彼らが実際には持ってもいないお金を貸し出す事を意味します。このやり方はヨーロッパの金商人が自分の金庫室に金を預託した顧客に受領書を渡していた中世にまで遡る事が出来ます。後にそれらの金商人達は自らの金庫室に保管していた実際の金の価値に加えて紙製の証明書を様々な借り手に貸し出す様になりました。金商人達は金の受領書や証明書を手にした者達全員が一斉に自分らの金庫にやって来て金を引き出す事はないと想定したのです。経済的な観点から見ると重要なのは流通している証明書類の額面価額が実際の金よりも大きいと言う事でした。 この怪しげなやりかたは胡散臭いものでした。しかし、交易量は結果的に増加する事となり、我々はそれがどの様にして通商活動を利する事になったかを見る事になります。そして、また、このシステムはこの事実上の紙幣である証明書を保有している者にその価値をある程度保証する事にもなっていました。この様なやりかたで創り上げられたクレジットは文学の中では詐欺の一種であるとして適切に表現されています。事実、金貸しは、当時、不浄な職業であるとされていたのです。高利貸し、つまり貸したお金で利子を得る事はカトリック教会によって不法行為とされていたのです。しかしクレジットは、それが全然金に裏づけられていなかった場合でも、その目的を達成していました。それは、ヨーロッパ暗黒時代の後に商業が再び成長し始めた際に開発された近代的な金融や会計のやり方として生まれ、商人や製造業者及び政府の間で使われていた紙製のクレジット証書もその例です。このクレジットは実際の商品の動きを反映している商業取引に結びつけて貨幣を発行すべきとする「真手形ドクトリン」によってコントロールされていました。だがそれでも、それはクレジットです。つまりそれは後日何か価値のあるもので支払うという約束に基づいていて、金属製の硬貨の内在的な価値に基づくものではないからです。中世の人々がクレジットに見出したのは人間の活動を呼び起こす、財貨やサービスを創造する意欲を誘発する途方もない力でした。もちろん、実際の金や銀もその様な効果を与え得るのであって、そうであればこそ、かつてスペインが中南米の植民地からヨーロッパに持ち帰った貴金属が経済を刺激し、それがルネッサンスを引き起こす要因となったのです。しかし、貯蓄や当座預金として銀行の口座に蓄えられたクレジットなど、金や銀の裏付がないクレジットもそれと同じ効果を与える事が出来ます。

要は信用、つまりクレジットが本当に価値を有し、後に価値ある何かで支払われるのを信じる事なのです。実際、近代の最大の発見の一つはクレジットが際限なく拡大されうるということであり、これは、クレジットが容易に悪用されうることを示してもいるので人々を当惑させるのです。このクレジットの悪用は重大な結果を招来します。借手にとって、債務不履行のために債権者の手中に陥ることは

大変な不幸であり、かつては、場合によってはそのために牢獄に入れられたり奴隷にされたりする事もあったのです。一方、貸手による詐欺や不正も刑事罰に繋がり、それは今日そうであるのと同じです。事実、それらの金商人の誰かが金預かり証に記載された金を引き渡す事が出来なければ、彼の住む町で死罪となる事さえあったのです。それ故、クレジットを安易に創造できることは、現在、銀行あるいは国の中央銀行がクレジットの無責任な使い方をして国の経済を破壊している事から窺えるように、重大な危険を伴うものなのです。それでも、クレジットを潜在的に際限なく拡大できるという経済上の発見は宇宙のエネルギーが実際上無限であると言う科学の発見に匹敵するものです。この二つの発見の何れも宇宙にあるのは欠乏や限界ではなくて豊富さであることを指し示しているのです。景気の良い時にも悪い時にもこの事実を覚えていることが肝心です。 クレジットが可能にするエネルギーが責任を持って人間の諸目的に使われれば、その結果、生産性は驚異的に増大します。クレジットは自然の驚くべき力、ガソリンや電気よりも強力な、原子力さえも凌ぐ力を解き放つ鍵の一つなのです。それは、人類の生産的活動が明らかにしているように、人類の努力と創造性の力なのです。それ故にこそクレジットの支配と規制を巡る闘争、銀行家や政府そして民衆との間の闘いが歴史を通じて繰り広げられて来た訳です。しかし、今日、クレジットでコントロールできるテクノロジーの力故に、その重要性はかつてないほど著しく高まりました。銀行はその力を認識しています。商人や産業人もそれを認識しています。働く人々や家族達もそれを知っています。ベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーンそしてフランクリン・ルーズベルト等の政治家達も確かに理解していました。更に、独立宣言や合衆国憲法に見られるような開明的な統治理論から、クレジットが清浄な空気や水あるいは電気等と同じように不可欠なものである以上、クレジットは公益事業として管理できるし、またそのように管理されるべきであるという見解を容易に引き出すことができます。クレジットは自然の力に似たもので、誰もがそれを利用できるべきコモンズの一部なのです。そして、他の公益事業と同様にその管理を民間の事業体に認可制で行わせる事も公共の機関が行う事も出来ます。私が自らの著作の中で発案した公益事業としてのクレジットと言う概念は現在の経済危機を解消する為の鍵となるものです。

既に見て来たように合衆国憲法第1条は議会に貨幣を創り、税金を徴収し、合衆国の信用を基に借り入れを行う権限を与えております。更に、クレジットを提供する合衆国のどの様な銀行も連邦政府か州政府の認可によってのみそれが出来るのです。

また、クレジットを商業で使用することに関連した諸慣行は、契約法に基づいて裁判所で執行されうる強制力をもっています。この様に、合衆国の法律はクレジットが最も基本的なレベルで公益事業である事を暗に示しており、自由な市民たちが形成する立憲政体である共和主義政府の本性を反映するものとなっているのです。

不幸な事に、我々が既に見たように、議会は1863年と1864年の国立銀行法、1913年の連邦準備銀行法、更に近年の行為を通じてクレジットを金融業者に引渡す事によってそれをあらかた民営化してしまったのです。その一例が2009年に連邦準備理事会が全くの無からお金を創り出し、貸し出しをしなくなった銀行に融資の再開を促すとして銀行にそれを配分したことです。連邦準備理事会は負債を基にした通貨制度を下支えする為にはどんな事でもしでかすつもりなのです。米国債(財務省証券)を準備金のベースにするという建前も、銀行の資産としての政府の負債が今や限界を超えてしまったので放棄されています。議会は、従来と同様、消極的に傍観するのみです。クレジットの完全な民営化を許した事により議会はアメリカの統治の礎である「我ら人民」の国家を荒廃させたのです。議会は銀行に彼らの常套手段であるインフレとデフレのサイクルから利益を得させる為にはどんな事でもするでしょう。しかし、これは、また、クレジットの力を再規制できるし、さらにはそれを銀行から取り上げて人民を代表する政府に管理させることもできることを意味するものでもあります。これは現行の憲法に基づいて行う事が出来るのであって憲法を改訂する必要すらないのです。さて、ここで国際金融に付いてお話しましょう。今日、西ヨーロッパの国々では世界の金融システムの全体をこれまで以上に国際管理下に置こうとする動きがあります。国際的には、国家間のクレジットは主に他の国々の政府に貸付けを行う米国の銀行や西欧のその他の銀行の擬似政府機関である国際通貨基金、IMFによって管理されて来ました。丁度、米国内の銀行がドル建てのクレジットを創り出すのと同じ様に

