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HOME>>講演録 TOP>>ロスチャイルド関連の世界史1800〜1900
ロスチャイルドには五人の娘と五人の息子がいました。この息子たちが成長し、ヨーロッパの主要な都市に支店を開いていきます。
1804年には三男のネイサンがイギリスのロンドンへ行き、のちに金融王となります。
1817年には、五男のジェームズがフランスのパリへ行き。彼は鉄道王と呼ばれ、この鉄道を足がかりにフランスの産業を支配していきます。
1820年には次男のサロモンがオーストリアのウィーンへ、1821年には四男のカールがイタリアのナポリへ、そして長男のアムシェル・マイヤーはフランクフルトの本店を継ぐことになります。
この五人兄弟は、伝書鳩や快速艇、専用の馬車を持っていて、毎日、各国の情勢を手紙で情報交換していました。
今の情報ネットワークを利用して投機で儲けるという国際金融ビジネスの原型を築いたのです。
この四人の兄弟に囲まれた星のマークのついた国、どこだかわかりますか?
そう、永世中立国であり、大金持ちたちの秘密の金庫がある国、そして中央銀行の中央銀行である国際決済銀行のある国、スイスです。
スイスがロスチャイルド・ネットワークの中心地であることが、この配置からわかりますね。
1810年に、ロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、三男ネイサンが新しい支配者となります。
ただ、ベアリング家がこれで没落したわけではなく、このあとロスチャイルドと二人三脚でシティを支配していくことになります。
もっとも手強い相手と組み、取り込んでいくというのがロスチャイルドのやり方です。
1812年、初代ロスチャイルドのマイヤー・アムシェルが死去します。
臨終の際、マイヤーはタルムードを読み、息子たちに「常に結束して事に当たり、独断的な行動を行わない」と誓わせたと言います。
1814年、東インド会社のインド貿易独占権が廃止になり、その後はロスチャイルド家が利権を受け継ぎ、植民地支配を続けることになります。
1815年にはワーテルローの戦いが起こります。ナポレオン率いるフランス軍とウェリントン将軍率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍のヨーロッパの覇権を賭けた戦いですね。
この時、イギリスは国債を発行することによって戦費を調達していました。イギリスが負けることになれば、当然、イギリスの国債は大暴落してしまいます。
ある日、ネイサン・ロスチャイルドが青ざめた顔をして、急にイギリスの国債を売り始めました。
ネイサンが独自の情報ネットワークを持っていて、いち早く情報を入手できることは知られていましたので、それを見て投資家たちはイギリスが負けたのだと思い込み、英国債を我先にと売り始め、最終的に大暴落しました。
その裏でネイサンは秘密の代理人を使って、紙クズ同然となった英国債を買いまくっていたのです。
翌日、イギリス勝利の情報とともに英国債は暴騰しました。
しかし、その時はネイサンがイギリス国債を大量に買い漁った後だったのです。
これにより、多くの投資家と、ほぼ全ての名門の家系が破産したのに対して、ネイサンは当時としては天文学的な数字である約100万ポンドの利益を得、この日の儲けだけで財産が2500倍に増えたと言われています。
このことは後に「連合国はワーテルローの戦いに勝ったが、実際に勝ったのはロスチャイルドだった」という諺となってヨーロッパに残っているそうです。
そして、この時を契機として、ロスチャイルドのイングランド銀行支配が始まります。
1820年代には、各国の大蔵大臣がロスチャイルド5人兄弟に買収され、国の借金をつくり、公債を発行して、その2倍近い金額をロスチャイルド商会に支払ったそうです。
ヨーロッパ諸国のすべてがロスチャイルド商会をあてにするようになり、ヨーロッパ全王室がロスチャイルド家に金を借りにきたと言われています。
ロスチャイルド商会の資産総額は、1815年には333万フランだったものが、10年後の1825年には1億6500万フランにまで膨らんでいます。
1832年に、米国の名門イェール大学に秘密結社スカル&ボーンズが設立されます。
創設者はアルフォンゾ・タフトとウィリアム・ラッセル。
