Anti-Rothschild Alliance

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資料室

中央銀行制度の発展と改革

グローバル権力とグローバル政府 第1部
アンドリュー・ギャビン・マーシャル 著

Introduction 前書き

人類は我々の歴史において最も騒然とした期間に突入する寸前にある。 グローバルな不況、かつて見られなかったような話、かつて想像されなかったようなスケールでの本当にグローバルな戦争、世界中の国々が国民をコントロールするために全体主義的な警察国家にならんとするような社会の崩壊と云った見通しが、日増しに強まっている。 多数のグローバルトレンド予測家達が、経済不況、戦争、ファシズムへの回帰、および社会の全体的な再編成についての警鐘を鳴らしている。  危機を通して、我々はグローバルな政治経済の再編成、および資本主義の全体主義資本主義世界政府への変身を見ているところである。 資本主義はその歴史を通してずっと同じであった訳ではない。いつも変わっていたし、これからも変わり続けるであろう。 その変化は、政治的経済的学説、主流だけではなく批判的学説にも基づいて、分析・説明されている。 その変化は、何年、何十年、何世紀にも亘って生じている。 資本主義は、次のフェイズでは、ほとんど中国並に、国家が統制する全体主義的資本主義の経済システムに移行する。

グローバルな政治経済そのものが世界政府団体に再編されつつあり、それはグローバル権力の単一の中核であり、そこで世界の社会・政治・経済に関わる権力が単一の機関に集中される。 これは陰謀説ではない、現実である。 これは、“インターネットの陰謀説愛好家”の領域に限られた問題でもなく、実際に世界政府の概念は資本主義およびグローバルな政治経済の歴史において始まって発展して来ている。 主流および批判的な学説が、何世紀もの間、世界政府の概念を述べてきている。

世界政府という考えは非常に長い歴史を持っていて、世界をそのような構造に導こうとする力が現代のグローバルな政治経済の歴史そのものと絡んでいる。このレポートの目的は、学説と実践の両面において世界政府形成に向けての足取りを追ってグローバルな政治経済の歴史を検証することである。

我々はここにどのようにして到着したのか? そして、どこへ行こうとしているのだろうか?

Why Study Theory? 何故、学説を勉強するのか?

政治学の純学問的分野、特にグローバルな政治経済学(GPE)の分野において、グローバルな政治経済学分野で採用されている行為と方向性を理解するとともに、資本主義がどのようであったか、再編と変更をどのように続けているかを理解するためには、政治経済学の様々な理論的見地を理解することが不可欠である。学説は、俳優が理解できて行動する基盤を与えてくれる。政治経済学者ロバート・コックスがかつて述べたように、“学説はいつも誰かのためで何らかの目的のためにある。” 変化していることを理解するためには、グローバルな政治経済、特に世界政府の理論的基盤において変化を引き起こしている人々の理論的傾向を理解・分析することが重要である。それと同様に、どのように何故、世界政府が構築されつつあるかを解釈する方法において、批判的な学説を検証することも重要である。

Mercantilism 商業主義

政治経済学説の歴史は、国際的あるいはグローバルな共同体概念によって、連続的な魅惑を示す。西洋のグローバル政治経済理論家の最も初期の形態は、初期の重商主義時代に芽生え、アダム・スミスの国富論に引き続く自由主義理論の出現とともに、フレドリッヒ・リストやアレキサンダー・ハミルトンのような重商主義作家が内在する自由主義概念についての論評を書いた。 リストは、その著作「国家経済と国際経済」において、スミスは国家が経済条件を決定する“国家経済”というアイデアを広めるとともに、“国家経済”を“国際経済あるいは全世界経済”に置き換えることを主唱したと書いている。 リストは、フランスの自由主義経済学者ジャン-バティスト・セー(J.B.セー)の見地について議論し、セーは“一般的な自由貿易のアイデアを理解するためには全世界共和国の存在を想像すべきであると公然と主張している”と言っている。[1]

リストは次のように明確に述べている。“もし、(政治経済思想についての)一般的な学校が要求するように、全世界統一組織あるいは国家連合組織を永続的な平和のための保障と仮定するならば、国際的な自由貿易の原則は完璧に正当化されるように思われる”が、この一般的な思想は“全世界統一組織と永続的な平和の存在を仮定し、そこから自由貿易の大いなる利益を演繹している。こういう風に、それは効果と原因を混同している。” リストは、以下のように詳細に説明している。 “既に政治的に結合された地方および国家の間では、永続的な平和状態が存在している。商業的な結合は、この政治的な結合に起因している。” 更にまた、次のように述べている。 “歴史の全ての例が示すように、政治的結合が先導し、商業的結合がそれに続くものである。商業的結合が先導したという例は一つもなく、政治的結合は商業的結合によって強化されてきた。”[2]

リストは重商主義理論家であることを述べておかねばならない。 これは、彼が政治的分野と経済的分野を干渉し合う分野と看做し、それらは絡み合い溶け込むと考えていたということを意味する。しかしながら、政治は経済の上位に存在している。なぜならば、経済は政治的要素の指図に従属するからである。自由主義理論家は、政治と経済は別物で、分離されるべきで、その結果、政治的要素は経済の影響を受けないで独立して相互作用し、経済そのものは政治とは独立分離して振舞うということを信じている。これは、“自由市場”概念の基盤であり、しばしば引用されるアダム・スミスの名言“市場の見えざる手”のことである。なお、その名言は彼の著作「国富論」全体の中で1回使われているだけである。自由主義理論家の昇天は純学問的・理論的研究に分離の爪跡を残し、政治経済学は一分野として分離し、別の研究体系として政治学および経済学の出現をもたらした。

政治経済学者ロバート・コックスが述べたように、“学説は常に誰かのためで、何らかの目的のために存在する。” この分離の目的は、純学問的思想を区分し、両者をよりコントロールし易いように、政治と経済の領域を分離することにある。そしてそれは、1600年代後期以降において政治と経済を支配している銀行業者が政治・経済学説の立場で世界を眺め続けたためである。それは“分割統治法”という戦略であり、それによって学説および学界は両側の思想を統治支配するために分割された。この分離は今日まで続いている。というのは、政治経済学は政治学の下に従属させられている。政治学および経済学が政治経済学の傘の下にあるとう言い方がより道理に合うのであるけれども。もう一度言うが、思想を区分することで、議論と論争のコントロールがより容易になる。