IMFは彼らのいわゆる特別引出権・SDRによってクレジットを創り出しているのです。SDRは1970年代に世界で金本位制が廃止された後に生まれました。SDRの価値は4大通貨、即ち、米国のドル、ヨーロッパのユーロ、日本の円、英国のポンドを基準に定められます。米国内で金融業者が事実上の税金ないしクレジットを独占している銀行に支払う使用料である利子の支払いを条件に一般の人々や企業および政府にクレジットの利用を認めているのと同様、IMFも自らの貸付金を受け取る主としていわゆる開発途上国から利子を徴収しているのです。この利子の料金はIMFを介して動いている銀行に支払われておりますが、これ即ちIMFからお金を借り入れた国々は自らの輸出で稼いだお金からその利子を支払っていると言う事なのです。しかも、IMFからお金を借り入れた国々は自らの経済をグローバルな資本主義に開放する事を求められ、自国民の利益に反する様々な譲歩を余儀なくされるのです。

近年、充分な経済成長を経験している開発途上国の間で最早IMFに頼るまいとする動向が出てきていました。しかし、現在の危機が世界的な規模に拡大するに連れ、この経済的成長は逆転しつつあります。IMFと銀行は、再び、世界の国々の最後の貸手になるように動き始め、それらの国々に食料品の助成等のような緊急措置によって消費者を援助する事のないよう警告しています。地球温暖化が多くの国々で厳しい乾燥化をもたらし、食料不足を招いているのにも拘わらず、この様な要求を課しているのです。今日、IMFは発展途上国の経済的主権さえも弱めようと動いています。

弱小資産と返済能力を超える過剰貸出しによって銀行制度が崩壊したアイスランドで起こっている事もまさにこれであり、それは東ヨーロッパの国々でも起こっています。最近、EUの国々では世界の金融システムをIMFに主導させよとの声が上がって来ていますが、その様な事になれば米国さえもIMFによってある程度支配されかねません。このIMFの事例は銀行制度が世界経済に及ぼす異常な力を示しています。しかし、世界の至る所で銀行家達がお金の使用料として絶えず自分達のポケットに人類の富を流れ込ませることができるのは、クレジットを利子付きの貸付金として発行すると言う、まさにその行為によってなのです。国際的に見れば、例えその国が豊富な資源と自らの国民経済を支えるのに必要なものを生産する十分な能力のある教育された有能な人々を擁している国であっても、このやり方でその国をまるごと支配し、荒廃させてしまう事が出来るのです。金融システムはクレジットの支配を通じて金持ちを更に金持ちに、貧しいものを更に貧しくして来たのであり、そして今や世界のどこでも中産階級は存在を脅かされています。人々が資産を運用したりお金を稼いだりするたびに金融業者達は利子や各種料金を課したり金融バブルの発生と崩壊を惹き起こしたり、あるいは債務不履行や抵当流れに追いやられた人々や企業の資産を乗っ取る事によって彼らの課す隠れた金融税を徴収しているのです。

今日、我々は世界のクレジット制度が破綻する様を目の当たりにしています。多くの人々と同じく情報機関もクレジット制度の崩壊に由る社会不安が世界的な法と秩序の破綻に繋がるのではと懼れています。暴動が世界中で発生し、米国でも同じ事が起こると警告されています。しかしそんな事態は必然的ではないのです。アメリカ政府は自らの国民を収監する事となるような措置をとる準備などせず、その代わりに金融業者達からクレジットの支配を取り戻して人民の利益の為に管理するべきなのです。これを社会主義と呼ぶ人もいるでしょう。しかし、私はベンジャミン・フランクリンやトマス・ジェファーソンあるいはエイブラハム・リンカーンを社会主義者とは呼びません。私は彼らが信じたシステムを立憲政府と呼びます。今日議会は貨幣とクレジットのシステムを金融業者ではなく我々を代表する政府に管理させる法律を容易に成立させる事が出来ます。これは他の国々でも同様です。お金とクレジットを公的にコントロールして管理する体系的な方策についてはこのビデオの後の方で取り上げます。しかし、先ずはその地固めとして、我々は近代産業経済の特性、そしてその金融制度が特定の構造的特徴をいかにうまく利用して利益を得ているのかについて、さらに理解を深める必要があります。そうする事によって、我々は憲法に即し、クレジットを現実を反映した公益事業として扱い、自国とその経済のために効果的な通貨とクレジットのシステムを提供するような通貨とクレジットのシステムを論じることが可能になるでしょう。御視聴ありがとうございました。

全6部構成の第5部

「物価と所得のギャップ」

近代経済学の最も重要な概念は物価と購買力の間にあるギャップです。このギャップが生じるのは価格の一部を貯蓄としてとって置くことを強制され、そして金融システムがそれを投機に使うからなのです。ケインズ経済学は政府の赤字財政支出を通じてこのような貯蓄の一部に使い道を見つけますが、それも所詮は金融業者の経済支配を許す妥協なのです。より好ましいシステムは生産経済の高い価格水準に対処する一つの通貨政策として消費者に国民配当を支給することでしょう。

私の名はリチャード・C・クックと言い、この「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」と題する本の著者です。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けてと題する6部構成のビデオへ再びようこそ。