アルフォンゾ・タフトは、ユリシーズ・グラント政権で司法長官と陸軍長官を務めました。息子は第27代米国大統領のウィリアム・タフトです。
ウィリアム・ラッセルは、ロスチャイルドとベアリングが支配する阿片貿易の利権を分けてもらった麻薬貿易会社ラッセル社の一族です。ラッセル社は、英国が独占するインド産阿片より質が悪いけど安価なトルコ産阿片を中国に持ち込み、そこで得た資金で「マサチューセッツ銀行」を設立(のちのボストン・ファースト・ナショナル銀行)しています。
スカル&ボーンズは、1856年には「ラッセル信託基金」の名の下に正規の法人格を取得しています。
ウィリアム・ラッセルがドイツに留学した際、どうやらイルミナティと接触したようで、帰国後にその秘密の儀式を真似て設立されたのがスカル&ボーンズです。
イルミナティとの違いは、スカル&ボーンズはホワイト・アングロサクソン・プロテスタントのみで構成されるという点ですね。ですから、WASPのみで構成された米国版イルミナティと言っても良いと思います。
初期の段階のスカル&ボーンズは、阿片貿易で巨万の富を得たニューイングランドの有力商家が中心でした。
17世紀に最初にアメリカにやってきたピューリタンの末裔たちが第1グループとされ、ホイットニー家、ロード家、ワッズワース家、アレン家、バンディ家、アダムス家、スティムソン家、タフト家、ギルマン家、パーキンス家などがあります。
第2グループは、18世紀から19世紀に巨万の富を得た名家で、ハリマン家、ロックフェラー家、ペイン家、ダヴィソン家、ピルスベリー家、ウェイヤハウザー家、そしてブッシュ家などですね。
時計の左隣にいるのが若き日のパパ・ブッシュです。
ウィリアム・ラッセルがドイツ留学から持ち帰ってきたもう一つのものが、ヘーゲルの弁証法です。スカル&ボーンズは、このヘーゲルの弁証法を戦略として採用しています。
どんなものかというと、簡単に言えば、まずテーゼ(定立)を立てて、それに対してアンチテーゼ(反定立)をぶつけて、ジンテーゼ(総合)を導き出すというもので、正+反=合という図式で表わせます。
自らの優位を導くために、世界の中に意図的に対立を引き起こし、緊張が極まったところで自分たちを有利に導く解決を提供するという方法論です。
これもイルミナティと同じで、キーワードは「分裂と混沌」ですね。
スカル&ボーンズは教育界に大きな影響を与えてきました。
ティモシー・ドワイトがイェール大学長。
アンドリュー・ホワイトがコーネル大学の初代学長。
ジョン・ロックフェラーはロックフェラー大学とシカゴ大学を創立。
ダニエル・ギルマンは、カルフォルニア大とジョン・ホプキンス大の初代学長になっています。
このギルマンがロックフェラーたちと一般教育委員会を設立し、米国の学問を方向づけました。
また、ギルマンの愛弟子にジョン・デューイがおり、デューイはアメリカ「進歩主義教育運動」の思想的な柱となっています。
このジョン・デューイの教育思想と理論は、戦後日本の教育にも多大な影響を与えています。
スカル&ボーンズの中でも特に重要な人物がヘンリー・L・スティムソンです。
スティムソンは、セオドア・ルーズベルト、ウィリアム・タフト、ウッドロー・ウィルソン、カルビン・クーリッジ、ハーバート・フーバー、フランクリン・ルーズベルト、ハリー・トルーマンと7人の大統領の側近を務めました。
彼は原爆を製造したマンハッタン計画の最高責任者でもあります。
陸軍長官であったスティムソンは、陸軍省内でスカル&ボーンズのグループを結成しています。
ジョン・マックロイ、ロバート・ロヴェット、マクジョージ・バンディ、ウィリアム・バンディ、ディーン・エイクソン、ジョージ・マーシャル、アヴェレル・ハリマン、プレスコット・ブッシュなど世界大戦時の重要な閣僚たちが名を連ねています。
このグループが、第二次世界大戦前から戦後にかけての重要な戦略政策を練り上げ、日独両国の占領政策の立案にあたりました。
また、このグループは戦略事務局(OSS)を創設し、以降、その後身である中央情報局(CIA)はスカル&ボーンズ人脈を中心に構成されています。
その他、スカル&ボーンズは、大学、財団、銀行、石油会社なども傘下に擁し、政府機関にも幅広く人材を送り込んできました。
もちろん、現大統領のブッシュもスカル&ボーンズ出身です。
1837年、米国のジョージ・ピーボディがブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入。ネイサン・ロスチャイルドの代理人となります。