リストが彼の評論の中で論じていたことは、全ての国々が世界連邦政府として結合された世界市民社会の自由主義概念の批判である。 当然、これはその時代の真相ではなく、自由主義理論家の役割についての不正確で曖昧な仮定であった。 経済的あるいは商業的な相互依存および結合が政治的な結合に至ったことはかつてないと説明している。政治的な結合が必ず経済的な結合に先行すると歴史が示していると、リストは主張した。しかしながら、リストは19世紀前半に書いていたが、歴史は事の成り行きと政治経済学説を変えた。 特に、 名門銀行家一族(取り分け、ロスチャイルド家、ワールブルグ家、そして後に、モルガン家、ロックフェラー家)からなる主要な銀行業者は、異なった成り行きを画策することを決心したと私は主張したい。彼らは、経済的な結合を先行させて、その足跡を追うように政治的な結合を構築させるという戦略を追及したのである。

Central Banking 中央銀行業

このように、自由主義経済学説が最前線となって、当時のグローバルな覇権国家である大英帝国によって擁護された。そして、その大英帝国は名家の銀行業者の確固たる支配下にあった。1694年にイングランド銀行が民間の中央銀行として創設され、国の通貨を発行し、それを政府や企業に利子付きで融資した。そして、支払われた利子はこれらの民間の銀行業名家からなる株主に分配されたのである。[3] 16〜19世紀は、民族国家と資本主義が出現し、それに直ぐ続いて1600年代末に中央銀行が現れた時期である。このときに、“世界経済”として知られているものが起こったとされている。 重商主義経済学説がこの期間において君臨し、経済は国家の政治構造と比べて二次的で従属的であった。

自由主義学者がこれに反対して立ち上がった。アメリカ植民地が英国の帝国主義勢力に反抗し、最終的には大英帝国からの独立を手に入れることになった1776年に、アダム・スミスは国富論を書いた。その革命の主要な動機要因は沢山あるが、アメリカ植民地内で法律を越えて振舞う英国軍の存在も一要因であった。植民地税が高く、特にフランスなどの外国からのお茶などの輸入に対する関税が高かった。それは、植民地は最重要都市(帝国主義覇権都市)とだけ交易すべきだという重商主義仮説を推進しようとしてのことであった。そして、その覇権国は物質財の交易によってその国の資源を手に入れ、植民地権力に依存していた。 十分に論証できることであるが、その革命の主要な動機の一つは外国の帝国主義権力による通貨のコントロールにあった。その海外の帝国主義権力は、インフレやデノミをコントロールし、植民地の全体的な経済状態を本質的にコントロールできる能力があった。主権と独立性を維持するためには自身の通貨をコントロールする必要があることを、合衆国建国の父達は理解していた。

それは、アメリカの革命を支援したフランスによって助けられたものであるが、英国の不面目な敗北のあと、欧州の銀行業者は重商主義的展開に対する重大な打撃をこうむった。資本主義は拡大し、より多く消費する必要性が絶えずあるということで機能する。中央銀行業も、遥かにより不審な方法によってであるけれども、全く同じように機能する。すなわち、中央銀行業は借金の拡大を通して産業、国、および人々に対する支配を拡大する必要があり、より多数の個人、国、産業を借金による束縛下に置く必要性が絶えずある。借金は中央銀行業制度にとって全ての権力と富の源泉である。彼らは産業界とは異なり、何らかの交易可能な商品を現実的に生産することがなく、政府と異なって何らかの必要なサービスを提供することもない。 借金に対する利子が、収入および中央銀行業制度の権威の源泉であり、それ故、絶えず信用を融資し、借金を拡大する必要がある。このように、拡大する信用と借金の源泉としてのアメリカ植民地の損失は、彼らの確固とした利益に対する強力な打撃であった。

一定の地域あるいは国は帝国主義の影響力と軍事力を決して打ち負かすことができないと信じていた人々の帝国主義的傲慢さが敗れ去るという戒めを、欧州の銀行業者は直ちに学んだ。革命は、確固とした資本家および特に銀行業者にとっての恐るべき脅威となった。

1783年に終結したアメリカの革命戦争の10年間の間に、そのアメリカの例に幾分か触発されて、別の国が革命に向かって熱意を募らせていた。しかしながら、この国は植民地ではなかったが、重商主義帝国主義勢力にとってはそれを失うことは大き過ぎる損失であった。1788年にフランス君主国は破産し、フランスの益々絶望的になっていく人々と、貴族および特に君主政権との間の緊張が高まり、欧州の銀行家達は先取りして革命を採用することを決断した。1788年に著名なフランスの銀行家達が“政府の必要とした短期融資”を断って[4]、穀類・食料の積み込みが遅れるように計らった結果、パリの住民が空腹のため暴動を起こす引き金となった。[5] これが革命を発火させ、新しい支配階級が現れ、暴力的な圧制が行われ、政治的現実的な恐怖政治が行われた。しかしながら、その暴力は成長し、その結果、革命政権に対する不満が甚だしくなり、その安定性・持続性は問題となった。 そのような訳で、銀行家達はナポレオンという名の革命軍大将を全力で支援し、秩序回復を彼に委ねた。そして、ナポレオンは銀行家達を支援し、1800年に民間が所有するフランスの中央銀行であるフランス銀行を創立し、銀行家達にその中央銀行に対する権威を与えた。銀行家達はその株式を所有し、ナポレオン自身さえその株式を購入した。[6]

このように、銀行家達は商業と政府をコントロールしようと努め、彼らの新しく獲得した民間所有で操作可能な帝国に秩序を取り戻した。しかし、ナポレオンは、銀行家達の忍耐を超えた戦争政策を続け、それは商業活動にネガティッブな影響を与えた。[7] そして、ナポレオン自身はフランス銀行の運営に介入し、その銀行は“株主よりもむしろ皇帝に帰属するものだ”と公言さえした。その結果、銀行家達は再び彼らの影響力を移動させて、体制変化が終わるまで、じっとしていた。[9]