この第5部では銀行が産業時代にこれ程の影響力を獲得するに至った背景について探る事となります。第5部の表題は:物価と所得のギャップです。

我々はテクノロジーが世界を変貌させた産業化の時代に生きています。蒸気動力、電気の利用、内燃機関、核エネルギー、電子通信、そして情報技術等の力は人間精神によって社会的資産に変えられたのです。生産手段の私有という西欧の慣習により、技術革新がもたらす利益は、長い間、労働者や従業員よりも生産手段の所有者に帰せられがちでした。しかし労働者も所有者も通貨の供給を統御している金融業者の下で動いているのです。もちろん、時折、税制・労働組合・社会福祉・規制・協同組合等の制度や様々な度合の公有化や国有化も、時に選挙戦や革命を通じて、実施されて来てはいます。それによって、一般の人々は単なる消費者としてではなく産業化時代の恩恵を少なくともある程度共有できるようにはされて来ました。しかし、好ましからざる一つの傾向が未だ解決されていません。それは何かと言うと、更に多くの製品を生産するに要する労働者の数が益々少なくなっていると言う事です。中には米国経済に必要な現在の労働者の数が次の2〜30年間で半減するであろうとする人達もいます。戦争に於いてさえもロボットが兵隊に替わり始めているのです。我々の収入が雇用に依存している為に工業生産がより効率的になればなるほど労働者が生計を立てることが益々困難になると言う事実について経済理論は極めてお粗末に対応して来ました。 労働者への需要が減少するに連れて購買力は不十分になり経済システムの中で生産可能な全てのものを買うことができなくなります。自国の製品を購入する顧客を外国に求めがちになるのもその結果の一つであり、その為、一つの国は他の全ての国々の競合者となって戦争を引き起こす事になります。グローバルな資本主義と自由貿易は貿易障壁を撤去していますが、それにより労働賃金や資源がより安価な国々に仕事が流出することで自らの国民に安定した生活を提供し得ないでいる国民経済は、それによりさらに圧迫されます。それ故、この産業の時代の間に豊かな国々を含む全ての国の人々は遅かれ早かれ「豊かさの中での貧困」と表現される状況に追い遣られる事となります。

これは世界大恐慌の際に起こりました。以来、経済不況の度に繰り返されており、この2008年〜2009年の不況が悪化する中でもそれは起こっているのです。これは

民間の銀行組織が通貨の供給をコントロールする事によって創り出すバブルとその崩壊が如何に有害な結果を引き起こすかに関するもう一つの警鐘なのです。

たとえある国々、特に西欧のある国々が労働者の不十分な所得による衝撃を和らげようとして福祉制度を設けてはいても全ての国々の経済が同時に衰退する事になれば、既存の枠組みで解決する事など全く不可能なのです。経済学者や政治家達は声高に雇用の創出を求め、「もっと仕事を」などと言っていますが、既に生産されている物の消費に要する十分な所得を与えない経済が何故更なる労働者を必要とするでしょう?我々は謎の中に居ます。現代の科学と技術が平和と繁栄と幸福をもたらしていないのは何故なのでしょう?技術の変化は職場での変化に繋がりますが、変化に首尾よく適応している人は誰もいないようですが、変化への適応は企業や社会の能力を超えるようなものであってはなりません。であるとすれば、労働者に経済活動の成果をもっと多く分配して経済的不正の状況を是正すればよいのでしょうか、或いはそれよりも深い何かが作用しているのでしょうか?というのも真に必要であるように見えるものは、経済が生産できるものを買い取る購買力の増大だからです。そうでなければ我々はたんにより少なく生産してより少なく買うべきなのです。我々が今確実に分かっている事の一つは古典派経済学の基本的な考え、つまり、「全ての人々の最大利益を確保する為に常に自由にして規制されざる市場を創り出している見えざる手があり、それを単にそのまま放っておきさえすれば」云々と言う考えが完全に間違っていると言う事です。未だこの事を信じている人達がいるようですが、この考えを払拭しなければ多くの人々が貧困に喘いでいる状況を取り除く為に何も出来ず、何かをする事もよくないと言う事になってしまいます。しかし、人間的な感性を多少とも持ち合わせていれば、その様な考え方に組みするなど誰にも出来ません。経済学の歴史における二人のもっとも偉大な思想家がどんな要因が「見えざる手」の理論を打ち破るのかを発見しようと努めました。彼らが発見したのは、製品やサービスにつけられる価格とそれらを買うために経済の中で得られる所得との間に存在する恒常的なギャップでした。この思想家の一人は英国の経済学者であったジョン・メイナード・ケインズ(1883〜1946)で、彼は20世紀の最も著名な人物の一人にして『雇用・利子および貨幣の一般理論』の著者であり、ケインズ派経済学の父と今でも言われている人物です。もう一人は1930年に『経済的民主主義』と言う本を出版した後、その余生を彼の謂う「国民配当」についての考え方を普及させるのに費やした英国のエンジニア、クリフォード・ヒュー・ダグラス(1879〜1952)です。ダグラスは世界の至る所で彼の母国よりも遥かによく知られており、彼の考えは大英帝国と英連邦諸国で依然存在している社会信用論運動の礎となったものです。世界大恐慌は株式市場が崩壊した1929年に起こりました。しかしあの繁栄の20年代に於けるバブル経済によってa) 製品やサービスにつけられている価格とb) それらを買うはずの公衆の所得との間に生じているギャップが見えなくなっていました。

恐慌の後、工場は閉鎖され始め、人々にものを購入するお金がなかった為に農民達は家畜を殺したり、牛乳を放牧地に垂れ流したりしていたのです。工場がその扉を閉ざしている時にさえ男達には仕事をする意志も能力もあったのですが、システムを機能させる為に必要なお金が流通していなかったのです。この物価と所得のギャップの原因の一つは、ケインズとダグラス両者共に既にそれを特定していました。企業は将来の投資に備えて貯蓄するために一定の金額を自らの製品の価格に上乗せしますが、これは所謂「利益剰余金」として知られています。更に、所得を配当として受け取る企業の所有者を含め、各個人も将来の為に貯蓄します。この利益剰余金も個人の貯蓄も銀行に預金され、個人的所得として直接使用されるより資産の購入や投機目的の貸出に流れ易い傾向があります。更に、ダグラスは、ケインズではありませんが、企業が銀行から借り受けたローンを返済する時、その金額も企業の製品価格に上乗せされねばならない事を指摘しています。また、更に最近では企業の収益の一部が保険会社が運営する従業員の健康保険を含む様々な種類の保険や退職基金の事業主負担金に充当されています。これも実は形を変えた貯蓄なのです。今日、もう一つのプロセスが所得の流れから資金を引き揚げています。連邦政府、州政府、地方政府の課す税金がそれで、それらの税金は多種多様なトラストファンドに投資されたり臨時会計に回されたりしているのです。これらは米国で慣習的に行われている予算外財務報告に因んでCAFR資金と呼ばれ、包括年次財務報告書の中で報告されているものです。全部で50の州が6億ドルのCAFR資金を保有していると報告されています。このように、財貨やサービスの生産から得る収益は日々の消費経済の中で循環しておりません。預金口座や投資資金を取り扱っている金融資本によるこのお金の溜め込みと乱用の傾向は、トマス・ジェファーソンが産業革命の開始時に既に見抜いていたものです。彼は1792年にジョージ・ワシントン大統領に送った書簡の中で次のように述べています:「思惑で行う紙幣の資金運用は全て不毛にして無益であり、賭博台での勝負と同様、何の価値も生まず、庶民のために生産を増やしたはずの商業と農業から資金を取り去っているのです。」ジェファーソンは天才で、彼の言うことを無視すれば危ない目に遭います。彼は使用されなかった資本が経済の生産性を増進し得た筈である事を指摘する事でケインズとダグラスを予期していたのです。もっとも当時の彼は、そのような資金を保有していた銀行の力を一般的な形で制限すること以外に改善措置を提案する事はありませんでしたが。以上に述べた諸種の理由から産業経済に於ける物価の総額は、どのような会計サイクルで計算しても、所得の総額よりも常に大きいのです。その差額は相当な額に上ると思われます。私の試算では現今の物価総額の少なくとも25%がこの範疇に入り、この数字は社会信用論に関する文献の中にも見られます。