ブラウン・ブラザーズのブラウン家はベアリング家の親戚ですね。ジョージ・ピーボディはギター・ピーボディ証券の一族でピーボディ基金の設立者として知られています。
このジョージ・ピーボディには子供がいなかったので、後継者としてジュニアス・モルガンを指名しました。これによりモルガン商会がロスチャイルドの秘密の米国代理人となります。
なぜ“秘密”なのかと言えば、当時、ユダヤ人は嫌われ者だったので「ユダヤ人なんかから金を借りたくない」という人たちがいっぱいいたんですね。そういう人たちはモルガン商会からお金を借りるわけです。
モルガン商会は「トラストのトラスト」と呼ばれ、十数社の鉄道事業を買収し再編成。1892年にはGEを設立し電気事業を再編。1901年には鉄鋼王カーネギーを買収してUSスチールを設立し鉄鋼業を再編。1907年には全米の電話を独占するAT&Tを買収します。
第一次世界大戦時には、英仏両国政府から公式代理人として選ばれ、戦時国債を米国で販売。米国における英国の公式貿易代理業者でもあり、あらゆる戦時物資を自らの所有する企業から購入して英国に送りました。
1920年には死の商人デュポンと組んでGMを支配。その他、テキサコ、IBM、シティバンク等にも投資を行い巨大化していきます。この頃には「モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」とまで言われたほどの影響力を持っていました。
1837年、フランクフルト・ロスチャイルド商会の代理人オーガスト・ベルモントが米国へ派遣されます。
ベルモント商会は企業買収を繰り返し、ディロン・リードなど全米の金融機関を支配下に収めていきます。
オーガストは1849年にペリー提督の娘キャロラインと結婚。
ユダヤ人ジャーナリストが書いた『ユダヤの告白』という本では、ペリー提督を日本に送り込んだのは、このオーガスト・ベルモントだと書かれています。その目的は、彼らは中国に阿片を売りつけていましたから、ついでに日本にも阿片を売りつけようとしたらしいです。本当かどうかわかりませんが、当時の状況を考えれば十分あり得る話だと思います。
ベルモント商会は、このペリー家やモルガン家と結びつきボストン財閥を形成していきます。
オーガストは、1856年には民主党の党首になり、約20年間、政治と実業界に影響を与えました。
1848年、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが『共産党宣言』を発表しました。
執筆を依頼したバルーフ・レヴィという人物が、マルクス宛の手紙の中で、その目的を打ち明けています。
「この新しい人類の社会組織の中で、我々ユダヤ人はいかなる国家に属することもなく、また他の民族から何の抵抗を受けることなくして指導勢力となり、やがてその影響は全世界に及ぶことになるでしょう。そして、もし彼らの中の何人かの賢者が、これら労働大衆のうちに確固たる指導権を打ちたてることに成功するなら、プロレタリアの勝利によって次々に世界共和国の一部となっていく諸国家の支配権は、これらプロレタリアを指導する我々ユダヤ人の手に容易に収めることができます。要するに、プロレタリアの勝利は私有財産の廃止をもたらし、こうして公有財産となった他民族のあらゆる私有財産は、公有財産を管理するユダヤ人の支配下に入るのです。かくして我々ユダヤ人のメシアが到来する時、ユダヤ人は全世界の民の財産をことごとくダビデの星の下につかさどるであろうと言い伝えられてきたタルムードの予言が実現されることでしょう。」
1848年、ロスチャイルドにつながる“二百家族”によってフランス銀行が独占的に支配されます。 この銀行支配を通じて産業界も“二百家族”によって支配されることになります。
1853年、米国よりペリー提督が艦隊を率いて来航し、砲艦外交によって開国を迫まります。 砲艦外交って言うのは、要するに大砲で脅して言う事を聞かせる“押し売り”みたいなものです。
1859年、トーマス・ブレーク・グラバーが来日。武器商人として明治維新の裏で暗躍します。
長崎では今もこのグラバーの屋敷が観光名所になっていますね。
グラバーは中国に阿片を売りまくって阿片戦争を引き起こした麻薬貿易商社ジャーディン・マセソン商会の代理人で、ロスチャイルド傘下のロイズ保険や香港上海銀行等の代理店も務めていました。