ロスチャイルド家はワーテルローの戦いで国際銀行業の王座に昇った。ロンドン、パリ、フランクフルト、ウィーン、およびナポリに銀行業会社を設立したあと、彼らはナポレオン戦争の全ての当事者達から利益を得た。[10] 英国における家長ネイサン・ロスチャイルドは、君主や議会よりも先立って、ロンドンで一番最初にニュースを知る人物として知られていたので、ワーテルローの戦いの間、誰もが株式市場における彼の動きに注目していた。その戦いのあと、ネイサンは英国が勝ったというニュースを、政府が手にする24時間以上も前に、手に入れていた。そして、彼は直ちにロンドン株式取引所に行って、彼が持っていた全てを売って、それを眺めていた人々に英国が負けたと思わせた。 狼狽売りがあとに続き、誰もが株を売り、株価はボロボロになり、市場は崩壊した。 その結果起こったことは、次にロスチャイルドが英国のほとんど全ての株式を二束三文で買い漁ったということであった。そして、ワーテルローで英国が勝利したというニュースが届いたときに、ロスチャイルドが新たに手に入れた株は高騰し、彼の資産も急増し、彼は英国における傑出した経済人となった。[11]

ジョージタウン大学の歴史教授キャロル・クイグリーは彼の不朽の名著「悲劇と希望」において、“ロンドンの商業銀行家は、1810-1850年において既に、株式市場、イングランド銀行、およびロンドン金融市場を手中にしていたと書いていて、次のようにも書いている。

やがて、彼らは、保険会社だけではなく、商業銀行や貯蓄銀行から成る地方の銀行業の中核を金融ネットワークで結び、国際的なスケールでの単一の金融システムを構築した。そして、お金の量や流れを操作し、片側で政府をまた他の側では産業を、コントロールしないとしても、少なくとも影響力を行使することができた。[12]

1815年から1914年までの期間は英国帝国の世紀として知られ、アダム・スミスの自由経済概念が採用され、帝国主義的な野心に合うように操作・歪曲された。重商主義はまだ実際に強かったけれども、“自由市場”および“見えざる手”という自由経済秩序の旗の下にあった。その“見えざる手”は政府と産業界からなる胴体に実際は繋がっていて、“自由市場”は計画通りに形成され、その胴体は中央銀行であるイングランド銀行という頭脳に支配されていた。市場はほとんど“自由”ではなく、その手は胴体の残りを見ることが出来た人々には見えたのである。

The Liberal Revolution 自由主義革命

この英国帝国主義の世紀の間、ドイツや合衆国などの他の国々は、英国の自由貿易帝国主義から自国を防衛するために、重商主義経済政策を追求していた。合衆国のアレキサンダー・ハミルトンや、ドイツのフリードリッヒ・リストのような重商主義理論家が自由経済学説に批判的なものを書いていたのは、そのような背景の下においてである。

“自由主義革命”が重商主義に徹底的に反対する立場で現れた19世紀中葉までは、重商主義が政治・経済学説において優勢であった。自由主義経済学説においては、経済界は自律的で政界からは分離していて、それ自身の論理に従って機能する。 この学説によれば、異なる領域にある政治と経済はまだ関連しているが、お互いに独立している。重商主義者が国家をグローバルな政治経済における主要な行為者と看做すのに対して、自由主義者は個人(生産者および消費者)を主要な行為者であると看做す。

重商主義者は、植民地獲得および国際的な競争の場での帝国構築という政策を正当化して、国際的な競争の場は本質的に対立をはらむものと看做す。その国際的な競争の場において、ある国家が海外の土地を植民地化して資源を搾り取らないならば、他の国家がそれをして、その結果、資源と経済成長の帝国を創造しない国家が剥奪されると重商主義者は考える。 その意味においては、ある国家の進歩は他の国家の退歩を招くというゼロサム利得の立場で、重商主義者は世界を眺めている。 自由主義者は、個人からなる世界的な競争の場はポジティブサム利得を生み出すものであり、そこでは全ての個人は自己の利益に従って行動し、そうすることで誰もが得をし、協力および相互依存を育成すると主張する。その意味においては、国際的な競争の場は本質的に対立をはらむものではなく、むしろ協力的で相互依存的な領域である。そこでは、秩序と安定が、英国の自由帝国秩序や金本位制のような国際的な体制によって支えられる。

重商主義者は歴史を、国々によって為される争いと解決の融合と看做すのに対して、自由主義者は個人および民間活動によって為される行為の意図的でない帰結の総計と看做す。これは、本質的に歴史が自然のままに進展することを示唆しているようなものである。歴史は計画的にあるいは故意に強力な勢力によって形作られるのではなく、個人の行為に対する自然の応答・反応に過ぎないと言っているようなものである。これは、経済活動を決定するであろう“自由市場の見えざる手”という概念を生み出す、自由経済秩序の自然状態という自由主義概念と一致している。

“見えざる手”というアダム・スミスの考えが、個人の富を求め私利私欲で利益を得る民間の個人が無意識に社会全体の利益の手助けをすることになるという考え方を促進するために使われてきた。 しかしながら、その“見えざる手”はスミスの不朽の名著「国富論」に唯一回だけ使われただけで、文脈を無視して取り上げられた。スミスは、どのように“全ての個人が国内産業に最大の支援を与えそうな方法で彼の資本を使い、彼自身の国の最大多数の人々に所得と雇用を与える傾向があるか”を議論していた。“国内産業の支援に彼の資本”を使うことに加えて、民間の個人はその産業にその生産が最大価値であるように指図する”であろう。それ故、個人は“公共の利益を推進する意図はなく、どれだけ彼がそれを推進しているかも知らない。” スミスは、次のように説明している。

"海外産業よりも国内産業を支援することを好むことによって、彼自身の安全を意図しただけである。そして、産業にその生産が最大価値であるように指図することによって、彼自身の利得を意図しただけである。彼は、この点において、多くの他の事例と同様に、彼の意図しなかった目的を推進するために、見えざる手によって導かれている。"[13]