これは物価の尺度である国内総生産(GDP)と純所得との差額です。この数字は、また、我国の大きな貿易赤字も踏まえています。このギャップが企業の所有者、経営者、管理者、労働者等の間の所得格差に因るのではない事に注意して下さい。これらの格差は関心の的かも知れませんが、物価と所得のギャップは構造的問題であり、収入や富が個人と社会階級に関わりなく同じであっても依然として存在するのです。

ケインズが提案した解決策は常に経済的保守主義者には受け入れがたいものでした。それは貯蓄を一般経済に再び使えるようにする為に政府の赤字財政支出を利用すると言うものでした。これは政府が政府の計画事業に資金を調達するべく貯蓄者らに赤字公債を発行すると言う事です。そうする代わりに、課税と言う法的手段でそれらの貯蓄を徴発すると言う方法もあります。この赤字公債と重税の両方とも経済回復を加速させる為の政府借入負債が嵩み始めた1930年代にルーズベルト政権によって行われていました。第二次世界大戦の最中に所得税は史上最高の税率となったのです。ルーズベルト政権は、また、クレジットの銀行支配を一部転換し、復興金融公社と住宅貸付公庫が連携して行った低利貸付を通じて需要を加速しました。ルーズベルトとその後任者はかなりの程度ケインズ経済学を使用して物価と所得のギャップを金融業者がコントロールするのを制限し、経済成長を促すべくそのギャップを通貨政策で埋めようとしたのです。ここでも政府は赤字公債の発行によって物価と所得のギャップを使用可能な現金に換えました。 しかし、ケインズ経済学はそれ自身の問題を創り出し、その為に完全な解決策を提供する事は遂にありませんでした。実際、ケインズ経済学は政府と経済に膨大な債務の過重負担をもたらし、今日の危機の発生を促進したのです。問題の一つは政府も個人も借入金には利子を付けて返済しなければならないと言う事でした。今日、米国政府の利子の支払額は毎年5千億ドルにも達しています。この他にも個人や企業、州政府及び地方政府は恐らく2兆ドルを支払っているでしょう。ケインズ経済学が抱える今一つの問題は、それを実践すると経済は自らの借金の一歩先を行く為に絶えず成長し続けなければならないと言う事です。これは我々がネズミの競争として知っているあのやり方と同様なシステムを意味し、全ての人々が単に遅れを取らないようにする為にのみ更により多くの物を生産し続けなければならないと言う事なのです。また、資源の消費や過剰な大量消費そして公害等も収拾がつかない状態となって費用の増加を招きます。そして増大した費用は財貨やサービス価格の上昇圧力となって物価を上げるのですが、それが遂に製品の品質を下げ始めるに及んで悪循環が始ります。恐らく、その最悪の例が遺伝子組換え種子を使った短期食糧生産コストの減少でありましょう。この様なまがいものは負債を基にした貨幣制度の副作用なのです。このように、ケインズ経済学は特に米国に於けるような成熟した、低成長の経済を急速に悪化させる下降スパイラルを引き起こすのです。今日、特に会計年度2009年の赤字幅を1兆7,500億ドルもの巨大な額に見込んだ新しいオバマ予算により、政府の支出が再び米国経済の主要な動力になろうとしています。

政府が物価と所得のギャップを埋める為に行って来た支出方法の一つは軍事費を通じて行うもので、それ故、ケインズ経済学も戦争及びドワイト・デーヴィッド・アイゼンハワー大統領が我々に警告していた恒久的な軍産複合体の創出と維持に歩調を合わせるのです。政府は価値の下がったドルで借金を返済するべく、通貨を膨張させてケインズ経済学が作り出した借金を克服しようとします。インフレは納税者を高所得層に押し上げ、また、地方レベルの不動産評価額を押し上げる事で税率を高める事にもなります。 最後に、ケインズ的システムの下では労働者の総所得が依然として不十分である為、物価と所得のギャップのうち政府が借入や徴税で満たし得なかった部分は、今日、企業だけでなく勤労者の消費の多くにも融資している銀行業界がそれを埋めているのです。2006年のGDPは13兆ドル、国民所得は9兆2千億ドルでしたので、その差は3兆8千億ドルでした。消費者が収入不足を補う為に行う銀行からの借入によりギャップの大部分が埋まりました。実際、我国の経済、世界で最も豊かであると言われている我国のこの経済は、銀行の貸し出しを頼りにかくも多くの人々が生活必需品を買えるようにしているのです。この様に結局のところ、ケインズ経済学とは、実は、銀行業界に経済を取り仕切って膨大な利益を上げ続けるのを許す為の途方もない妥協なのです。1970年頃、リチャード・ニクソン大統領は有名な言葉を吐いています。「今や、我々は全てケインズ主義者である」と。2009年の今も我々は依然としてケインズ主義者であり続けています。そして、政府と金融業者らはケインズ経済学を通じて一致協力しながら、史上空前の負債を創り出すと言う失態をしでかしたのです。ここで、C.H. ダグラス(クリフォード・ヒュー・ダグラス)が提唱した解決策を見てみましょう。彼も、また、物価と労働者所得との間のギャップを産業経済の中心的な問題であるとして明確に捉えていました。彼は利益剰余金や貯蓄が必要なもので、ギャップは不可避であると見たのですが、経済のシステムが時間の経過と共にその生産性を高めている事も観察しました。このように経済は、現行の施設や資源の価値が下落してその補償が必要であるとしても、その価値を増大させているのです。この価値が長期的に増大していると言う事実は、いずれ資産が売られ資本から利益が得られる時にはっきりしてきます。株式市場が乱高下するにしても長期的にはその価値を増大させる傾向があるのもその為なのです。ダグラスは、こうして、経済システムがその価値と活力を増大させながら成長しているのを観ました。彼は人生をエコノミストではなくエンジニアの眼を通して見たのであり、そのダグラスにとって世界は無限のエネルギーおよび人間と自然の創造性に根差した豊かさの世界でした。

それとは対照的に、殆どのエコノミストにとって世界は欠乏の世界そして貧困と消耗を免れるためにますます労働することが必要な世界と見られています。ダグラスは「配当経済学」と私が呼ぶものを創り出しました。彼は利益剰余金、貯蓄および投資は政府支出や消費者の負債の形で貨幣化さるべきではなく、利益剰余金、貯蓄金および投資金がその達成のためにとっておかれた「将来の生産性の伸び」に対する配当を社会の全構成員に現金で支給するという形で現在において貨幣化すべきであると言っているのです。