ちなみに、今や世界一の金融グループとなった香港上海銀行ですが、ロスチャイド、ベアリング、サッスーン、ジャーディン・マセソンという錚々たる麻薬貿易商人が設立時の役員として名を連ねています。つまり、中国へ売りつけた阿片の代金をイギリスに送金するためにつくられたのが香港上海銀行です。
ジャーディン・マセソンが資金を出して、グラバーが手引きをし、1863年には伊藤博文や井上馨など五人の長州藩士が英国に密航しています。
また、1865年には五代友厚ら17人の薩摩藩士も英国に密航させています。のちに彼らが明治政府の要人となるわけですね。
武器商人であるグラバーは、坂本龍馬の亀山社中を通じて薩長に武器弾薬を提供しました。
グラバーは英語教師もやっていて、教え子であった岩崎弥太郎と共に三菱財閥の基礎もつくっています。
1861年、アメリカの南北戦争が勃発します。(〜1865年)
ドイツの鉄血宰相ビスマルクが、1876年に「南北戦争は欧州の金融権力によって誘発された」と話しています。
「アメリカを二つの連邦に分割することは、ヨーロッパの大金融権力によって、南北戦争のずっと以前に決定された。そうした銀行家はアメリカを恐れていた。アメリカ国民が結束したままであれば、当然ながら一国として経済的、金融的に独立独歩することになるだろうし、そうなれば、彼ら銀行家の世界支配が覆される、と。ロスチャイルド一族のこうした声に影響され、彼ら銀行家はアメリカを、自信に満ちて自給自足体制を貫く活力ある共和国を二つの弱小国家にして負債を負わせれば、大儲けができると考えたのだ。〔中略〕
リンカーンは、ある時、ヨーロッパの悪意に満ちた金融家ロスチャイルド家から一族の計画の実行者となることを望まれていると察知した。北部と南部は彼らによって分断される寸前だった。〔中略〕
リンカーンは彼らの企みを看破し、ほどなく、本当の敵は南部ではなく、ヨーロッパの金融家だと考えるようになった。〔中略〕
そこで彼は公債制度を確立させ、国家に仲介組織なしで直接人々から借りることで、国際銀行家連中を排除しようと決意した。〔中略〕
アメリカは支配できない。彼らはすぐにそう思い知ったが、リンカーンの死で問題は解決されることになる。襲撃のための狂信者を見つけることほど簡単なことはない。〔中略〕
合衆国に、彼の遺髪を継ぐほど偉大な人物はいない。イスラエルは、世界の富を新たに略奪することをひき受けたのである。悪辣でひねたユダヤ人銀行家たちが合衆国の豊かな富を完全に支配し、現代文明を計画的に崩壊させるために用いることを、私は恐れている。」
リンカーンは「債券は不要であり、起源において債務のない国家の富に比例して発行される紙幣のみが許可されるべき通貨である」と国民に説いて1862年2月から政府紙幣を発行しました。
1862年7月、イングランド銀行は、米国の銀行業者間に“ハザード・バンキング回報”を配布しました。
「奴隷制度は戦争の力で廃止されるであろう。それには、私も、私のヨーロッパの友人たちも賛成である。なぜなら奴隷制度は労働力を所有することにほかならず、それには労働者の面倒をみることが伴う。一方、ヨーロッパ流のやり方では、資本家が賃金を管理することによって労働力を支配する。これは通貨を管理することによって可能となる。〔中略〕
銀行業務の基本としては、債券が用いられねばならない。〔中略〕グリーンバックと呼ばれている政府発行紙幣を、いかなる期間も通貨として流通させてはならない。我々がそれを管理できないからである。」
ここには重要なことが二つ書かれています。
一つは奴隷制が廃止された理由ですね。奴隷制は奴隷の面倒を見なければならない。強制的に働かすには暴力で脅す必要があるので、軍隊のコストがバカにならないんです。それに無理やり働かしているのでモチベーションがないから生産性も悪い。それより、解放して、一生懸命働ければ豊かになれると思わせた方が、進んで働くから効率がいいわけです。でも、実際は賃金を管理されているから、いくら一生懸命働いても豊かにはなれないんですけどね。のちに植民地が独立できたのも、おそらく同じような理由によります。彼らの感覚は常に“経営者”なので、決して人道的な見地からではないでしょう。
もう一つは、お金は債券でなければならない。政府紙幣では管理できないから困ると言ってるんですね。これが彼らの弱点です。
で、残念ながら彼らの弱点をついたリンカーンは、1865年4月14日に暗殺されてしまいました。
1865年、ロスチャイルド家の代理人ジェイコブ・シフが渡米します。