スミスは、個人が国内産業を促進する“自然の傾向”として“見えざる手”を概念化した。けれども、その成句は“自己調整市場”の概念を促進するために巧みに使われてきた。産業は全ての人々に利益をもたらすのが当然なので、規制・制限が少なければ少ないほど、全ての社会は良くなるという風に言うために利用された。この成句の邪悪な意図での使用によって、“見えざる手”という考えは個人の行為とは別物となり、経済活動の非規制化にこの成句が利用された。それはスミスの主張とは雲泥の差である。

スミスは「富国論」において次のように述べてさえいる。“同じ職業の人々は、歓楽や娯楽のためにさえ、めったに一緒に集わないけれども、会話するときには、大衆に対する陰謀、すなわち価格を上げるための何らかの計略で終わる。自由および正義と矛盾しないで発効され得る如何なる法律によっても、そのような談合を防ぐことは全く不可能である。しかし、法律は同じ職業の人々が時々一緒に集まるのを妨げることは出来ないけれども、そのような談合を促進するようなことは何もすべきではない。増して、それらを必然的にしてはならない。”[14]

労働者の賃金に関する規制を議論し、使用者すなわち“雇い主”と、“雇用者”という労働者階級の間の公平さ問題を解決することにおいて、スミスは“立法機関が雇い主と雇用人の差を規制しようと試みるときはいつも、その助言者は必ず雇い主である。したがって、規制が雇用者に有利ならば、それは常に公正で公平であるが、雇い主に有利な場合には公正でなく不公平なことがある”と説明している。更にまた、“雇い主達が彼らの雇用者の賃金を下げるために団結するとき、彼らは一般に非公開の契約または協定を結び、ある額以上の労賃を支払ったら、あるペナルティーを受けることを約束する。雇用者が同じ種類で逆の団結をし(たとえば組合を作って)、ある額以下の賃金に甘んじるならばペナルティーを課せられることを約束したならば、法律は彼らを厳しく罰するであろう。もし、公平にするならば、雇い主達も同様に扱うできなのだが”とスミスは説明している。[15]

これらのアダム・スミスからの引用文は、スミスの考えについての共通の認識や使用の面において飛んでいる傾向にあるけれども、実際の自由主義経済はそのオリジナルな理論家の意図と雲泥の差のあることを証明している。

1870年代に、主要な欧州の帝国が地球を横断しての帝国主義的振る舞いを信じられないほど拡張すること、すなわち重商主義政策そのもの―資源を奪い取り、帝国が製造する商品のための専属市場を創造し、経済的競合国からその市場へのアクセス権を奪うために植民地を獲得するという考え方―に着手したとき、“自由主義経済秩序”という考えが挑戦された。1878年から1913年までに欧州の帝国は世界のほとんどに対して支配を拡張した。特に、アフリカの争奪戦が激しく、エチオピアを除くアフリカの全てが欧州の権力によって植民地化された。

この“新帝国主義”は、知られているように、欧州の至る所で増殖し、大陸の至る所で銀行業の急速な拡大と、政府を支配する国際金融家の傑出が生じた。[16] 大陸規模の銀行業ネットワークの成長が、“より多くのインフラストラクチャーの購入のために借金をし、利息を支払わねばならない”というシステム、および領土の拡大を刺激したことで、植民地帝国の成長を助長した。[17] これは、海外の市場を見つけて支配し、資本を拡大するために、地球のほとんどを横断して大規模な帝国主義的努力に着手するように、欧州の国々を導いた。

The Emergence of Marxism マルクス主義の出現

19世紀に、批判的IPE(国際的/グローバルな政治経済学)学説の発端が、成長中で優勢であった自由主義IPEに対抗して出現した。これらの批判のうち最も深遠なるものは、カール・マルクスによるものである。マルクスの批判的学説はマルクス主義として知られるようになり、生産手段を所有している階級が中心的で最も権力のある階級であり、他の階級を従属的な位置に貶めているというような階級関係に幅広く焦点を当てたものである。マルクス主義者はまた、資本主義を本質的に搾取的であると看做す。この学説によれば、政界と経済界は行動の分離した領域ではなく、絡み合って内部的に関連していると看做される。 この学説によれば、国家の目的はそこに居住するより多数の人々に奉仕することではなく、資本家階級の利益を保障、維持、促進することである。マルクス主義学者はまた、戦争や紛争の性質について、資本主義の拡大的性格に本質的に関係しているということを強調している。その拡大的な性格は、資本家支配階級の利益を促進することにおける国家の主要な役目の一つだと主張している。

マルクスは彼が資本主義と理解しているものを次のように定義している。:より多くのお金を生み出すために投資されてきたお金であるところの資本によって支配されるシステム。; 資本家社会の内部において最有力な生産は、売るためであるが、生計のための必要性を越えて、我々が今日物質主義および消費として言及するところのものであるという意味において、使用のためではない。; 労働は商品化されていて、したがって人々はその労働を通して売買可能な物資になる。; 交換はお金によって行われる。; 生産手段の所有権は資本家階級に握られている。; そして、様々な資本家集団間の競争は、相互作用の道理である。

マルクスは資本の巡回、どのようにお金が資本に変わるかに、大きな焦点を置いている。お金(M)は、日用品を買うことに注ぎ込まれ、次に労働力(LP)および生産手段(MP)に投資され、生産の回路を作り上げ、新しい日用品(C1)を生産し、それが売られて拡大するお金(M1)が創造されるか、あるいは利益が稼がれる。資本は、このように生産に投資されるお金である。資本主義の本質的に搾取的な性質は生産回路において、特に労働力に関して最も明らかであると、マルクスは仮定する。

マルクスから離れて

しかしながら、中央銀行制度を調査・理解するならば、資本の巡回のいくらかは論駁されなければならない。中央銀行の機能は、資本の“投資”ではなく、お金と負債の拡張・創造であり、お金は利子付きで貸し出され、中央銀行の収入の源泉となっている。これは生産的な資本とは呼ばれえない。というのは、その目的・意図が新しい日用品を生産することではなく、労働力や生産手段とも無関係であり、新しいお金はそのような新しい日用品を売ることで生産されるのではなく、利益が元々のお金に対する利子から引き出されるからである。これは、議論の前提として、借金の回路と呼ばれ得る。