ダグラスが提唱した現金給付は二種類あり、その一つは「国民配当」と呼ばれました。二つ目は彼が「補償された価格」と称した物価補助です。この国民配当制度の下では国民の一人一人が定期的に的現金を受け取って、近代的工業技術がもたらした生産的経済の正当な分け前に与る事となり、中央委員会と調査局がこの制度を取り仕切ります。この国民配当の財源は政府の公債でもなければ税収でもありません。その財源は財務省が管理する配当会計で、財務省は銀行が貸出しを行う際にやっているのと同様な形、要するに何もない所からお金を創るのです。この制度の下で従来と異なるのは、政府が一定額のお金を国民に与えるのであり、銀行が人々にお金を貸すのではないと言う事です。その金額は経済が将来生産すると推定される富に依拠します。それは政府指導の公益事業として管理されるクレジットとなるでしょう。その結果、今より遥かに公正で安定した経済体制が生じるでしょう。この配当は個人がものを買うのに使われるでしょうから、新しい経済活動が作り出され、銀行から借り入れた消費のための資金の多くに取って代わるでしょう。ですから、それがインフレを引き起こすような事はありません。銀行の投機的行為を禁ずる法律と組み合わせれば、国民配当は、企業の日々の運営ならびに事業の革新や拡張に資する運転資金と流動性資金を提供すると言うその本来の制限された役割に銀行制度を復帰させる事になるでしょう。ダグラスの考えは1930年代に世界が大恐慌に苦しむ中で急速に広まりました。社会信用論運動は大英帝国と並んでカナダ、オーストラリア及びニュージーランドで政治上の勢力となったのです。ダグラスの考え方はイタリアと日本で真剣に研究されました。社会信用制度が純粋な形で実施された試みは未だ一度もありませんが、世界は豊かであり全ての市民がそれを分かち合う権利を有すると言う考え方は多くの国々で積極的な変革の力になりました。しかし、第二次世界大戦が終わる頃までに、世界の金融システムはケインズ経済学を基に構築され、銀行クレジットは引き続き過剰に使用され続けたのです。今日、銀行家たちが世界を支配しています、とくに1970年頃に米国経済を工業生産から金融主導にシフトさせていくという決定がなされてから、そうなっています。この決定は主に国際的な銀行の指導者達が米国の安全保障や外交や金融の分野における大物たちを通じて行ったものです。リチャード・ニクソン大統領による中国との国交樹立は、米国の企業が膨大な製造業の仕事を中国の低賃金労働者にやらせることに道を開きました。中国その他の国々は彼らが生産した商品を我々に売り、それで稼いだドルで米国の財務省証券を購入したりドルを外貨準備として保有する事で今や我国の貿易・財政赤字を埋め合わせているのです。しかし、この様な立場に置かれている我々の弱みたるや全く目に余るものです。他の国々が負債を買ってくれ我々の生活水準を維持してくれると他国に安心して頼ることがもうできない時が来ています。今日、我々が中国に依存して財政的に生き延びていることは重大な安全保障上の脅威であると認識されており、中国自体もこのようなシステムに対する他の選択肢を模索しています。さて、このビデオのシリーズも愈々終わりに近づきつつあります。次回が最終の部となりますが、そこで私は、これまで話して来た配当経済学に加えて、グリーンバックのような政府通貨制度に転換することで我々は必要とする新たな貨幣とクレジットのシステムを持てるようになると何故信じているのかについて御話しするつもりです。御視聴ありがとうございました。

全6部構成の第6部

「配当経済学:グリーンバック紙幣と国民配当による解決策」

合衆国は、嘗てグリーンバック紙幣でそうしていた様に、連邦政府が直接お金の支出と貸出を行うことで通貨を供給するシステムに転換するべきなのです。連邦準備銀行はもう紙幣を発行する発券銀行であってはなりません。更に、国民配当は国民に直接支払われる必要があります。
「クックプラン」は一月1,000ドル相当の引換券を国民に給付すると共に新たに地域コミュニティの貯蓄銀行制度を設けるよう呼び掛けています。国民配当と組み合わされたグリーンバック紙幣は民主的な通貨を回復させ、合衆国経済を救済する事になるでしょう。

私の名はリチャード・C・クックと言い、この「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」と題する本の著者です。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けてと題する6部構成ビデオへの最終部へようこそ。

我々の旅は最後の目的地に近づいています。第1部ではベンジャミン・フランクリンやトマス・ジェファーソン、アンドルー・ジャクソン、エイブラハム・リンカーン等の政治家が国の通貨制度を民間銀行業界がコントロールすることがいかに危険であるか警告していたことを見て来ました。第2部では国の通貨とクレジットの制度を民営化する事となった1913年の連邦準備銀行法の有害な結果を検証しました。次いで第3部では金融・保険・不動産からなるFIRE経済がやった悪行が如何に現在の経済危機を招いたかを見ました。第4部ではクレジットの概念と、何故にクレジットを銀行家の私有財産ではなく、公益事業としなければならないのかに付いて考察しました。第5部ではケインズ経済学とその真相、即ち、それは政府には借り入れによって経済を安定させようと努めさせながら、経済を不安定にする当の勢力である民間金融業界の継続支配を許す妥協であったかについて話しました。また、国民配当を通して経済の価値の増大を貨幣化し、経済的安定を達成すると言う代替案に付いても見て来ました。さて、この第6部では我々がここから何処に行くべきであるかについて更に詳しく説明したいと思います。この第6部の表題は:グリーンバック紙幣と国民配当による解決策です。この第6部の序論として、私は21年間カナダの首相を務めて1950年に亡くなった近代の最も開明的な政治家の一人でありますウィリアム・マッケンジー・キングが明言したことをここで読み上げたいと思います。キング氏は次の様に語りました。「通貨とクレジットを発行する支配権を政府の手に取り戻し、それが政府の最も明白かつ神聖な責任である事が認識されるまでは国の主権…や…民主主義について話されるどの様な事柄も全て空疎にして無益である…ひとたび国家が自らの通貨とクレジットの支配権を手放せば、誰が国の法律を作ろうと、それはどうでもいいことになる。暴利は一度力を得たなら如何なる国も破滅させるのである」。