シフは改革派ユダヤ教徒、つまりフランキストですね。
このシフはソロモン・ローブの娘テレサと結婚し、1870年、クーン・ローブ商会の頭取に就任。クーン・ローブ商会の経営者として、ジョン・D・ロックフェラーやエドワード・R・ハリマン、アンドリュー・カーネギーの後援者となり、ロックフェラーのスタンダード・オイル社、ハリマンの鉄道帝国、カーネギーの鉄鋼帝国に融資、巨大財閥に育成しました。
その後、モルガン家、ビドル家、ドレクセル家という当時の三大有力者と提携し、ウォール街の銀行連合を形成します。
余談ですが、1974年、ネルソン・ロックフェラーが副大統領に指名された時に、個人資産を公表しなければならなくなりました。その時に明らかになった事は、ロックフェラー家の資産は、ジェイコブ・シフ以来、クーン・ローブ商会が財務管理しており、その投資はすべてクーン・ローブ商会の承認を受けなければならなくなっていたということです。
日本ではロックフェラーが世界一の権力者と主張される方が多いですが、歴史的経緯からみれば、ロックフェラーはロスチャイルドの代理人の代理人でしかないんですね。
1870年、イタリアの統一によって教皇領を奪われたローマ・カトリック教会は、それまで領地からの得ていた収入を絶たれ、深刻な財政難に陥りました。
この、窮地に立ったバチカンに救いの手を差し伸べたのがロスチャイルドです。それ以降、仇敵の総本山バチカンの資金運用はロスチャイルド人脈によってなされるようになりました。
イタリアの統一運動を主導したのが「青年イタリア」という組織で、そのリーダーがイルミナティ二代目首領ジュゼッペ・マッチーニでした。
マッチーニは、その後「青年ドイツ」「青年ポーランド」「青年スイス」そして「青年ヨーロッパ」を創設しますが、その他、「青年ロシア」「青年トルコ」「青年アメリカ」(米国のリーダーはオーガスト・ベルモント)など世界的に青年運動が広まり、それが第一インターナショナルに発展し、第二インターナショナルを経て、第三インターナショナル、つまり国際共産主義組織のコミンテルンとなります。コミンテルンに関しては後で出てきますので覚えておいてください。
そのジュゼッペ・マッチーニへ宛てて、1871年、イルミナティ三代目首領のアルバート・パイクが「世界を統一するために、今後3回の世界大戦が必要だ」という書簡を送っています。
その内容を見てみましょう。
「第一次大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」
※ちなみに、ツァーというのは皇帝という意味です。ですからツァーリズムというのは絶対君主制という意味になります。
「第二次大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」
「第三次大戦は、シオニストとアラブ人との間に、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている。」
そして、第三次大戦のあとに
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる。」
となっています。
1877年、松方正義が渡欧してフランス蔵相レオン・セーと会談し、レオン・セーが日本に中央銀行設立を勧めます。このレオン・セーのボスがフランス家四代目の当主アルフォンス・ド・ロスチャイルドでした。
そして、五年後の1882年、日本銀行が設立されます。
1881年、世界最大の金・ダイヤモンド鉱山を支配するために英国が南アフリカに介入し、第一次ボーア戦争が勃発します。(〜1884年)
1884年、英国でピール条例が制定され、イングランド銀行以外の銀行による発行業務が禁止、金本位制が確立し、イングランド銀行が世界で最初の近代的中央銀行となります。
このピール条例を制定するよう働きかけたのがロスチャイルドで、背景としてはボーア戦争による南アフリカの金鉱山支配があります。
1891年、イギリスで円卓会議グループの結成されます。
この背景を説明すれば、ロスチャイルドの融資を受けてセシル・ローズがデビアス社を設立し、全世界のダイヤモンドをほぼ独占的に支配しました。
ローズは、南アフリカの鉄道・電信・新聞業をも支配下に入れ、1890年にはケープ植民地の首相となり、南アフリカの政治・経済の実権を一手に握った人物です。