搾取についてのマルクス主義者の観点によって、借金の回路内において搾取すべき労働はないが、それなら搾取はどのように行われているのであろうか? 誰であろうとも、すなわち、個人であろうと、国であろうと、法人であろうとも、債務者から搾取するように借金(あるいは貸付)が設計されているので、搾取が起きるのである。 この理論的枠組み(パラダイム)内において、階級構造は資本主義制度における全体的な搾取と権力の行使の過程の重大な役割を演じているけれども、我々が知っていることであるが、階級構造は資本主義内の支配・圧迫の唯一の攻撃対象ではなく、異論はあるかも知れないが主要な攻撃対象ですらない。 中央銀行制度の収奪的性質への屈服対象は、個人、国家、および企業である。

中央銀行制度はその発端から次のような役割を演じてきた。産業を独占的にし(このように、アダム・スミスの“自由市場”および“競争”の概念を無効にしている)、国家を武装させ(戦争および征服・侵略に融資し)、経済界と政界の関係者を総称的な支配階級に融合させる(中央銀行自身の二重の性質、すなわち政府本体の権威と権力を保持しつつ、関係者を代表し民間の個人の所有権に服従するという性質に即して作られている)。このように、支配階級そのものは、その少数のエリートが形成されている社会組織であり、その人数からして階級と称するには少ないぐらいである。なお、階級は普通は国内での階級であるが、このエリートは事実上において国際的である。

国の中央銀行は独占企業および帝国主義的政府に融資するが、両者は中央銀行に対する借金による束縛から作り出される。 商業/産業エリートと政治エリートは彼らの利益を融合する。すなわち、政府は産業界が儲かる効果のある帝国主義的な政策を追求する一方で、産業界は強力・強固な政府の構築を支援する(そして、公職を離れるや否や、政治エリートのために居心地の良い勤め口を提供する)。 このように、国家の政治的支配者と融合することによって、国家の支配階級、すなわち資本家あるいは生産手段の所有者が形成される。 一方が他方を代表したり打ち負かすことはなく、むしろ両者は関係者のために仕え、極めて少数の国際的なエリートによって利益を通して所有される。

人は尋ねなければならない。:もし、中央銀行制度の出現がなかったとしたならば、資本主義はどのように見えただろうか?

没収による蓄財

マルクス主義者の説を論じるにおいて、私はその理論的論点および見解を全面的に擁護しようという気はない。しかしながら、マルクス主義に言及することは極めて重要なことである。なぜならば、歴史上および現在、それは資本主義制度に対する批判の非常に強力な源泉であり、その重要性は過小評価され得ないからである。更にまた、学説として、資本主義制度がどのように機能するかについての多くの正確で重要な様相を見分けるという点においても、言及することは重要である。その理由のため、その論評の多くは、先見の明があり、正当であって、現在もそうである。

マルクスの学説においては、蓄財という性質は、それが二重の特質を有しているという点において、非常に重要な役割を演じる。その性質の一つは、拡大される生産に伴う蓄財として知られているが、日用品市場と生産(資本の回路)に関係していて、そこで労働の過程を通して作られる。蓄財の他の性質は没収による蓄財で、それは通常、生産に関わる資本家と非資本家の間の関係の面から構成されている。これは誰かから何かを没収することに由来する蓄財である。大西洋の奴隷貿易は没収による蓄財の一例であり、アフリカ人は彼らの生命と自由を没収されたのである。 植民地主義はまた別の例であり、そこで資源が搾取されたが、その国家からその所有する資源が没収されたということである。

没収による蓄財というマルクスの考え方を中央銀行制度に拡張することは、多分役に立つ。資本の回路に組み込まれておらず、したがって生産拡大に伴う蓄財と無関係な中央銀行は、没収による蓄財の例をもっと良く表している。お金は利子付きで貸し出され、債務者は必ずしも完済するとは限らず、利子の支払いと債務による束縛のために自由と富を没収される。 借金とは正に奴隷状態の別の言い方であり、それ故、中央銀行制度そのものは没収による蓄財システムを通して機能する。

しかしながら、没収による蓄財の型にはまった理解は、それを資本家と非資本家の間の相互作用として描写し、そこでは資本家が生産過程において非資本家から没収するという見方である。しかしながら、中央銀行は資本主義制度の頂点であり、その権力の源であり大通りである。だから、資本家と非資本家の間の相互作用とは、とても言えるものではなく、中央銀行とお金を必要とする全ての活動の間の相互作用なのであり、資本主義制度全体を含んでいる。このようにして、産業/商業、政府/国家、および個人/人々は、借金による束縛を通して自由を没収される。これは単に階級闘争説あるいは階級中心説で説明されるようなことではなく、むしろ、あらゆる、そして全ての形においての全ての個人、個性、自由に対する攻撃である。 階級構造が創造されたのは、人々を階級で仕切ることによって一つの階級を他と対抗させるためであり、そうして大衆をより上手く支配し操作しようとするものなのだ。 それは人々を分断統治するための戦略である。上位の資本家階級も含めてであるが、各階級に同じような考えを持たせ、したがって各階級に集団的な行動を取らせようとして、階級構造なるものが主張されたのである。全ての階級における自由思想を持った個人がその標的である。個性が商業、政府、および社会から全体として除去されようとしたのである。

The Communist Manifesto 共産党宣言

1848年に出版された「共産党宣言」の冒頭の副表題において、“これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である”と宣言している。しかしながら、もし、階級そのものが影響力ある個人によって作られたものならば、たとえ人類の歴史の最初から最後までであろうとも、全ての社会の歴史は、階級闘争ではなく、個人の集合体および統制に対する闘いだと論じることは出来ないであろうか? 上位の階級であろうと下位の階級であろうとも、階級自体が多数の人々を支配するために仕組まれた集合的なグループ化である。個人は全ての階級の中で窒息し、その結果、階級闘争の歴史そのものが自由に考える個人と集合的な支配形態との間の闘争である。