我々がはっきり理解しなければならない最も重要な事柄は、民間銀行システムの本性と新しい通貨は負債として流通に入ってくるという事実が現在の危機を惹き起こしたことです。我らの国は、世界の他の国々と同様、このシステムによって破綻に追いやられたのです。我々はこのシステムがインフレとデフレを絶え間なく繰り返す事によって如何に富と権力を何度も富豪達の手の中に集中させたかを見て来ました。歴史的に見るなら、ケインズ経済学を実践する政府と一体になったこのシステムは、現代の産業経済を中世の遺物で運営しようとする試みなのです。実際、昔の金商人の怪しげな慣行を現代世界を舞台に拡大したようなものです。そして、ケインズのシステムが政府公債を軍事機構の資金にしている有様を見ると、米国が斜陽化する帝国となり、借金におとしいれ、軍事活動を世界中で過度に拡大した主な原因は、その通貨制度にある事が解ります。銀行家が貨幣の創造を独占していることは、民営化の中でも最悪なものです。 このシステムはあらゆる所に蔓延しており、全ての人の行動を決定しています。個人、企業、政府を含むありとあらゆる人達が銀行システムが貨幣を創造することで生まれる負債に追いつかれまいと懸命に突き走る果てしないラットレースに晒されているのです。このシステムは、また、長期的に通貨の価値を減価させることになります。連邦準備銀行法が成立した1913年以来、米国のドルがその本来の価値の95%以上を失ったのも驚くべき事ではありません。物価に付け加わるのは利子だけではありません。市場で品物を販売している人は誰でも自らが抱える負債を免れようと、或いは、他の競争相手、同様に負債を抱えて値上げしようとしている他の競争相手を出し抜く為に出来るだけ品物の値段を上げようとするでしょう。

薬を糖衣で誤魔化すのは止めましょう。この負債に基づく通貨制度はその犠牲となった社会の死の行進となって終わるのです。今日、それは世界全体に起こっているのです。

それ故、銀行の貸付によってのみ通貨が創造され流通に入る方法は廃棄されなければなりません。それは我々を代表する政府が生産経済の要求や国民の需要を支える為に通貨を創造するシステムに置き換えられなければなりません。つまり、クレジットの使用を公益事業にしなければならないのです。政府が現在行っている銀行救済や景気回復策は何れも我々をこの方向に向かわせるものではありません。それらは全て銀行の貨幣独占を支えるものであり、その間にも政府は新たな雇用を創出しようとしてさらに負債の深みにはまりこむのです。銀行を国有化すべきであると言う人々がおりますが、現行の法律の下で既にFDIC(連邦預金保険機構)が破産寸前の金融機関を引き継いで管理できるようになっています。確かに、ヨーロッパの人々を含む多くの人達が言っているように、株式やヘッジ及びデリバティブで今日行われているが如き投機の為の巨額なクレジットが最早作られる事のないよう銀行金融制度を再び規制するべきではあります。しかし、また規制を強化しても問題が解決される事はないでしょう。オバマ政権がその銀行救済や景気回復策によって当てにしているツギハギの応急措置の代わりに、19世紀のグリーンバック紙幣のように借入や人々からの徴税による事なく、連邦政府が自らお金を作り出し支出する能力をもっていたなら、事態は全く異なるでしょう。今日でも議会はグリーンバック通貨の新たな発行を認可する権限をもっています。グリーンバックタイプの支出方式はデニス・クシニッチ議員が先導する下院議員の支持を得て米国通貨研究所が起稿したアメリカ通貨法案の主要な条項の一つとなっています。19世紀の期間中にグリーンバック党、人民党、民主党は全てその様な通貨の改革措置を支持していたのです。今日、我々はグリーンバック紙幣を再び最優先の政治的課題とする必要があります。もちろん、銀行業界の擁護者達はグリーンバック紙幣がインフレの原因となる等と言って来るでしょう。しかし、それは虚言なのです。銀行からカネを借りることを止めてグリーンバック紙幣を使用したからと言って、それがインフレの要因に僅かでもなったという歴史的証拠はどこにもないのです。事実、グリーンバック紙幣が使われた間、南北戦争はインフレが殆どなかったことで目立ち、また19世紀の残りの時期では実際には物価は下落したのです。連邦政府に勤務していた当時、私は職務として主に財政を研究しました。米国財務省に21年間勤務していた際には米国の植民地時代の、更には、英国の歴史にまで遡る国家財政の歴史を深く研究しました。その結果、連邦政府が資金を調達できるのは徴税か借入によって、あるいはサービス料金としてのみであると言う独断的定説が最高度に近視眼的で、馬鹿げており、歴史的に全く類を見ない不正確な考えであると躊躇なく断言する事が出来ます。我々がそのような間違いを信じているのは我々が200年以上前に英国と初めて決別した際に我国を支配しようと画策し、終に1913年に連邦準備法をまんまと成立させた昔と同じ金融界の人物らが自らのロビー活動で作り上げたシステムのためなのです。グリーンバック紙幣を財源にする事で、この金融行界を彼らの本来の場所に引き摺り戻す事が出来ます。

もうひとつの廃絶さるべき独断的定説は、一度発行されたクレジットはその発行元に償還されるべきであり、利子と共に返済されることで帳消しになるというものです。寧ろ、クレジットは購買力を単に授与することでもありうる。ですから、管理費やリスク分担の費用以外にそこから利子を引き出そうとするのは暴利と呼ばれる強奪行為の1種です。