このローズは、英語圏の人々を結集して世界中の全居住地を彼らの支配下に置くという野望を持っており、その野望を達成するために秘密ネットワークを組織しました。それが円卓会議グループです。
創始者グループの幹部は、ロスチャイルド卿、バルフォア卿、グレー卿、イッシャー卿、ミルナー卿でした。
ローズの死後は、アルフレッド・ミルナー卿が遺志を継いで秘密ネットワークを担う人材を育成しました。
アルフレッド・ミルナーは、ミルナー・キンダーガーデン(=幼稚園)という組織を持っていて、このミルナー幼稚園は黒人を奴隷にして酷使し、挙句にアパルトヘイトをつくったグループです。
ローズの残した財産は奨学金の基金となり、このローズ奨学金を通して優秀な人材の“青田買い”がおこなわれるようになります。
米国ではローズ奨学金を真似てフルブライト奨学金がつくられ、有名な所では竹中平蔵氏がこのフルブライト奨学金で留学しています。
この円卓会議グループが発展して、1919年には英国に王立国際問題研究所(通称チャタムハウス)が設立されます。このチャタムハウスの創設者はミルナー幼稚園の出身のライオネル・カーティスです。
1921年には米国で外交問題評議会(CFR)が設立されます。CFRは米国を英国の影響下に置き続けることを目的に設置されました。
1925年には太平洋問題調査会(IPR)が設立されます。ここは国際連盟脱退後、日本唯一の国際窓口となったNGOで、太平洋戦争時には、この機関を通して対日工作がおこなわれました。最近になって、この組織の上層部が全員がソ連のスパイであったことが判明しています。IPRはチャタムハウスの下部組織ですが、資金提供はロックフェラー財団とカーネギー財団がしてきました。
1954年にはビルダーバーグ会議が開催されます。ビルダーバーグ会議については後で触れます。
1973年には日米欧三極委員会が設立されています。提唱者はデイヴィッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキーです。ロックフェラーがビルダーバーグ会議に、経済成長を遂げた日本も加えたらどうかと提案したところ、欧州勢から反対を受け、それならと独自に設立した組織です。ブレジンスキーは、キッシンジャーと並ぶCFRの重鎮で、今はバラク・オバマのアドバイザーを務めている人物です。現在は日米欧が抜けて、ただの三極委員会になっています。
1896年、テオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版。政治的シオニズム運動が本格的に始まります。
御存知でしょうが、シオニズムというのは「シオンの丘へ帰ろう」とするユダヤ人国家の建設運動で、シオニストというのはイスラエル建国を支持する人たちです。
エドモン・ロスチャイルド男爵は入植地を支援するために500万ドルを寄付しましたが、政治的シオニスト一派は、その5%しか提供できませんでした。
エドモンは彼の代理人による直接の監督と管理を要求したのですが、ワイツマンとヘルツルはその要求を快く思わなかったと言います。
イスラエルを世界戦略の一つの駒として使いたいロスチャイルドと、純粋(?)にユダヤ人だけの国家を建設したいというシオニストの意見の対立、暗闘のようなものは今でも続いていると思われます。
ところで、信心深いユダヤ人は、救世主の再来まではユダヤ人国家は存在し得ないはずなので、イスラエルが建国されることには反対してきました。
救世主が来る前にユダヤ人国家が建設されてしまうのは聖書の預言に反しているからです。ですから、シオニストは、実はユダヤの教えに反する“反ユダヤ主義者”なんです。
翌97年、テオドール・ヘルツルがスイスのバーゼルにて「第1回シオニスト会議」を開催。
ここで「シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土を建設することを目的とする」という「バーゼル綱領」が採択されます。
同じく1897年、ロンドンにマルコーニ無線会社が設立され、ロスチャイルドの通信支配が始まります。
この通信支配というのは非常に重要です。
もともと、世界中に広がる英国植民地の商人ネットワークから届く情報がロイター通信となり、ロスチャイルドの支配下に入ったロイター通信が世界にニュースを配信してきました。また、そのロイター通信から英国諜報部MI6が出来、そのMI6の指導を受けてCIAやモサドなど各国の諜報機関が出来たという経緯があります。
「情報を制する者は世界を制す」です。