「共産党宣言」の中で、マルクス(およびエンゲルス)は、共産主義システムを創造するための“進歩した”国家に向けての初期の計画を概説しているが、そのうち重要な10項目は次の通りである。

  1. 土地財産の廃止、および公共目的のための土地の賃貸しの採用
  2. 所得税率累進化の推進
  3. 全ての相続権の廃止
  4. 全ての移民者、反逆者の財産の没収
  5. 政府資本に基づく排他的独占的組織である国立銀行による、政府支配下での信用の中央集権化
  6. 政府支配下での通信・輸送手段の中央集権化
  7. 国有の工場・機械設備の拡大―共通の計画に根ざした荒廃地の開墾と土壌の改善
  8. 全員の労働に対する等しい義務―産業集団、特に農業集団の設立
  9. 農業の製造業との結合―国全体において人口密度の均一化を計ることによる町と田舎の差異の撤廃
  10. 公立学校での全ての子供達の無料教育
    − 現在の形での子供達の工場労働を廃止し、教育と工業生産を結合[18]

特に重要なのが、中央銀行が主唱されている5番目である。 もし、国家が財務省を通して、あるいはより狭い領域、地方レベルで、通貨を創造・発行する能力を持つならば、何故、通貨の創造を中央銀行に集権化・独占化するのであろうか? 長所は“国家の支配下で”それを中央集権化させるということであるが、中央銀行というものは政府の権限の下にあるとまだ広く理解されているけれども、その行為・機能は全く政府の権限外であるということに留意すべきである。 収入に税を課すること(2)は、産業界の代わりに労働を搾取し、それから利益を引き出すという点において、労働の商品化を推進しているようにも思われる。それが政府の仕事になる。全ての財産は政府によって所有され(1)、事実上、全経済は政府の統制に従属する。無料であるけれども、教育でさえ政府に指図される。“全ての移民者と反逆者の財産没収”に至っては、そんな社会で異論を唱える余地があるのだろうかと言いたくなる。 異議を唱えることは、“無料教育”制度の下では推奨されないであろう。事実として、服従が大切なこととして祭られるであろう。これは、個人が自由な考えと行動を没収されて、政府の意志に従属し、政府によって許される範囲の限定的な考えしか持てないという“没収による蓄財”ではないのか? この理論的枠組み(パラダイム)内では、人々から考えと表現における個性を没収することによって、政府は権力と権威を蓄財する。

共産党宣言は、“全ての国の労働者達よ、団結せよ!”という声明で終わっている。これは、それ自体で独りでに、全世界の労働者階級が資本家階級に対して立ち上がるという国際的な運動の必要性に焦点を置いていて、社会における階級分裂を促進する。[19] このように、これは、少なくとも国境を越えた階級制度という最初の関係において、国際的な共同体についての世界主義者的な考え方を助長する。我々が後に“グローバル化”と称するものであるが、資本主義が拡大するのと同様に、世界の労働者階級は“グローバル化”し、“国際化”しなければならないと、マルクスは本質的に論じている。これは、資本家階級に対して立ち上がる国際的な階級という概念を促進していて、マルクスはある意味で初期のグローバル主義者である。 究極的に言うならば、これはある階級の圧制を他の階級の圧制に置き換えるだけではないだろうか? 資本家を追い出して、共産主義者を取り入れなさい! 圧制の一形態を別のものに置き換えたって、正しい方向の変化になるはずはない。両方の制度において、個人は苦しめられ、自由思想は抑圧される。

多くのマルクス主義者の批判は、資本主義制度の機能・構造の分析に極端に向けられているけれども、その学説そのものが批判的に検証されなければならない。

RetakingAmerica アメリカの奪回

合衆国のその建国から19世紀を経て20世紀初めまでの歴史は、合衆国の中央銀行創設に絡んで連続的に繰り返された政治上の争いで特徴付けられる。初代財務長官であったアレキサンダー・ハミルトンのような重商主義者はそのような銀行に好意的であり、彼の助言はジョージ・ワシントンを説き伏せた。そのことで、中央銀行に強く反対していたトーマス・ジェファーソンは大いに意気消沈した。しかしながら、“政府を強化するためには政府は社会の最も富裕な構成要素との同盟が必要であると信じていた[アレキサンダー・]ハミルトンは、議会にこの哲学を具現化する一連の法律を提案し、それらの法律は成立した。” そして、“合衆国銀行は政府とある特定の銀行業者の共同経営として組織化された。”[20] その合衆国銀行は、その許可状が1811年に失効するまで続いた。

アンドリュー・ジャクソンの任期の間(1829−1837年)、再び、合衆国の中央銀行創立問題についての根本的な政治闘争が、国内および海外(すなわち西欧)の揺るぎない金融業者との間であった。 アンドリュー・ジャクソンはそのような銀行に対して断固として反対して立ち上がり、“その銀行は発展段階の秩序を脅かし、経済権力を一握りの手に委ねることになる”と言い、それを“怪物”と呼んだ。[21] 議会は、2番目の合衆国銀行設立許可法案を可決したが、アンドリュー・ジャクソンはその法案に拒否権を発動し、銀行業者を大いに意気消沈させた。

1800年代の後半において、“欧州の金融家は合衆国を植民地状態に戻すであろうアメリカ南北戦争に賛成であり、奴隷制度を維持することには必ずしも興味がなかった。” というのは、奴隷制度は儲からなかったからである。[22] 南北戦争は奴隷解放に起因しておらず、ハワード・ジンが述べているように、それは“経済的拡大―奴隷業者はそれ全てに反対していた[けれども]、自由な土地、自由な労働、自由市場、製造業者のための高関税率、[および]合衆国銀行”[23]―を望む北部のエリートと“エリート”の衝突であった。 1861年から1865年まで続いた南北戦争で何十万人もの人々が死んだが、その期間中において、“議会は国立銀行を創立し、政府と銀行業者の共同経営とし、彼らの利益を保証した。”[24]

リンカーン自身が述べたように

通貨支配権は平時には国民を餌食にし、逆境の時代には国民に陰謀を企てる。銀行権力は君主政体よりも独裁的で、独裁政治よりも横柄で、官僚制度よりも自己本位である。 彼らは、彼らの方法に疑いをかけ、彼らの犯罪に光を投げかける全ての人々を公共の敵として非難する。