グリーンバック紙幣を財源とする方法では通貨の発行とクレジットの使用は銀行に負債を返済する必要や銀行が課すクレジット使用料金なしに行われます。それではその我々の通貨の裏付は何かと言う疑問が起こります。金の復活を望んでそれにすべきだと主張する人々もおりますが、金本位制は常に単なる作り話なのです。近代産業国家の通貨需要を支えるに足る十分な金などこれ迄に存在していた試しは決してなかったのです。グリーンバック紙幣制度では通貨供給の信頼性を維持しながら、如何なる貴金属の裏打ちも必要としません。今日、連邦準備制度の裏付けとなっているのは我々将来の世代の生活と自由を抵当に入れさせている益々膨らむ一方の国債なのです。これは誤っています。如何なる通貨もその裏付けとなるのは、お金が使われた時、或いはクレジットが利用された時に動き始める実体経済の中に於ける生産だけなのです。政府は様々な形のその支出によってこの通貨を流通させることが出来ます。2009年2月19日現在10兆7,963億8,087万3,181ドルに上っている国債の弁済に使用する事も出来ますし、自らの信託資金が他の連邦費用に流用されてしまった連邦社会保障制度の資金調達を支援する事も出来ます。社会保障は、現在多くの人達が提案しているように、給付金を削減せずに資金調達する事が出来るのです。グリーンバック紙幣制度下のお金は、また、高齢者向け医療保険制度や医療費の補助に或いは国民医療皆保険機構の政府負担金として支出する事も可能です。学資ローンを奨学金に替える為に使うことも出来ます。連邦政府の国家運営費用にも州政府や地方自治体の運営費用にも充てられます。連邦政府、州政府および地方自治体に於けるインフラ改良工事の助成金やローン或いは連邦基幹施設銀行の投資に回す事も出来ます。グリーンバック紙幣は、軍事的手段を用いて経済的弱点を埋め合せたり軍隊を使ってケインズ主義的な雇用創出を行ったりする必要が最早なければ現在よりも遥かに少ない金額になりますが、国防関係の資金に使う事も出来ます。また、オバマ大統領が呼び掛けている代替エネルギー研究開発の重要なプログラムにも使えます。グリーンバック紙幣制度による資金の直接調達を政府支出のどの分野に行うべきかを決定するに際しては、議会がある種の非常に厳密な分析を行ってこの直接調達によるものと従来からの課税によるべきものとの適切な割合を確定する必要が出てくるでしょう。徴税は経済政策を実施するのに便利な手段であり、不当なインフレやデフレを防止する為に通貨の供給を制御する際にも役立ちます。何れにせよ、グリーンバック紙幣による資金調達は、あらゆるレベルの政府が個人所得の平均30〜40%もの額を税金として徴収している現在の苦しい重税と比べて、遥かに低い課税の糸口となるでしょう。政府が最早行ってはならない事は、緊急を要する極端な状況が生じたり米国の貯蓄債券のように国民に貯蓄の機会を与えたりする場合を除いて、お金を借りる事です。独立した主権国家が銀行組織、外国政府、あるいは資本家的投資家から仮にも借金する理由など全くないのです。皆さんは現代の政府内部でグリーンバック紙幣制度を提唱した者が誰か居なかったのか問われるかも知れません。答えは「居ました」です。一人はカリフォルニア選出のジェリー・ボーリス下院議員で、エール大学を最優秀で卒業し、1937年〜1947年の間に議員を勤めた人物です。彼は次のように書いています:あるべき姿、それはこの偉大な国家のクレジットを政府が直接引き受けるであり、更に負債を増やすことではない。…合衆国のような国は…無限に近いクレジットを有しているのであり…赤字財政支出の結果生産が増大する事で見込まれる税収の増大の割合は国と政府のクレジットが増大する割合でもあるのです。これと同じ割合の以前に流通した通貨量は財務省の会計簿に、税収入と同様に、引き出し可能なクレジットとして計上されるべきなのです。この様にするのは完全に合理的であり、会計の正しい記帳のやり方なのです。ボーリスは政府の会計簿にクレジットを記帳する事でグリーンバック紙幣を作り出す事が出来る事を指摘しました。それで万事オーケー。我々を代表する政府によるこの通貨コントロール計画では財務省紙幣、米国の貨幣が連邦準備銀行の銀行券に取って代わるでしょう。連邦準備制度は金融取引のための国立の清算所として業務を継続する事も出来ます。しかし、連邦準備制度に属する連邦準備銀行と民間の銀行は、最早、合衆国の紙幣を発行する発券銀行として活動してはなりません。

真の通貨改革が行われても商活動に銀行組織は必要です。しかし米国通貨研究所が起稿したアメリカ通貨法案の下では銀行組織は財務省証券や他のタイプの準備資産をベースにして部分準備制度を使って貸し出しをする事は最早できません。その代わりに、アメリカ通貨法案は銀行がその目的で創られた公共のクレジットを用いて財務省から直接借り入れるとする条項を設けています。この方法は部分準備制度を排除するもので、金融機関が商業銀行であるか国有銀行であるか貯蓄貸付組合であるか、或いは消費者の信用組合であるか等に拘わりなく、正しく機能するでしょう。かくして、新たな貨幣を無から創りだすのを許す銀行に与えられていた不適切な特権は終焉する事になります。銀行組織は遥かに安定したものとなり、良心に欠ける銀行家たちによる悪行にさらされる危険も少なくなるでしょう。これらが負債ではなく寧ろ国のクレジットと生産性に基づく通貨制度を治める諸原則となるべきものなのです。アメリカ通貨法の下では制度の全体が連邦政府の内部に設けられる規制当局によって管理監督される事となります。この様な制度は遅滞なく実施する事が可能ですし、実施されなければなりません。もちろん、この制度はお金を持った人達が民間セクターで投資する資本市場に取って代わる訳ではありません。ただそういう人たちが株式、ヘッジ、デリバティブファンド等が犯罪的なねずみ講まがいの方法を通じて行ってきたような投機的な投資の拡大の為に銀行の貸付を利用するような事を彼らに許してはなりません。政府が規制緩和政策を通じて可能にして来たこの種の投機の為の貸出しはキッパリと断ち切らなければなりません。そして、クレジットや通貨を制御するこの様な支配権を連邦政府に与えるのは安全でないと言う人達に対しては、それを制御する誰かがいなければならないのだと言う事を指摘したいと思います。私はそれを、自らが途方もない利益を得る為に我々の経済を破綻させ、我々の国民と彼らの子孫を年季奉公に追い遣った民間の銀行組織よりも、我々が選挙によって選んだ人々による政府にコントロールして貰いたいと思うのです。もちろん、選挙は公正かつ正直に行われなければ成らず、特殊利益を目的とするロビー活動を制御し、公開させる為の法律を新たに成立させる必要があります。選挙資金に対する金融界からの献金も非合法化しなければなりません。更に、この過去数十年に蓄積した負債の大部分を帳消しにする必要もあります。この途方もない負債を生み出した資金は銀行レバレッジの使用によって創られたものです。我々の政府が1兆ドルを越える納税者のお金を銀行の緊急援助に充てる必要があったと言う事実は負債に基づく通貨制度が機能せず、廃棄すべきである事を示すものです。我々は市民が自ら稼いだお金や貯蓄したお金で必要なものを購入する事が出来る制度を新たに作り出さねばなりません。しかし、ここで概要を述べている我国が失った通貨主権を取り戻す為のプログラムは私が先に説明した重要な構造問題についても取り組まなければなりません。産業経済体制に特有な物価と所得のギャップを埋める正しい方法を見出すまでは経済が安定する事は決してないでしょう。この構造上の不均衡は純粋な資本主義経済から純粋は社会主義経済に至るまで全ての経済体制の下で存在しているものです。この点で誰が生産手段を所有するかは問題ではありません。また、テクノロジーによって生産性が不断に向上しているせいで職が減るという、継続的な失業の問題にも対処せねばなりません。

これは、全体としての社会のために生産性の向上をその通貨に反映させることを意味します。オバマ政権も含め、多くの人達がこの問題は政府による雇用の創出に拠って取り組むべきであると言っておりますが、そうしても私がこのビデオの第5部で説明した物価と所得のギャップや仕事の陳腐化と言う問題に対処する事は出来ないのです。社会の安定を確保し、市民に大地の恵みと彼らの労働の成果を公平に分け与える事を可能にするのは配当経済学だけなのです。我々は、先ず、政府が個々の市民に現金を渡す国民配当の支給から始めなければなりません。一度これが実施されれば、政府による借入や徴税ないしは雇用の創出がなくても、この国民配当によって新たな購買力が生まれるのです。この国民配当により、より多くの製品を作るのにより少ない労働者しか必要でないという問題も解消されます。所得が労働と切り離される訳です。ある人々にとっては働かないことが利益になります。実際ある種の人々はたんに生存するために年がら年中一つないしそれ以上の仕事で働いたりすべきではありません。それは子供の面倒を見るために家庭の外で働くのを止めた親、高齢者、学生、ボランティア活動あるいは教育や芸術など低賃金ではあっても重要な職業を選択した人達などです。我々は前からそういうことを知っていました。それなら何故、それを国の経済政策の一部にしてはいけないのでしょうか。生産性に基づく配当はこれまで決して満たされたことがない産業革命の夢でした。今日、生産性の配当を享受しているのは大金持ちだけです。グリーンバック紙幣の支出も国民配当も銀行が部分準備制度で利益を上げるために利用してきたクレジットの自然の力から創られます。しかし、今や、政府は基礎所得の形でそれを人民に支給する事によってクレジットの総量をコントロールすることになります。私が試算したところによると、2009年の米国経済に潜在する配当額は国民一人当たり12,000ドル以上、総額で約3兆6千万ドルとなります。ところで、この金額は、昨今の経済破綻前までに我国の経済が銀行に対する負債として毎年計上して来た金額とほぼ同じ額になっています。クレジットを公益事業として使用すれば、この負債の大部分は回避できた筈のものなのです。これを始める一つの方法は私の所謂「クックプラン」を直接に即実行する事です。これは食品や住宅、水道光熱費、交通、教育等、生活上必須なものに使途を限定された一月1,000ドル相当の引換券を誰でも申請した成人の市民に給付する制度です。子供達に対してもそれより少ない額が手当てとして支給されます。この引換券は他の所得と同じように課税され、失業保険や社会保険等の他の政府給付を補完するものとなります。この引換券は、次いで、消費者、学生、小企業、地域の製造会社および自営農家に対し1%の利子で貸し出しをする公認された地域の半官半民の貯蓄銀行のネットワークにおいて預金として受け容れられます。現代の銀行組織とグローバル企業が過去の世代を通じて破滅に追いやってきた地域の草の根経済の回復を助ける為にその融資は政府の助成を得て市場相場より低い利率で行われます。それは下から上に湧き上がる本当のトリクルアップ経済と言えるでしょう。配当経済学の考え方は、保守派の多くが「ただ飯経済学」と呼んでいますが、実際のところ、非常に単純なものです。

現実にこのただ飯の例は枚挙に暇がありません。実際、そのように言う保守派の人達も毎日の様に利用しているものなのです。産業革命時代に於ける蒸気動力や化石植物からのガソリンの生産を通して行われた太陽エネルギーの利用もその一つ例です。歴史的に見ると、これらの飛躍的な技術の進歩はその後の生産性が幾何級数的に増大した主な原因となったものですが、人類全体にとってのただ飯だったのです。

この様な技術的進歩は全ての人々に配当として与えられて当然なものです。第二の産業革命である自然から電気を作り出すことも同じ性格をもったもう一つのただ飯でした。19世紀の中頃に連邦政府が入植者に無償で与えた公有地もただ飯です。州間高速道路網のような公共インフラ整備もそうですし、政府が開発し、ビジネスや通信を変容させた公益事業であるインターネットもその例となります。配当経済学にはすでに一つの実例があって、そこでは個々人に現金が給付されています。アラスカ永久基金がそれで、この基金は2008年に一人当たり3,269ドルを配当として州が資源開発から得た収入から給付したのです。これと同じ配当の法案が2007年にヴァーモント州でも提出されました。

国民配当による購買力の回復は我々の国を再建するでしょう。そこから地方経済と地域経済のルネサンスが生じるでしょう。政策決定や政治権力の焦点は下方移動して地方に向かうようになるでしょう。消費者は自分達の配当を自らの地域社会で使う事となり、何百万もの人々の生活が改善され、以前には全く収入がなかった地域にも税収入が生み出されると言ったケースも出て来るでしょう。

地域社会は再び繁栄するでしょう。そして家族農業がついに銀行に支援されたアグリビジネスの陰湿な圧制に抵抗するための資金を手にした農村地帯も再び繁栄するでしょう。。再び強調しますが、国民配当は銀行に融資された消費に取って代わり生産を刺激するものなので、それによってインフレが発生することは殆どありません。実際、家計や企業という生産経済のレベルで見ると今日の米国経済には現金が不足しているのです。これ以上銀行の貸付と政府の負債に頼らずグリーンバック政府通貨と国民配当を実施することが、経済に不足していて経済が順調に回るためにどうしても必要な現金を供給することになるのです。

最後に強調しておきたい事がもう一つあります。それはグリーンバック紙幣と国民配当が景気回復策などではない、単に危機に対処する為の緊急措置などではないと言う事です。

それらは産業経済に於ける金融につきまとう問題を公平かつ公正なやり方で、結果的に経済民主主義に繋がるやり方で解決する恒久的な構造変革なのです。この計画の実施は、金融寡頭制による憲法に違反した通貨制度の支配を排除し、それを「われら人民」に対し責任をもつ金融制度に置き換えることを意味しています。更に言えば、これらは単なるこの米国だけの改革ではなく、どのような国家でも実行できるものです。私が概要を述べたこの計画はアメリカのもっとも偉大な発明家であるトマス・エジソンの言葉に示された通貨制度の真の要件を満たすものとなります。私が最後に引用したいと思うのはこのエジソンの言葉です。

彼は次のように述べています:

「我々の歴史全体を通して、一分のアメリカの最も偉大な人々はアレキサンダー・ハミルトンの負債に基づく通貨政策の刻印を払拭し、それを国の実際の要求に見合った安定的な貨幣供給に換えようとして来ました。しかし、官民の理解を得られず、それに現行の無秩序な体制が自分たちの既得権益になっていると考えている銀行業界の力が加わって、これまでその努力は全て阻まれて来たのです。「紙の通貨は危ない」という彼らの叫びに惑わされてはなりません。紙幣を発行することの危険は、金をもつことの危険とまさに同じものです。持ち過ぎは善くないのです。お金に関する規則は唯一つで、それはこれから進行しようとしているすべてのまともな取引を実行に移すのに足りるだけのお金を持っていることです。(余りに少なすぎても余りに多すぎても善くありません)一方では。取引を進めて経済の低迷を防ぐのに充分な量、他方では、投機に使うには不十分な量、これが適切な割合です」

私は、今日、提示しているこの計画がエジソンに賛同してもらえると信じています。これでこの長い旅の終わりとなります。この旅は私がカーター政権のホワイトハウスで勤務していた際に始めて配当経済学について知った1979年に始ったものです。この情報をこうして皆さんにお伝え出来るようになるまでに30年の年月が仕事と研究に費やされました。このビデオを作り、支持と激励を賜った世界の何千もの方々と共に働く事ができ、大変喜んでいます。皆さんにおかれましてもこのビデオを他の人達に紹介して頂ければ何よりです。また、私が書いた「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」も是非お読み頂き、私のホームページでありますwww.richardccook.com にも御連絡下さい。御視聴ありがとう御座いました。

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