私には、二つの強敵、すなわち前面の南軍と背後の銀行家がいる。その二つのうち、背後のものが私の最大の敵である。 最も望ましくない戦争の結末は、法人が王座を占めることである。そうなったら、高い地位での不正行為の時代がその後に続くであろう。通貨権力は、富が一握りの人々に凝集し、共和国が破壊されるまで、人々の先入観に働きかけることによって、その統治を延長しようと努めるであろう。[25]

1800年代のほとんどを通して、および1900年代になってからを含めて、合衆国は数回の経済的危機で苦しんだが、その最大の危機は1873年の大恐慌である。ハワード・ジンが説明しているように

危機は混沌とした性質を持つシステムに組み込まれていて、その中では非常に裕福な人々だけが安全であった。周期的な危機―1837年、1857年、1873年(そしてその後、1893年、1907年、1919年、1929年)―のシステムであり、それによって小さな会社は投げ倒され、労働者達には寒さ、空腹、および死がもたらされた。一方、アスター家、バンダービルト家、ロックフェラー家、モルガン家といった大富豪は、戦時中も平時も、危機時も回復時も一貫して成長し続けた。 1873年の危機の間に、カーネギーは鋼市場を我が物とし、ロックフェラーは石油業界での競合他社を一掃した。[26]

J.P.モルガンが鉄道業と銀行業に対する全体的な支配を拡大し、ジョン・D・ロックフェラーが石油市場を支配し銀行業に乗り出したように、少数の寡頭的支配者エリートによる大規模な産業合併がその当時の常態であった。ジンは次のように説明している。“新しい寡頭的独裁者の帝国主義リーダは、モルガン家であった。モルガン家は、その行動・作戦において、ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行(取締役:ジョージ・F・ベーカー)およびニューヨーク・ナショナル・シティ・バンク(頭取:ロックフェラー財閥の代理人であるジェームス・スティルマン)によって巧みに支援された。それらの中で、これらの3人の男達とその金融業仲間が112の法人において341の取締役職を占めていた。1912年におけるこれらの法人の全資産は222億4,500万ドルで、ミシシッピ河の西側の22の州と準州の全資産評価額を超えていた。”[27]

これらの銀行業者、特にモルガン支配下の銀行業者は欧州の銀行業者と緊密に同盟していた。その欧州側、特に英国において、エリートはその当時アフリカの争奪戦に忙しかった。彼らのうち悪名の高いのはセシル・ローズで、彼はアフリカのダイヤモンドと金の鉱山において富を築いた。すなわち、“ロスチャイルド卿とアルフレッド・バイトからの金融支援によって、彼は西アフリカのダイヤモンド鉱山を独占するデビヤス鉱山会社を設立し、巨大な金採掘企業であるゴールド・フィールズ金鉱会社を築き上げることができた。”[28] 興味深いことに、“ローズは、ロンドンのシティの友人、特にその当時の世界最大の金融資本集団であるロスチャイルド銀行の援助無しでは、南アフリカでのダイヤモンド生産に関しての近独占状態を勝ち取れなかったであろう。”[29] 歴史家としてニーアル・ファーガソンは次のように説明している。“ローズはデビアスを所有していると通常思われているが、実はそうではない。ネイサン・ロスチャイルドはローズ以上の大株主で、実際、1899年までにローズの2倍の株式を所有していた。”[30]

セシル・ローズは、アメリカに対する過激な見解で、特に“‘大英帝国が完全なものになるために不可欠な存在であるアメリカ合衆国を最終的に奪回すること’について極めて真剣に話す”ということでも、有名であった。[31] ローズは彼自身を単にお金を儲ける人としてではなく、“帝国建築者”として見ていた。歴史学者として、キャロル・クイグリーは1891年に、3人のエリートが秘密クラブを作るという意図で会合を持ったと説明している。その3人の男とは、セシル・ローズ、当時著名であったジャーナリストのウィリアム・T・ステッド、および“ビクトリア女王の親友で、後に国王エドワード7世と国王ジョージ5世の最も影響力のある顧問であったレジナルド・ベイリャル・ブレットである。この秘密クラブ内において、“実権は、その指導者および‘3人からなる秘密結社’によって行使され、その指導者はローズで、秘密結社はステッド、ブレット、およびアルフレッド・ミルナーであった。”[32]

1901年に、ローズはそのクラブの後継者としてミルナーを選んだ。そのクラブの目的は、“英国支配の世界中への拡大、英国からの移民システムと、生計手段がエネルギー、労働力、事業によって達成可能な全ての土地の英国臣民による植民地化システムの完成...、[そのために]大英帝国が完全なものになるために不可欠な存在であるアメリカ合衆国を最終的に奪回すること、帝国全体の統合、その帝国のうちの離反したメンバーを結合させる効果を期待しての帝国議会における植民地代表団制度の開始、そして最終的には戦争を不可能にし人類の最善の利益を推進できるような強大な権力の樹立”[33]。 本質的に、それは英国主導の全世界秩序、すなわち英国の覇権の下での一つのグローバルな支配システムを概説したものである。このグループ内の重要なプレイヤーの中に、ロスチャイルド家と他の銀行業者が含まれていた。[34]

20世紀初頭、欧州とアメリカの銀行業者は、アメリカ内で1世紀に亘って望んでいたもの、すなわち民間所有の中央銀行の設立を成し遂げた。それはアメリカと欧州の銀行家、主としてモルガン家、ロックフェラー家、クーン家、ローブ家、およびワールブルグ家の協力によって創立された。[35] JPモルガンによって扇動された1907年の合衆国における金融パニックの後、“安定した”金融制度を構築すべきという圧力がアメリカの政治機構に掛けられた。 1910年、金融家達がジキル島で秘密会議を開き、そこで、“商業銀行家の取締役会によって支配され、連邦政府によって中央銀行のように振舞う権利を与えられ、お金を創造し民間銀行に引当金を貸し出す、15の主要地域からなる国家準備連合の創造”を計画した。[36] ウッドロー・ウィルソン大統領は、ウォール街の金融家達が描いたのとほぼ正確に同じ計画に従うとともに、大統領が任命することになるワシントンの連邦準備制度理事会をその計画に追加した。[37] 連邦準備あるいはFedは、“それ自身の収入を引き上げ、それ自身の経営予算案を創案したが、議会には提出しなかった。” そして、“7人の理事が各地域の民間銀行に応対する12の準備銀行の頭取と権力を分かち合った。” そしてまた、“商業銀行が12の連邦準備銀行の各々の株式を所有した。”[38]

国際的な銀行業者による合衆国の奪回は、反対者のすすり泣く声とともに成し遂げられた。大英帝国は合衆国を軍事的に奪取することに失敗したけれども、国際銀行家は銀行システムを通して密かに成功した。連邦準備の設立は、ニューヨークとロンドンの銀行家間の提携を固める効果もあった。[39]


Notes

[1] George T. Crane, Abla Amawi, The Theoretical evolution of international political economy. Oxford University Press US, 1997: pages 48-49
[2] George T. Crane, Abla Amawi, The Theoretical evolution of international political economy. Oxford University Press US, 1997: pages 50-51
[3] John Kenneth Galbraith, Money: Whence it Came, Where it Went (Boston: Houghton Mifflin Company, 1975), 31
[4] Donald Kagan, et. al., The Western Heritage. Volume C: Since 1789: Ninth edition: (Pearson Prentice Hall: 2007), 596
[5] Curtis B. Dall, F.D.R. : My Exploited Father-in-Law. (Institute for Historical Review: 1982), 172
[6] Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: Macmillan Company, 1966), 515
Robert Elgie and Helen Thompson, ed., The Politics of Central Banks (New York: Routledge, 1998), 97-98
[7] Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: Macmillan Company, 1966), 516
[8] Robert Elgie and Helen Thompson, ed., The Politics of Central Banks (New York: Routledge, 1998), 98-99
[9] Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: Macmillan Company, 1966), 516
[10] Sylvia Nasar, Masters of the Universe. The New York Times: January 23, 2000:
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C04E3D6123AF930A15752C0A9669C8B63
BBC News. The Family That Bankrolled Europe. BBC News: July 9, 1999
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/389053.stm
[11] New Scientist. Waterloo Windfall. New Scientist Magazine: Issue 2091, July 19, 1997
http://www.newscientist.com/article/mg15520913.300-waterloo-windfall.html
BBC News. The Making of a Dynasty: The Rothschilds. BBC News: January 28, 1998
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/50997.stm
[12] Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: Macmillan Company, 1966), 51
[13] Adam Smith, The Wealth of Nations. U. of Chicago Edition, 1976: Vol. IV, ch. 2: 477
[14] Adam Smith, An inquiry into the nature and causes of the wealth of nations. Regnery Gateway, 1998: page 152
[15] Adam Smith, An inquiry into the nature and causes of the wealth of nations. Regnery Gateway, 1998: pages 166-167
[16] Patricia Goldstone, Aaronsohn's Maps: The Untold Story of the Man who Might Have Created Peace in the Middle East. (Harcourt Trade, 2007), 29-30
[17] Patricia Goldstone, Aaronsohn's Maps: The Untold Story of the Man who Might Have Created Peace in the Middle East. (Harcourt Trade, 2007), 31
[18] Karl Marx, Friedrich Engels, Philip Gasper (ed.), The Communist manifesto: a road map to history's most important political document. Haymarket Books, 2005: pages 70-71
[19] Karl Marx, Friedrich Engels, Philip Gasper (ed.), The Communist manifesto: a road map to history's most important political document. Haymarket Books, 2005: page 67
[20] Howard Zinn, A People’s History of the United States. Harper Perennial: New York, 2003: page 101
[21] Michael Waldman, My Fellow Americans: The Most Important Speeches of America's Presidents, from George Washington to George W. Bush. Longman Publishing Group: 2004: page 25
[22] Dr. Ellen Brown, Today We're All Irish: Debt Serfdom Comes to America. Global Research: March 15, 2008:
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=BRO20080315&articleId=8349
[23] Howard Zinn, A People’s History of the United States. Harper Perennial: New York, 2003: page 189
[24] Howard Zinn, A People’s History of the United States. Harper Perennial: New York, 2003: page 238
[25] Steve Bachman, Unheralded Warnings from the Founding Fathers to You. Gather: June 19, 2007:http://www.gather.com/viewArticle.jsp?articleId=281474977031677
[26] Howard Zinn, A People’s History of the United States. Harper Perennial: New York, 2003: page 242
[27] Howard Zinn, A People’s History of the United States. Harper Perennial: New York, 2003: page 323
[28] Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: The Macmillan Company, 1966), 130
[29] Niall Ferguson, Empire: The Rise and Demise of the British World Order and the Lessons for Global Power (New York: Basic Books, 2004), 186
[30] Niall Ferguson, Empire: The Rise and Demise of the British World Order and the Lessons for Global Power (New York: Basic Books, 2004), 186-187
[31] Niall Ferguson, Empire: The Rise and Demise of the British World Order and the Lessons for Global Power (New York: Basic Books, 2004), 190
[32] Carroll Quigley, The Anglo-American Establishment. GSG & Associates, 1981: page 3
[33] Carroll Quigley, The Anglo-American Establishment. GSG & Associates, 1981: page 33
[34] Carroll Quigley, The Anglo-American Establishment. GSG & Associates, 1981: page 34
[35] Murray N. Rothbard, Wall Street, Banks, and American Foreign Policy. World Market Perspective: 1984:
http://www.lewrockwell.com/rothbard/rothbard66.html
[36] William Greider, Secrets of the Temple: How the Federal Reserve Runs the Country. (New York: Simon and Schuster, 1987), 276
[37] William Greider, Secrets of the Temple: How the Federal Reserve Runs the Country. (New York: Simon and Schuster, 1987), 277
[38] William Greider, Secrets of the Temple: How the Federal Reserve Runs the Country. (New York: Simon and Schuster, 1987), 50
[39] William Engdahl, A Century of War: Anglo-American Oil Politics and the New World Order. (London: Pluto Press, 2004), 51

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